2:野獣が平隊員と衝突しました。仲良くしろよ。
今日も気を引き締めて隊舎に出勤する。妻が作ってくれた革の鞄には妻お手製の胃痛薬もある。あの自由人に振り回されてばかりではいられない。執務室に入り、隣接している小さな更衣室代わりの荷物部屋で訓練服に着替える。鏡で身なりを確認して、パンッと顔を叩いて気合いを入れ、執務室を抜けて走り込みに行こうと扉を開けると同時、私は悲鳴を上げた。
「きゃぁああーッ!!」
そこには、あられもない格好で平然としているノーマン隊長がいた。
「よぉ。早ぇなピエール」
「あ、はい。おはようございます。じゃなくてーッ!なんて格好をしてるんですかぁッ!!」
私は慌てて今出たばかりの扉にくるりと体を向けて、両手で顔を覆った。おそらく、ノーマン隊長は私と同じく私服から騎士訓練服に着替えようとしていたのだと思う。決して痴女ではないはずだ。今日まで鉢合わせなかったのはただの偶然だろう。うっかり荷物部屋が更衣室代わりだと伝え忘れていたことを思い出した。
「騎士様ってなぁバカみてぇに紳士だな。てめぇも男ならかぶりついて見てりゃいいのによ。それともこんな痩せっぽちじゃ勃たねぇか?」
「自重して下さいッ!!」
「ジチョー?」
「慎みを持てって言ってんですよ!」
思わず叫べばケラケラと笑いながら、もういいぞと声がかかった。そろりと振り返れば、私と同じ訓練用の訓練服に身を包んだノーマン隊長がいる。ああ…顔が熱い。
それにしても、と私は彼女を見遣る。悔しいが、はやり美女だ。頭は小さく、体はすらりと細い。半袖シャツに長袖ジャケット、ごわごわの綿のズボンに泥だらけのブーツ。なんとも色気のない格好だ。なのに、細く長い首や腰つきは少し…いや、結構そわっとさせられる。先程の下着姿も脳裏によぎり、私もやはり男だと複雑な気分になった。……うん…ごちそうさまでした。
ただ、安易に近づく気にはなれない。ノーマン隊長の隙のない佇まいも勿論だが、一番の要因は右腕にびっしりと彫られた刺青にある。初日に気付いた、傭遊士の最上級依頼達成者にのみ許される刺青・アダラ。
先程の一瞬で見えたノーマン隊長のその刺青は、なんと肩までびっしりと彫られていた。一回の成功で彫ることの出来るアダラは指2本分ほどの幅で腕一周分だけだというから、腕全体に入っているとなると達成した最上級依頼は十数件に昇るだろう。彼女に悪い気を起こして迂闊に近づこうものなら、血を見るのは男の方だ。
それでも、ノーマン隊長は刺青をひけらかすような人ではないらしい。アダラはあくまで権利であり、義務ではない。さりげなく隠し、さりげなく見せ、相手の力量を計れない馬鹿で未熟な連中への警告に使っているようだった。
ノーマン隊長に促され、一緒に隊舎回りを走り込む。自主訓練をするのかと少しばかり驚いた。さらに彼女は、私が唯一自慢出来る持久走に着いて来た。少しばかり荒い彼女の呼吸に私の矜持は守られたが、女性の身でこのペースに着いて来ているのだと思えば、優越感を感じたことが逆に恥ずかしかった。
これがちゃんと隊員にも伝われば、と思う。彼女が〝赤斧の戦乙女〟であることを知れば隊員だって多少は納得するだろう。しかし、それを伝えることは彼女自身によって止められている。今日までノーマン隊長を加えての訓練は行えていないから、誰も彼女のことを詳しく知らない。その機会もない。
昨日遅くに出された異動願いを前に、私は説得する材料を提示出来ないのだ。
――なんとか時間が欲しいな…
ノーマン隊長の書類仕事はあまりにも遅かった。サボっていたことを差し引いてもかなり時間がかかっている。3日後に各部隊の隊長との顔合わせがある。遠征に出ていた部隊が帰城するのだ。それまでになんとか隊員と少しでも打ち解ける機会を作りたいと思いながら、私たちは走り込みを終えた。
執務時間となって見習い騎士が持って来た書類を仕分ける。今日はやたらと封書が多い。何故だろう?不思議に思って封書の一枚を何気なくひっくり返す。差出人を確認して、私の胃が小さく悲鳴を上げた。まさか――
私は定期連絡の書面を後回しにし、引き出しからペーパーナイフを取り出して片っ端から封書を開け、――青褪めた。
ぎぎぎっと首を回してノーマン隊長を見る。机に両足を乗せつつも、ちゃんと書類に目を通していたらしい。呼びかければ集中を切ってしまい、それを理由に逃げ出されるかも知れないが、それでも呼びかけずにいられる内容ではなかった。
「…ノ…ノーマン隊長…」
「あーん?」
「……我が部隊の隊員から…異動申請が大量に出ています」
「移動?どこ行きたいんだよ?」
「どこって…大半の者が他の部隊ならどこでも、と…」
「ああ。そういうこと。ダメ」
即答。身も蓋もない。せめて驚いて欲しかった!なんでそんな事態に!?って興味も湧かないのかよこんちくしょう!誰か胃薬!
「…当然の処置だとは思いますが…書面だけで却下すれば反発は大きくなるかと…」
「ならどうしろってんだ?」
「面談とか…」
「めんどくせぇ」
デスヨネー。でもやってもらうしか…いや、その前に私が面談をするべきか。こちらに顔も向けず、書類とにらめっこしているノーマン隊長。私の頭の中はいろんなものがグルグルと回る。
異動届けを出しているのは貴族出身の隊員に限らず、計11名。第三部隊総員の実に3分の1だ。この数日で出されるには多過ぎる。
実力の解らない傭遊士。初日以来顔を見せない上司。本当に戦えるのかと不安になるような華奢な美女。ただでさえ困惑する条件が並ぶ中、たった3日で仕事をサボる不真面目っぷり。
ああダメだ。フォロー出来る気が全然しない。
頭を抱えた私に気付いたらしい。ノーマン隊長が書類で紙飛行機を作り、私の頭目掛けて飛ばして来た。普通に呼べよコノヤロウ!書類は大事にしてよバカッ!
「おいピエール」
「…ナンデスカ」
「隊員全員集めて来い」
「は?」
「ちんたらひとりずつ面談なんかやってられっか。一気に片付けんぞ」
「え!?執務室に全員呼ぶんですか!?」
「はぁ?んなわけねぇだろうが。てめぇの頭は赤子の玩具か?訓練場に集めとけ」
言い終わらないうちにノーマン隊長は執務室を出て行ってしまった。
…もう泣いてもいいかな…
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「と、言う訳で、あたしが隊長なのが気に入らねぇヤツが多いみたいなんで、いっきに面接…面談?を、やることにした」
集まった隊員を目の前に、ノーマン隊長はふんぞり返って言い放った。隊員達が怒りを含んだ戸惑いでざわざわとしているのは、ノーマン隊長の斜に構えた態度もだが、彼女の足下に突き刺さっている幅広直刀にもあるようだ。
地に突き刺さっている幅広直刀はノーマン隊長の肩近くまでの大きさがある。刃も毀れて丸くなっているから、もはや別の武器のようだ。というか〝赤斧の戦乙女〟なのに、なぜ大戦斧を使わないのだろう。大戦斧を使えば皆ノーマン隊長の正体に気付くだろうに…
と、これから始まるだろう集団面談から目を逸らして、せっかく現実逃避していたのに、ノーマン隊長の声によって現実に引き戻された。
「まあ面談っつーよりどつき合いだな」
『はぁ!?』
なんとなくそんな気がしてたけどやっぱりか!声を上げ、一気に気色ばんだ隊員にいけしゃあしゃあと「お上品にお話合いなんざやってらんねぇだろ」とノーマン隊長は言い放った。
「あたしに一太刀入れられたら、異動を許可する。シンプルだろ?一気にかかって来ていいぞ。どうせ無理だろうけどな」
「ノーマン隊長!」
無駄に隊員を煽るなよ!誰が止めると思ってるんだ!涙目になりながら心の中で批難するも、私をみたノーマン隊長は大きな幅広直刀を肩に担ぎ――ニヤリと笑ってくれやがりました。
「ああ。なんならあたしに勝ったヤツに隊長の座をくれてやってもいいぞ。部外者がなれる程度の部隊長なんざ誰がなったって一緒だろ?」
ぶちん、と。聞こえない音がした。
「もう我慢ならん!〝傭遊士上がり〟の無礼者が!」
「栄誉ある騎士団部隊長の座を愚弄するか!」
「品のない〝傭遊士上がり〟め!その曲がった性根を叩き直してくれる!」
「おーおーおー。揃いも揃って悪口までお上品たぁ。さっすが騎士様だ」
「ス、量産品だと!?どこまで我らを愚弄する気か!?」
「誇りある騎士をなんだと思っている!」
「うっせぇうっせぇ。ぐだぐだ言ってねぇでかかって来いよ!遅漏すぎて眠っちまうぜクソ野郎共が!」
「――いい加減に!しなさぁーいッ!!」
私の大声に全員がピタリと止まる。すわ乱闘かと思われたが、私の声はなんとか彼らを押止めたようだ。ノーマン隊長のびっくり顔が意外にマヌケで胸がすく。…じゃなくて。
「誇りある国王陛下直轄騎士団の士たる者!いついかなるときも冷静に対応せよ!ノーマン隊長ももう少し言葉を選びなさい!みっともない!」
抜剣しかけていた隊員達がしぶしぶ柄から手を離す。ノーマン隊長も幅広直刀を降ろして何やら肩透かしをくらったような表情でぽりぽりと頬を掻いていた。私はひとつ溜め息を吐いた。
「…ノーマン隊長の実力を直に感じた方が諸君の気も収まるだろうから、集団面談を止める気はない。だが、いかに侮辱されようと、多勢に無勢など騎士の恥。ましてや挑発に乗れば相手の思うツボです。そうでしょう?ノーマン隊長」
「…あ?」
「傭遊士出身の貴女は、一対一の勝負より、一対多の方が得意なのではありませんか?」
「!」
ノーマン隊長の目が驚愕に見開かれた。さすがにあれだけあからさまに挑発したら何かしらの意図があるってバレると思うんだけどな…。だが、頭に血が上った隊員達は気付いてなかったようだ。困惑した表情を隠そうともせず、私に問いかける。
「ジャックス副隊長…それは、どういう…?」
「ちょっと考えれば解るだろう?傭遊士への依頼で最も多いものは異常発生した特別害獣の討伐だ」
「!」
「実力のある騎士を相手に一対一。負けることはなくとも、それを繰り返し勝ち続ける勝算はなかったから、無駄に煽って逆上させることで思考力を落とし、大勢で掛かって来させて特別害獣討伐と似たような状況を作りたかった。違いますか?」
「……」
「それならば、最初から集団戦になるよう采配します。彼らは貴女の部下であって敵ではありません。無駄に傷つけるような真似は控えてください。それは身体に限りません。自尊心もです」
「ッ……すまん…」
「!?」
浅く頭を下げ、殊勝な態度で謝罪するノーマン隊長。
機嫌を損なって憮然とするだろうとばかり思っていた私は、他の隊員達と共に唖然とした。途端に困惑が広がるが、ノーマン隊長は気が短いのかさっさとやろうと私たちを急かす。…いや、これは恥ずかしいのを誤摩化しているのか…?
早く早くと急かすノーマン隊長になにやら釈然としないながらも、ひとりずつ〝面談〟する時間が十分にないことも事実。私は異動願いを出した者を中心にした10名を訓練場の真ん中に移動させた。
「では、相手の武器を手から離す、行動不能にすることを勝利条件に集団戦闘を行う。耳から上の部位と局部への攻撃は厳禁。開始はコインが落ちた瞬間を合図とする」
私の宣言と同時に全員が武器を構え、緊張を走らせた。キィンと甲高い音と共にコインが宙に舞い、地に落ちて再び音を鳴らす。
と、同時にノーマン隊長が消えた。
次に視界に彼女を捕らえた時には、隊員のひとりが首を打たれて倒れ込んでいた。驚愕に目を見開いているうちにもうひとり。ようやく、ことの異常さに気付いて隊員が身構えるも、彼女の姿を追うのがやっと。気付いた時には首や鳩尾を幅広直刀で打たれ、または足を払われ倒れていく。瞬く間に4人が倒れた。
さすがに鍛えられた騎士を相手に不意打ち紛いの攻撃がいつまでも通用するわけではない。カンカンッと模擬剣の打ち合う音が増えて行く。そうすると、ノーマン隊長の動きは無駄が多いことが解って来た。
振りかぶりが大きく、ちょっとした隙が生じている。特別必要のない場面で宙返りや滑り込みを入れていて、隊員を翻弄する為とはいえ必要不可欠とは言い難い。
しかし、それを補って余りあるスピード。こうして観戦しているからこそ悠長に分析など出来ているが、あの場に立ったとしたらその体感速度は恐らくツバメを追うのと等しいだろう。事実、ノーマン隊長と闘りあっている隊員は攻撃を防ぎ、追いかけるのが精一杯で攻勢にはなかなか転じられずにいる。彼女を追うことに必死になりすぎ、翻弄された隊員同士がぶつかり2名が自滅した。一対多が得意といったのも頷ける。
だが、何よりも目を引くのは――
「…笑ってやがる…」
誰かの呟きが妙に響いた。声の主を盗み見れば顔を引き攣らせている。見学の隊員のことごとくが似たような顔をしていた。私も改めてノーマン隊長を見る。あれはなんというか……
――野獣だな…
訓練場を縦横無尽にかけまわり、空中すら支配して攻撃し続ける野獣。その目は爛々と輝き、形の良い唇は戦闘の愉悦で月の形に歪んでいる。あんなに楽しそうに凶悪に笑いながら戦う者など見たことがない。荒々しく、思うままに体を操ることを楽しんでいる。あれはまさに野の獣。獲物とじゃれて遊んでいるのだ。
そうこうしているうちに、勝敗は決した。倒れ呻く隊員達のど真ん中で、ノーマン隊長は肩で荒い息をしながら満面の笑みを浮かべて見せた。
「さぁ、次ッ!」