邪悪
昼食は終わる。
やはり彼女に話しを聞いたのは正解だった。こういう意見は誰からでも聞けるわけじゃない。なるほど、確かにそんなものは『秘密』ではない。よくテレビ番組などでフリーメイソンが世界を代表する秘密結社として扱われるが、世界を代表する秘密結社がテレビ番組ごときに特集を組まれるわけもなく、あれは嘘っぱちだと踏んでいる。実際、ただの社交クラブだと聞くしね。彼女が言っているのはそれと同じ理屈だ。
彼女は持っていたペットボトルのお茶を一口飲むと、それをベンチに置いて再度私に目を向ける。
「そうだとは思いませんか」
「君に言われるまでそうは考えていなかったよ。確かにそれはそうだね」
思わず唇が綻んでしまう。本当に面白い意見だ。素直に彼女の持論を堪能し、驚いていたのにそれに水を差す者がいた。もちろん、この場には三人しかいなくてその人物が誰であるかは説明する必要もない。
「なんだよ、ちゃんと噂、聞いてないのかよ」
さっきまでずっと目をそらして私も彼女も見ようとしなかった荻原治が、笑いながら私の方を見てくる。完全に人を小馬鹿にした目つきだ。
「それでも探偵かよ。いいか、"cube"ってのは昔は完全に秘密だったんだよ。その存在自体、誰にも知られることなく、ただ水面下でその仕事をこなしていたんだ」
彼が楽しそうに語っている内容を私は興味深く聞いていたが、この時同時にある確信が生まれた。ただそれを今は口に出さない。話しを聞けなくなるのは非常に惜しい。
「一人の"cube"が仕事に失敗して、数人の生徒に仕事がばれた。失敗した奴も口を堅くすりゃよかったのに、簡単に"cube"の存在をばらしちまった。そこから爆発的にその存在は有名になって今にいたるってわけだ」
話し終えた彼は自慢げに鼻を伸ばして、偉そうに腕を組んだ。そんな様子の彼を小野夏希が目を大きくして驚いて見ている。
「よく知っていますね」
どうしてこのカップルは先輩後輩関係なのに、彼女の方が一方的に敬語を使っているんだろうか。彼女の口癖というのもあるんだろうが、恋人にくらいそれはよした方がいいと思う。すごく距離を感じてしまう。
「俺から言わせば常識だぜ」
それが常識とは驚きだ。なんせこれだけ調査しても知らなかった事実だし、元"cube"でもそんなことは耳にしたこと無かった。
「だから"cube"の言い伝えにあるだろ。脱会させられることは、とてもよくないことだって。あれは"cube"をばらした奴のことさ。結局、脱会させられたんだよ」
思わず背筋が凍った。そういうことか。私は確かに脱会させられたが、特別何かされたわけではない。私が『箱』を返さなかったからという理由で攻撃は受けたものの、脱会させられたことでの攻撃はない。何がいけないことだったんだろうと思ったことはあったが、そういうことか。
今はもう無いが、確かに何か罰があったんだ。そしてそれだけが言い伝えに残っている。
「どうだ、探偵さんよ、参考になるかよ」
「ああ、それは重要な証言だよ。ねえ、それ以外に何か"cube"について知っていることはないかい」
「他っていわれてもな。ああ、資格の強奪とかはどうだ」
首を横に振って、それは知っているよと答える。ただ、この噂は小林陸から初めて聞けた証言で、彼以外から聞くのは初めてになる。荻原治、中々の情報通なのかな。
その後も"cube"についての情報を色々と彼は話してくれた。どうやら私も小野夏希も知らないことを知っていたことで気分を良くしたようで、さっきまでの無口が冗談のように饒舌になっていたが聞けた情報のほとんどは知っているもので、参考にはならなかった。
口をなめらかに動かす彼を、小野夏希が悲しそうな目つきで見ていた。どうやら彼女もここに来て、ようやく私と同じ推論に達したらしい。私と目を合わすと悔しそうに俯いた。
一通り話しを聞き終えた私は、立ち上がって二人の前に立つとさっき買ったゼリーを二人に一つずつ渡した。私が二つともいただくつもりだったけど、面白い話しが聞けたお礼をしなければいけないだろう。
「いいんですか」
「デートの邪魔をしてしまったお詫びも兼ねてる。受け取ってくれ」
遠慮する彼女とは対照的に、彼氏の方はそれが当然だと言わんばかりに乱暴に私の手からゼリーを強奪していった。もちろんお礼もない。そんな彼の分のお礼も彼女がしてくれたので別に構わないが。
「ちゃんとお礼をしないとダメですよ」
そうたしなめられても、彼は意にかえさない。
ふと顔を上げると、そこには少し汚れてしまってはいるが白い外壁の五階建ての校舎がそびえ立っている。数名の生徒がこちらを見ていたが、私と視線がぶつかるとそそくさと隠れてしまう生徒が大半。数名の生徒は手を振ってくれる。
「そういえば、何も分かってないのかと言っていたけど、それは違うよ」
手を振っていた子たちも廊下を走ってどこかへ行ってしまい、ここから見える生徒はいなくなってしまった。こう見ると、この校舎というのは大きい。そして生徒が見えないとそれはどこか不気味にうつる。
「何か、分かっているんですか」
小野夏希がゼリーを開封しながら訊いてくるので、目の前の校舎を指さす。
「この学校――」
私の指を追って二人して校舎を見上げる。そして私もそれを見つめたまま、ただ分かってることを告げた。
「この学校には、邪悪がいる」
7
その写真には二人の女性が写っていた。一人はここ最近ずっと、自分を追っている十九歳の女。タバコと酒が好きな、お喋りな彼女。彼女という存在は卒業しても大きかったらしく、彼女が三年生の頃に一年生だった、今は三年生の女子生徒たちから高い人気を博している。
だから、少しそんな彼女の退場を願うのは心苦しく残念に思う。それにこれ以上ゲームが楽しめないのかと思うと、それはそれは悲しくて仕方ない。ただこれ以上、彼女の介入を許すわけにはいかない。なにせ、彼女の役割はもうずっと前に終わっているのだから。それに当人が気づいている様子はない。
「お別れだよ」
彼女は少し甘かった。こっちを追い詰めることだけを考えて、追い詰められることなんて考えていなかったんだろう。だから、写真に収めることは考えても、写真に収められることなんて考えなかった。
この写真が意味をなすことはない。これはただの記念。せっかくだから撮っておいただけ。
写真に写った彼女は一人の少女にゼリーを渡していた。受け取っているのが、もう一人の女性となる。ほほえましい写真だ。優しい先輩の餞別、それを受け取る後輩。見てるだけで面白い。この光景があと少しで壊れてしまうのだから。この手で、壊すのだから。
胸の高鳴りがやまない。心の中で本能が叫んでいる。早く殺せ、と。それをなんとか押さえ込む。そう急いではいけない。もう仕事もあと少なくなってきてしまった。残り少ないお楽しみは、じっくりゆっくり楽しむべきだ。
唇から抑えようのない笑い声が漏れる。楽しみで仕方ない。ああ、早く殺したい。彼女に絶望を見せてやりたい。自分がどれほど無力か思い知らせてやりたい。あの放送の反撃、あれはかなり屈辱的で忘れがたい……。
写真をそっと顔の前に持っていき、そこに写った彼女にキスをした。
「――仕返しの始まりだ、探偵さん」
これにて五章終了。
伏線パートは次の六章まで。
最後の七章は解決編です。




