1:野獣、じゃなくて新隊長がやってきました。美女です。
その日、私は執務室の掃除をしていた。
本日付けで新しい隊長がいらっしゃる。騎士団第三部隊の前隊長は年齢を理由に騎士団を退役された。密かに繰り上がりで私が隊長に任命されはすまいかと恐々としていたので、新隊長就任予定の知らせを受けたときはほっと胸を撫で下ろしたものだ。あのような大人の皮を被った問題児…ではなくて、個性の強い隊長方々と渡り合えるわけがない。
まだ訓練場で自主鍛錬を行っている騎士もいるだろう時間帯。普段なら私も騎士隊舎の周りで走り込みをしているのだが、今日は新隊長をお迎えするとあって執務室の掃除に勤しんでいる。これも平時なら見習い騎士や新人騎士の仕事として割り振られているのだが、今日ばかりは私が、と交代を申し出たのだ。
隊長の机を拭きながら、ふと窓に目が行った。隊長の執務机の後ろには大きな飾り窓がある。そこからは初夏の鮮やかな日差しが燦々と差し込んでいて、気持ちが良い。執務室の新しい主人を迎えるにふさわしい日だ。
一体どんな方だろうか。騎士団長からは当日の楽しみに取っておけと、新隊長の詳細は伏せられていた。そんなおちゃめはいりません騎士団長。きちんと情報が欲しかったです。
部下想いの優秀な方であって欲しいというのは、隊員と隊長に挟まれ胃痛薬を手放せなくなった私の素直な願望だ。窓の外を見ながら物思いに耽っていると、コンコンと扉が叩かれた。まさかこんな時間に来訪者があるとは予想していなかったため、私は慌てて雑巾をバケツに放り込んで自分の机の下に隠し、扉を開けた。そして私は目を見開く。
そこにいたのは美女だった。
美女、といっても社交界で見掛ける麗しいご令嬢方々とは全く方向性の違う美女だ。良く日に焼けた褐色の肌に、灰色とも水色ともとれる不思議な光沢の白っぽい髪。しかもその髪は驚くほど短い。囚人のように丸く剃り上げた後、1ヶ月か2ヶ月伸ばしたようなと言えばいいだろうか。そして紺に所々オレンジの混じった、夜明けの空のような瞳はきりりと吊り上がった綺麗な二重の眼に小さく収まって、ぎろりと私を睨んでいた。
思わずひぃと声が出かけた。危ない。形の良い高い鼻とほどよく厚い唇、細い顎、と整った造形が一層その睨みの迫力を煽っているのだ。ふくよかで柔らかい面差しの妻くらいしか女性との親しい接触のない私では、これほどの迫力美人に免疫はない。よく堪えた私。えらい。
予想だにしない人物との邂逅に固まっていた私に、その美女は凛とした声で尋ねた。
「…第三部隊の部屋ってなぁここか?」
まるで女性として扱われることを拒絶するような男性口調。さらに言われた内容を理解して、私はもう一段、眼を見開いた。この美女が新隊長なのだと察し、慌てて敬礼で肯定を返す。本当は第三部隊の〝隊長と副隊長の執務室〟だが、細かいことはいいだろう。半歩脇に寄って美女を部屋に招き入れた時には、心臓が変な鼓動を打っていた。
誓って言うが、色っぽい意味ではない。私は妻ひとすじだ。緊張と少しの混乱と大いなる不安でしっちゃかめっちゃかな鼓動だ。落ち着つけ私。ひっひっふーだ。
「騎士団第三部隊、新隊長殿とお見受け致します。小官は同部隊副隊長のピエール・ジャックスであります」
「…カレン・ノーマンだ」
改めて右拳を胸に当てる騎士の敬礼で名乗った私に、名乗り返した美女は新隊長だということを否定せず右手を差し出した。
慌てて握手をし返し――私は硬直した。
生成りの麻の袖口から見えた彼女の手首の細さに驚いた訳ではない。その手首に、びっしりと彫られた刺青のせいだ。
「…刺青は、傭遊士の…」
呟いた私に彼女の柳眉がぴくりと跳ねる。だが、美しい褐色の肌に白一色で彫られた複雑な模様の刺青に釘付けだった私がそれに気付くことはなかった。
彼女のこの刺青は傭遊士が最上級依頼を達成しないと彫ることを許されない代物だ。傭遊士については後ほどご説明するとして、最上級依頼を受けるには、最低でも中堅の騎士5人を同時に相手にして〝無傷で戦闘不能に出来る〟実力が必要だ。それでも依頼達成には五分五分と言えばその難易度がご理解頂けようか。そうして私は目の前の美女が何者かを知る。
「〝赤斧の戦乙女〟殿であらせられましたか…」
「…カレン・ノーマンだ、つっただろうが」
あからさまに顔を顰め、彼女はぺいっと私の手を離した。どうやら世に通じる二つ名はお嫌いのようだ。二度と言わないでおこう。怖い。
ぷいっと私から離れて執務室をきょろきょろと見回した。その様子を眺めながら、私は心の中で滂沱の涙を流す。
新隊長は傭遊士出身。しかも〝赤斧の戦乙女〟とは――
問題が起こる臭いしかしない人事を目の前に、私が胃痛から解放されることは、どうやら当分なさそうだと私はさめざめと泣くのだった。
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初日の憂いはどこへやら意外にも順調な新隊長の仕事ぶり。しかしてそれは3日と保たなかった。なりを潜めていた胃痛がぶり返したことに気付かないようにしながら、4日目の今日は丸一日ノーマン隊長を捜すことに費やした。夕方になって、木の上で寝ていたノーマン隊長をようやく捕まえ、どうして執務を放り出したのかと問いただせば、ぷいと顔をそらして一言。
「飽きた」
飽きるなッ!!
と、言わずに飲み込んだ私は立派だと褒めたい。初日に隊員と初顔合わせをしてから、ろくに訓練にも出られないほど書類仕事が積み上がっていた。変にへそを曲げて完全に放棄されてしまうくらいなら胃痛を我慢した方がまだマシだ。
今日までのノーマン隊長の仕事と言えば、今までの第三部隊の実績や経費報告に予算状況、王都巡回警備の経路と各所留意点の把握やら毎日の訓練内容とその成果報告などなどなど、ひたすら書面とにらめっこし、私の話をただただ聞いていなければならなかった。
今まで肉体労働だけに従事してきただろうノーマン隊長には少々辛い内容だったかも知れない。特別害獣の討伐作戦を考えるようなものだったらまだ我慢もできただろう。しかし、先のことを考えればどうしたって必要なことだ。隊長として今後隊の指揮を執るのに重要な事ばかりだ。放り出してもらっては困るのだ。
ノーマン隊長へのお小言を頭の中で繰り返しながら、ふと、初日の顔合わせで隊員達が戸惑った様子だったことを思い出す。
ただでさえ前例のない騎士団部外者の隊長就任、しかも騎士団史上でも極めて稀な女性隊長。前もって知らされることすらなかったのだから隊員の戸惑いは当然だ。さらにノーマン隊長の厳命で傭遊士であることは言っても〝赤斧の戦乙女〟であることは伏せるように言われていた。だからこそ、隊員は部外者がいきなり隊長に就任したようにしか思えず、尚のこと納得出来なかったようだ。
なのに、今日私が隊舎を走り回ってノーマン隊長を捜してしまったために〝仕事をサボる新隊長〟という噂があっという間に広がってしまった。あああああッ私のバカッ!!
なんとか捕まえたノーマン隊長を宥め賺して執務机に縛り付け――もちろん比喩だ。まだ本物のロープは使ってない――どうしても今日中に目を通しておいてもらわないといけない書類を押し付けて、私は今ようやく夕方の休憩を取っている。
談話室の長椅子で香り高いアールグレイのミルクティーを飲みながら、ふと目に入った本を手に取ってパラパラとめくる。
本の中に求めた項目を見つけて、私はひとつ溜め息を吐いた。
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【傭遊士:バッカス】
所定の資格を有し、主に依頼斡旋所にて依頼を受けて賃金を得る者を指す。
古くは国や領、または個人と雇用契約を結んで戦争や特別害獣討伐、護衛などを行う傭兵と、学術機関からの依頼や個人的探究心などから未開の地を探索する冒険家とに明確に区分されていた。
星歴860年代からこの境が曖昧となり、かつ傭兵・冒険家の低年齢化による死傷者の増加が問題視され、各国で資格制度の導入が始まる。我が国においては星歴887年に資格制度が導入され、現行の形となる。傭遊士の資格取得の主な条件は以下の通りである。
・満18歳である(上限なし・性別不問)
・特別体力測定において規定の水準を満たしている
・傭遊士資格保有者または関連機関からの推薦状の提出
・資格を申請する国の国籍を有し同国公用語での会話及び識字が可能である
(但し我が国においては永住権をもち、ヴァルファチャータ公用語検定3級を取得していればこの限りではない)
―ヴァルファチャータ王国労働省編纂
世界職業白書 星歴925年版
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なんでこんな本が談話室にあるのかという疑問はさておき、読めば読むほど当たり障りのない、実に表面的な内容にキリキリと胃が軋む気がした。ああ、せっかく今日は紅茶のスコーンにクロテッドクリームと私の好物が隊舎食堂の軽食メニューに並んでいたのに…
私はそっと胃を抑えながら、傭遊士について考える。
はっきり言って、傭遊士は手放しで歓迎される職業ではない。職業白書にはいかにもきちんとした職業のように項目があるが、世間での評価はまっぷたつだ。
出自に関係なく己の実力のみで伸し上がり、それなりの財を築くことも不可能ではない傭遊士は、農民や町人、職人といったいわゆる下流階級からは人気がある。事実、下流階級の騎士志望の次に志願者が多いのは傭遊士だと言われている。
しかし傭遊士には、ろくな教育を受けていない――資格取得条件の識字については実のところ国籍さえあれば名前が書ければ十分だ――ならず者が多いのも事実であるため、階級に関係なく嫌う者は少なくない。特に、中産階級や資本家階級以上の血筋を重視する中上流階級は傭遊士を〝根無し労働者〟として蔑視する傾向がある。
これを踏まえて騎士団の半数以上が貴族出身であるをお伝えすれば、ノーマン隊長が隊員からどんな目を向けられているのかお察し頂けるだろう。
私は本を閉じてもう一度溜め息をつき、騎士制服の胸ポケットから一通の封書を取り出した。差出人は我が第三部隊の隊員だ。なんとなく、内容に見当はついている。このまま見なかったことにしたいなぁ…と、思いながら、私は封を切った。
開いた書面は予想通り、異動願いだった。