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殺意

妹の質問に兄は。

 兄の手が止まる。静寂が家を包んでしまった。兄は私をまっすぐ見て逃がさない。その視線に怒りがこめられていたことは、わかっていた。

「そういうことは言うもんじゃない」

 正義感が強く、誠実な兄らしい台詞だった。けど今の私はそれじゃ満足できない。

「答えてほしい。知りたいんだよ。どうしてこんなことになっちゃってるのか」

「香月麻由美が犯人と決まったわけじゃない」

「犯人なんだよっ。私は見たんだよ、彼女の憎しみをね。彼女がどれだけ姉を慕っていたかもねっ。ねえ、兄さん、どうだい」

 兄は答えない。責めるような視線を送り続けるだけ。それが私の中の苛立ちを増幅させていく。

「答えてくれよ。ああ、言っておくけど私は兄さんが殺されたら――」

「レイっ!」

 迷わず犯人を殺してやるという言葉は続けなかった。兄の叱責がそれを止めてくれた。気がつけば、興奮して呼吸が荒くなっている。私はなにを言っているんだか。落ち着け。

「……すまない。やっぱり今日はおかしい」

 情けない。心中が乱れているから家族にあたるなんて、まるで子供じゃないか。反省しながらソファーに座ると、兄が答えた。

「殺すだろうな」

 短い、たった一言。ただ兄がこんな過激な言葉を使うのは初めて聞いた。だからこそ、その発言が本気だということが伝わってくる。

「……言わせておいてなんだけど、兄さんには似合わない」

 兄がふふっと小さく笑った。

「俺もそう思うよ」

 そもそも、私たち兄妹は父から「死ね」や「殺す」なんて軽々しく口にするなという教えを受けて育ったわけで、家の中でこんな言葉を使うのは御法度だ。今日は父がいなくて助かった。いたら大変なことになっていただろう。

 私と兄が特別に仲がいいのかどうかは分からない。こうみえて、子供の頃はしょっちゅう喧嘩していたし、私が中学の時は口をきくのも煩わしいと感じたときさえあった。そういうのだと多分、どこの兄妹と変わりはないと思う。それだからこそ、私は殺せると思う。

 私には多くの友人がいる。それは春川みたいに大学の同期であったり、仁志みたいに近所の知り合いであったりするわけだが、彼らと私がいつまで「友達」でいれるかは分からない。ずっとそういう関係ではありたいけど、友人というのは知らない間に疎遠になって、いつの間に縁が切れていたりする。

 けど、血の繋がった兄弟は違う。どれだけ拒絶しても、その関係に変化は訪れない。幼少時代、誰より多くの時間を過ごすのは兄弟だ。

 そこまで考えていた家のインターホンが鳴った。兄が調理中なので、当然私が出ることになる。ドアスコープを覗くと、そこには意外なお客さんがいた。

 ドアを開けると、彼がさっそく手に持っていたビニール袋を差し出してくる。その中には綺麗な紅色の、まるで水晶玉のように形の整ったリンゴが数個入っていた。

「おふくろが商店街のくじ引きで当てた。あんたにもあげなさいだってさ」

 仁志から差し出されたビニール袋をありがたく受け取る。

「ありがたいね。おば様、私がりんご好きなの覚えていてくれたんだ」

「あんたのこと大好きだからな」

 せっかくだから君も食べなさいと、彼に薦めたが彼はいいと拒否しようとした。襟首を掴んで強制的に招き入れる。文句をぶつぶつと言ってくる彼を適当にあしらいながら、そういえば私には弟もいたなということを思いだした。

 思えば小林陸が殺されたとき、仁志と有華ちゃんの捜査からの離脱を勧告したのは彼らがどうしようもない程大切で護りたいと思ったから。特に仁志は長い付き合いだったので、彼をもし失ったら私自身どうしようもないくらい傷ついただろう。

 それこそ、復讐に走るほどに。

 どこにいるかも、何をしているかも分からない少女に思いをはせる。君は、今どこにいる。そして何をしている。そして何を思い、何を望む。今の状況を今後どうしたい。誰を支えに生きている。誰のために行動している。

 したいのは、ただひたすら復讐か。

 それに価値があると思うのか。



 4



 自分の行動に疑問を持ったことは一度もない。一連の殺人を思い描いたとき、最初に感じたのはようやく殺せるんだという、どこか安心感に似たものだった。自分が今まで抑えていたものを、もう抑えなくていいんだという開放感。それはただただ殺すことだけ望んで生きていた者にとって、言い表しようのない至福だった。

 これは復讐劇でもなんでもない。ただ、本能を満たすための行動。それ以上の意味なんて無い。だから何も思わない。誰も必要としない。ただ望んでいるから、行動する。

 真夜中の駅のトイレの洗面所。薄汚く、異臭がする。そんな中、少しひびわれた鏡を見ると自分でも自覚できるほどの、あどけなさを持った少女がいた。白い肌に、黒い髪の毛。そしてあの高校の制服。学校に行かなくなるまでは、毎日ただ学校を通うために着ていたが、今は現場へ潜り込むための言わば迷彩服と化している。

 今日になって警官が一気に増えて、誰かを捜してるようだったので何とか逃げ出して、ここへたどり着いた。町にも警官はいたが彼らの目は誤魔化せた。近づかなければ、顔を確認できないのだから怪しまれることはないだろう。

 ただ、あの物々しい雰囲気からして、どうやら警察がたどり着いた可能性がある。後で確認はするが、多分そうだろう。さて、計画も最終段階に入ってきたのにこのタイミングでばれてしまうとは、非常に厄介だ。

 ところで、突き止めたのは警察だろうか。多分、違うだろうな。そういえば今日、学校で何か彼女が浮かない顔をしていた。真相にたどり着いたのは彼女だろう。だからこそ、あんなに絶望していた。

「……遅いよ」

 そんなこと呟く。あなたなら、もっと早く気づくべきじゃないか。

 鏡に映る少女の頬をゆっくりと撫でる。今の鏡と、自分自身、温かいのはどちらだろう。確かに頬は白く、少し薄ピンクだがこれはただの生物としての体温であって、温かみとはまた別のもの。

 少女を撫でる手はたくさんの血を浴びてきた。よく血を生暖かいと表現されるのを聞くが、あれには同調できない。血は熱い。熱湯みたいに触れてしまうと、思わず手を引っ込めてしまうほどに。ただ分かってる、あれは血が熱いんじゃない。

「私が冷たいんだ……」

 そしてその冷たさは全てのものを凍てつかせてしまう。それを緩和する方法は一つある。誰かの体温を奪えばいい。血を、熱湯を、浴びればいい。熱を帯びればいい。

 それは地獄の業火さえ、愛おしく想える少女だからこその感情だった。

前回に引き続き、ちょっと短めに。

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