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擬態

荻原の疑いはなくなったが……。

 2



 昼休みにお客さんが来た。進路相談室へ部屋を移動してからは初めての客人で、ノックをされただけだったので誰かは分かった。どうぞと入室の許可を出すと、静かにドアが開き小野夏希が顔を出した。彼女は部屋に入ると、いつもおり頭を下げた。

「お邪魔じゃありませんか」

「安心してよ。君の様な可愛い子がきたら、忙しくてもなんとかするさ」

 もう食事もとり終わって、今は椅子に座って考え事にふけっていただけだったので、彼女の来訪は丁度良かった。話し相手が欲しかったし、それが彼女なら文句はない。

 進路相談室には部屋の奥に職員と同じ机が左右二つ並んであり、私はそれの一つに腰掛けていた。そして室内には生徒との同じ机が四つある。彼女はその中の一つから一脚のイスを拝借して、私と向き合うように座った。

「彼が白状したようですね」

 余計な会話は一切せず、早速本題に斬りかかってきた。

「ようやくね。けどおかげで良い情報を仕入れた。君としては、あまり面白くない真相だったろう」

「ええ。私が気づいていることに知って、急いで謝りにきました。全く……」

 彼女はため息を吐いたが、それはどこか幸せそうな吐息だった。

「怒ってるよね、当然」

「怒らないとお思いですか。しばらく口をきいてやりません」

 これは中々厳しい罰だ。彼は昨日口数が減ったというだけであれだけへこんでいたから、これは相当堪えるだろうな。元々口数が少ない彼女に話しかけてもらえないのは、恋人としては寂しいだろう。

「けど、安心しました。蓮見さん、これで彼の疑いは減ったんじゃないですか」

「警察はまだマークを続けるよ。ただ私個人としては、彼はもう白だ」

 朝、学校に着いてから父に報告したらマークをゆるめないと宣言されたが、ここばかりは私の感覚だけで判断したに過ぎないので、特に何も言わなかった。

「それならいいです。それは、素直に嬉しいです」

 彼女の表情には安堵の色が伺えた。恋人が殺人者かもしれないという不安は、それはそれは大きかっただろう。いくら彼女が賢くて、落ち着いていてもやはりまだ高校二年生の女の子でその不安は彼女には相当な負担だったはずだ。それに解放されたのは、本当によかった。

 ただ、問題はこれで解決したわけじゃない。

「じゃあ、残る問題は一つだね」

「ええ、そうですね」

 ここで私と彼女は視線を合わせて、しばらく止まった。そして彼女の方先に口を開いた。

「私が"cube"かどうか。これですね」

 頷いて同意する。ただ、この問題には少し変化が生じている。

「私はもう荻原君を疑っていない。君を疑っているのも、彼が容疑者だったからだ。彼が白なら、君も白へ近づく」

 今朝、彼が無実であると確信したと同時に彼女の顔も思い浮かんだ。そして白ではないかと考えたが、どうしても自分を納得させることが出来なかった。それはやはり彼女の聡明さが気になっているからだろう。

「けど、問題はそう簡単じゃありませんね。片方が白だから、もう片方もというわけにはいきませんよね」

「すまないけど、そういうことになる」

「構いません。何度も言うようですが私は"cube"ではありません。だから疑われても何も害はありませんから」

 確かに彼女にかかっている疑いは"cube"ではないかということで、それはつまり被害者になる可能性をひめているだけだ。荻原治の様に殺人鬼じゃないかと思われるわけじゃない。別に疑われることによって被害は出ないだろう。

「やはり私自身で無実を証明するのは無理なので、蓮見さんにお任せします。今日はそれを伝えにきたんです」

「わざわざそんなことをしなくても、申し訳ないけど勝手にそうするよ」

「蓮見さん、私は感情表現が乏しいとよく言われます。私も自分でそう思います。だから分かりづらいかもしれませんが、今私は蓮見さんに感謝しているんですよ。彼の無実を信じてくれて、本当にありがたいと思ってます。もちろん、真犯人が分かったから約束通り謝ってもらいますが、今はただ感謝してます」

 彼女はまた頭を下げる。綺麗な髪が重力に逆らうことなく、流れて下に向かう。

「蓮見さんなら私の無実も証明してくれるはずです。今ならそう信じれます」

 どうやら私の想像以上に小野夏希と荻原治というカップルはアツアツらしい。彼は彼女に嫌われるかもしれないと考えただけであれだけ落ち込んで、彼女は彼の無実を信じながらそれを証明した人間に感謝している。お互いを想っているからこそ、こういう行動が出来る。

「頭を上げてくれ。そんなことをされると、本当にどうしたらいいか分からない」

 彼女は素直に頭をあげてくれた。その表情は晴れやかで、曇りがない。

「そうですね。こういうことは真犯人が捕まってからするものですね。順番が狂ってしまいました」

 真犯人が捕まったとしても彼女が頭を下げる問題ではないけど、まあいいか。

 彼女のその『順番』という言葉でついこの間の母と電話した会話を思いだしてしまい、吹き出してしまった。小野夏希が訝しげに見てくるので、その会話がどういうものか説明した。母が私の名前を深く考えてなかったことなど。聞き終えた彼女も、また笑った。

「蓮見さんのお母さんらしいですね」

「よく言われるよ。けど私自身、母上には敵わないと思うね。あの人は特別だ。なにせ、娘の名前をろくに考えず、順番なんてどうでもいいと言ってしまえる人だからね」

 二人で笑っていたが、頭の中に急に衝撃が走って息が止まった。そんな私の豹変に小野夏希が首をかしげて、どうしましたかと訊いてくるが、それに答える余裕は無い。今、とんでもない予想が頭を支配している。

「そ、そんな……けど、そうかそういうことか」

 イスを倒しそうな勢いで立ち上がる。目の前の少女が思わぬことに小さく震えた。

「小野君、ごめん、話しはまた今度だ」

 ろくな挨拶もせず私は駆け出して部屋を飛び出して、廊下をダッシュしながら自分の考えを頭の中で整理していく。できる、確かにこの方法なら黒沢明子も、小林陸も殺害出来る……。どうしてこんなことに気がつかなかった。

 何名かの生徒とぶつかりそうになりながらたどり着いたのは職員室だった。ノックもせずに入ると何名かの先生がこっちに視線を送ってくる。室内を見渡しても、海野先生の姿がない。

「海野先生なら、学園長室だよ」

 近くの机で試験の採点をしていた荻原治の担任の田所先生が声をかけてきた。ろくにお礼も言わず、学園長室へと繋がる扉へ向かう。そしてまたノックもせずに、そこへ入ると何かを話し込んでいる海野先生と婆さんがいた。

「どうした、血相を変えて」

 海野先生が私の様子を見て、少し驚いている。しかしそんなことはどうでもいい。

「先生、やめた生徒だ」

 首をかしげる先生の影に隠れていた婆さんが、その言葉で立ち上がる。

「まさか、あなた」

「そうだよ、婆さん。とんでもない見落としだ。なんでこんなことに気がつけなかったのか。『主』はやめた生徒の中にいる可能性がある。今年に入ってやめた生徒の全名簿が欲しい」

 二人の表情が衝撃で揺れる。婆さんはすぐさま、目の前にあったデスクトップのパソコンの電源をいれはじめ、海野先生は学園長室から出ていき、職員室へ戻っていく。その間、私は父に電話をかけることにした。

「父上、警察は学校をやめていった生徒に目をつけてはいないよね」

 父が電話にでるなりそう問いただすと、父はああと肯定した。

『だって、『主』は在校生だろう』

「違うんだよ。私たちは思考の順番を間違えた。"cube"は在校生だから、『主』もそうだと思いこんだ。けどもしも、『主』が今回の計画のために事前に学校をやめていたらどうかな」

 もしも『主』が学校をやめていたら、今まで不可解だったことが全て明らかになる。黒沢明子殺害時、多くの生徒にはアリバイがあった。しかしもし学校をやめていたら、そんなの関係なくなる。制服を着て学校に忍び込み、そのまま身を潜める。そして多くの生徒に紛れて帰ればいい。

 小林陸のときも同様のことがいえる。彼の場合、彼が一人のところをピンポイントでねらわないといけない。けど『主』が生徒じゃなかったら、彼を一日中監視できた。そして私のことも。あのときはまだ警察が介入していなかったら、私さえ抑えれたら犯行は十分に可能だった。

「生徒たちはやめた生徒をいちいち全員は覚えていないだろう。こっそり紛れ込んでもばれる可能性は少ない。そして事件後、生徒ではないから容疑者からはずれる」

『そんなことが……』

 電話口で父が絶句している最中、婆さんの作業が終わった。液晶画面をのぞき込むと、一七名の生徒の名前があがっていた。一応、三年生の名前も含めて全員、父に伝えた。念のため一人一人もう一度繰り返しておく。

『安否の確認をお願いするよ』

 返事もせずに父は通話を終えた。携帯をポケットにしまうと、それと同時に何枚かの書類を持って海野先生が入ってきた。そして書類をパソコンの横に広げる。

「やめた生徒の願書だ。顔写真もついてある」

「ありがとう、さすがに仕事が早いね」

 机に広げられた願書を一つ一つ見ていく。女子生徒と男子生徒、丁度半々くらいだろう。まだあどけない少年少女たちの緊張した真顔の顔写真が貼られている。

「やめた理由はわかるかい」

「ほとんどは出席日数だ。足りなくなったから、単位制のこところへ転入した」

「それは三年や二年だよね。ここに一年生の子もいるけど……」

 一年生でやめた子は二人いた。男女が一人ずつ。その二人の願書を手に取ったとき。底知れぬ恐怖が身を包んできた。一気に身震いするかのような寒さが襲ってくる。

「ああ、男子生徒はもともと通う気はなかったみたいだ。女子生徒のほう確か……蓮見、どうした」

 海野先生の声がどこか遠い。一枚の願書を手に、私は固まっていた。そこに貼られた顔写真を見つめたまま、動けなってしまった。彼女の静かな視線が、私を射ぬいている。その目は何かを訴えかけてきているみたいだ。

「嘘だろ……」

 ポケットの携帯が震えだしたことで、呪縛がとかれて我に返った。取り出して通話ボタンを押す。

『レイ、早速ヒットした。一人、捜索願が出ていた』

「……今里麻由美かい」

 父が名前を告げる前に、確かな自信をもって先を越した。その名前は手にした願書に記されたもの。父は私のそういう反応を予想していたみたいで、驚きはない。

『ああ、彼女だ。分かってるみたいだな』

「忘れるわけがないよ。お姉さんによく顔が似てる。名字が変わっているのは、両親が離婚でもしたのかな」

 彼女の顔つきは本当にお姉さんに似ていた。だからこそ、たった二度しか顔を合わせていないのに写真を見ただけで彼女だと確信できて、こうやって私は震えている。

『ああ、今里は母方の旧姓だ。元の名前は、香月麻由美――』

 その名前の響きが自然と、彼女の名前を彷彿させた。父が一度唾を飲んで、私が認めたくない事実を突きつけてきた。

『香月亜由美の妹だ』

色々あって今じゃ学校に入るのって苦労しますね。

昔はかなりオープンな場所だったのに。

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