喧嘩
あれから三日経ち……。
第七面[パンドラの箱]
最初はあまりにぼやけていて、視界の一面が白色だった。それが徐々に鮮明になっていくが、それと同時に、身体の所々に痛みを感じる。そのせいでせっかくはっきりとしていた視界を一旦閉ざしてしまった。けどまたすぐにまた開けると、もう景色はぼやけてなくて、私の目の前に広がっているのがわずかなラインが入った白色の天井だと分かった。
自分が寝かされているのが分かる。ベッドにくっついていた右手を挙げて、目の前に持ってくる。包帯がされていて、自由に指を動かすことが満足に出来ない。それでも握ったり、開いたりしてみて、生きてることを実感した。
その次に首を左に動かしてみる。窓があり、そこから外の世界が広がっていた。ただ外の世界といっても、ただの白い建物。ただそれのおかげでここがどこか分かった。隣町の病院だ。
そうか、なんか思い出してきた。
今度は右に首を回すと一人の女性が丸イスに座って、私を見ていた。目を合わすと何か息苦しくなってしまったのは、何と言葉をかければいいか分からなかったから。いつもならこんなことはあり得ない。
「おはよう。お目覚めね、嘘つきさん」
春川が何で嘘つきと言ってきたのかは、驚くほどのスピードで思い出せた。そうか、結局私は彼女に心配させてしまったか。
「……すまないね」
返す言葉も見つからず素直に謝ると彼女は立ち上がった。
「お医者さんを呼んでくるわ。それに他にも色んな人に連絡してくる」
彼女が病室を出ていく直前に私は引き留めた。
「私はどれくらいこうしていたのかな」
「三日よ。今日起きてくれてよかったわ。流石に限界だったから」
そう微笑むと目の下のクマが目立ってしまう。どうやら寝ていないらしい。年頃の女の子に連日徹夜をさせてしまったのなら、本当に申し訳ない。
「その間、どうなったんだい」
「……今はじっとしといた方が良いわ」
それを一番知りたかったのに、彼女は答えずに出て行ってしまった。そんな誤魔化し方をされてしまったら気になって仕方ないし、嫌な想像しかできなくなる。事態はいつだって最悪だ。私がのんきに眠っている間、最悪はどこまでいってしまったんだろうか。
痛みに耐えながら両腕を使って、上体だけを起こす。自分の身体がこんなに重いなんて信じたくない。これでもカロリーなどは計算して食生活は送っていたのに……。いや、この重さはそんなんじゃない。重いんじゃなく、腕に力が入らないんだ。
なんとかベッドの上で座った。両腕には包帯がエジプトのミイラみたいに巻かれていて、少し圧迫感があって不快だ。顔を触ってみると、右の頬にガーゼがテープで止められているのが分かった。頭にも腕と同じ様な圧迫感があるのでたぶん包帯が巻かれているんだろう。
足は少々動かせるものの、これに全体重を預けて歩けたり走ったり出来るかと問われると、答えは絶対にノーだ。
痛い。とにかく全身が痛い。ただ、それこそが私の生きてる証だった。
「残念だったね、『主』」
医者と看護師が一人ずつ入ってきた。簡潔な自己紹介をされた後、私の体の状態を教えてもらえた。全身を強く打っていて、ちょっとの間生活に多大な支障をきたすことになるし、しばらくは入院生活になるということだった。
幸いにも骨折などという大きな怪我はなく、しばらく安静にしていれば後遺症の心配などは大丈夫だそうだ。この三日眠り続けていたのはもちろん事故のせいでもあるが、それ以前に溜まっていた疲労やストレスの影響も大きいという説明まで受けた。
その後は身体検査を受けた。説明を聞いている間もそうだったかが、私の意識はずっと事件のことに向いていて、医者が何の目的で検査をしているのかも分かっていなかった。
医者と看護師が出ていった後、入れ違いで入ってくる人物がいた。
「あんたの生命力はゴキブリ並みだ」
私服姿の仁志はとても女性にかける言葉ではないないことをさらっと言ってきた。
「ひぃ君か。久しぶりだね」
「ぼけてんのか。まだ三日しか経っちゃいねぇよ」
本当に久しぶりに感じる。この三日、私だけえらく時間が長く感じていた。いや意識がないときの記憶はないが、あの事故から三日しか経ってないというのはどこか信じ難いものがあった。もうずいぶん昔のことのように思える。
「ところで、事件のことだけど」
仁志も春川同様、事件のことはあまり話したくないのか、急に仏頂面になった。
「……知りたいのかよ」
「こう言ってはなんだけど私には知る権利があるはずだね。なんせ被害者なんだから」
いやそんな立場じゃなくても、私には知らなきゃいけない義務があるはずだ。それは多くの生徒を助けられなかった責任で、それから逃げることは許されない。
仁志は頭をかきむしった後、覚悟を決めたのか何かを言おうと口を開いた。しかし彼の声より先に、私の耳元に届いたものがあった。
「事件は終わった」
子供の頃からずっと側にいてくれた父の声。仁志の姿で隠れて見えなかったが、どうやら病室の入り口にいるらしかった。少し顔をずらしてみると、少しやせたんじゃないかと思えてしまう様な父の姿があった。彼は乱暴に扉を閉めた。
「終わった?」
「そうだ。あの一連の殺人は終わって、被疑者死亡で片付けに入ってる」
まだ目覚めたばかりの体の中で、血液が一気に逆流し始める。被疑者死亡……それはつまり――。
「荻原君は」
「荻原治は三日前、お前の事故の日の晩に自殺した。屋上から飛び降りてな。即死だったそうだ」
逆流した血が、今度はすぐさま止まる。そして私の体から力や気力というものが抜けていき、折角痛い思いをして起こした上体をベッドの上に戻してしまう。その時、勢いのせいでまた痛みが走ったが、そんなことはどうでもよかった。
荻原治が自殺した……。ああ、もう最悪だ。またしても一人の少年の命が、無駄に消えていった。いや、消されていった。
「……事件が終わったっていったね。なら警察は荻原治を犯人と断定したわけだ」
私の言葉に非難が含まれていたことは父も分かっていただろう。言葉を返さない。
「小野君はどうなる。彼女は彼の恋人だった」
「恋人だからこそ恨んでいたのかも知れない」
「その論理でいくなら、他の被害者はどう説明するのさ。恋人で恨んでいて、その彼女がたまたま"cube"で、そして彼がたまたま『主』だったのかい。だから"cube"を殺すついでに恋人も殺してしまったのかい。おお、素晴らしいねっ」
思わず語尾が強まってしまい、お腹に力を入れたせいで胸痛がして顔を歪ませてしまう。
「……遺書があったんだよ」
胸に手を当てて小さく深呼吸を繰り返す私に、黙っていた仁志が諭すように言ってきた。
「荻原は遺書を残してた。それが自白だったんだよ」
悔しそうにする仁志の横を通って、父が私のベッドの横に立った。そして胸ポケットから四つ折りにされた四角い白い紙を取り出して渡してくる。受け取って開いてみると、そこには短くこう書かれていた。
『死んで償うべきだ』
紙にはそれだけ書かれていた。コピーされた物なので断言は出来ないが、恐らくはシャープペンで書かれたんだろう。
「筆跡鑑定の結果、荻原の書いたもので間違いないことが分かった」
持っていた紙をぎゅっと握った後、くしゃくしゃに丸めて床に叩きつけた。
「こんなの書かせただけだろっ」
「どうやって書かせる、こんな文章を」
語気を強める私とは対照的に父はずっと落ち着いていた。いや、落ち着いているというよりむしろ、何とかして感情を殺している。
そしてそんな父に私は反論できない。確かにこんな文章をどうやって書かすんだろう。殺すぞと脅すか。けどそうしたら、文字がふるえたりしないか。少なくともこの紙に書かれた一文は震えたりはしていない。紙の真ん中に堂々と綺麗に書かれていた。
かと言って荻原治が偶然こんな文章を書くことはない。これが彼の文字なら、彼は何らかの覚悟を持ってこれを書いた。そしてそれは何の覚悟かと聞かれると、一番納得のいく答えは警察と同じだ。
「彼が犯人だとすると、私を事故にあわせたのも彼になるね」
「バイクの残骸から、荻原の指紋が出てる。間違いなく彼だ」
そこまで判明しても、私は納得できない。
「どうして私を殺そうとしたんだろうね」
「邪魔だったんだろう」
「その邪魔を排除したすぐ後に、何で自殺したんだろうね」
それでも何とかして否定したかった。だからこんなことに頭を回す。けど、これは確かに疑問だろう。私を殺そうとして、そしてそれを実行したのなら自殺の意味が分からない。
「……恋人を殺しかけて罪の意識に苛まれたのかもな」
歯切れがよくないし、その理屈はむちゃくちゃだ。
「そんな奴なら何人も殺してないだろ。だいたい、それにしたって私を殺そうとした理由にはなってない。だいた麻由美君はどうなるんだよ」
「彼女は被害者になった。きっと荻原が殺して、どこかへ埋めたりしたんだろう」
「バカなこと言わないでくれっ。ならどうして他の被害者はいかにも殺されましたって感じで放置されてたんだよ! それも近くに『箱』までおいて、同一犯だと告げてい――」
「もういいっ!」
まだまだ続けようとしていたのに、父がここを病院だと忘れた様な大声でそれを止めてきた。父は顔を俯かせて、肩を震わせている。
「もういいっ。事件は終わったんだ! これ以上お前は何も考えなくていい」
その絞り出すような苦しげな声を聞いているだけで、こっちまで苦しくなった。いつもの父なら、私と兄を育てあげたあの正義感の塊みたいな父なら、こんなことを絶対に言わない。
「終わってなんかない……」
論理が破綻していてもいい。だけどこれだけは主張しておく。
「けが人はもうじっとしていなさいっ」
「ああ、ああっ、分かったっ! なら休むからすぐ出ていってくれっ!」
頭に血が昇って、大声を出したせいでまた体が痛くなった。それでも私は右手を横一直線に振って、父に対して拒絶を表した。これ以上、私に近づかないでくれ、と。
そして俯いたままの父に追い打ちをかけた。
「出て行けっ!」
近くに投げられる物が枕しかなくて、私をそれを力一杯父めがけて投げつけた。枕は父に当たると、音もなく床に落ちた。父はそれを拾って、手で叩いてはたいた後、枕を仁志に渡して何も言わずに病室から出た。
考えなくていいなんて父に言われたのは初めてだった。これ以上踏み込むな、なんて言われたのも……。どんな時でもあの人は私を止めるようなことはしなかったし、言わなかった。私がどんなに無茶をしてもそれを叱っても、次からやめなさいとは止めなかった。
なのに、なのに……。
「……あんたの気持ちも分かるけど、親父さんの気持ちも考えてやれよ」
仁志が気まずい雰囲気が支配する病室でぽつりと呟く。
「……分かっているさ」
二つ年下の弟分にそんなこと注意されて格好悪い。
分かっている。父が何であんなに辛そうにしていたのか。どうして今までの自分の信条を変えてまで、私にもうやめろと言ったのか。そんなの一九年も娘をやっていれば分かるに決まっている。あの人は嘘が下手なんだ。
私が容疑者になって、次は殺されかけた。父にしたらもう耐えられないだろう。よく心臓がもったものだ。ただもっただけで、それ以上は無理なんだろう。結局、父は私の父親だった。
「……親バカめ」
悔しく涙が出てきそうになる。ここで臥すしかない自分が、父をああしてしまった自分が、結局誰も救えなかった自分が、ふがいなくて情けなくてたまらない。私は事態をかき混ぜただけで何も出来なかった。
最終章突入です。
これから解決
編。伏線は出し切ってます。
だから、ね?




