母親
電話にでたら、相手は意外な人物で……。
『あらーっ、レイじゃないの。久しぶりねぇ』
思わず耳から受話器を話す。怒鳴っているときの父ほどの声量が、鼓膜を響かしてきた。心構えをしていなかったから、びっくりしてしまったじゃないか。もちろんこっちの様子なんて知らないから、電話の相手は構わず続ける。
『今は一人なの』
「ああ、そうだよ。父上は帰れないし、兄さんは遅くなるそうだ。にしてもこっちに電話をかけてくるなんて珍しいね、母上」
そうなのよーっと答えてくる声はあきらかに呂律が回っていないし、自分で音量のコントロールが出来ていない。つまりは、べロ酔い状態。まあ陽も暮れてるし呑んだんだろう、激しく。
電話の相手は紛れもなく私の産みの、そして同時に育ての親。つまりは実母だった。
『健一郎に電話したら出てくれなくねぇ、愛妻をなんだと思ってるのかしら』
健一郎とは父のファーストネームだ。結婚生活がもう二五年をすぎているのに、両親は未だに名前で呼びあっている。父はあまり乗り気ではないようだが、母に強要されては断れないのがあの人だから。
「私が父上とさっきまで話していたかだろうね」
『あらそうなの。なんてひどい。妻より娘をとるなんて』
酔った勢いでこんなことを言ってるのではなく、母は素面でも真面目な顔をしてこう怒ることがあり、その度に父は頭を抱えていた。多分、母が再度かけなおすだろうから、また頭を抱えることになる。ご愁傷様、父上。
「今はどの辺にいるのかな」
所在地不明の母の居場所を聞きだそうとするが、やっぱり酔っていらっしゃる。
『うぅん。日本よー、お城が見えるもの』
日本でお城が見える場所なんていっぱいあるし、お城なんて日本以外にもたくさんあるのだけど、そんなのお構いなしのようだ。これ以上聞こうとはしない。そんなのは無駄だと経験上知っているから。
『ああそういえば、また変なことに首をつっこんでるんですって。好きねぇ、あんたもそういうの』
母がこの事実を知っているということは父が報告したんだろう。報告というか相談か。しかし父のことだから事件の概要くらいちゃんと説明してただろう。今世間を賑わしている連続殺人であることは母も知ってるはずだ。それを「変なこと」程度で表すのはいかがなものか。
「心配かい」
これが父や兄ならからかいになるのだが、母には通用しない。
『全然よ。あんたも健一郎も一郎も、こっちが心配したってどうかなるわけじゃないもの』
これが強がって言っているわけではなく、本心からの言葉なのだからもう笑うしかない。実際、母は心配してない。一度父が仕事でけがをしたと連絡が入ったときも、パニックになった私と兄の頭を一度叩いて、生きてるに決まってるでしょうと冷静に断言して見せた。事実そうだったのだから恐れ入る。
どんなことがあったって、母はきっとずっと母のままなんだろう。それが良いところなんだから、変わらないことを祈る。祈るまでもないとは思うけどね。
「嘘でもいいから心配だって言えないかな」
『言って欲しくもないでしょ。それにそういうのを言うのは健一郎の仕事だもの』
どうやら私に心配するのは父だけの仕事らしい。仕事が増えて大変だろう。お勤めご苦労様、本当に。
『それに健一郎が心配したって、言うことなんか聞かないでしょう。なら私がするだけ無駄よ』
「まあ、その通りだね。今更引き返すわけにはいかない」
『ほれみなさい。当たり前よ、あんたが親の言うことを素直に聞くわけないし、物事を途中で放り出すわけない。あたしがそういう風に育てたんだから』
後者の教えは母親として素晴らしい教育だったと思うが、前者はいいのだろうか。親の言うことを素直に聞かない子を育てあげるというのは、何か矛盾してる様にも聞こえる。まあ、そんなことを気にする人じゃないか。事実、母は全くその通りの子をこうやって育てあげたんだから。
私が言えるの一言だけ。この人には、母だけには敵わない。
『ああ、酔いがさめてきちゃったわ。呑み直すわ』
「母上、まだ夜も深くないよ。もっとやることをあるだろうに。お風呂とか。お酒を飲みたいのはそりゃ分かるけどね。順番ってやつをだね」
うだうだと言っているのは母の身を案じてるからでも、本当にそうした方がいいと思ったからでもない。母だけが好きなだけお酒を飲めるというのが許せない。そもそも、禁酒している人間に酔って電話をかけてきて、しかも呑み直すと宣言するなんてどういうつもりだ。いくら実の母でも許されないぞ。
『バカねぇ、順番なんてどうでもいいのよ。あんたの名前だってそう決めたんだから』
私の名前はレイ。兄が一郎だから、そう名付けましょうと母が提案したらしい。兄が生まれたときは男だったので命名権は父に任せられた。そこで父は自分の名前から一部取り、一郎とした。ここまではどこにでもあるお話。
ただ二人目、つまり私が生まれたとき同じ条件で、女の子だったから母に命名権がゆだねられた。父は一生懸命かわいらしい名前でも考えるとでも思っていたらしいが、生後一日も経っていない私を見て、そして次に母の見舞いに来ていた兄を見て、瞬時に決めた。
「じゃあ、この子はレイでいいでしょ」
そもそも妊娠中にも名前なんて考えていなかったらしい。生まれてからつければいいと思っていたようだが、生まれたら生まれたで、考えるのが面倒になったそうだ。そこで兄の名前に由来だけいただいた次第である。いかにも私の母らしいエピソードだ。
父はもう少し考えるべきだと主張したが、一度決めたことを簡単に翻すなんてこと母がするわけもなく、結局私ははれて「蓮見レイ」となったわけだ。
「もし三人目の子供が生まれたらどうするつもりだったのさ。まあ、男だったら次郎にでもできただろうけど、女の子だったら」
そのエピソードを初めて聞いたとき、母にそう質問したのを覚えている。すると母は迷うことはなく、こう答えた。
「なんでもいいわ。マイナスとかでいいでしょ」
私自身、こういうところは母に似ていると自覚することもるが、それと同時に母ほどではないと強く思っている。
『順番なんてどうでもいいの。じゃあ、切るわよ。暖かくして寝なさい』
最後の最後にだけ母親らしいことを言い残して、母は日本のどこか、お城の近くに消えていった。これからまた呑んで、騒いで疲れて寝るのだろう。羨ましい。
受話器を置いて、少し微笑んだ。重たいことばかり起きていたので、母の電話はいい気休めにはなった。無茶苦茶な人だけども、中々的を射たことを言ってくれるし、母との会話は本当に落ち着く。なんだかんだで親子だからね。幸せなことに。
しかし本当に、お城の近くってどこだろう。
5
片手に今朝花屋で買ってきた花をもって、屋上へ向かった。立ち入り禁止の場所だが、父に頼んで私は入れてもらえるようにしている。最低一度は一人で訪れないといけないと思っていたから。
屋上の閑散の中を歩きながら、小林陸と交わしたいくつかの会話を思い出していた。私が"cube"かと彼にここで訊いたとき、彼は違うと否定した。俺はそんなのに興味ないとまで言ってみせて。あれを信じたわけじゃなかった。ただ、信じたいとは思った。
悪い意味で、彼が倒れていた場所は、忘れられない。だからその前で立ち止まり、片膝をついてそこに花を置いた。葬儀にも出席したが、ちゃんとこの場で弔ってやりたい。
仁志が素直に白状すれば、こんなことにはならなかったと嘆いていた。そうかもしれないが、私はそれを自信を持って肯定することは出来ない。相手が相手だから、どんな手段を使っても小林陸を死に追いやっていただろう。
過去のことをうんぬんと後悔するのは、人生の無駄だと聞く。確かにそれはそうだろうが、人格というものはどうあっても過去があって成り立つもので、それを捨てては人なんて生きれない。だからどうあっても振り返るし、それによって後悔するのは仕方ない。
何も落ち込みにきたわけじゃない。落ち込んでる暇なんてない。ただ、彼の死をちゃんと悼みたかった。ここで死んだ、殺された、秘密を抱えた男の子の死を。
花を置いて、彼が倒れていた場所をそっと指で撫でていく。ざらざらとしたコンクリートの感触。冷たくて、長時間座っていたら濡れているみたいなっていただろう。彼はここで放置されていたんだ。それを思うと、また怒りが吹きあがってくる。
目をつむって、そのまま黙祷した。無信教なのでここで何か唱える歌もない。
しばらくして目を開けて立ち上がった。
「君が生きていれば、聞きたいことがあったんだけどね」
どうして"cube"であることを隠したのか。今現在、"cube"という組織はどうなっているのか。『主』と接触したことはあるのか……。そんなのきりがない。今更聞き出すこともできないのに、こんなことを考えてしまう。
あれだけ大々的に狙われているのは"cube"だと発表したのに、未だに自らがそうだという者が現れない。どうしてだろう。小林陸とは状況が違う。名乗り出た方がメリットがたくさんあるのに、どうして。
そこまでして守りたいプライドってわけじゃないだろう。命より優先すべきものなんて、ないだろう。
「なあ、君なら言ってくれたかい」
もしも私が小林陸に"cube"が殺されていると教えていたら、彼は素直に答えてくれただろうか。……もういいか。考えても仕方のないことだ。
タバコを取り出して、その場から離れてフェンスに体重を任せながらくわえた。彼はタバコは体に悪いと言っていたから近くで吸ってやるのはかわいそうだ。このおいしさを知らず死んでいたことも、やっぱりかわいそうだ。
昨日の反省をもふまえて、今日は鞄にももう一箱ある。気をつけないといけないのは数があると思って、吸いすぎないことだ。健康のためとかじゃなく、財布のために。最近はスモーカーに対する国からの嫌がらせがひどいから。デモでもおこしてやろうか。
恋人との楽しいひとときを終えて、屋上から退場する。屋上の扉を開けたところで振り返る。そういえば同じ様な場面が少し前にあった。
「前に、君が言ったことだけど」
私は彼とした野球対決を思い出す。彼は勝負の前、こう言っていた。
「恨みっこなしだ」
お互いに言いたいことは山ほどあるだろう。けどもう、そういうのはなしだ。私はもう犠牲者を出さないよう尽力する。だから君は、どうか安らかに眠ってくれ。
今回は小休憩ってところでしょうか。




