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激昂

蓮見のもとに櫻井が駆け込んできて……。

 扉が開かれる激しい音がして、それで一気に目が覚めた。むくっと体を起こすと、扉の前には息を切らせ顔色の悪い仁志がいて、心臓が一気に脈をうった。

「どうした」

 自分の声が鋭くなってるのは自覚できたが、自然と出た物がそれだった。

「ご、ごめん……小林が三時限目から授業に出てないらしいんだ」

 ソファーから起きあがって壁掛け時計に目をやると、丁度昼休みの途中だった。ということは、小林陸は二つ授業を休んで、今も教室に戻ってないということだ。昼休みを屋上で過ごすことは珍しくないが、そんな長時間は初めてだ。

「くそっ」

 女らしさの欠片もない悪態をついた後、一気にかけだした。私の後ろを仁志がついてくる。廊下にいる生徒たちの間をすり抜けたり、時には押し退けたりして最速で屋上へ向かう。文句を言ってくる生徒もいたが、こっちはそれどころじゃない。

 屋上の扉を一気に開ける。風がふわっと私の全身にあたり、服と髪がなびいた。そんな私の目の前には、予想していた、想定できていた、だけど想像したくもなかった現実が横たわっていた。

 屋上の真ん中あたりに男子生徒が倒れていた。半ばパニック状態で彼に駆け寄ると、やはり小林陸だった。仰向けになって倒れていて、頭の周りには赤い海が広がっていた。そして少し離れたところにバットが転がっている。

 かすかな希望を持ちながら脈を計ったが、無駄だった。思わず堅い屋上のざらついたコンクリートを殴りつけてしまう。痛いけど、そんなものよりひどい感情が体を巡り回っていた。

「おい……」

 ようやく追いついた仁志が扉付近で絶句していた。まずいな。

「ひぃ君、見るんじゃないよ。目をそらして」

 私の咄嗟の指示に従い仁志は背中を向けた。死体なんて見る必要はない。気が滅入るだけだし、下手をすると一生残る傷になる。彼にはそんなことがないようにしたい。

「ひぃ君、いいかい、よく聞くんだ。職員室へ行って、海野先生たちに報告してくれ。他の生徒には気づかれないようにね」

 仁志はその後すぐに走り出した。

 小林陸の死体はもうすでに体温が下がっていて、通常よりも冷たくなっていたが、これだけではなにも分からない。死亡推定時刻は警察がちゃんと割り出してくれるだろう。ただ、空白の時間が二時間以上あるのは、犯人には有利だ。

 彼の死体にはなるべく触れないように、現場も荒らさないよう、私は探しうる範囲で探すと、それはすぐに見つかった。

 バットの陰に隠れるように『証の箱』が落ちてあった。

「腹をわってくれてなかったじゃないか」

 自分の想像をこえた落胆の色が、私の声には含まれていた。

「……まあ、それは私もか」

 どうして"cube"がねらわれてると彼に言ってやれなかったんだろう。言ったら、彼が『主』だった場合、私以外の人間にも危害がでる可能性があったから控えたが、ちゃんと警告してやるべきだった。

 奥歯を強く噛んで、拳をぎゅっと握りしめた。結局、茜ちゃんと同じ結末だ。ツメが甘くて、『主』に先を越された。私は何もできなかったんだ。

 彼の死体を見下ろして、頭を下げた。

「すまない」

 髪の毛が地面に向かって流れた。それを見てすぐ頭をあげる。現場に髪の毛を残したりするのは、父たちの邪魔にしかならない。

「はは」

 思わず笑ってしまった。私はこんなに冷静でいる。昨日、友人だといった男の子の死体を目の前にしてだ。冷徹なんて言葉が、自然と頭に浮かんだ。

 ポケットから携帯を取り出して急いで父にコールをした。仕事中なら出られないかもしれないが、幸いにも昼休みだったのか、すぐに電話にでた。

「父上、すまない」

 私がそう切り出すと父はそれだけ状況が分かったらしい。苦々しく訊いてくる。

『三人目がでたのか』

「ああ、前に調査を依頼した子だ。名前は小林陸、三年生の男子。現場を見て分かることは、殺されてからそんなに経ってない。一時間くらいだと思う。ついでに言うなら、『箱』もある。殺害方法は金属バットで撲殺だよ」

 まくし立てるように報告するのは、どこかで言葉が詰まらないように。急いで父に来てほしい。早く彼をこんな場所から出してやりたい。いつまでもここで寝そべっているのはかわいそうだ。

『分かった。すぐに行く』

 仁志は先生にちゃんと警察に通報する必要はないと伝えただろうか。通報なんかするより、こっちの方が迅速だと彼ならちゃんと分かってるはずだけど、混乱してたから。

「頼むよ。早く来てくれ」

 電話を切ろうと耳から携帯を離す直前、名前を呼ばれた。

「何かな」

『お前のせいじゃない。気にするな』

 父はそれだけ言い切ると一方的に電話をきった。今のは紛れもなく「父親」としての言葉だ。刑事が使う機械的な言葉じゃない。蓮見レイの父親として、あれだけは言っておかないといけないと思ったんだろう。

 また今度、何かご馳走を作ってやろう。

 乱れている気持ちを落ち着かすために、胸に手をあてて、小さく深呼吸をする。そうしながら、今度は「刑事」としての父を待つことにした。


 海野先生は寡黙で、落ち着いた先生だ。どんなことが起きても声を荒らげることはなく、だからと言って生徒に冷たいわけでも、なめられているわけでもない。多くの生徒はその寡黙さに頼もしさを感じているし、その冷静さを尊敬している。

 私も先生とは三年間つき合って、それは身にしみている。下手をすると退学になりそうなことをしでかしたときも、落ち着いて対処して私を守ってくれた後、もう二度としないようにと叱ってくれた。今まで出会った教師という人間の中で、海野先生ほど尊敬できる人も頼りにできる人もいない。

 その先生が屋上に入ってくるなり、目の前の惨状を見て膝をついた。視線は確かに彼の死体に向けられているが、それをちゃんと見れているのか、それは分からなかった。しばらくの間そうした後、なにか声にならない小さな声をあげながら、彼に駆け寄ろうとするので肩を掴み、それを制止した。

「先生、ダメだ。警察がもうすぐ来るから、触っちゃダメだ」

 先生が私の方を見た。この視線を一生忘れることはない。三年間つき合ったが、先生のこんなに怒りに満ちた顔つきはみたことがないし、あんなに悲しみを含んだ目も見たことがなかった。一瞬にして目をそらして、肩から手を離したくなったがそこだけは踏ん張った。

「ダメだよ。ごめんだけど、ダメなんだよ」

 そう何とか訴えると先生は止まってくれた。死体まで後少しのところで、なんとか自制を働かせてくれたらしい。

 海野先生に続いてぞくぞくと先生たちが屋上に到着する。こんなに来たら、生徒が不審がってしまうとは思うが、先生たちだって生徒が一人死んでいる聞けば職員室でじっとしてるわけにもいかないんだろう。

 一部の先生たちが海野先生に駆け寄って、何か言葉をかけている。こういう時、一体どういう言葉をかけたらいいんだろうか。

 そんな沈んだ気持ちでいると、ようやくあの人が屋上にきた。

「なんてこと……」

 この高校の最高権力者は屋上の様子を見て、そう息をのんだ。

「どうして、どうして……」

 その後はそれを繰り返すばかりで最高権力者とは名ばかりの、情けない有様になったが、私としてはそれが許せなかった。堪えればよかったのに、色んな物に対してもっていた怒りが、そこで沸点を迎えてしまった。

「どうしてじゃなだろうっ!」

 私の近くにいた先生が体を小さく揺らして驚くほどの声だった。

「言ったろうが、下手をするとあと三人死ぬって! だから休校にしろって! どうしてそれを無視してくれたっ!」

 何人かの教師が私を止めようとしてきたが、それを振り払って春日の婆さんの前に行き、一気に胸ぐらをつかんだ。

「おかげで死ぬ必要のない子が死んだ!」

 いや違う、生きなければいけない一八歳の男の子が死んだ。その現実に一番腹が立っていた。婆さんを責めるのは少しずれていると自分でも分かっていたが、買い手のない怒りが増幅していたのでそれが暴発している。

「……仕方ないじゃない」

 返ってきた答えがあまりに無責任だった。思わず、胸ぐらをつかむ手に力が入る。

「なにが仕方ないんだよ! 言ってみろ! 私が納得できるように、ちゃんと説明できるもんならやってみろっ!」

「私は学園長としての責務があるのよ。それを無視はできなかったわ」

 胸ぐらを掴む力をまた一気に強める。

「はは、信じられないね、婆さん。開き直りかい。ボケて分かってないなら教えてやる、おかげで一人死んでるんだよっ!」

「結果論で言わないで」

 私が怒りで冷静を失いつつあるのに、婆さんの方は徐々に落ち着きを戻していっている。それがまた気に食わない。大人の余裕という奴かなにか知らないが、こういうときにそういう態度でいられるのは嫌だ。

「あんたのせいで一人死んだんだぞ」

 口走った後、言ってはいけないことを言ったと思ったがもう遅かった。婆さんはきつい目をこちらに向けて、反論してくる。

「あなたのせいでもあるんじゃない?」

 心にぐさっと何かが刺さった。私のせい。父は違うと言っていたが、否定できるはずもない。

「そんなの……」

 分かってると言おうとしたが言葉にならなかった。苦々しい思いが胸一杯に広がっていく。

「もうやめろ」

 後ろからそんな声がした。振り向くと死体を見つめたままの海野先生が、こちらに背を向けて立っていた。

「もうやめてくれ。誰のせいでもないだろう」

 その意見にはいくらでも反論できただろう。けど、その声には誰も反抗しようなんて思えなかったはずだ。それほど先生の声は悲しみでにじんで聞こえた。

 手を離して婆さんを解放する。

「すまない。……気がたってたんだ」

「……いえ、こちらこそごめんなさい」

 和解ともいえない終わりをみせた喧嘩に、屋上の張りつめた空気が消えたが、ただその後に残ったのは、海野先生の小さな嗚咽だった。

ま、こうなるしかない。

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