6:野獣にお友達ができました。強烈です。
「ねぇ!ちょっと待ってちょうだい!」
隊首会室を出ていくらも立たないうちに、私達は甘さを含む低い声に呼び止められた。振り返った先には立派な体躯を持つヨーク隊長が、にこにこと人好きのする笑顔でこちらに向って来ている。ノーマン隊長は立ち止まり、彼――彼女?――をじっと見つめた。
「確か第八の…ライナス・ヨークだったか?」
「あら嬉しいッ!もう覚えてくれたの?」
両手で頬を包み、本当に嬉しそうにするヨーク隊長。何度見ても、この美丈夫が貴族令嬢も真っ青の女性らしい仕草をするのは強烈だ。これで妻帯者だというのだから、世の中本当に解らない。それはノーマン隊長も同じだったらしい。「強烈だったからな」とあっけらかんと笑ったのには率直すぎやしないかと焦ったが、逆にこういう反応は新鮮だったのか、ヨーク隊長は少し驚いてみせたものの、すぐに「そうよね」と笑ってみせた。
「飾らない人は好きよ。それに女の子の隊長が増えて嬉しいの。改めて、よろしくね。カレンと呼んでもいいかしら?」
「ああ。その方が良い。あたしもライラと呼ばせてもらう」
「まあ!本当に?嬉しいわ!」
ノーマン隊長の差し出した右手をヨーク隊長は両手で包み込んで胸元に引き上げる。四十路も近いオッサンがする仕草ではないと思うのに、板について見えるのだから恐ろしい。
「それにしても本当に綺麗ね貴女。お肌なんかスベスベじゃない。睫毛も長いし…んもぅ、嫉妬しちゃうわ」
「ふふ。あんたは可愛いな」
「いやぁねぇ。お世辞は嫌いよ?」
「本心だ」
途端にむすっと唇を尖らせたノーマン隊長に、ヨーク隊長は本気で目を丸くする。
「…驚いたわ。初対面で心からそんなこと言われたのなんて初めてよ」
「うちの副隊長に言わせりゃあたしは野獣らしいからな。飾る方法を知らねぇだけだ」
にやりと視線を寄越され、私はヒッと小さく悲鳴を上げた。なんで私が影で野獣って言ってること知ってるんですか!
「そう。本当に素敵。でも、気をつけてちょうだい。貴女ったら飾らなすぎて少し心配だわ」
「ありがたく聞いておく。けど、大丈夫だ。自分の敵と味方を嗅ぎ分けることには自信がある」
「そうね。それでもね、ここは傭遊士の戦場とは違うのよ。騎士団はまだマシだけど、王宮内はタヌキばかりよ。腕っ節だけでなんとかなるなんて思っちゃダメ」
「そうだな…」
ノーマン隊長が神妙に頷いたことで満足したのか、ヨーク隊長は朗らかに笑い、立ち話もなんだからと私達を第八部隊の隊舎に誘ってくれた。隊舎は王城内に設置されているが、内政府や隊首会室がある王宮とは別だ。広大な敷地内に点在するように置かれた隊舎の内、一番王宮に近いのが第八部隊だ。第三部隊隊舎へ帰る道筋の上ということもあり、私達はヨーク隊長の言葉に少しだけなら、と甘えることにした。
たどり着いた第八部隊の執務室は第三部隊と比べてもさしたる違いはない。ただ、ところどころに置かれた調度品が随分可愛らしいことと、花の生けられた大きな花瓶が目に付くくらいだろうか。品の良いピンクのクッションが並ぶソファをすすめられ、待つことしばし。香り高い紅茶を手ずから用意してヨーク隊長が戻って来た。手際よく入れられた紅茶はなかなかに美味しい。ありがたく喫して、他愛もない話をする。
ふと会話が途切れたあと、ヨーク隊長はどこか母親のような顔をしてノーマン隊長に問いかけた。
「ねぇカレン。騎士団の中にあたし以外に貴方の味方になってくれる人はいて?」
「そうだなぁ…あの熊みてぇなヒゲもじゃのジイさんと、こーんな目ぇつり上げたあご髭のオッサンかな」
「第二部隊のアッカーソン隊長と第六部隊のローレンス隊長です…」
「そう!それそれ。アッカーソンのジイさんは受け入れてくれそうだな。ローレンス?は、少なくとも敵にはならねぇだろうな。あとは第五のクソ長ぇ名前の…クリス…クリストファー?フィッツなんとかってあのキラキラした野郎だ」
「…クリストフォード・ムル・フィッツジェラルド隊長です」
「そう。それ」
「意外ねぇ」
「そうか?あいつはあたしと違う意味で飾らねぇじゃねぇか。つまんねぇ衝突はしても、あたしがヤツの敵にならない限り、先に敵に回ることはねぇと思った。あいつ〝身内〟に相当甘いだろ?」
「…貴女の洞察力には感服するわ。その通りよ」
小指を立ててカップを持ったまま目を丸くするヨーク隊長に、私も同感だと頷く。先に情報を渡していたとはいえ、いや、だからこそ先入観や隊首会でのやりとりから敵とみてもおかしくない。にも関わらず、ノーマン隊長は私が忘れていたフィッツジェラルド隊長の特徴を見抜いていた。…これはもはや本能なんだろう。
「第四のオズワイドと第七のブレアムは話になんねぇな。せいぜい絡まないように気をつけるさ」
「そうね」
「あとは団長だ。あいつは敵だ」
「え?」
はっきりと、嫌悪を露わに言い切ったノーマン隊長に、私は思わず批難の色を込めた声を出してしまった。カララス団長は騎士として、人として非常に尊敬出来る方だ。それに貴族の生まれながらも階級による差別を一切持ち込まぬ人として有名である。人当たりも良く、騎士団のみならず階級の垣根を越えて支持者は多い。
実のところ、ジャック・ユノーの件も団長に相談してはどうかとノーマン隊長に進言していた。よもやノーマン隊長がこんな評を下すとは夢にも思わなかった。それはヨーク隊長も同じだったのだろう。先程までのふわふわとした雰囲気をガラリと変え、騎士の顔でノーマン隊長を見据えた。
「…どうしてそう思うの?」
「あいつ、たぶんなんか隠してんぞ」
「貴女を推挙した人物に関してならある程度仕方ないわよ?団長はあくまで騎士団の代表でしかないの。権限としては他の隊長とさして変わらないわ。彼にだってどうにも出来ないことは多いのよ?」
「あたしだってその理由だけでこんなこたぁ言わねぇよ」
「…どういうことです?」
「あたしには、あいつがライラの言うタヌキに見えたぜ?それも、化物級のな」
「…団長がやり手だということは認めるわ。でも、さすがにそれは賛同しかねるわね。貴女の人を見る目は確かでしょうけれど、貴女はまだ団長のことを何も知らないでしょう?」
「あんたの言い分を完全に潰すつもりはねぇ。けど、外から来た何も知らないヤツだからこそ見えるものもある」
「……」
「なぁライラ、あんたは信用出来る。まるまる信じてくれとは言わねぇが、油断はしないで欲しい」
飾りのない、率直な、真摯な言葉。それは少なからずヨーク隊長を揺さぶったらしい。しばらくふたりは視線をぶつけあっていたが、やがてヨーク隊長はふっと息を吐いて長い睫毛を伏せた。
「…心に留めておくわ」
「十分だ。ありがとな」
長年培って来た関係を疑うというのは抵抗の強いものだとノーマン隊長もよくよく理解しているのだろう。彼女はあっさりと笑って引き下がった。
「ところで、ねぇカレン?」
「うん?」
「隊長の話だけど、もうひとり残ってるの。背の高い、第九部隊隊長のヒューリックよ。彼はどう?」
「!」
途端にノーマン隊長の頬がさっと赤く染まる。その反応に、私は先程抱いた疑念が確信に変わったことに泣きたくなった。…やっぱりか!?やっぱりなのか!?ヨーク隊長も私と同じことを思ったらしく、上品に片手を口に添えて目を輝かせた。
「あら?あらあらあら!」
「…あいつは…よく、わかんねぇ…」
「そう!解らないのね!」
「おい。なんでそんな嬉しそうなんだよ?」
「うふふ。なんでもないわ!うふふふ!」
楽しそうなヨーク隊長を尻目に、私はこっそりと溜め息を零す。騎士団内で私が一番苦手意識を抱いている相手に、ノーマン隊長の心が傾き始めているらしいことは少しばかり胃…ではなく、頭が痛いが、数年に一度おきる男所帯での爛れた関係を咎めるよりかは――そこに真剣な想いと節度があるなら話は別だ――よほど、よっぽど微笑ましい。考え方を変えれば、良いことなのかも知れない。ノーマン隊長の野獣っぷりがバレンシア隊長への想いによって、少しでも鳴りを潜めてくれるなら万々歳だと考えたのだが…
それがいかに甘いかということは、今後いやというほど思い知らされることになるのだが、それはまたいづれ。
:::
団長に極秘に呼び出しを受けたのは、臨時隊首会の日の終業時刻も間近に迫った頃だった。
見習い騎士によって運ばれた書類の中に隠すようにして届けられた封書。ノーマン隊長に気取られずに来いとの指令は、嫌な予感しかしなかった。ヨーク隊長と仲良くなったことがよほど嬉しかったのか、上機嫌で仕事をするノーマン隊長との落差が、余計に私の憂鬱に拍車をかけた。
団長は隊長と同等の権限しか持たないと言えども、いち騎士への影響力という意味では、やはり団長の命令は新参隊長よりも強い。私は少し早いが今日は上がるとノーマン隊長に告げ、帰り支度とともに人目に付かぬように気を配って団長の執務室へ向った。
「失礼致します。第三部隊副隊長、ピエール・ジャックス。招集により参上致しました」
「待っていたよ。かけたまえ」
入ったそこには、団長と副団長。そして――第九部隊のヒューリック・ヴル・バレンシア隊長がいた。
「終業時刻に申し訳ないね。紅茶は?」
「ありがとうございます。お手数でなければ頂戴します」
ヴァルファチャータ王国のお決まりのやりとり――目上の者から勧められるものは基本的に断らない――をし、私はキリキリと泣き始めた胃をさりげなく抑えながら団長にすすめられたソファに腰掛ける。すでに用意していたのか、すこしばかり湯気が少なくなった紅茶が副団長によって差し出された。少し渋みの出た冷めかけの紅茶はかろうじて喉を潤すだけで私の心は潤してはくれなかった。
団長とバレンシア隊長もそれぞれにソファに腰掛ける。副団長だけが団長の斜め後ろに立ったまま控えているのが、私の居たたまれない気持ちに拍車をかけた。それを知ってか知らずか、団長はゆったりと笑っている。
私は、ノーマン隊長が団長はタヌキだと言ったことが引っかかっているのだろうか。
今まで人当たりの良い御仁としか思っていなかった団長の笑顔が、薄暗い執務室の雰囲気と混ざって、どうにも得体の知れないものに映った。
「さて、愛妻が家で待つ君を長く拘束するのも気が引ける。本題に入ろうか」
「は」
「第三部隊副隊長、ピエール・ジャックス。貴官にカレン・ノーマンの監視を命じる」
「!」
「妙な動きがあればすぐに報告してくれ。この件にはバレンシアを据える」
団長の視線が動くのにつられて見遣った先には、相変わらず何を考えているか解らない骸骨面のバレンシア隊長。視線だけがぎょろりと動いて私を貫き、知らず鼓動が速くなった。
団長は紅茶のカップを拾い上げ、口をつける。だが、そこに笑顔はなかった。
「彼とよく協力し、事を進めるように」
「…承知、致しました…」
「基本的には通常連携通りで構わないが…この件に関しては、君の判断を尊重しよう」
「…それは…どういう…?」
紅茶を飲む為に伏せられていた団長の目が私を見た。その瞳に温度はない。降りた沈黙が肌を刺し、赤が舞ったような錯覚を覚える。
「何がどう動くかまだ何も予測出来ない。だが、後手に回ることは許されない。貴官が必要と断じるなら躊躇う必要はない」
カチャリ、とカップが嗤った。
「――ノーマンを殺せ」