4:野獣がご挨拶に伺います。心配です。
一体何をどう協力させられるのだろうと頭の中をぐるぐる回り、ろくに眠れない日々が続いている。ことの詳細は不気味なほどに知らされないままだ。そのことがさらに胃痛を増している。今朝も起き抜けから胃を抑える割に詳細を話さない私に、妻は少しばかり心配したようだが、ほわほわと笑ってなんとかなりますよと言ってくれた。癒された。妻よ!おまえはほんっとに可愛いな!
だが、正直気分はあまり晴れない。王宮内にジャック・ユノーを狙った犯人がいるという。それを炙り出し、仇討ちを宣言したノーマン隊長。それは、どう楽観的に考えても少なからず王宮を騒がすだろう。それが、下っ端だったならまだいい。だが、様々な状況を鑑みるに〝犯人〟の地位は決して低くないような気がしていた。
いずれなにか〝協力〟をさせられる――拒否出来るとは最早考えていない――としても、ノーマン隊長が動かない内は今まで通りの仕事をするまでだ。私は気持ちを切り替えて執務室の荷物部屋で着替えながら今日の予定を思い浮かべる。そうして私は思わず、ぐわしゃあと両手両膝を床に着いて項垂れた。
「何やってんだおまえ?」
「きゃぁあーッ!」
「半裸で四つん這いって…掘られる準備か?」
「だから自重してくださいよ!てかノックして!」
「解ったから胸隠してんじゃねぇよ気色悪ぃな」
「言いながら着替えようとしないでくださいよ!なんのための更衣室代わりですか!!」
私は叫びながら着替えを抱えて荷物部屋を出、ほとほとと泣きながら着替えた。広い執務室で着替えるのはどうにも心許ないというか、落ち着かない。私が着替える終わるのとほとんど変わらない時間でノーマン隊長が小部屋から出て来た。前も思ったけどこの人は本当に着替えるのが早い。恐らくは傭遊士生活で身に付いたものなのだろう。隙を見せる時間は極力短く。騎士にも通じる考えだ。
「んじゃ行くか?走り込み」
「…ソウデスネ。ですが、今日は早めに切り上げますよ」
「あ?なんでだよ」
「今日は臨時隊首会です。ノーマン隊長の就任挨拶の為に各部隊の隊長が集まるんですから、遅れないように早めから準備しますよ」
そう、私が打ちひしがれた今日の予定。それが隊首会だ。言った途端にノーマン隊長の顔は顰められた。全身で面倒臭いとぶーたれる。そういう態度を取るから私の胃痛が治まらないんだと言ってやりたい。…あの問題児…じゃなくて個性的な方々とうまくやっていくにはその態度から改めて貰いたいのが本音だ。期待はしていないが。
「そんなこと言ってもダメですからね」
「…なんも言ってねぇだろ…」
不機嫌絶好調のノーマン隊長を無視して走り込みに連れ出した。相変わらず、良いペースで着いてくる。半分の距離で切り上げたが、夏も近いこの季節、ふたりして滝のような汗だ。なのにノーマン隊長は汗みどろの訓練服のまま隊首会に向かうと言い出し、私は青筋を立てて彼女をシャワー室に放り込んだ。
残念ながら騎士隊舎には女性専用のシャワー室はない。だが、自主訓練を終えた者の大半は隊舎の回りに数カ所ある井戸で汗を拭うことが多いため、予想通りシャワー室は無人だった。とは言え、ノーマン隊長ひとりにさせるわけにもいかない。鉢合わせたら騎士の方が可哀想だ。騎士隊舎で痴漢冤罪なんてシャレにもならない。
偶然にもブルーノ・ウノ・ロマンスが通り掛かったのを良いことに、事情を話して見張りをさせ、私は大急ぎで執務室へ向かった。ノーマン隊長の騎士制服と着替えが入っているだろう鞄を取って来るためだ。出来るだけ速くと私は小走りで引き返す。ノーマン隊長は普通の女性とは違う。シャワーもきっととんでもなく速いだろう。下手をすればブルーノを振り切り、タオルを巻いた格好で隊舎内をうろうろしかねない。
しかし、時既に遅し。戻って来た時にはブルーノが鼻血を抑えてぴるぴると震えていた。ノーマン隊長は――さすがに裸同然の格好でうろつくことはなかったが――タオルの場所を聞こうと全裸で脱衣所の扉をガラリと開けてブルーノを呼んだらしい。開けるなよ!声だけかけろよ!バカか!哀れな純情見習い騎士は淑女の裸を見てしまったと、大きな体を丸め、鼻血を流したまま私に泣いて詫びた。うん、うん…可哀想にな…!おまえは全然悪くないぞ…ッ!……ちょっと羨ましいけどな!
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自主訓練後のあの一悶着のあと、私もさっと体を流し、今は何故かノーマン隊長の髪を乾かしている。なんだって私がこんなことをと思わなくもないが、私が使うようにと渡したドライヤーを使いこなせずイライラしたらしいノーマン隊長に「濡れたままがダメならてめぇがやれ」と押し付けられた。
騎士隊舎には侍女はもちろん、小間使いも女中もいないので仕方がないといえば仕方がない。それに、このドライヤーは騎士隊舎にしか存在しないものだ。ノーマン隊長が使い慣れないのも無理はない。それをノーマン隊長に告げれば、こてんと首を傾げた。動くな。
「お貴族様も持ってねぇのか?」
「お貴族様って…間違っても隊首会で言わないで下さいよ?」
「言わねぇ言わねぇ」
「頼みますよほんと……これですが、商品化するにはまだ問題があるそうですよ。そもそもこれは魔力研究の一環であって販売するために作られたものではないみたいです」
「へーえ!…けど、魔力研究なら王立の魔術研究所のもんじゃねぇか。なんでそんなんが隊舎にあんだよ?」
「魔術研究所の資金援助とこのドライヤーの発案者が第九部隊のヒューリック・ヴル・バレンシア隊長なんですよ」
「ほーん?」
あまり納得しないながらも詳しく突っ込む気はないらしい。ノーマン隊長は大人しく温風を受けることにしたようだ。ホカホカと温かい風は気持ちがいいらしく、表情が見えなくてもご満悦なのが解った。なんかでっかい猫みたいだ…
それにしても、なんだって既婚の私が女性の髪なんか乾かしているんだろう。現実逃避を兼ねてぼーっと考えていたら、手が止まっていたらしい。ノーマン隊長が「あっちッ!」といって飛び上がる。…ざまぁ。
ちょっと涙目になっているノーマン隊長に笑いを堪えて謝罪し、身なりを整え、いざ隊首会へ。もちろん、胃痛薬は服薬済みだ。
隊舎を出て、王城の中にある隊首会室への長い道のりの途中。王城の門を抜けた辺りでノーマン隊長から「隊長ってどんな奴らなんだ?」と質問を投げられた私は、じとりと彼女を睨んだ。
「…資料。読まなかったんですね?」
「おまえがいんのに必要ねぇだろ」
にやっと笑ったノーマン隊長に溜め息が溢れた。数日前に必ず目を通すようにと渡した各部隊長に関する資料。てっきり目を通したと思ったのに。
ノーマン隊長は変なところで要領がいい。重要度順に書類を渡しても、私に聞くだけでよしと判断した書類は読まずにいることが多い。そういうことが出来るのにどうして書類読むのは遅いんだろう…まあ、いいか、と私はもうひとつ溜め息をついて、話すことにした。
「我が国の騎士団が9つの部隊から構成されているってことは頭に入ってますか?」
「…さすがにそれくらいはわかってらい。ついでに第一部隊の隊長、副隊長が、騎士団の団長、副団長の仕事もやってる。だろ?」
「ええ。ならさすがに騎士団長のお名前くらいは覚えていますよね?」
「ベンジャミン・ボブ・カラス」
「ベンジャミン・ボヴァ・カララス団長ですッ」
「惜しい!」
「惜しくない!」
思わず声を上げればすれ違った女中がびくりと肩を震わせた。いや、申し訳ない。
「…それはそうと、この短時間で全員覚えられるんですか?」
「無理だな」
「……」
「とりあえず要注意なヤツだけ教えてくれ」
ふいに真面目な顔をしたノーマン隊長に、私の背に緊張が走った。彼女が敵地に乗り込むのと同じ気持ちで隊首会に向っているのだと気付いたからだ。私は、一段声を潜めて続けた。
「…ノーマン隊長と最も相性が悪いと思われるのは、第五部隊隊長のクリストフォード・ムル・フィッツジェラルド隊長でしょう。彼は騎士団史上最年少で隊長に着いた天才です。剣の実力はノーマン隊長と互角かそれ以上」
「…へーえ?」
「フィッツジェラルド侯爵家の長男でお父上は前団長です。お若いながらも非常に厳格で…その…少々騎士道に重きを置き過ぎるきらいがあります。傭遊士出身ということを突つくような方ではありませんが、ノーマン隊長と相性が悪いだろうと思われるのはそこですね…」
「要するに礼儀にうるせぇ石頭ってことか」
「……いや…その、まぁ…そうですかね」
私は歳若い隊長を思い浮かべ、口籠りながらもそうとしか言い様がないと肯定する。24歳という若さながら厳格で不正を決して許さない、騎士道と団規――騎士団の規律だ――が服を来て歩いているような青年だ。20歳で隊長就任し、その直後に騎士団にも影響力のあった軍部省の大臣の不正を、国王陛下の御前で暴いて更迭させたのはあまりに有名な話だ。
「フィッツジェラルド隊長とは別に、注意が必要だと思われるのは第四部隊のパーシバル・ルノ・オズワイド隊長、第七部隊のマナティン・ウル・ブレアム隊長です。彼らは実力よりも血筋を重んじ、生まれによっては良い顔をしません」
「四と七な。四のオズワルドと七のブレアム…あと五か。五のフィッツジェラルド…覚えた」
「ノーマン隊長が気を配ったほうがいいのはその三人。後は追々でもいいでしょうが…聞きますか?」
「一応頼む」
ひとつ頷いて私は続けた。
「第二部隊のゲイリー・アッカーソン隊長と第八部隊のライナス・ヨーク隊長は、いずれも多少個性的ですが親しみやすい方です。ノーマン隊長から何かしない限り早々敵に回ることもないでしょう」
「爵位名がないってことは、下流階級か?」
「いいえ、第二部隊のアッカーソン隊長は地方豪農のご出身ですので、下流階級とは少し言い難いですね。第八部隊のライナス・ヨーク隊長はヨーク伯爵家のご長男です。ただ、爵位を返還して独立されてますから、爵位名がないんです。貴族ではなくなりましたが中上流階級以上であることに変わりはありませんよ」
「なんで爵位捨てたんだよ?」
「……それは…まあ、会えば解ります」
「ふーん?…まぁいいや。なら六と九は?貴族なのか?」
「ええ。ですが第六部隊のロジャー・リー・ローレンス隊長は完全実力主義者。他人に構う時間があるなら自己研鑽に使うような方なので、ある意味で一番安全です」
「そうか」
「第九部隊のヒューリック・ヴル・バレンシア隊長は…」
私は言いさして少し躊躇った。ノーマン隊長がどうしたのかと視線で問うてくる。私は何と言うべきか逡巡し、結局正直なところをそのまま言葉にした。
「…正直読めません」
「新参か?」
「いえ、就任直後でよく存じ上げないからという意味ではなく…はっきり言えば、何を考えているのか解らない方です」
「そういや、魔術研究所になんかしてんのってそいつだったか?」
「はい。その辺りからも解ると思うんですが…少々変わった方ですね…」
「…そうか」
「はっきりしたことは言えません。ですが…ノーマン隊長にとっては、もしかしたら一番気をつけないといけない方かも知れません」
「了解」
短い返事を聞き、石畳に赤い絨毯が敷かれた回廊を曲がる。その突き当たりに重々しい佇まいの大きな扉が目に入った。脇には重装備の騎士が2名。装飾過多な槍を携えて置物のように立っている。私はごくりと喉を鳴らした。
この扉の向こうが、隊首会室だ。