嫌疑
鴻池を呼び出した蓮見は……。
放課後の屋上はまるで離れ小島だった。ただその小島には、近くに大きく発展したにぎやかな大島がある。離れ小島の住人である私は、大島からの聞こえてくる活気の音や、人々の声を目をつむって耳へ取り入れる。ここから聞こえている音は近くを走る道路の車の排気音、そして少数の生徒の声。部活動が中止されているので、生徒の声は通常より圧倒的にわびしくなってしまっている。
ここで小林陸に初めて接触し、ここで小林陸と別れ、ここで彼は殺された。忌まわしい場所だ。以前私が供えた花とは別のものが、今日はおかれていた。彼の友人か、海野先生か。どちらにしても彼の死がどれだけ後を引きずっているかがわかる。
別にここへこなくても良かった。ただ、人に聞かれたくはない会話だったし、ここなら有華ちゃんもうそはつけないだろうと考えた結果だった。
フェンスにもたれ掛かって何気なく携帯を確認すると、春川からメールがきていた。最近、彼女からのメールはよく届く。私の身を案じているみたいだ。ただ返信がいつもふざけているので彼女はよく怒っている。それでも安心してくれる。優しいよ、本当に。
今回のメールもそうであった。さて今度はどんな愛の言葉を添えて返信してやろうかと考えていたら、屋上の扉が開いた。携帯を素早く操作してから、ポケットにしまう。
「蓮見さん、呼びましたか」
有華ちゃんは片手に学生鞄を持って登場した。私を見つけるとゆっくりと近づいてくる。
「うん、ちょっとお話があるんだ」
彼女は私の前で立ち止まる。長くなるから、君ももたれかかったらいいと勧めたが彼女は制服が汚れるからという理由で拒んだ。それならそれでいい。表情を確認しやすくて、こっちとしては好都合だ。
「君には今も"cube"についての情報を集めてもらっているよね。特に女の子の噂を中心に」
「ええ。最初は二年だけでしたけど、今は特に一年を調べてます。三年生はもういないので、この二学年だけを」
それに三年生は仁志が男女の垣根を越えて捜査している。彼女が手を出す必要はない。
「それで、どうしたんですか」
彼女は何を今更そんなことをと言わんばかりの顔をして、首を傾げた。
「最近ひぃ君がモテモテでね。よく二年生の女の子と食事をしている。妬けてくるね、全く。いやいやそんなんじゃなく、そこで彼は変な噂を耳にした」
私はフェンスとひっついていた背中を離して、自分よりも低身な彼女と目を合わすために少し膝を折って彼女と向かい合った。そういえば、ここ最近ずっと行動していたのに彼女の瞳をこうもまじまじと見るのは初めてだったことに驚かされる。
「有華ちゃん、君が"cube"じゃないかって噂だ」
その時、彼女の瞳は確かに揺れた。ただそれが純粋な驚きなのか、やましさの裏返しの動揺なのかまでは判断できない。ただ間違いなく彼女は、まずいと感じたのだろう。すぐさま私から目をそらす。
そうはさせまいと彼女の頬に手を伸ばして、また目を合わさせた。
「逃げないの。そんなことは許さないよ」
彼女はどうしていいかも分からない様子で、ただ何とか感情を殺そうと苦心していた。
「仁志が二年の女子と親しくなったのは、私が小野夏希についての調査を彼に頼んでいたからだ。君には荻原君の調査があったからね。そしてそれから数日で彼はこの噂を耳にした。二年の間ではメジャーな話題だったんだろうね。……じゃあどうして、君はそれを知らないのかな」
彼女が小さく一歩だけ後ずさる。私はそれより大きく一歩進み、彼女との間合いを詰めた。
「知らなかったんだよね。知っていたら報告してくれるよね。それとも知っていたのかな。知っていて、報告しなかったのかな。じゃあ、それはどうしてだろう。情報を共有しないと、私たちが組んでいる意味はなくなってしまうのに」
最近、荻原治を自白させたときも追いつめてはいったが、あの時はまた違う。私は荒々しい声もかけてないし、相手を逆なでするようなこともしないない。私は饒舌で変な口調の、いつも通りの私でいた。
それが一番怖いだろうと、知っていたから。
「君は熱心に調査してくれた。小林陸が怪しいと進言して、彼が"cube"の仕事をしているんじゃないかって噂を掴んできてくれた。結果、彼は"cube"だったわけだ。君のおかげで特定できていた」
ただそれを活かせなかったのは何よりの汚点ではある。
「荻原君と黒沢明子の情報を掴んだのも君だ。君の働きのおかげで、物事は順調に進んでいる」
ただ荻原治の無実は香月麻由美の存在ですでに証明済みだ。
「そんな君がこんなメジャーな噂を聞き逃していたとは考えにくいね。じゃあ、君は私に隠していたわけだ。これはひどい。裏切られた気分だよ。それとも本当に裏切っていたのかな」
「ち、違い……」
彼女が何か言葉を紡ごうとするが、うまく発言出来ない。そんな彼女の追い打ちをかけていく。
「違うのかな。ほうほう、どこが違うんだい。ああ、ひぃ君が間違っているのか。まあ彼は確かに変なところでミスをするからね。否定はしない。けど残念、念のためにさっき噂を教えてくれた女の子に、私が直接会いに行ったから」
みるみる内に彼女の表情が暗くなっていき、そこに絶望の色が浮かんできた。唇だけが動くが、それは空気を振動させてはいない。
「君は私を、騙したね」
それが結論だった。他の言葉はいらない。ただそれこそが、彼女に伝えるべき、突きつけるべき言葉だった。彼女はそれを真正面から受け止めることになった。
「言い訳があるなら聞くよ。ただ無いんだったら、君を警察に引き渡す」
彼女が大きく一度震えて、怯えた目つきで私を捕らえてくる。その瞳はもはや隠し切れなくなった巨大な動揺と、新たに生まれた真剣な恐怖がいびつに共生していた。
「そうしないといけないだろ。君が私に"cube"の可能性があることを隠したのは、君が『主』だからと考えるのが一番説得力がある」
彼女はぶんぶんと大きく首を左右に振り、何とか否定しようとする。
「じゃあ、どうして隠したの。私を騙して、何がしたかったんだい」
その時、彼女が自分の頬を捕らえていた私の手を掴んできた。そしてそれを握って、悲鳴に近い声を上げた。
「じゃあ、じゃあ信じてくれたんですかっ!」
離れ小島に絶叫が響きわたる。それはきっと、大島にも届く程の大きさで。
「まだ出会って間もないときに、"cube"だって噂のある私を側に置いてくれたんですかっ、茜と知り合いで"cube"の噂のある人間を信用してくれたんですかっ!」
有華ちゃんの叫びは、あの時、茜ちゃんが殺されたときのものを彷彿させた。燃え上がる人影を見て、ひたすら親友の名前を呼び続けて泣き叫んでいた、あの時の。
信じられたかと問われれば、信じられなかった。当たり前だ。信じられるはずがない。答えない私を責め立てるように、彼女が私の手をさらに強く握る。
「やっぱりじゃないですかっ、そんなことくらい分かってましたよっ! けど私は蓮見さんの側にいたかった……。だって、だって……」
彼女はそこで私の手を放して、倒れるように膝をついた。掴まれていた私の手には、彼女の手形が赤く残ってしまっている。それがこの少女の必死さを物語っていた。
「だって……茜の仇は、私が……」
膝をついて両手で顔を覆い、彼女はただ感情にまかせて口を動かす。
「殺してやりたいんですよ、本当は。その『主』を。けど、できません。……だからせめて叩きたい。思いっきり、ひっぱたいてやりたいんですよ……」
親友が死んだ後、彼女は絶望に染まった。けれど彼女は思いの外、早く立ち直って一週間後には私とともに捜査を開始していたが、あの時から今の今まで、親友を失った一七歳の少女を支えていたのは、恐らく他でもなくその友人の死によって生まれた憎しみだ。
それは強靱でちょっとのことではびくともしない。ただそれで支えられた意志は確かに強いが、それを失ったときの崩壊は尋常なものではない。だって人間は複数の感情で動き、生きている。けど復讐心はそれらをむしばみ、ただ「復讐」だけが生きる目的とする。
「知ってましたよっ、そんな噂っ、けど、だって……」
震えた声で何度も何度も、嫌だったと繰り返す。そんな彼女と同じように膝をついて、顔をのぞき込もうとする。彼女は覆っていた両手を少しのけて、表情を見せてくれた。赤くなった目に、涙で塗れたまつげ、涙の後が残る頬。
「……君は"cube"じゃないんだね」
彼女の両手を顔からのけて、また見つめて問いかけた。
「わ、私が"cube"なはずないじゃないですか……。私が"cube"ならすぐに助けを求めますよ。そ、それに私は『主』に選ばれるほど優秀なんかじゃ、ないですよ。あと、絶対に」
動揺の震えも絶望の色も一瞬で彼女の瞳から消えていき、一つの感情が彼女の瞳を統一して、目を鋭くさせた。
「私は茜を殺してないっ、絶対にっ!」
そこだけは何があっても譲れないと、剥き出しの激情が訴えかけてきた。
私はそれで確信して膝の汚れを手で払いながら、ゆっくりと立ち上がってさっきまでお世話になっていたフェンスの元へ戻り、またそこに背中を預けて全体重をそこに押しつけた。古い金属が軋む耳障りな音がすぐ側で聞こえる。
そんな私の様子を有華ちゃんはさっきと変わらぬ目つきで捕らえて離さない。そしてそんな彼女に、私は微笑んで見せた。
「良かった、本当に良かった」
足の方から力が抜けていき、立っていられなくなりその場に尻をついて、頭を抑えて深々と息を吐いた。
「もうどうしようかと思ったよ。いやぁ、良かった」
「は、蓮見さん……」
安心している私の姿を見た有華ちゃんが、どういうことか問うような目つきで見る。
「安心してほしい。君を信じる。君がそうまで否定するんなら、そうなんだろう」
この辺テスト出ません。




