3:野獣に気に入られたようです。嬉しくない。
ヴァルファチャータ王国国王直轄騎士団第三部隊。勤続1年半以内の見習い騎士が8名。3年未満の新人騎士が6名。それ以上の中級騎士が14名。新隊長がカレン・ノーマン。副隊長が私、ピエール・ジャックス、と総勢30名で構成されている。
突如始まった集団面談において、私を含む29名をカレン・ノーマンはぶちのめした。しかもなぜか最後の一戦は私と彼女の一騎打ち。すでに28名を相手にした後で、肩で息をしていたにも関わらず、彼女のスピードは多少落ちる、という程度に留まった。化物だ。しかし、本人も認めていたとおり個人戦は苦手らしく、私は彼女と良い勝負をした。
自分たちの仇を打てとでも言わんばかりに熱狂した隊員達。だが、怒号にも似た応援に背中を押され、ノーマン隊長にとどめを刺すかに見えた私の一撃は、惜しくもカウンターとして返って来て幕を下ろした。
29人抜きはさすがに堪えたのか、私に一太刀入れた後、ノーマン隊長は大の字に寝転がって起き上がらなかった。簡易胸甲を激しく上下させるノーマン隊長を誰もが信じられない気持ちで眺めた。
やがて、第三部隊で一番体の大きな見習い騎士のブルーノ・ウノ・ロマンスがノーマン隊長を医務室へと運ぼうと申し出た。貴族出身の若者で、異動願いを出した者のひとりだ。腹いせをしないだろうかと一瞬危ぶんだが、壊れ物でも扱うように横抱きにしたのを見て、その考えも霧散する。なんだかんだと言ってもやはり騎士だ。貴族出身ということも手伝って、女性は大切に扱う精神がしっかりと根付いている。
それを踏まえても、あの野獣っぷりを見せつけられて尚、ノーマン隊長をきちんと女性として扱えるブルーノは本物の紳士だと感心する。私ならきっと肩に担いでるな。というか、放置するわ。疲れたもん。ちなみに私は弱小豪族の六男坊で、ほとんど農民と変わらない幼少期を過ごした。そんな家庭環境で非常に逞しくも横暴な母や姉を見て育ったため、女性は逞しい生き物という認識が抜けないのだ。私ではブルーノほど優しく接することは出来ないだろう。(但し妻を除く)
意識はあるだろうに意外にも大人しく運ばれて行ったノーマン隊長がいなくなり、それでは解散していつもの仕事に…と言おうとした私は、どうと押し寄せた隊員達によって取り囲まれた。
「ジャックス副隊長!新隊長殿は一体何者ですか!?」
「我らを相手に無敗などと…!フィッツジェラルド隊長にも匹敵します!むちゃくちゃだ!」
「お…落ち着きなさい」
「しかもあの戦い方…まるで野獣じゃないですか!」
「荒いわ泥臭いわ、まるで品がない!」
「途中から女性だということを忘れて攻撃してしまいましたよ!」
「解った解ったから…」
「何かご存知なんでしょう!?ジャックス副隊長!」
「一体何者なんです新隊長は!?」
私は隊員達にもみくちゃにされ、次から次へと質問攻めにされる。一体何が悲しくて男に詰め寄られねばならないのか。汗だく泥まみれの肉布団の熱気。
暑い!狭い!ほのかに臭い!おまえら散れ!
自暴自棄になった私は、ノーマン隊長が〝赤斧の戦乙女〟であると叫んでしまった。
「…かの有名な傭遊士だったのか」
「もっと大柄な女性かと…」
「俺もだ…まさかあんな華奢な女性が…」
「…黙っていれば美女なのに」
「あの品のない口汚さ…泣ける…」
「中身が野獣なのが切ない…」
嘆く隊員に、全くだ、と心の中で同意する。
――赤斧の戦乙女
大型特別害獣の討伐を中心に活躍する女傭遊士。得物である大戦斧は大型害獣の首に深々と刺さり、血で赤く染まる。故に付いた二つ名が〝赤斧の戦乙女〟。
この国で戦乙女というと、美しくも、海賊にも劣らぬ大柄で逞しい女性というイメージが付いて回る。大型害獣を相手にする女性だからきっと体も大きいに違いないという思い込みが先行したらしい。安直なことだ。
そして、恐らくノーマン隊長は一般に浸透している戦乙女の体型に憧れている。彼女は決して小柄ではないし、一般の女性であればハンカチを噛んで羨むだろう美しい細身だが、本人が気に入ってなければ意味はない。二つ名を明かすなと言われた時にはどんな秘密があるのかとわずかに好奇心が疼いたが、なんてことはない、ただの劣等感で嫌っているだけだろうと、ここ数日で感じ取った。
――それにしても
この集団面談。計算尽くだったのか、偶然か、はたまた自分が暴れたかっただけなのか。きっと暴れたかっただけだろうな、と思うものの、今の隊員達からは異動希望の意識はなくなったように見えた。今はまだノーマン隊長の実力を目の当たりにして鳴りを潜めているだけだろうが、それでも騎士団は実力が物を言う場所だ。戦い終わって倒れるという失態を犯したものの、決して弱くない29名の騎士を相手に全力でぶつかり、勝利した。ノーマン隊長は確かな評価を持って、認められたのだろう。
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執務室で仕事を再開してしばらくすると、騎士制服に着替えたノーマン隊長が戻って来た。回復はしたようだが、常ほどの元気はない。やはり相当に消耗したようだ。私はこっそりと苦笑して紅茶を用意し、静かにそれを差し出した。
「あんがとな」
「いいえ」
「あー…美味ぁ…」
口汚い女性ではあるが、ノーマン隊長はこうして小さく礼を言い、私が淹れる紅茶もしっかりと味わってくれる。責務を疎かにするような勝手な人だが、決して人間として堕落しているわけではない。私は気になっていた問いを彼女に投げかけた。
「…ノーマン隊長。少し、よろしいでしょうか?」
「あーん?」
「どうしてあんな無茶な方法を?」
手っ取り早いし、ノーマン隊長の性格からしていかにも解りやすい手法ではあったが、私はあえて彼女の考えを聞いてみたかった。ノーマン隊長はカップで口元を隠したままちらりと私を見遣り、またくいっとカップを傾けた。
「…鬱憤たまってたみてぇだからな。実力もわからねぇ根無し労働者がいきなり頭になりゃ腹立つことくらいあたしにだって解らぁ。だったら暴れてぶつかってみりゃ、全部納得出来なくても、ちっとは我慢する気になんだろ?」
「確かにそうかも知れません。ですが、それでも隊長の座を、というのはやり過ぎでは?挑発とは言え…本気だったんですか?」
「たりめぇだろ。あたしなんかよりおまえらの方がよっぽど学も人望もあんだから」
「……え?」
「ここ数日見て来たが、この部隊であたしに勝てそうなヤツは2、3人。そのうち誰が隊長になろうが問題ねぇと思った。そんで十分だろ?」
「!」
ここ数日、という言葉に私は驚いた。丸々サボったのは一日だけのはず。それ以外でも隊員達の様子を伺っていたというのか。
紅茶を飲みながらノーマン隊長は、右足を座面に引き上げ、膝に肘を置いて頬杖をつく。行儀が悪いからやめなさいと言うより先に、彼女はうっすらと微笑んだ。それは驚くほどに柔らかい笑み。彼女の美貌と相まって、どうしようもなく目を奪われた。
「まだ、他の部隊をじっくり見たワケじゃねぇが…第三部隊はよくまとまってんな。おまえの力だろ?」
「へ?」
思いもよらないノーマン隊長の発言に、思わず間抜けな声を上げてしまった。そんな私をノーマン隊長はくつくつと笑い、言葉を続ける。
「おまえが隊員からすげぇ信頼されてんのが解った。他へ移りたいって言ったヤツの大半は、あたしが気に食わないこと以上に、騎士団の決定が気に入らなかったんだろうぜ」
「…どういう意味です…?」
「『おまえを隊長にしなかった』って上層部に腹立ててたんだよ」
「まさか!…そんな、ことは…」
「あると思うぜ。あたしは今日おまえの太刀筋みて間違いねぇなって思った。なんだ、ほんとに気付いて無かったのか?」
「……」
「おまえは信頼できる男だよ」
言って笑ったノーマン隊長は、今日の報告をする幼子のようにあどけない。思わぬ賛辞が面映く、良い歳をして頬に熱が集まっているのが解った。
「なぁピエール」
カチャリ、とカップを置いたノーマン隊長は、先程と打って変わって何やら思い詰めたように静かに私の名を呼んだ。
「おまえ、ジャック・ユノーを知ってるか?」
私は即座に首を縦に振った。知らぬはずがない。ジャック・ユノーは優秀な傭遊士で、二つ名こそ無いものの赤斧の戦乙女の相棒として有名な男だ。
しかし、彼はつい最近不慮の事故で亡くなったはずだ。浮浪児から傭遊士として伸し上がり、赤斧の戦乙女と共に様々な功績を残したジャック・ユノーの死は中上流階級の間でさえ話題になった。
それと並行して真しやかに囁かれたのは、ジャック・ユノーには病弱な妻がいて、残された彼の妻は相棒から生活援助を受けているという噂。
珍しい男女のコンビに以前から赤斧の戦乙女とジャック・ユノーは恋仲だろうと言われていた。そんな中囁かれたそのジャック・ユノーの妻への援助という噂は、篤い友情のなせる業だとか、禁断の恋物語的な不倫説と共に下流階級の間で大変な感心を寄せていたはずだ。
「彼については詳しくはありませんが、不幸な事故で亡くなられたと…心からお悔やみ――」
「…事故じゃねぇ。それはあたしがわざと流した噂だ」
「え?」
「ジャックは狙われたんだ」
「!?」
息を呑んだ。
ジャック・ユノーと赤斧の戦乙女のペアは向うところ敵なしと言われる豪傑だ。そりゃあ恨みを買うこともあるだろうが、それでも凶刃を向けようとは早々思うまい。それでも狙われた。そしてその上で死んだと噂を流した。それも相棒が、だ。
「あいつはまだ生きてる。たぶん、な」
「どういう意味です?」
「……」
どうやら、今は教えてもらえないらしい。ノーマン隊長は夜明けを思わせる瞳でただまっすぐ私を見た。
「なぁピエール。自由が売りの傭遊士だったあたしが、なんでこんなクソ面倒くせぇとこに来たと思う?」
勅命だったからでは?と言いさして、彼女がそんなものに素直に従う玉ではないことを思い出す。仮に勅命を無視し国外追放となっても、傭遊士の資格制度を導入している国に限れば、傭遊士に国境などないも同然だ。
それに、ジャック・ユノーの事故死がノーマン隊長の流言なら、遺族援助の噂も彼女が流したのかもしれない。加えてジャック・ユノーに回復の可能性があるなら、遺族援助の為に傭遊士よりは安全で長期的に安定した収入が保証される騎士になった、というのは理由にならないように思われた。
「――まさか…」
いきついたひとつの理由。思わず声を出してしまった。それを待っていたとばかりにノーマン隊長は笑む。それはそれは――凶悪に。
「気付いてくれて嬉しいぜ。ピエール」
「!」
「そうだ。あたしの目的は仇討ちだ。ジャック・ユノーを殺そうとしたヤツは王宮にいる」
明言された内容に、ノーマン隊長の憎悪に、私の背筋は凍った。そして、私は反射的に耳を塞いだ。
「もぉ遅ぇよ。この話…聞いたからには逃さねぇ」
ノーマン隊長はゆっくりと私に近づき、私を壁際に追い込んで行く。ついに後退出来なくなった私の手を取り、私の耳を解放し、彼女は唇を近づけた。
美女にこんなことをされるなら、男は誰しも喜ぶに違いない。しかし、目の前の美女の正体は野獣。いや、いっそ悪魔だ。身の毛がよだつほど美しく、凶悪な笑みを浮かべる美女を前に、誰が喜んでなどおれるものか。私を支配しているのは逃走本能。しかし逃げ出す為の足は恐怖に絡めとられて動くことはない。
美女の皮を被った野獣は塞ぐことの出来ない私の耳に、無理矢理声をねじ込んだ。
「てめぇにはがっつり協力してもらう。――信頼してるぜ?ピエール・ジャックス」
――嗚呼、神よ…!
嘆く私を慰めるように、きゅるりと小さく胃が泣いた。
せっかくの妻の胃痛薬も、まるで役に立たなさそうだ。