女王
警察に拘束された蓮見だが……。
父はその意味が分からず、それでも私が言うことをきかないことと分かると取調室から出た。どうやらあまり長い面会は許可されていないみたいだ。
結局、私は署内で一夜を明かした。あの後も取り調べは続いたが、そもそも任意同行で証拠が揃っていない人間にそんな暴力的な取り調べをすると後が怖かったのだろう、案外すぐに毛布が与えられた。
そして父が買ってきてくれた朝食を食べて、取り調べが再開。ただ刑事たちからは昨日のような高圧的な態度は伺えない。誰も彼も腑に落ちない様子で明らかに昨日より弱腰の取り調べだった。
どうやら一夜のうちに状況が変わってくれたらしい。それでも須藤の悪あがきだったのか、昼前までは拘束され続けた。ただそろそろ昼食が欲しいなと思っていた頃、須藤が取調室に入ってきて、苦虫を噛みつぶした様な顔つきで言った。
「出ろ」
座りっぱなしだったパイプイスから立ち上がり、彼の目の前に立つ。
「どうやら立証は出来なかったみたいだね。一応、謝罪をしてもらおうか」
彼は拳を握りしめて何かに必死に耐えていた。私としては拘束されたことや犯人扱いされたことにはそこまで腹が立っていなかった。それは犯人が仕組んだことで、引っかかった私の責任でもあったから。
ただ小野夏希の手術を待つのを時間の無駄と言ったのは許す気はなかった。
「……申し訳なかった」
それで頭を下げたつもりかよと憤りたくなるほど小さく頭を下げた。まあ、彼のプライドがずたずたにされたことは間違いないので、それで満足しておこう。
彼の肩をぱんぱんと二度叩いた後、私は二度と入りたくない取調室を出た。そして署の出口の方へ向かっていると、いきなり腕を捕まれてわき道に連れ込まれた。
「何だい、父上」
私の手を掴んで離さない父は、どこか怒っている。
「お前は一体何を考えているんだ」
なるほど、やはり父は誤魔化せないか。けどここは白を切るしかない。
「私は自分の無実を証明するために質問に答えただけだよ。それを裏付けてくれたのは父上たちだろ」
「ああ、そうだ。元々証拠不十分のお前を拘束していること自体、ぎりぎりの行為だったのにお前にアリバイまで出てくると、もうどうしようもない」
「娘の無実が証明されたんだから喜びなよ」
「バカ野郎め。あんな不自然なアリバイがあるか」
私のアリバイというのは安藤茜、小林陸、そして小野夏希の事件の時にはない。私はその時は常に一人だった。だから私が証明できたアリバイは黒沢明子殺害時のアリバイ。約三ヶ月前の事だ。
私は友人たち複数名で出かけたと証言している。
「俺たちだってバカじゃない。お前の友達は確かにその日、お前と遊んでいた証言した。けどおかしい。一人しか思い出す素振りを見せなかった。もう三ヶ月も前なのにだ」
やっぱり父は優秀な刑事だ。娘として誇りに思うよ。そうか、もうちょっと演技力が必要だったか。けど仕方ない、きっと彼らも私のために頑張ってくれたんだろう。証言してくれただけでありがたい。
多分その一人というのは彼女だろうけど。
「けど、それで私のアリバイは成立した。一人や二人だけじゃないんだろ、証言が取れたのは」
父はその言葉に舌打ちをする。
「ああ、十数名とれたよ」
「やっぱり持つべきものは友だね。日頃の行いかな」
「お前なぁ」
「時間がもったいないからもう行くよ、刑事さん」
私は父にウィンクをして、そのまままた署の出口へ向かう。きっと父なら私のした細工くらい、一日もせずに崩せる。時間がなかったから、人頼りで作ったアリバイだ。ましてや、やったのは普通の大学生。父が崩せないわけない。そうしないのは、どこまでも娘に甘いからだ。そして娘は、それを信用と受け止めている。
自動ドアから署の外に出ると、一人の女性が立っていた。彼女は女神の様に威風堂々としていて、対して聖母の様に微笑みながら、女王の様な気品を携えていた。その姿が今はまぶしく見える。私は手を振りながら彼女の方へ寄っていく。
思い出す素振りまでしたのは彼女だろう。
「お迎えにまで来てくれるとはね」
「須藤って人に呼ばれたのよ。ちゃんと俺の目の前で証言しろって言うから。偉そうだったわ」
春川はそう愚痴ってから、肩をすくめた。
『アリバイを作っていて欲しいですって』
放送室での春川との会話。私が本題を説明すると、電話の向こうで彼女は驚いていた。
「まあ、端的に言うとね。ようはアリバイ工作さ」
『どうしてあなたにアリバイなんてものがいるのよ』
いくら春川とはいえ流石にこの要求の意味までは分からなかったみたいだった。いやむしろ、これを分かる方がどうかしている。こんなの私の被害妄想以外何ものでもないと言われたって、そうですねとしか返しようがない。
「まあ杞憂になればいいんだけど……私は犯人に喧嘩を売った。これは説明したよね」
『ええ、あなたらしい大胆なものでしょう』
春川から見て私は大胆らしい。これは衝撃の新事実。こんな控えめな乙女なのに。
「私が思うに犯人は私に対して仕返しをしてくるはずなんだ。それがどういうものかは想像もつかない。けどこの犯人は狡猾だ。もしかしたら自分の身代わりになる者を用意しようとするかもしれない」
『それがつまり、あなたになるっていうの』
「想像だよ。私を殺そうとするかもしれないし、それはどうなるか分からない。けどこの作戦はなかなか良い。私という妨害を排除できるし、しばらく警察の目も私に向く。私なら疑う余地は結構あるんだよね。そして一度私が疑われれば、警察は私の言うことなんか聞きはしない」
この作戦をとられると私としては八方ふさがりになって、身動きが取れなくなる。これは『主』にしてみれば、最高の仕返しになるだろう。
「そこでアリバイだよ。警察との信頼関係が終わるのは、まあいい。痛いけど元々素人が口を出していただけだしね。問題は拘束時間だよ。出来ればとっとと開放されたい。私がいない間に『主』が何かしようって思っているなら、私が早く自由になることは奴にとっては嫌な事になるだろうからね」
『なるほど、よく考えているわね。……けどこれって犯罪よ』
「そうだよ。だから、だからこそ、君に頼っている」
こんなことを誰にでも頼れるほど、私の周りの人たちは根性が座っていない。彼女の言うとおり、これは立派な犯罪で下手をすれば手首に銀の輪がついてしまう。ましてやアリバイ工作っていうのは、言うほど簡単じゃない。
だから春川に頼ったわけだ。彼女なら出来るだろうし、する根性も持っている。私の知り合いの中では最も信用に足る人物だ。もちろん彼女が今回の件を引け目に感じていて、断りづらいだろうというのも予想して頼んでいる。少し姑息なのは状況が状況なので大目に見て欲しい。
しばらく沈黙があり、耳元でため息が漏れてきた。
『それが最善ならやるわ。ええそうね、任せておいて。完璧にこなしてあげる』
彼女の言葉は心強いなんてものじゃないな。
「それを聞いて安心したよ、ハニー」
『いい加減にその呼び方をやめないと、殴るわよ』
この脅し文句は怖いなんてものじゃないな。
「まさか本当に必要になるとは思わなかったわ」
署から駅に向かうまで二人で並んで歩いていた。私の手には春川が買ってきてくれた缶コーヒーがある。
「それは私だって同じだよ」
そういえば春川とこうやって会って話すのは、かなり久しぶりだった。思い返してみると安藤茜の葬式以来だ。ずいぶんと昔のことにように思える。
「……大丈夫だったの」
「心配してくれてありがたいね。大丈夫じゃなかったから、抱きしめてくれるかい」
そんなに怖い目で睨み付けることはないと思うよ、親友。
「ごめんごめん。少々傷ついたけど、良い経験が出来たさ。取り調べの可視化には賛成できそうだ」
「そう思うなら少なくともそんなに軽い口調で言うべきじゃないわね」
取り調べという言葉に反応したのか、通りすがりのサラリーマンに不審な目で見られてしまった。
結局、春川が構築したアリバイは複数名の目撃証言だった。黒沢明子が殺された日、私にはアリバイがあるかないか私自身分からない。そんな前のことを覚えているはずもない。だからといって、覚えてないと証言すると、何やかんや時間がかかる。それが嫌だったから、こうして春川に手を染めてもらった。
一人や二人の証言だったら信用性はかけるが、まさか十人以上の証言となると無視できない。そう考えたらしい。事実、警察としてもそうなると認めざるを得なかった。
「あなたに感謝している子は多いし、私の人脈もバカにならないわ。共犯者を集めるのは簡単だった。あなたと私、あと数人で遊んだことにしといた。その遊び先で偶然、私の高校時代の後輩と会ったという設定まで作ったわ」
そう誇らしげに語る春川には、何か表現できない怖さがあった。そこまで考えていたのかと驚くし、よくそこまで考えつくものだと感心する。大学の友人たちと遊んだというとまだ嘘だろうと疑われるが、その後輩と私には直接的な関係はないわけだから、その証言の信憑性は高くなる。
どうやらその子の証言がとどめになったようだ。
「その子に感謝しないといけないね」
「お礼の電話はしておいたわ。別にあなたのためじゃありませんですって。相変わらずだったわね」
さっきまでの表情とは一転し、春川が優しい笑みを浮かべていた。どうやらその後輩は彼女にとってお気に入りらしい。
「それであなたはどうするの」
「実を言うとどうしようもない。父上から情報が欲しかったけど、あの様子じゃもう教えてくれないだろうね」
そもそもちゃんとした情報を父が警察の中で教えてもらえる立場にいるのかどうかさえ分からない。私のしでかしてしまったことは、それ位影響力を持ってしまっている。
「手がないってわけじゃないでしょ。あなたなら何か考えているわよね」
ここで諦めましたなんて匙を投げたら、私は色んな大切なものを一気に失ってしまうだろう。もちろん、その中にはこの親友も含まれている。
「癪だけど、一人頼れそうな人がいる。その人なら警察からもある程度の情報を受けているだろう。そして一応は私を協力者と見なしてくれている。今はどうか分からないけどね」
わがままは言っていられないが、あの人を頼るのは嫌だ。それは私にちっぽけなプライドで、出来るなら守り通したかった。あの婆さんの顔が頭に浮かぶ。自然とため息が出てしまった。
春川とかいうチート。




