最初
いよいよ捜査を開始し、一人の生徒と接触をはかる。
三面[四番のエース]
ソフトボールにサッカーボール、バスケットボールやラグビーボール。世の中にボールと呼ばれるものはごまんとあるが、私は硬式野球ボールにしかできないことがあると思っている。それがあの音だ。
キャッチャーミットに収まる瞬間にたてるあの爆音。その投球がいかにすごかったかを物語る物。幼い頃、甲子園を見るのはそれを聞くためだった。軟式野球では聞くことができない、一種のロマン。
その音が今、女房役であるキャッチャーを置き去りした状態でだけど、響いている。少し寂しいが、それでも十分な迫力がある。
屋上の壁に叩きつけられたボールは、小さなバウンドを繰り返しながら投手の元へ律儀に帰っていく。
「君の最速は何キロだったかな」
少し離れた場所でくわえタバコをしていた私を一瞥した小林陸は、坊主頭を一度ハンカチで撫でた後、少し微笑んだ。
「何度も言わさないでくれよ。一三五キロだ」
「何度聞いたって疑わしい。私は一五〇だと言われても騙される」
「大げさ過ぎだっての」
彼がそう謙遜するが私は素直な感想を言っている。そもそも素人にそんな差が分かるはずない。分かるのは、すごく速い球だというごく当たり前のものだけ。
地面に転がっているボールを拾うと、また目をつむって投球体勢へと入る。ボールを両手で包み、片足をゆっくりと上げていき、胸元から頭上へと掲げていったボールを力任せに思い切り、前方へ投げる。
また爆音が屋上にこだました。
「痺れるね。甲子園で聞きたい音だ」
「だから大げさだっての」
照れ隠しか、顔の前で手首を振った。
「謙遜することはない。自信を持っていい。野球部のエースだろう、胸を張りなよ」
彼、小林陸は三年生で今現在、野球部の部長を務めている。春の県大会で部を準決勝まで導いた立役者。投げればこの豪速球で、打てばホームランを量産。四番でエースの頼れる男、というわけだ。
それを聞いたとき、どんな偉そうな天狗になった男だろうかと心配したが、実際に会ってみると拍子抜け。控えめで謙虚。とてもスポーツに燃える高校男児とは思えない。
「傲慢は人を堕落させるって、祖父ちゃんが言ってたよ」
「なるほど。なら私はいつ傲慢になったんだろう。覚えがない」
「蓮見さんの堕落はうまれつきっぽい」
「奇遇だね。私もそう思う」
こんなやりとりを彼は気持ちよさそうな笑顔でする。裏表のない表情で、すてきだと素直に思うのだけど、どうしても疑いのまなざしを向けてしまうのは仕事だからとは言え、嫌なものだ。
小林陸が"cube"候補だと聞いたとき、私としてはやっぱりかと思った。最初に情報を持ってきたのは仁志で、その翌日には茜ちゃんが同じ情報を提供してくれた。二人が同じ人物の名前を言ったのは、調査を始めて一週間経ってから初めのこと。
私も彼の名前は新聞で知っていたし、一週間も校内をうろつけば嫌でも耳に入った。野球部の四番でエースの部長。これを優秀と定義するのは当然だ。
「それによく授業に出ないんです。屋上にいるらしいですけど、その時に"cube"の仕事をしてるんじゃないかって噂です」
有華ちゃんの情報にはそんな詳細までついていた。そんな噂がたつのは仕方ない。彼が今みたいに授業をさぼってここで野球の練習をしてるのは事実だから。あんな性格なのに野球だけはどんなものにも引き替えにしない。
けど彼と接触を試みてからこの三日、授業を抜け出してもすべて練習にあてている。もちろんずっと見てるわけじゃないけど、誰かと接触したりしてる様子はない。
もちろん、それだけで疑いを晴らすわけにもいかない。
「さて、そろそろ昼休みだ。練習もいいが、休息も大事だよ。程々にね」
私がそう忠告すると同時にチャイムが鳴り響いた。彼はもう少し練習するからと、またボールを掴んだ。私は昼休みは校内をくまなくうろつきたいので屋上から退散する。
階段を下りていると、嫌なのと出会った。
「まだいたの」
目の前のこの学校の最高権力者は、ため息混じりにそう言ってきた。どうやら今日は大好きな書類と見つめ合ってはいないらしい。そうしてくれていた方が楽で良いのに、残念。
「いるよ。休校になれば、話は別だけどね」
「あなたもしつこいわね」
「命が関わってるんでね。しつこくなる。ならないのがおかしい」
ここで私たちはしばらくにらみ合うことになったが、先に矛をしまったのは婆さんの方で、なにも言わず私の横を通り過ぎていった。私も立ち去ろうとしたが、後ろから声を刺された。
「タバコは捨てなさい。生徒に害だから」
変なところで正論を説いてくる。反論も無駄口もせず、黙って携帯灰皿に押し込んだ。
昼休みの校内は騒がしい。購買部でパンを勝ち取ろうとする者、食堂で長蛇の列にわりこむ者、空き教室で友達と遊びながら弁当をとる者……。校内放送のロックミュージックはここでは誰の耳元にも届いてはないと思う。痛快なエレキギターがかわいそうだ。
私が高校生のときは昼食は四限目にとるのが主流だった。昼休みは教室で椅子を連ねて、そこで仮眠をとって、五限目に先生から起こされるというのが通例だった。
「あっ、ハスミーン」
古い呼び名が後ろから聞こえた。振り返ると私が三年の時、一年だった今の三年の生徒が手を振って駆け寄ってくる。明るく元気な、典型的な女子高生。生徒指導の先生に見つからない程度に染めた茶髪のロングヘアーが、波打っている。
「今日も探偵してるの」
「今日は若くて元気なぴちぴちの女子高生を捜してるんだ。紹介してくれ」
そんな冗談を交わしながら彼女や、その友達数名と会話を少しした。こういうどうでもいい会話が何かのヒントになるかもしれないし、彼女たちがもたらす情報は貴重だった。何年の誰が何かした、というのは重要な情報になりうる。
「海野先生が心配してたよ。あいつ大学は大丈夫なのかって」
「頼れる親友がいるんだって伝えといてくれ。彼女に任しとけば問題ない」
今現在、大学の方では春川が私の出ている授業の出席点とノートを取ってくれている。彼女が授業に出れないときは、彼女の友人が何とかしてくれてるらしい。探偵業をやっていると、案外私に恩を感じてる人も多いらしく、協力的な人が多いそうだ。ありがいた限りだね。
「なんか小林君にナンパしてるって聞いたけど本当にぃ」
「仲良くはしてるけど、私好みのイケメンじゃない。君の方がよっぽど好みさ」
彼女の顎を指で持ち上げてみせる。彼女は慣れたものだから、ははと笑った。
「そういうセクハラは治ってないねぇ」
「セクハラか愛情かは微妙なところだと思うけどね」
彼女はそういう冗談でまた笑い、友人たちと食事を取るからと走り去っていった。高校生というのはいつだって走る。あんなに元気で生きられるなんて素晴らしい、憧れることはできない。もっとゆっくり生きることをお勧めするよ。
校内の見回りをやり続けて一週間。特にこれといった感想はないが、強いて言うならとても生徒二人が死んだ学校とは思えない。いや、総生徒数が千を超える学校だ。二人だけじゃ変わるはずもない。それに一人は学校の外で死んでいて、自殺という見方が高いうえ、もう一人の事件からはもう二ヶ月経っている。
生徒の顔にそういう沈痛を見いだすことができないのは当然かも知れない。
昼休みの一時間の見回りは何事もなく終わった。有華ちゃんと仁志にも出来る限り周りの様子を注意してほしいと頼んでいるが、彼らには情報集めという仕事がある。昼休みはそれに大切な時間だ。あんまり手間をかけさせるわけにもいかない。
生徒が腹を満たした後の眠気と戦いながら五限目を受けている最中、食堂でラーメン定食を食べた。昼間からカロリーの取りすぎだと思うが、在学中は金欠のためラーメン定食ではなくラーメンしか食べられなかったという悔しい思い出が反動となってる。
チャーハンの香ばしさを舌の上で楽しんでいたら、目の前に席に見覚えのある人が座った。
準備体操、おわり。捜査始めます。
突然ですがツイッターはじめました。
よろしければ、よろしくお願いします。
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