野球
小林を調査していた蓮見に、彼が思わぬことを提案してくる。
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放課後、野球部のグラウンドは最盛期を迎える。かけ声をあげながらひたすら走る者たち、ノックをして泥まみれなる者、キャッチーボールをする者、投球練習をする者。全員がユニフォームを着て、フェンスにかかてある垂れ幕に書かれた『目指せ甲子園』という目標を実現させようと汗まみれになっている。
「情けないな」
少し離れた場所でそういう生徒たちを観察しながら、横で腕を組んでいた仁志に声をかけた。
「何がだよ」
「同じ男子高校生でもこういう風に体を動かす健全な者もいれば、生徒会室でゆっくり過ごす不良かぶれもいる。全く、私はどこで教育を間違えたのか」
「あんたに育てられた覚えはねぇ。大体、人のこと言えるのかよ」
それを言われると返せない。怠惰という言葉がよく似合う女だから。
ターゲットである小林陸は今は女房役のキャッチャーと共に投球練習をしている。昼間に聞いた爆音よりもはるかに迫力がある音が、離れていてもしっかり聞こえてきた。こんな調査でなく、もっと別の方法で彼を知っていたらファンになっていたかもしれない。
しばらく彼を眺めていたら、向こうがこちらに気がついた。気さくにも手を振ってきてくれる。彼も私が何をしにこの高校に来てるからさすがに校内の噂で知っているだろう。それでも彼が私に何か文句を言ったことはない。
容疑者というレッテルをはがしてやりたい。彼は秘密結社の会員向けの人格ではない。
「モテモテだろ」
「手を振られただけで、もててるってのはどんな考え方だよ」
「思考が柔軟なんだ」
「ちっとは身を引き締めることをお勧めしてやる」
私たちがこんなに中身の籠もっていない話をしている最中でも周りの熱気が落ちることはない。在学中に野球部のグラウンドに長居したことは一度しかない。その時は野球部自体が意気消沈していたので、こんなに熱くはなかった。なんとか私が依頼をこなしたから、しばらくしてから熱気は戻っていたが私はその時には既に別の仕事を引き受けていて、遠巻きで彼らを見るしかなかったので、今初めて高校球児という人間の生き様を、熱気を感じ取っている。
「……なあ、あんた」
仁志が野球部の方ではなくて、別の場所で同じく燃えているサッカー部の方を見ながら話しかけてくる。
「私の名前は蓮見レイっていうんだけどね。覚えててくれないかい」
「今更そんなこと言い出してんじゃねぇよ」
「昔はレイ姉ちゃんと言ってくれていたのに残念でならないね」
「……人の恥ずかしい過去をさらっと言ってんじゃねぇよ。一つ訊きたいんだけどさ、あんたの性格はよく知ってる。困ってる人を放っておけないってのは分かってる。けど、訊かせてくれ。あんた、昔『主』と何があったんだ?」
硬式ボールを金属バットが打つ快音が響く中、仁志の腕を組んだままこっちを見ずにそう訊いてくる。私も似たような体勢をとりながら、視線を小林陸に向けていた。
「これは人命に関わる事件だろ。あんたなら捨て身の作戦なんて苦もなくなやるだろうさ。けど、あんたは俺や鴻池まで巻き込んだ。危険が及ぶのにだ。高校時代、あんたはそんなことしなかった。いつも俺を巻き込んできたけど、危険になるとすぐに退かせた」
ノックの練習で誰かが打ち上げてしまったフライを他の子がうまく捕る。それを見ていた小林陸が、何か呟いた。口の形では、ナイスと言ったように見えた。自分の練習に集中することをお勧めするよ野球少年。
さて、仁志の質問に素直に答えるべきかどうか。難しい話しだ。けど、仁志、少し会わないうちに頭の使い方を学んだみたいだ。いや、別に頭が悪かったわけじゃない。ただどうも柔軟な思考ができない奴で、そもそも小学校のときにいじめにあっていたのもそういう背景がある。
「……私は危険があったら退かせるような先輩だったかい」
「そうだったじゃないか。ストーカー被害にあってる子を助けた時だったか。彼女の囮になる捜査をしたとき、あんたは自分が囮になってるくせに俺には事件に関わるなって言ってきたぞ」
高校時代、私の探偵業は結構忙しいものだった。たいていの依頼はどこにでもあるような事件で、それは解決しないといけないのかと思うようなものもいくつかあったが、基本的に頼まれたらやっていたので猫の手が欲しいときが多々あった。それで三年の時は丁度一年生の仁志が暇そうだったので、手を借りたわけだ。
「どう考えても今回の作戦はあんたらしくない。あんたを感情的にさせてる何かが絡んでる」
かわいがっていた弟分の成長を素直に喜びたい。もう少し、そういう発想を別のところで発揮しないと意味がないけどね。
「そうだねぇ。ちょっと、ムキになってる。らしくもないとは思ってるけど、それは茜ちゃんの一件のせいさ。依頼主が殺されるなんて、正直悔しくてたまらなかったよ」
ぐっと拳に力を入れる。あの惨劇のことを思い出すと、正直どう形容していいかも分からないほどの悔しさが全身を支配してしまう。
「それだけじゃないだろ」
仁志がそう迫ってきたときだった。丁度、遠くから私を呼ぶ声をしたので、返事をすると呼び声の主である小林陸が駆け足で近寄ってくる。
「蓮見さん、暇ならちょっと勝負でもしない?」
額に汗を浮かべていた彼はユニフォームでそれを拭うと、後ろにあったバッターボックスを親指で指しながら、不敵に微笑んで見せた。
「勝負というと」
「まあ、蓮見さんがヒットを打ったら蓮見さんの勝ち。俺が抑えられたら俺の勝ち。簡単な勝負だよ」
そういえば中学生の時読んだスポ根漫画にそんなシーンがあった。懐かしい。
「超高校級の名ピッチャーがなんでまたそんなことを言い出すんだい」
「蓮見さんとは何でもいいから勝負してみたいんだよ。それに、俺になんか訊きたいことあるんだろ。勝負に勝ったら、質問でも何でも素直に答えるよ」
その言葉につい反応して、背筋をぴんと張らせてしまった。仁志なんかは、彼の意図が読めたのかすごく鋭い目つきで彼を見ている。その当の本人は高校球児らしい爽やかで屈託のない笑顔を浮かべていた。
自分が何かに疑われてるという自覚はあるらしい。けど、素直に答えるっていうのは非常に曖昧な言葉だ。本当に素直かどうか、確かめる手段なんかないんだから。
「なら、私が負けたらどうすればいいのかな」
「なんでもいいから奢ってくれよ。それでいい」
予想に反した答えがすぐに、しかも何の含みもなく返ってきたので思わず、ずっこけそうになった。てっきり、もう近寄るなとか、そういう拒否的な要求をされるのかと思って身構えていたから。
「で、どうする?」
彼がボールを一回軽く上へ投げて、掌でキャッチして、少し挑発的な笑みを浮かべてくる。もちろん、私も最上級の笑顔でそれに答えた。
「私の恋人は酒とタバコだ。二股なんだよ。けどね、強いて言うなら賭博も大好きさ」
「流石。じゃあ、男に二言はないね」
「言い忘れていた。私はピチピチの女子大生だよ」
私の重要な主張を聞かないで小林陸は、マウンドで練習している生徒にしばらく場を貸してくれと頼みにいった。練習中の部員は少し不機嫌そうだったけど、小林陸が面白いのが見れるぞと言うと、すぐにマウンドからおりていった。
「ハンデをつけた方がいいかな。どう?」
質問してくれるのはいいが、彼はすでにロジンバッグを手の上で転がして、やる気が十分すぎるくらい伝わってきて、本当にハンデをつけてくれるのかが疑問だ。
「優しいね。女性に優しくするその精神は誉めてあげよう。ただね……」
私はそこで言葉を区切った。いいところで、さっきまでマウンドにいた子がバットとヘルメットをもって駆け寄ってきたので、お礼をして受け取ってから、バッターボックスに入り、バットで彼を指してやる。
「女性を甘くみると、痛い目にあう。今日はそれを、お姉さんが教えてあげよう」
ヘルメットをかぶりながら、可愛くウィンクをしてやると彼は困ったような顔をした。
「じゃあ、俺も男の意地を見せるよ」
そこでお互いに微笑んだ。一つ分かったことがある。彼は私と同じくらい意地っ張りだ。
小林陸の女房役の子が、キャッチャーをつとめることになった。審判は勝負を公平にするために、顧問の先生に努めてもらうことにした。私に練習を邪魔されたことが気にくわないのか、少し不機嫌。
仁志や他の部員たちが見守る中、やっと勝負が始まった。
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