承諾
鴻池の悩みは、事件後、同級生のおかしくなったということで……。
茜、フルネームは安藤茜です。私とは中学からの付き合いで、唯一無二の親友なんですけど、二ヶ月前の事件が起きてから急におかしくなっちゃったんです。
あの日、私たちはたまたま被害者を見ちゃったんです。いや、もうその時には死んでましたけど、警察が到着するまでの間、死体は生徒に囲まれてましたから、私たちも野次馬になったんです。もちろん見て気持ちのいいものじゃありませんけど、私なんかは特別ショックもなかったんです。
けど茜は違いました。なんか死体を見るなり急に怯えだして、そのまま走って教室まで戻っていっちゃったんです。最初は怖かったんだろうなとしか考えませんでしたけど、どうも違うんです。その後もずっと怯えてましたし、たまに自分の周りを警戒心むき出しの目で見るんです。みんなビックリしてました。
茜はいつもはすごく落ち着きのある静かな子なんですけど、その日以来、人が変わったみたいになりました。時々、嫌だとか、怖いとか呟いてたのを覚えてます。誰か知らない人が近づくと、大声で来るなって怒鳴るんです。ここでようやく、みんな茜に何か起こったんだって気がつきました。
私は友達ですから、やっぱりほっとけなかったんです。だから茜と二人きりの時に思いきって訊きました。あの殺人事件と、何か関係あるのって。そうしたら目の色を変えて、こう答えたんです。
「……有華、次は私かも」
最初はなんのこと言ってるのかさえ分からなかったんですけど、それが分かったときは鳥肌が立ちました。だって茜の目は恐怖で震えてて、とても冗談とは思えなかったんです。だから、どうしてって訊いたんですけど、それ以降の質問は全然答えてくれませんでした。
警察の調査が滞って一週間が経つと茜はもう限界だったみたいです。クラスで急に暴れ出して、そのまま走って無断で早退して、それからは学校に来てません。何度も家に行ってるんですけど、部屋に閉じこもって出てきてくれません。出てきてよって声をかけても、扉も開けずに帰ってとだけ返されるんです。ずっとそんな押し問答が続いてます。
それで三日前、私はある提案をしたんです。警察に相談しようって。そうしたらボディガードをつけてくれるかもよって。そしたらドア越しに、すごい声で怒られました。
「勝手なことしないでよっ。迷惑だからっ」
今まで、どんなに怒ってもあんな声は出さなかったのに……。もう私じゃどうしようもないんだって痛感しました。そこでようやく私は春川さんに相談したんです。家が近所で小さい頃からお世話になってましたから。それで今日、ここに来るように言われたんです。
蓮見さん、お願いします! 茜を助けてあげて下さい!
「君が私をあそこまで嫌っているとはショックだよ。寝込んでしまいそうだ」
有華ちゃんは私が、とりあえずなんとかしてみる、何かあったら連絡するからと言うと安心して涙ぐんだ。そんな彼女のメアドを聞き出して、今日のところは帰した。
彼女はこの部屋から出て行く最後まで、私に頭を下げてお願いしますと繰り返していた。あそこまで深くお願いされたのは初めてで、少々戸惑ってしまったが、なるべくそれを顔に出さないように努めた。
そして今部屋には春川と私が佇んでいる。
「私は君のことが好きだったんだよ。わかるかい。友人と思っていたんだけどな」
「いい加減にすねるのはやめてよね。こんなたちの悪い嫌がらせしないわよ」
「たちが悪いと思っているのに、有華ちゃんを連れてきたのかい」
もちろん嫌がらせじゃないのは分かってる。けど少しは愚痴ってもかまわないだろ。彼女が非常に厄介で、私が嫌がる仕事を持ってきたのは事実なんだから。
「私が相談に乗れればよかったんだけど、殺人とかはあなたの方が調査しやすいでしょ。それに有華ちゃんはあなたの後輩だし……」
全く彼女の判断力は見事なもんだ。よく口癖のように適材適所と言っているから、その理念に従い私に相談に乗らせたんだろう。私からすれば勘弁願いたいが、有華ちゃんからすれば最善の選択に違いない。きっと彼女が相談してきた時から、私を引っ張り出すことを考えたはずだ。
「まあいい、どうせ暇人だ。人助けだけが趣味みたいなもんだから、ちゃんとするよ」
冗談抜きであんなか弱そうな女の子にあそこまで必死に頼まれたら断るなんてできない。それは私だけじゃなく、この世の人間全員がそうだ。まあ、良心があればだけど。
「とりあえずはその茜って子を恐怖から解放すればいいわけだ。運が良ければ楽な仕事になる」
希薄だ。自分で言っててそう思える。殺人事件の次の被害者になるかもしれないと怯えている人間をそう簡単に外に出せるはずない。犯人が捕まればすぐにでも出てくるだろうが、残念ながら事態というのはいつだって最悪だ。
「とにかく今日はその殺人事件について調べてみるから、その茜って子にあうのは明日だね」
「私も同行しましょうか」
春川がそう言ってくれるのはありがたい。彼女は非常に優秀だし、一緒にいると楽しくこの厄介事と向き合えるだろう。ただ、あまり気が進まない。出来るなら彼女がこのことに介入するのはここまでにしてもらいたい。なんせ事態はいつも最悪だから。
「ありがたいが一人でいいさ。一応有華ちゃんには同行してもらう。君は君の仕事をこなすといい」
彼女は大学自治会に入っていて、二回生ながら幹部だ。こんな生徒数と伝統だけが誇りみたいな大学の自治会というのは非常に仕事が多く、それでも彼女は講義を受け、サークルをしながら、バイトで汗を流しつつ、その仕事をこなしている。要領がよくないとできない所行だ。
「けど、何か責任を感じちゃうわ」
「そうかい、なら今晩私の相手をしてくれないかい。最近夜が充実してなくてね。この間相手をした男なんて最悪だっ……」
ここで言葉を切らないと彼女の頭から角が生えそうだし、その生えた角で刺されそうだ。冗談が通じない友人は中々このユーモアを分かってくれないから困る。
目を尖らせて怒る彼女を冗談だよと宥めてるのに少々時間をくった。
「もう、あなたはどうしていつもこう適当なのかしら。頼りがいはあるけど、不安だわ」
「完璧な人間なんていないさ。どこかに欠陥はあるよ。君に冗談が通じないのと同じだ」
また深々とため息をつかれた。ため息をつくと不幸になるという。ならば彼女はこの短時間の間に随分と不幸になってしまったことになる。おお、なんて悲劇だ。嘆かわしい。
「はあ、もういいわ。とにかく頼んだわよ。私はもう次の講義に出なきゃいけないから」
彼女はそのまま鞄を引っさげて部屋を出て行った。全く忙しい女だ。どうして同い年で同じ性別で、同じ大学の生徒なのにこう差が生まれるんだろうか。私は五度生まれ変わっても彼女のように忙しくは生きれない。というか生きたくない。
椅子に座って窓を開け、ポケットからつぶれたタバコ箱を捕まえて、その中から一本取り出してからとくわえた。この大学では室内は全面的に禁煙だが、そんなこと守ってやる義理はない。私はニコチンとアルコールが恋人なんだ。二股なのは許してほしい。
ライターで火をつけようとしたとき、ポケットで携帯が震えだした。とりあえず火はつけずに取り出すと、さっき出て行ったばかりの春川からメールが届いていて、何事かと開いてみると、思わず苦笑が漏れてしまった。
『何度も言うけどあなたは未成年よ。そこは禁煙。分かったら早く家に帰ってシャワーでも浴びなさい。』
なるほど、先刻お見通しというわけだ。全く適わないな。
けどまあ、一本くらい許してほしい。いかんせん今日は朝から美女に会ったり、嫌な相談を受けたりと頭がいっぱいいっぱいなんだ。少しは頭の中を整理しないといけない。そのためにはニコチンがいるんだよ、君。
『私を気遣ってくれてありがとう。愛してるよ、マイ・ハニー』
そんな返信をした後、さっきのタバコに火をつけた。世間では嫌われ者の有毒物質たちが私の中を気持ちよく満たしていく。ああ、たまらない。いくら世間が嫌っていても私はお前を愛してるよ。
タバコを指ではさんで、口から離し煙を吐いた。
「最高だ、マイ・ハニー」
そして私はまた熱いタバコと熱いキスをする。
なんてね。
たばこの似合う女性は素敵ですよね




