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兄弟

事件の影に自らの過ちがあると知った蓮見は……。

 3



 香月亜由美に妹がいることは知っていた。名前も知っていて、私が彼女、麻由美君を初めて見たのは病院で、病室で彼女は死に瀕していた姉の手を握りながら呆然としていたことを覚えている。

 香月君が事故にあったと聞いたのは三年になって少ししてからで、私がもう"cube"ではなくなっていた時。そしてもう"cube"のことは忘れてしまおうと努力していた頃。もう香月君は二年生の冬に学校をやめていたので、彼女の噂をきけたのは本当に偶然だった。

 事故にあっても彼女は即死はせず、しばらくの間は息を続けていた。ただ長くはないと聞いたので、急いで病院へ駆けつけた次第だった。

「お友達ですか」

 病室の前に立っていた女性、香月君の母親にそう訊かれた時、私はどう答えていいものか分からなかった。そもそも在学中、私と彼女は接点が一つもなかったのだから。

「ええ、まあ」

 そう答えを濁したにもかかわらず、彼女は病室へ入れてくれた。病室では麻由美君が一人、姉の眠るベッドの脇で丸イスに座りながら何もせず、ただ姉の手を握って、上の空でいた。

「……もう長くないらしいので」

 香月君の母親はそう告げると病室から出た。長くないなら一緒にいるべきは私ではなく、あなたではないんですかとは言えなかった。彼女の心中を察すると、そんなことは口が裂けても言えない。

 香月君は赤信号を無視して歩いてわたり、軽乗用車にはねられたらしい。運転手によるとまるで何も見えないように、ふらっと飛び出してきたらしい。

 警察は事故だと片づけていた。私もそれに異議を唱えようとは思わない。あれからもう半年近く経っていて、あれが直接の原因で自殺したとは思えなかった。いや、思いたくなかったというのが正しい。

 色々な点滴などを処方されていた彼女は、医療関係の名前も分からない管だらけで生きてるというより、生かされていると表現できた。

「……姉の、お知り合いですか」

 ずっと香月君の手を握っていた麻由美君が掠れた声で訊いてきた。

「うん。あまり、親しくはなかったけどね」

 いつもならここで軽口の一つでもたたけるのに、そんなことをしようとも思えなかった。

「そうですか……。姉は、よく高校の話しをしてくれました。楽しいって。あんたも早く成長しなさいって……。そんななろうと思って、すぐなれるわけじゃないのに」

 最初は少し笑っていた声が、言葉が増えるごとに震えだし、最後の方はもう涙声へと変わっていっていた。

「なのに、急に……」

 それ以上、聞きたくない。耳をふさいで大声で何かを叫んで、誰の声も耳に入れないようにしたい。本気でそう願った。

 彼女はそのまま泣き出して、その涙がスカートに覆われた彼女の膝をぬらしていた。涙は一滴、一滴と素早い速度で落下していく。彼女が姉の手を放して目元を覆う。今度は抑えようない嗚咽が、口から漏れだした。

 彼女が何も見えていない間、私は香月君の横に立って彼女の顔をのぞき込んだ後、申し訳ないと謝って頭を下げた。それで許されるわけがないとはもちろんわかっていたが、それ以外できることなんてなかった。

 もう何もすべきことがなくなってしまったし、これ以上この場にいては身が持たなくなってしまうと考えた私は、麻由美君に別れの言葉もかけずに病室からでようとした。

 ドアのフックを掴んだ時、泣き声に混じった単語が聞き取れた。

「……お姉ちゃん」

 そのまま病室から出て外で待機していた彼女の母親に頭を下げて、そそくさと逃げるように病院から出た。そしてその場でしゃがみ込んでしまう。何か吐き出したい。それは言葉なのか、言葉にならない感情なのか、わからない。

 ただ私には、慟哭する資格などなかった。

 結局、それから一週間もしない内に香月君は亡くなってしまった。葬儀には出たがその時は麻由美君の姿は見えなかった。ショックで寝込んでしまっているんだろうかと考えて、その時は深く考慮しなかったが斎場の外に出てそれが思い違いだと確信した。

 彼女はいた。斎場の外、誰かから隠れるように一台の車の中に。そしてその窓を開けて、斎場から出てくる人間の一人一人を睨みつけて。私と目が合うと気まずそうに車から出てきて、頭を一度下げて斎場の中へと戻っていった。

 どうしてあの目を今まで忘れてしまっていたんだろう。剥き出しになっていたあの感情をどうして今まで思い返さなかったんだろう。あれは間違いなく憎しみだった。慕っていた姉を奪われた妹の絶望から生まれた憎悪だった。

 どうしてかなんて決まっている。思い出したくなかったから。ただ、それだけ。



「レイ。おい、レイ」

 兄の声で自分がぼんやりしていたことに気がついた。はっきりとした視界に写っていたのは焦げた野菜が乗ったフライパン。そして兄が急いで火をとめていた。焦げた臭いが鼻に入ってくる。

「ああ、すまない……」

 自分が夕食の支度をしていたことさえ忘れていた。

「ごめんごめん。今、作り直すから」

 フライパンを持ち上げて焦げた野菜をゴミ箱へ投入しようとすると、その手を兄に掴まれた。

「もういい。今日は俺がやるからお前はじっとしていろ」

 兄はそのままフライパンを奪い取ると、私の背中を押して台所から出した。

「兄さん、仕事で疲れているだろ。家事は私がやるさ。なに、ちょっとぼうっとしてただけで……」

「じっとしてろっ」

 久々に聞く兄の怒声に思わず身をすくめてしまった。兄は自分でもそんなに大声を出すつもりはなかったのだろう、自身でも少し驚いていたが、すぐに言葉を続ける。

「今日のお前じゃ無理だ。今は落ち着け」

 そう、実を言うとさっき無駄にしてしまった野菜を切っている最中にも、私は包丁で指先を傷つけてしまっていた。兄が無理だと判断するのも仕方ない。少なくともいつもの私ならこんなミスはしないし、したとしても連発なんてことはない。

 兄はもう冷蔵庫を開けて準備に入っていたので、私は情けない気持ちを胸にしてリビングへ引っ込んだ。確かに今日は私は使いものにならない。それは否定できない。

「……親父から事情は聞いてるよ。こんな日に食事を作ってもらおうなんて思った俺が間違ってた」

 冷蔵庫から取り出した卵を割って、ボールへ入れながら兄が謝ってくる。

「いい。できると思ったのは私だ。まさか、ここまで動揺しているとは思ってなかった」

 結局、あの後警察の方で早急に捜査が進み麻由美君が行方不明になった日が、黒沢明子の殺害と同じ日だったことが判明した。そして彼女が学校をやめた理由は姉の噂が広がってのことだったらしい。そういう経緯もあり、警察はとうとう標準を絞った。

 今も多くの捜査員がどこかに身を潜めているはずの麻由美君を探し回っている。一六歳の女の子が三ヶ月近くも身を潜めていられる場所とはどこだろうか。

「兄さん、少し質問していいかな」

「なんだよ」

 ボールにいれた生卵をかき混ぜながら兄に私は、いやな問いを突きつけた。

「私が殺されたら、間接的であれ殺した人間を殺そうと思うかい」

「過去」とは「過って、去ったもの」と書きます。

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