王手
蓮見はあることを確認し荻原と接触する。
第六面[芸術家の襲撃]
陽が昇って薄暗い闇が引き裂かれた朝。まぶしい太陽が徐々に町の気温を上げていく。犬を連れて散歩する老人、足早に駅へ向かうビジネススーツの男性、店を開け始める店員さんたち。そんな風景の道を、何人もの学生たちが、まださめない眠気とともに登校していく。
そんな彼らの中に、彼はいた。学生鞄を肩に下げて、両手をポケットにつっこみ耳にはイヤホンが差し込まれていた。その彼の後ろ姿を確認した私は乗っていた原付から降りて、それを押しながら彼へと歩み寄る。
「おはよう、いい朝だね」
音楽を聴いているせいで感覚が鈍っていたのだろう、そう声をかけられて初めて彼は私の存在に気がついた。
「朝から美女に会えて幸せかい。気持ちは分かるが君には恋人がいるんだから、変な気をおこしちゃいけないよ」
荻原治はそんなふざけた挨拶を、うっせえと口汚く片づけた。そしてイヤホンをはずさないまま、そのまま歩き続ける。
「少し話したいことがあってね、こうやって朝から会いに来たわけだ」
さすがに四つ年下とはいえ男の子だ。歩くスピードはそこそこ早い。こっちは改造して通常より重くなってしまっている原付を押しているのだから遠慮してくれてもいいと思う。
「話しなら昨日しただろうが。もう話すことなんかなねぇよ」
こっちを見ることもしないで歩みを続ける。どうやら相手をしてくれる気はないみたいだ。なら、こっちが一方的に喋るだけだけど。
「そうかい。ならイヤホン越しでもいいから私の話しを聞いてほしいね。それこそ昨日の話しで気づいたことなんだ」
事件を追っている私と容疑者であると知られている荻原治が一緒に歩いているからか、私たちの周りにほかの生徒の姿はない。小さく振り向くと数名の生徒が小さな歩幅で、私たちと距離を縮めないように歩いていた。触らぬ神になんとやら、か。
あまり聞かれたくない話しだから都合がいい。
「初めて私が君に会ったとき、つまりは三日前だけど、私は君にこう質問した。君は黒沢明子と知り合いかと。そして君は違うと否定した。どうだろう、何か間違いはあるかな」
彼に視線を向けても彼はノーリアクション。ただ歩きながら、前方を見ていた。ただちゃんと聞いてるだろう。聞こえてないなら、わざわざ私と歩幅をあわすようなまねはしない。
「否定しないね。ならこれでいいわけだ。じゃあ私の意見を言わせてもらう。君は嘘つきだ」
彼が小さく首を回して、私を見てくる。その視線には驚きと戸惑いがあったが、一番大きかったのはそれを隠そうとする怒り。
「ふざけんなよ。俺はそんな先輩知らないって言ってんだろ。証拠あんのかよ」
「証拠か。物証はない。ただ確証はあるよ。それこそ昨日の君が教えてくれたじゃないか」
彼は本当に無意識だったのだろう、未だにわけがわからないという表情をしている。ただ昨日の段階で私も、そして彼の恋人も分かってしまったことがある。
「君は随分と"cube"について詳しいね。あんな噂は初めて聞いた。よかったら、誰から聞いたのか教えてくれないかな」
ここまで突きつけて、彼はようや自分が犯した失敗に気がついた。思わずあっと声が漏れたが、それをなかったかのように振る舞う。分かりやすい子が相手でよかった。
「……友達だよ」
「だからその友達の名前を聞いているんだ。教えてくれ」
「忘れたよ、そんなこと」
彼が一気に歩くスピードをあげはじめた。そんなことで逃がすわけがない。私もスピードを上げて、なんとか彼の横に立つ。
「なら君の友達をとりあえず全部教えてくれ。君は他校にも交友があるそうだが、"cube"の噂をするのはここの生徒だけだろう。この学校にいる君の友達、全員教えてほしい」
「ダチをうれって言うのかよ」
「未だに分かってないなら再確認させてあげよう。もう三人殺されてしまっている。警察も私もどんな小さな手がかりでもいいから求めている。君の友達に本当に"cube"に詳しい子がいるなら、その子からもっと詳しい情報も知れる。それが事件解決につながるかもしれない」
私のまくし立てに、彼は何も答えない。答えられないというのが正確か。
「なんなら今から警察に頼んで全校生徒を調べて見るかい。君が昨日言っていた噂を知っている生徒がいるかどうか。でももし出てこなかったら、さて君は誰に聞いたんだろうね」
「知るかよっ!」
「知ってるんだよっ!」
思わず彼の大声にかぶせるように、それを上回る大声を張り出してしまった。予期していなかったことに驚いた彼はスピードをあげていた足を、そこで止めてしまう。それを見逃さず、彼へと詰め寄る。
「君は誰から聞いたんだ。本当に警察に調べさせようか。彼らは苦もなくやってのけるぞ。君への疑いが濃くなると、ほかにも疑われる人も出てくる」
これは明確な脅しだった。彼にとって彼女はかなり大切な存在だ。だから初めて会ったとき、彼女の名前を出しただけであれだけ激昂できたんだ。
「君は確かにあの情報を聞いたんだ。誰からか。もちろん"cube"に詳しい人物だよ。いや詳しいなんてレベルじゃないな。"cube"そのものから聞いた。違うかい」
もちろん、聞いたときは彼女が"cube"だなんて知らなかっただろう。ただ彼はちゃんと聞いた。いや聞けた。それほどまでに彼女と親しい関係にあった。
「君は黒沢明子と知り合いだった。そうだね」
私の問いかけに彼は俯いて答えない。それこそが答えだった。
「……勝手にしろよ。俺はしらねぇ」
まだ否定するのか、往生際が悪い。しかもこれは否定もできていない。自覚があるのかないのか。もう逃げられないことくらいは分かっているだろう。
再び歩き始めた彼を追わずに、背中を見つめる。そして切り札を出した。
「小野君は知っているよ」
彼の足がまた止まって、素早くこっちを振り向く。
「彼女の聡明さは君だって知っているだろう。彼女も昨日の君を見て、私と同じ結論に至っていたよ」
情けなく開けられた口に、動揺して揺れている瞳。そして額に手をあてて、深いため息をついてその場にしゃがみこんでしまった。そんな彼に原付を押しながら、そっと近づく。
「君が私を振り払うことはかまわない。けど、小野君までそうやって誤魔化せるかい」
嘘だろうという彼の落胆が聞こえてくる。
「だから、もう嘘はよしなさい。これ以上隠し通すのは、無意味だから。もしこれ以上隠し通そうとするのなら君はもう、自白しているようなものなんだよ。だから答えてくれ。君は黒沢明子と付き合っていたんだろう?」
もはや私の中では荻原治は『主』ではなかった。白か黒かと問われれば、白と断言している。それは彼がこんな失敗をしたから。自分の発言で墓穴を掘るような真似を、あの『主』がするとは考えにくい。もちろん人間だから失敗はあるだろう。けど、その失敗に言われるまで気づかないほど鈍感じゃない。
しゃがみ込んでいた彼が、納得いかないと言わんばかりに首を振りながらゆっくりと立ち上がる。そして、深いため息をついてようやく答えた。
「付き合っちゃいねぇよ。あんなヒステリー女」
それが彼の自白の第一声。私は黙って、続きを促す。
「確かにそれっぽい関係にはあったけど、そうじゃなかった。あんた調査してんなら知ってるだろ、あの人、恋人っぽい奴はいっぱいいたんだよ。俺はその一人だったんだよ」
確かに黒沢明子は多くの男子生徒と交友関係を持っていた。それは警察も捜査済み。そしてその生徒たち全員が一応はアリバイがあり、もう捜査線上にはいない。ただ彼女が彼ら以外にも関係を持っていた可能性は十分になった。
「君はその当時既に小野夏希と交際関係にあったから、黒沢明子との関係はなるべく隠していた。そうだね」
「そうだよ。だからあの人の携帯にだって俺の情報なかっただろう。そういうやりとりはしなくて、会って話すのが大半だったから」
それは彼女が提案したことだろうか、彼が提案したことだろうか。携帯電話に履歴を残すとそれをチェックされる可能性は皆無じゃない。そういう細かい心配が出来たのは、どちらだろう。恐らく、黒沢明子の方だったろうな。これはつまり女の勘という、非科学的だが非常に恐ろしいものを理解してないと出来ない諸行。
「付き合ってたわけじゃなかった。けど仲はよかったんだろう」
「向こうが寄ってきたんだよ。それで、まだ夏希さんとは付き合いが浅かったから、まあいいかなって思ったんだ」
そういえば今は小野夏希で落ち着いているが、この少年も手広く女子生徒と関係を持っていたという噂だったな。なるほど、まだ彼女が彼を飼い慣らしてない頃の話しか。
「それで、すぐに関係は終わった?」
「嫌になったんだよ。言ったろ、ヒステリーだって」
あまり故人に対してそういう言い方はよろしくないと思うが、ここで話しの腰を折るのもどうかと思うので何も言わない。
最初の被害者の名前を久々に聞いた。




