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兄上

事件のファイルを調べた蓮見はあることを発見する。

 そんなつまらないことを考えていると今度は携帯が鳴った。ありがたいことにどうやら私は大人気のようだ。今度は芸能界デビューでもしてやろうか。

「もしもし」

 電話をしてきたのは近所の友人で、近くの服屋がセールをしているから一緒に行こうという誘いだった。迷うことなく了解と返事をして、大急ぎでのびきったラーメンを食べ終えた。

「あっでも、七時までは帰らせてもらうよ」

 そう断っておくと電話口で友人が騒ぎだした。

「ええっ、早すぎぃ。もうちょっと遊びましょうよ。あっ、居酒屋も行こう。おいしいところ見つけたんだ」

 私を引き留めるには最高の情報だった。さすがに短い付き合いじゃないなと感心したが、いくら何でも今日はこの欲に負けてはいけない。心の中で友人ではなく、アルコールにごめんなさいと詫びた。

「私だって忙しいときくらいあるんだよ」

 そんなことを答えながら、父が好きなシーフードカレーの作り方の手順を必死で思い出していた。



 時計の針が丁度十一時をさしたところで私はようやく解放された。九時から始まった説教は二時間という長時間に及び、その間ずっと正座をし続けていた私の足は、しびれて何の感覚もなくなってしまっていた。

 そんな頼りない足で何とか自室に戻り、ベッドに身を投じた。右手には父が持って帰ってきてくれた捜査資料がある。すぐにでも中を見たいが、ひとまずは未だに父の大声のせいで違和感の残る耳と、本当に自分のものかどうか怪しく思えてきた足を休ませるため、目を瞑って休憩だ。

 十分ほどそうしていたら、遠慮がちなノックの音が聞こえてきた。この家でノックなんてプライベートを重んじる道具を使用するのは、一人しかいない。私はどうぞぉと、その常識人を招き入れた。

「また変なことに手を出してるんだって」

 部屋に入ってくるなり兄はそう挨拶をしてきた。

「苦労好きだね、お前は」

 兄はそう言いながら私のベッドの上に座って、缶ビールを突き出してきた。私とアルコールの婚姻を認めてくれてる数少ない人の一人。ありがたくそれを受け取る。

 兄はというと休日の前日にしか飲まないという決まりが己の中にあるらしく、それを忠実に守っている。酔って翌日の仕事に支障を出さないようにしている様だ。飲む量さえ押さえればそんな坊さんみたいな生活はしなくて済むのにと何度言っても聞いてくれない。

 しっかりした体つきに、それとは対照的なインテリの風貌。服を着ていればあんまり筋肉が目立たないので、顔だけで判断した不良に絡まれたことが何度もあるそうだ。もちろんその都度、不良たちをすでに中学生の頃にマスターしていた逮捕術で抑えこんで、弱者を獲物にするとは何事だと町中で説教を飛ばしていたらしい。

 妹として、その場に居合わせなくて本当によかったと本心から思う。

「苦労好きか、そうなんだろうね。悪癖だよ。無視すればいいのに、そういう生き方が出来ないんだ」

「はは、まあだからこそ、親父も職場でお前のことを自慢してるんだろう。たまに親父の同僚の人に愚痴られるよ。娘の話になるととまらないから、勘弁してくれって」

「嬉しいねぇ。さっきまでその自慢の娘を馬鹿と連呼していたけどね」

 ビールを一気に喉の奥へと流し込む。最近の若者はこのビールの苦さが嫌いだそうだ。あれはとらえ方が間違っている。その苦みこそが旨みなんだ。無茶苦茶に甘い抹茶より、ほろ苦さを含んだ抹茶の方が上品でおいしいのと一緒。

「それはお前が未成年なのに飲酒、あげく無断外泊なんてするからだろ」

「けど兄さんは今こうして十九の妹に酒を提供してるわけだ。どうしてそういう柔軟さを父上はもってくれないのかね」

「そんな柔軟さをもってたら、俺は警官にはなってないな」

「なるほど、違いない」

 兄が私に酒を渡すのはもはや諦めだろう。つい半年ほど前までは私が飲んでいる姿を見かける度に、飲酒が発育途中の身体にどれほどの悪影響をもたらすかと、保健の先生より長々と語っていたが、それが馬の耳に念仏だと分かるともうそうはしなくなった。

「それで、今回は殺人事件だって。親父が肝を冷やしてたよ」

 夜中にわざわざ酒を持ってきて私の気を引いて、中々本題に入らなかったところからみると、肝を冷やしてるのは父だけじゃない。こんな私でも我が家ではアイドル扱いだな。

「何も殺人事件を解決しようなんてしてないさ。ちょっと困ってる女の子がいてね、その子がどうも殺人事件と関係してるかもしれないんだ。してないかもしれないし、なんとも言えないけどね。それでちょっとだけ事件を知っておこと思っただけだよ」

「自分の母校で起きた事件だろ。新聞とか読んだりしてなかったのか」

「母校が甲子園で優勝したっていう記事なら読むけどね。人が死んだなんて記事は、目に入っても読まないよ」

 だけどこの事件が起きたときは高校の友人たちからたくさんの憶測混じりの情報がメールで届けられた。彼らは高校時代から探偵みたいなことをやっている私の意見を聞きたがっていたが、無視し続けているとそのうちメールを送ってこなくなった。

「兄さんは現場で死体を見たのかい」

「馬鹿を言わないでくれ。ああいうのは駆けつけた警官とか、親父みたいな一課の人たちが見ればシートで包まれて、すぐに解剖に回されるんだ。見れるはずない」

 兄は父から言わせれば「警官の赤ん坊」だそうだ。だから交番に勤めて、先輩警官の言うことを聞きながら、社会の汚さとか厳しさとか、組織の在り方ってやつを毎日学んでる最中。そんな兄が殺人現場でする仕事というのはとにかく上の指示に従うこと。死体を見るなんてのは含まれてない。

「親父は見たと思うけど、何も言わなかったのか」

「くれぐれも気をつけろ、気を抜くんじゃないぞってさんざん言われたさ。それに父上が何か気づいていたら、犯人の手首にはもう手錠がかけられてるはずだろ」

 父親としてだけではなく、父は刑事としても有能だ。父に憧れて警官になったのは兄だけじゃない。昔父に助けられたとか、世話になったって人が多くいて、その中には警官になった人も少なくない。

「高校なんて閉鎖的な場所で起きてるのに捕まらないなんて、犯人はなかなか有能なんだろうな」

 兄がどこか遠くを見つめてつぶやく。その有能な奴が誰かを特定するために、兄も父も相当苦労してるはずだ。けどここ二ヶ月、手がかりらしいものは見つかってない。

「人を殺した奴に有能な奴なんていないさ。どうしようもなく無能で愚かだ」

 少なくとも私の母校を汚し、父と兄に迷惑をかけている人殺しが有能なはずない。

 捜査ファイルを開けると、まず最初に被害者の個人情報がかかれていた。僅か十七歳で命を落とした可哀想な少女の、その一生がわずか数枚の書類にとても事務的にそつなく書かれている。そしてその書類にクリップで一枚の写真が貼られていた。

 それは彼女の死体だった。殺害現場を正面から撮った一枚が丁寧につけてある。廊下でうつ伏せに倒れた彼女の胸にはまるで大きな日の丸のように血が広がっている。白地のカッターのせいで赤いのがよく目立つ。

 心臓を一刺し。彼女が抵抗した様子もないから、不意打ちをしたんだろ。しかも迷いなく一気に凶器を刺したに違いない。迷っていたなら、彼女が自分の胸に刺さった異物をとろうとする。すると手が血が汚れるはずだが、彼女の血は綺麗なものだ。おそらくは刺されたのは分かっても、すぐに抜かれたから手を動かす暇もなく、息絶えた。

 冷たい犯人だ。

「……うん?」

 彼女の胸ばかり見ていたが、少し視線を移すと何かが見えた。彼女の手だ。何かを握ってるように見える。ファイルをめくっていき、手の部分の拡大写真を探すと、すぐにそれは見つかった。拡大写真とほか数枚、そして一枚の書類。

 写真を見て分かったのは彼女が手に握っていたのはガラス製の四角い箱。とても小さめのストラップのような大きさ。その箱を様々な角度から撮った写真もある。

 なんてことだ。これは、これは……。

「レイ、どうしたんだ。顔色が悪いぞ」

 兄が私の異変に気がついて顔をのぞき込んでくる。

「何でもないさ。死体の写真を見たら少し気分が沈んだだけだ。私だって十九の女だからね、こういうものを見ると平然ではいれないよ」

 私の言葉に兄は何か疑問を持ったようだ。さすが血を分けてくれた兄、妹がそんな柔な神経をしていないことを知ってる。一瞬でも嘘が通じると思った私が間違ってたか。

 兄が何か言おうとする前に、私は大急ぎで捜査ファイルを閉じた。

「兄さんのおかげでいい具合にアルコールが回ってきて、眠くなって来たよ。兄さん、私と同じベッドで寝る気があるなら別にかまわないが、そうじゃないなら出てくれるかい?」

 私がこういう冗談を言うのはもう何百回にもなるのに、兄は未だにこれに本気で照れる。見ている方はおもしろい。

 バカを言うな、年頃の女がそんなことを言っていいと思ってるのか。顔を真っ赤にしながらそう叱ってくる。

 案の定、今日も照れながら怒った後、部屋を出ていった。兄が自室に入ったのをドアに張り付けた耳で確認した後、ファイルを再び開ける。またあの箱の写真が目に入った。

「『証の箱』……」

 それがこのガラスの箱の名前だった。けど警察はまだこの事実を掴んでないようだ。被害者が握りしめていることから、何か事件に重要なことだとは分かっているみたいだけど、一体この箱がなんなのか、どういう意味を持つのかなどは検討もついていない。

 無理もない。この名前を知ってる奴らは、それを知ってるとは言えない立場にいるのだから。言えば奴らは『彼ら』でなくなる。

 関係しているかもしれないとは思っていたが、ここまでストレートに関わってくるとは考えもしていなかった。この箱を持っているということは、殺された子は間違いなく『彼ら』の一人だったんだろう。あんまりおもしろくない記憶が蘇る。

「……"cube"」

 懐かしいその名前を口にすると、ニコチンより有毒なものを吐き出した気分になった。

こんな兄貴いない。(現実)

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