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第8章

 楊は考えていた。

 あの白い龍・・・最後のキャノン砲の攻撃で尾が切れ、傷つき、青い血を流しながら、宙に消えていった。

 おそらく我々の兵器は有効だと思っていい。倒せる可能性はゼロではない。だがあの二匹の緑の龍はどうだ・・・同じようにキャノンは有効なのだろうか?

 合羽を打つ雨が強く、痛くも感じる。楊は白い龍に倒された装甲車を眺めていた。遠くから水を跳ねる足音が聞こえる。そしてその足音は楊の側で止まった。

「楊准将、屋敷の制圧を完了しました。それと我々と内通している屋敷の中の使用人と連絡が付きました。屋敷内は使用人と凛の君の側近が何人かいるだけのようです」

 若い兵士は報告を続けた。

「高校生らしき男女二人が居たようですが、凛の君の側近一人と既に地下通路を使って外に出たとのことです」

 その報告は半中尉という人間からされていた。この男は部隊の中でも際立って優秀だった。実際、士官学校出ていないにも関わらず、二十台前半の若さにして中尉となっている。

「地下通路?」

「噂で聞いたらしく、詳しくは分からないとのことでした。但し時差は大きいようです」

「凛の君は?」

「凛の君に関しての情報はありません。彼らは凛の君と接することを許されていませんので。ですが、側近が三名程見当たらないとのことです」

 楊は考え込んだ。

 その逃げたという女子高校生は凛の君の妹の可能性が高い。ここでの拘束はもう無理ということか。

 彼らはおそらく市内からの脱出を図るはずだ。車での脱出は市境の各道路での検問で捕まえられる。他の考えられる脱出経路は徒歩での山越えだが、この雨と凛の君の妹が怪我人であることを考えるとありえない。一時的にどこかに隠れると考えた方が妥当か。

「半中尉、各検問に凛の君の側近たちの情報とその二人の高校生の情報を供給するんだ。おそらく女子の方は劉前加奈子、男子は四条電機の高校生スキーヤーの大木だろう」

「楊准将」

 その若い士官は少し得意げな顔になった。

「各検問には既に情報を供給しています」

「・・・そうか」

 楊は半の言葉に表情を柔らかくした。

 この若者はやるべきことをいつも先回りしている。さすがこの若さで中尉になっているだけはある。

 楊は自分の若い頃を思い出した。

「中央病院の張参謀に凛の君の側近達の自宅捜査を命じるんだ。凛の君の妹をかくまっている可能性がある」

「はっ」

 その若い黒の合羽姿の士官は敬礼をして去った。楊は前々からこの若者を伸ばしてやりたいと思っていた。

 いずれは大役を任せよう・・・。

 そう思った。そして楊は青年の後ろ姿を見送っている中、ふと気がついた。

 そうか・・・。

 もしあの病院で現れた緑の龍のような生き物が、大木とかいう高校生スキーヤー、もしくは凛の君の妹によるものであれば、もうこの場には現れることはない。

 この間にあの白い龍を倒し、凛の君を拘束すべきだろう・・・ただ、レポートにあった凛の君の洗脳能力が本当であった場合は、やっかいなことになる・・・。

 難しい・・拘束は諦めて凛の君を殺すべきなのか・・・。

 そう思った。

「いや、待て・・・そもそも凛の君の洗脳能力とあの白い龍は独立した関係なのか?」

 楊はそう呟いた。違うような気がした。両者は密接な関係がある。それは楊の直感だった。

「仮にあの白い龍が、凛の君の洗脳能力そのものであるのならば・・・あの龍は弱っている、彼女の洗脳能力は尽きかかっているのではないか・・・?」 

 楊は頷き、自分の直感を信じることにした。 

 まずは凛の君が今何処にいるかの情報が必要だ。そしてこの陽動の目的もだ・・・。

 今、李中佐が装甲車に拘束している十二氏会の幹部の人間を尋問している。もっと情報が必要だ。白い龍、緑の龍・・・分からないことが多い・・・。

 自らも尋問に加わることにした。

 雨の勢いが急に弱まった。楊准将はその変化で我に帰った。自分の考えに耽っていたのだ。周りの様子は全く見えていなかった。

 そして楊は暗闇の中、李中佐が尋問しているもう一台の装甲車へ早足に向かっていった。

 

  

「先の大戦中、先々代の凛の君はここに隠れ、憲兵の手から難を逃れたと聞いています」

 先頭に立つ側近の一人がそう言った。狭い空間のところどころに木材やトタンが転がっている。生活雑貨も乱雑に捨てられていた。

 洞窟の岩肌が揺れる懐中電灯の光に照らし出される。凛の君と三人の側近、そして杉浦は、上屋敷から地下に入り、この場に来た。

 暗く幅が狭く、長細く続く洞窟の中で、この場所は全くもって気の滅入る場所だと杉浦は思った。

「そんな話はどうでもいいわ」

 凛の君の口調は突き放すような言い方だった。機嫌が悪い、もしくは具合が悪い様子に見えた。

「早く先に進みなさい」

 そう言って、凛の君は唇を強く噛んだ。

 彼女の意識の中に楊准将と白い龍との戦闘状況が次から次へと入ってくる。その中で白い龍はもう駄目かもしれないと言ってきたのだ。

 凛の君は焦りを感じていた。

 白い龍の一匹を陽動として楊准将の攻撃に当たらせていたが、思った以上に龍の衰弱は激しい。一方で、凛の君には少しでも多くの時間を稼ぎたい気持ちがあった。

 もう一匹は凛の君の中に留まらせているが、既に相当に弱ってしまっている。次にこの白い龍を外に出せば、長くはもたいだろう・・・。

 彼らは凛の君が九歳のときから忠実に仕えていた。そして今、凛の君の無理によってその存在が消えてしまうことは、彼女に申し訳なさと悲しさを感じさせていた。

「ごめんなさい・・・」

 凛の君はそう誰にも聞こえない声で呟いた。

 次第に更に洞窟は狭くなってゆく。やがて屈んで人が一人、なんとか通れる大きさとなり、ついには行き止まりになった。そこは二十センチ径の石々で塞がれており、先頭の側近はその一つ一つを抱え、どかし始めた。

 彼は違和感を覚えていた。そして言った。

「この石の置き方・・・私が置いたものではありません・・・」

 凛の君は即座に反応した。

「どういうことなの?」

「分かりませんが・・・もしかしたら記憶違いかもしれません。ただ警戒はした方が良いとは思います」

 杉浦はそれを聞いて息を飲んだ。自分が緊張してきているのが分かる。

 ここから先は過去奈良時代から凛の君の祈祷所があったとされる場所だ。先だって側近たちが中の様子を確認している。そして凛の君の白い龍はこの場所に来ることを望んでいるのだ。

 何か嫌な予感がする。

 杉浦は不安の中そう思った。

 石は全て取り除かれ、そこから進める状況となった。先頭の側近は振り向き、凛の君の顔を見た。

「先に行くしかないわ」

 凛の君はそう返した。

 狭い洞窟がしばらく続いていたが、やがて暗く、黒い巨大な鍾乳洞に出た。そこは墓標のように立つ石筍と下を狙っているかのような天井の鍾乳石が無数に広がる空間だった。石筍群は天井の鍾乳石から滴る水滴で濡れ、揺れる懐中電灯の中でキラキラと光る。

 年長の側近が突然立ち止まった。違和感を持ち、懐中電灯で辺りを照らし出した。

「結界が切られているな・・・」

 首を傾げ、そう言った。

「何者かが、この場所に入った形跡があります・・・」

「どういうことなの・・・?」

 凛の君からの質問に対して、年長の側近は答えた。

「分かりませんが・・・ただこの場所は限られた人間しか知りません。私たち側近で知っている人間はここにいる三人だけですし、十二氏会でも三位以上の人間だけのはずです。当然、民族保存会の人間は誰も知りません」

 その答えに凛の君は不安を感じた。

「・・・十二氏会のメンバーの仕業だと言うの?」

「分かりませんが・・・彼らが裏切った可能性が高いと思っています」

「いや、ちょっと待ってください」

 杉浦は即座に反応した。

「十二氏会三位以上・・確かに今や連絡もとれません。ですが、我々は祖先から数えて、千年もの間、凛の君にお仕えしています。裏切ることは絶対にありえません」

「・・・」

 その年長の側近はその意見に賛成出来なかった。杉浦の言っている内容に説得力は感じられない。旧貴族らしい言い草だと思った。

 そして口を開いた。

「ではだれが?・・・他にこの場所を知っている人間は居ないのですよ。大体、凛の君を支えるはずの人間が、何故あなただけしかいないのです?」

 杉浦は答えに詰まった。

「分からないが・・・他のメンバーは楊准将や民族保存会の連中に捕まっていると思っている。だが、十二氏会の誇りに賭けて、情報は漏らさないはずだ。そう確信している」

 杉浦は他の十二氏会のメンバーに比べ、先進的な方であったが、十二氏会という旧貴族の家の出であるというこだわりからは抜け出せないでいた。年長の側近は杉浦を横目で見ながら鼻で笑った。

「いずれにせよ、すぐに祈祷所を確認しましょう。進入した人間の目的はそれだと考えられますので」

 そう言うと彼は早足に更に奥へと進んでいった。懐中電灯の光が暗闇で揺れる。杉浦もその後を追った。

 二人の会話を黙って聞いていた凛の君はその場を動かず、残りの二人の側近と共に彼らを見送った。

 この場に進入し、結界を破ったのはいったい誰なのか? 楊准将? もしくは表向きは従っているものの、楊准将に敵対意識を持つ民族保存会の人間か? そもそも情報はどこから漏れたのか?

 神の扉を開くことを知っている人間・・・疑うのは簡単だが、断定はできない。

 そして目を閉じ、楊准将と戦っている龍の様子を伺った。

 息が上がって弱っている。じきに防御すら出来なくなってしまうだろう。

 そう思った。そしてすぐに決断した。

「ありがとう・・・戻りなさい」

 そう言って、凛の君は白い龍を撤収させた。凛の君の周りが白い光で覆われる。そして白い龍のような生き物が突然、鍾乳洞の中に現れ、音を立てて倒れた。息が弱々しい。

 その様子は鍾乳洞内を登る杉浦にも見えた。その白い巨大な生き物は、とても現実のものには思えなかった。底知れぬ恐怖の対象にも見える。白い龍は小さく首をもたげた。そして白い光を放ったかと思うと、凛の君に潜り込むように消えていった。

「すごいな・・・」

 杉浦は呟くように言った。

 凛の君を覆っていた白い光はゆっくり光を失い、やがて洞窟に暗闇が戻る。

 だが、前にいる年長の側近は、その光にも、杉浦の言葉にも反応することなく、歩き続け、やがて立ち止まった。彼は懐中電灯で辺りを探し始め、杉浦は黙って後ろでその様子を見ていた。

 そしてその側近は懐中電灯の光に現れたものに愕然とし、膝をついた。

「粉々に爆破されている・・・」

 それは暗く弱々しい声だった。ついさっきの杉浦と押し問答をしていた強気な様子はもうそこにはない。

「どうしたんです?」

 その尋常ではない様子を悟って、杉浦はそう聞いた。

「壊されているのです・・・祈祷所が・・・」

 その側近は落胆した声で言葉を続けた。

「石で作られた台座・・・そして神台、全てが爆破されたように粉々になっています。一昨日に問題ないことを確認していたのに・・・千年もの長い間受け継がれていたものが、なぜ私の番で・・・」

 杉浦は懐中電灯が照らされている先を見た。石筍とは異なる石材、花崗岩だろう、そのすべてが大小のかけらと化している。

「これではもう何も出来ない・・・」

 杉浦はそう呟き、凛の君の方を見た。

 その声が聞こえたのか、再び凛の君の周りが光り出した。竜巻のような風が凛の君を中心に吹く。そして一匹の白い龍が凛の君の周りをゆっくり回りながら現れた。

「さっきの龍とは違う・・・」

 その龍のような白い生き物は杉浦の方に向かってきた。杉浦は危険を感じ、とっさに身を屈めた。頭上から風の通り過ぎる音が聞こえる。

 杉浦が頭上を見ると、龍が宙を旋回していた。何かを探している様にも見える。

「今からの神の扉を開きます」

 その白い龍から凛の君の声が聞こえたような気がした。

「しかし、祈祷所はこなごなにされています。もう無理です!」

 年長の側近は叫ぶようにそう答えた。龍から聞こえる凛の君の声は言った。

「だが、やってみるしかないわ」

 その言葉を合図に龍は破壊され、粉々となった石の上をゆっくり回り始めた。

 凛の君は鍾乳洞を登り始め、杉浦や年長の側近のいる場所に向かった。全ては祈るような気持ちだった。扉を開くこと、龍の体がもつこと、龍が死なないこと・・・。

 凛の君は濡れて足場の悪い鍾乳洞を静かに登り続けた。

 

 

 凛の君は苛立ちを感じて始めていた。

 何も反応がない。

 祈祷所の台座が壊されたことが原因か? それともこの龍が鍵ではないのか?

 凛の君は龍が石の山の上で旋回する様子を見ながら、唇を強く噛んだ。焦りを感じていた。

 凛の君の龍が楊准将と接触してから、もう大分時間が経つ。感のいい楊准将であれば、既に陽動であることに気づいているだろう。それどころか、この場所までも探し当てているかもしれない。

 凛の君の汗が額からこぼれる。

 石の破片と化した台座の一部が僅かに白く光始めた。

「光が・・・」

 杉浦は唾を飲んだ。

 凛の君は祈るようにその様子を見つめていた。

 お願い・・・。

 凛の君は弱く光る場所に近づいた。その範囲は一メートル四方にも満たない。

 お願い・・・。

 凛の君は必死で心の中で祈り続ける。白い龍は旋回しながら、上を向き「おおおお」と鳴いた。

 とても聞いていられなかった。その声が苦痛に耐えかねての声に聞こえたのだ。悲しい声だ。その鳴き声を聞き、杉浦は言いようのない不安に襲われ、凛の君はその鳴き声を聞き、もう何もかも終わったのだと悟った。

 光は序々に失われてゆき、やがて光は完全に消えてしまった。

 千年前に開かれたとされる扉・・・。

 凛の君は膝を落とし、両手を地面についた。

「もう駄目だわ・・・もう神の扉を開くことなんて出来ない・・・」

 彼女はそう呟いた。

 龍の様子がおかしい。旋回することが苦しそうだった。徐々にスピードを失っているように見える。

「凛の君、龍の様子が変です」

「分かっているわ・・・」

 凛の君は弱々しく答えた。

 一人の側近が続けて言った。

「凛の君、もう大分時間が経っています。ここも危険となるでしょう・・・早くご避難をお願いします」

 凛の君は一旦頷いたが、すぐに首を振って認めたくないという表情を見せた。

 白い龍が失速する。地面に叩きつけられ回転し、幾つもの石筍をなぎ倒しながら倒れた。そしてもうそれきり動かない。

 凛の君は悲しさで押しつぶされそうになった。涙が頬をつたい流れる。彼女は首を何度も横に振った。

「嫌・・・ここで諦めたら、私の民はどうなってしまうの? 大陸に操られた独立運動はやがて日本との戦争になる。多くの人間が犠牲になるのよ!」

 凛の君はヒステリックに叫んだ。

「しかし、ここにいる凛の君の側近は私を含め、三人しかおりません。ここで楊准将が来たらとてもお守りすることはできません!」

 そう側近が答えた。

「お願いです。凛の君!」

 側近は焦った。

 遠くから風を切る音が聞こえる。

そして突然大きな破裂音が聞こえたかと思うと、まばゆいばかりに辺りが明るくなった。

 凛の君は唖然として、その明るくなった鍾乳洞の景色を見た。

「閃光弾です!」

 年長の側近が叫んだ。光がゆっくりと落ちてゆく。

「石筍の影に隠れるんだ!」

 杉浦はそう叫んで、凛の君の手を掴み、安全と思われる石筍の陰に隠れた。

「楊准将か・・・?」

 最悪の事態だ・・・ここに長く居過ぎた。

 杉浦はそう思った。 

「そこに凛の君はいるのか?」

 拡声器からの声だ。聞き覚えがある。楊准将だ。

「お前は誰だ!」

 杉浦は大声で怒鳴り返した。

「楊だ。大陸の楊だ」

 楊は言葉を続けた。

「そこに居るのは男四人の女性一人・・・凛の君閣下かな」

 くそっ、向こうにこちらの人数を把握されている・・・しかも拡声器の方向から察するに退路まで絶たれてしまった。

「くそっ」

 杉浦はそう言った。閃光弾の光が消えてゆく。杉浦は近くの石筍に隠れている年長の側近に言った。

「退路は他にないのか? 楊准将に退路を押さえられているぞ。これではこちらは不利だ」

「・・・残念ながら、他に退路はありません」

「・・・」

 杉浦は焦った。

 どうすればいい・・・どうすれば凛の君を守れるか・・・。

「武器のない我々になすすべはありますまい」

 年長の側近はそう呟いた。杉浦はその通りだと思った。そして言った。

「投降するしかない・・・凛の君は民の心のよりどころになっている。大陸側にとって凛の君の必要価値は高いはずだ。身の安全は保障されるだろう」

 そして言葉を付け加えた。

「但し我々の命は保障されないだろうけどな」

 そう言った杉浦は回りに居る三人の側近の顔を見た。すぐに三人の側近は頷いた。

「それがよいでしょう。我々の命なぞ、凛の君のためならすぐにでも投げ出せます」

 年長の側近はそう笑って答えた。

 この先、凛の君が大陸の傀儡となっても、凛の君が生きていることが重要だ。凛の君が生きていれさえすれば、いつかは・・・。

 杉浦はそう思った。

 だがそれを聞いていた凛の君は首を横に降った。

「それはならない」

 強い口調で言った。

 そして立ち上がりゆっくりと石筍の影から出た。杉浦と側近たちはその行動に驚いた。

 再び風を切る音が聞こえ、閃光弾で鍾乳洞内が明るく光る。

「我は凛の皇帝、凛の君だ。どうしてここに貴様ら大陸側の人間が居る?」

 威圧的な言い方だった。閃光弾の光を背にしたその姿は神々しいものがある。

 これが皇帝の威厳か・・・。

 楊は遠くに見える凛の君の姿を見てそう思った。黒く長い髪で鋭い眼差し、紫の大陸古来の服を着ている凛の君は、恐れ多い存在に思える。

「凛の君、あなたを拘束させて貰います」

 楊は臆さず大声でそう言った。その言葉を聞いて、凛の君は楊を睨みつけた。

「貴様ごときが私を捕らえることなどできない!」

「いや、従って頂きます」

 楊准将は語尾を強くし返した。

「十二氏会の方々は既に我々に拘束されている。その家族もだ。あなたが私の言うことを聞いて頂けない場合は、この人質達は順番に不幸になって貰うことになる」

「ふん、この場所を敵に教えるような臣下のために、何故、私が拘束されなければならない? それが脅しになると思うのか?」

 凛の君の表情が怒りに満ちていた。駆け引きだ。汗が額から流れる。

「人聞きが悪いですな、凛の君。彼らは良く頑張りましたよ」

 楊准将の隣でにやにや笑う若者が突然口を開いた。照明弾の明かりがなくなり、再び暗闇が戻ってくる。一瞬見ただけだが、杉浦にはその顔には見覚えがあった。その男は続けて言った。

「だが、家族を痛めつけると言ったら早かったですよ。念の為、家族を拘束しておいてよかったなあ。それで口を割りましたからね。あははは」

 あいつは民族保存会の人間だ。

 裏切り者が!

 おどける物言いに杉浦は怒りを覚えた。凛の君は叫んだ。

「リオン、出よ!」

 頭上に風が舞い、白く光る龍が現れた。息が荒い。その龍は「ぐおお」と唸るような鳴き声を出した。

「リオン、あの男、楊准将を殺して」

 その言葉を聞いて、白い龍はじっと凛の君を見た。

「お願い、もう少し頑張って」

 凛の君はそう小声で付け加えた。そしてその体をゆっくり優しく撫でた。

 


 そのとき大木は車の中で耐え難い、激しい頭痛に襲われていた。

 その頭痛の中で不鮮明な何かの風景が時折見えていたが、大木には何が見えているのか分からなかった。

 車の中で大木は痛みで頭を抱えた。すぐに加奈子はその異変に気づいた。

「大木君・・・」

 加奈子は大木の背に手を当てた。

「大丈夫・・・劉前さん・・・大丈夫」

 大木は苦しそうに答えた。息も途絶え途絶えになっている。運転をしている凛の君の側近は大木の様子の異変に気づき、ハザードを出して車を止めた。そこは市境の検問から五キロ手前の場所だった。

 とても大丈夫とは思えないな・・・。

 側近は振り返り、大木の様子を見てそう思った。そしてメールを打ち、それを送った。自己の判断だった。

「大木さん、この近くの私の知り合いに薬を持ってきてもらうようにお願いしました。すぐに届きます。もう少し我慢して下さい」

「・・・」

 大木には返事をする余裕がなかった。

「大木君、大木君」

 加奈子は、痛みに耐えかね、頭を抱え込んでいる大木を抱きしめた。大木はかすんだ声で加奈子に言った。

「ありがとう・・・」

「大木君、私はあなたが好き・・・」

 怪我をしていない左手で大木を強く抱きしめた。大木の弱った姿に不安を覚えたのだろう・・・大木はそれに応じ、激しい痛みの中でしっかりと頷いた。

 


 もう一度楊准将と闘ったら、リオンは死んでしまうかもしれない。屋敷の正門での戦闘で、もう充分に傷ついてしまっているというのに私はもう一度戦うことを強要している。

 今度こそ死んでしまうかもしれない。目の前に倒れているもう一匹の白い龍のように・・・。

 凛の君は自責の念を強く感じていた。

 私が愚かだったばっかりに彼らを死に追いやってしまっている。

 自分を責め続けていた。

 リオンと呼ばれた白い龍は宙を舞い、楊准将に狙いを定め、凄まじい勢いで迫った。体当たりをするつもりのようだ。楊准将はその様子に身の危険を感じ、大声で怒鳴った。

「ランチャーを撃て!」

 間に合うか・・・。

 焦りを感じた。後ろからドンという音が聞こえ、風を切る音が鳴り、弾丸が白い龍に当った。

「閃光弾をもう一度撃て! ランチャー、次の準備!」

 楊准将は怒鳴った。閃光弾が撃たれ明かりを放つ。白い煙が鍾乳洞を漂い、白い龍のような生き物は、無数の鍾乳洞の石筍をなぎ倒し、地面に叩きつけられていた。

 やはりそうだ・・・あの緑の龍とは全く強さが違う。これなら倒せる。

 楊はそう思った。

 白い龍から青い血のようなものが吹き出している。その痛みに耐えかねてか、龍は首を上げ、

「ぐおおお」

と鳴いた。その鳴き声は雷のように鍾乳洞内に響き渡る。白い龍は宙に昇った。楊の兵士の機関銃が彼の動きを追う。龍は速度を使ってそれから逃げた。そして楊准将頭上の鍾乳石に向い、その尾で鍾乳石を次から次へと地に落としていった。

 楊准将の兵士は慌ててそれから逃げたものの、搬入した武器の一部が鍾乳石に潰されていった。

「くそっ」

 楊准将は落下する鍾乳石を避けながら、そう叫んだ。

 白い龍のような生き物は、宙に浮いて楊を睨み、きびすを返しもう一度楊准将に向かった。息が荒く、速度が遅い。限界が近づいているようだった。

「ランチャー、撃て!」

 砲弾は「ドン」という音と共に発射され、真直ぐ龍に向かってゆく。直前で避けようと思ったのが裏目に出た。逃げ切れず、龍はその尾に砲弾を受けた。

 青い血が霧のように吹き出した。だが、龍は落ちず、ゆっくりと力のない様子で楊の方向に向かった。体当たりを諦めていない。

「止めて! リオン、逃げて!」

 凛の君はあらん限りの声で叫んだ。

 駄目だわ、もう駄目だわ・・・。

「撃て!」 

 楊の声と共にロケットランチャーが撃たれた。そしてそれは白い龍の正面に当った。同時に岩が砕ける音が聞こえ、洞窟内にその音が響き渡る。白い煙が立った。

 凛の君にはそれがスローモーションのように見えた。

 龍は・・・。

 暗くて良く見えない。

 閃光弾が撃たれた。

 その白い龍は地面に叩きつけられていた。石筍が倒され、龍は大量の青い血を流し続け、もう動かなくなってしまっている。

 それを見て凛の君は取り乱し、怒り、声を上げ泣いた。杉浦は凛の君の名を何度も呼んだが、全て無駄だった。

「死んだ・・・リオンが死んでしまった!」

 凛の君は叫び続けた。

 

 

 大木の頭痛は更に激しくなっていた。

「大木君、大木君」

 車の後部座席で苦しんでいる大木に加奈子は何度も呼びかけた。

「大丈夫だ・・・」

 大木は声を絞り出すように答えた。

 大木は車の突然ドアを開けた。そして大雨が降る中に転げるように車から出た。

 加奈子は驚いて、動揺し叫んだ。

「大木君! 大木君!」

 雨振る暗闇の中、加奈子の声が響き渡る。



「白い龍を倒したぞ!」

 鍾乳洞で楊准将の兵士から歓喜の声が挙がった。感極まって、お互いを叩き合っている兵士もいる。

 得体の知れない生き物を倒したんだ、当然か・・・。

 杉浦はそう思った。状況の悪さを感じていた。

「凛の君を捕らえろ!」

 楊准将は数人の兵士に命令を下した。それは周囲に響き渡る大きな声だった。

 無数の石筍が立っているため感覚を狂わされているが、凛の君との距離はおおよそ二十メートルくらいだろう。

 凛の君は逃げる仕草も見せず、楊准将の集団を静かに鋭く睨んでいた。三人の側近が凛の君の前に立った。杉浦は凛の君のすぐ隣に控えた。

「凛の君、ここは捕らえられてください。あなたは我々の希望です。お願いです。我々はどうなっても構いませんから」

 杉浦は凛の君に小声でそう言った。

「それは出来ないわ」

 強い口調だ。

「お願いです」

「・・・」

 杉浦は不安になって凛の君を見た。彼女は楊を睨み続けている。

 そして楊准将の兵士は、石筍を避け、銃を構えながらゆっくりと距離を縮めてきている。楊准将はその様子をじっと見ていた。

 これで凛の君の独立運動への妨害行動を抑えことができ、且つ凛の民の心の拠り所である凛の皇帝を我々のコントロール下におくことが出来る。独立運動を利用して日本を内戦化させる計画に失敗はもうない。この成果はどうだ!

 そして楊は北方に飛ばされ、過少評価されていた過去を思い出していた。

 自分は冷遇されるべき人間ではない! 冷遇した中央のあいつらめ・・・俺はどうだ!

 楊は達成感を得ていた。再び閃光弾で辺りが明るくなった。

「死になさい、楊准将!」

 声の方向に凛の君が拳銃を構えているのが見える。楊はとっさに身を屈めた。その瞬間に引き金は引かれた。弾は楊准将のすぐ脇の石筍に当たり、その破片は楊の顔に当たった。

「ちっ、生意気に武器を持っていたのか」

 楊は舌打ちをして石筍の影に隠れた。



 大木は車から道路に転げ落ち、暗闇の中、雨に打たれた。激しい頭痛に襲われながらも、大木はゆっくりと立ち上がった。

 二車線の道路は竹やぶに挟まれ、気味の悪い風景に感じる。街灯の明かりもなく、暗い空間だった。車のライトだけが唯一の光だ。

 大木は目を閉じた。

 そうか、呼ばれていたのか・・・凛の君の龍に。そしてその龍は死にかかっているのだ。凛の君が危ない・・・。

 大木は加奈子の顔を見た。

 劉前さん・・・。

 頭痛が収まってくる。大木は自分のやるべきことを決めた。

「ガゼル! スイーレ!」

 二つの名前が心に浮かび、大木はその名を叫んだ。

 その瞬間、大木の周りに風が起き、大木は緑の光に包まれた。その光は次第に強くなってゆく。そして二匹の緑色の龍が現れた。

 二匹の龍は、天を向き、ゆっくり身を宙に浮かせ、雨をはじき、車道脇の竹林の高さまで昇った。

「ぐおおお」

 龍が鳴く声が聞こえる。まるで狼の遠吠えのようだ。そして龍は大木を一旦見て、緑の光を放ち、あっという間に大木の視界から消えてしまった。

 大木は雨に打たれながら、じっと緑の龍の消えた方向を見つめていた。

 

 

 楊准将の兵士は銃を撃ち続ける凛の君に威嚇射撃を行った。だが、尚も凛の君は拳銃で楊准将の隠れる石筍を撃ち続ける。

「あの女!」

 一人の兵士が呟き、凛の君の肩に狙いをつけ、トリガーに指をかけた。だが、凛の君を狙った兵士はトリガーを引くことを躊躇っていた。その毅然とした美しい女性を撃つことができなかった。それは恐れ多いことに思えたのだ。

 突然、空気が張り詰めるような気がした。兵士は嫌な予感を感じた。

 そして背後で大きな爆発音が鳴った。

 岩が崩れ落ちる音が聞こえ、煙が漂う。その兵士も、楊准将も、音の方向に振り向いた。楊は懐中電灯の光りをその方向に当て、そして即座に何が起こったのかを理解した。

 それは爆破により鍾乳洞の入口が跡形もなく破壊された音だったのだ。しかも何人かの兵士がこの爆発に巻き込まれている。

「なんだ、どうなっているんだ・・・」

 楊は唖然として、そう呟いた。

 

 

 屋敷の門の外に待機していた楊准将の部下達は地下からの爆発による振動を感じた。

 キャノン砲を備えた装甲車や、周りの木々はそれに応じて大きく揺れ、雨の雫が大粒となって地上に落ちた。

 李中佐はそれを見て嫌な予感がした。

 相当な火薬の量だ・・・この爆発の大きさで准将達は無事で居られるのだろうか?

「地下の入口に待機している人間に状況を報告させろ」

 李は部下に命じた。

 楊准将らが地下に持っていった火薬が一斉に連爆したのではないか?

 そういう不安がよぎった。

 突然、機関銃の発砲音が聞こえた。

「な!」

 李は驚いて辺りを見渡した。

「敵襲です!」

 李の後方で叫び声がした。李はその声に応じて急いで振り向いた。そしてパンという音が鳴り、李は撃たれ、倒れた。

「な!」

 李は自分の胸から赤い血が吹き出るのを見た。近距離から心臓を打ち抜かれた。意識が急速になくなってゆく。

 この状況を信じたくなかった。

 くそっ、こんなところで俺は死ぬのか・・・。

 薄れゆく意識の中でそう思った。

 やがて李の世界は無になり、それきり彼は動くことはかなった。

 突然の死だった。

「お前! 何やってるんだ!」

 李の部下である下士官の人間は銃を抜き、李を打った人間に狙いを付け、怒鳴りつけた。李を撃った人間は深くかぶった黒い雨合羽の下でにやりと笑った。

 また銃声がした。その音と共にその下士官は胸から血が吹き出し、彼は倒れた。門近くの林の方向からの銃弾だ。

「囲まれているぞ!」

 誰かの叫び声がした。指揮官がいない状態の十数人の兵は慌て、統率もなく、屋敷の敷地内に逃げ込んだ。そして未確認の集団との銃撃戦が始まった。

「いったいどうなっているんだ!」

 そう叫んだ男は、足に激しい痛みを感じ、その場に倒れた。屋敷の玄関側からの狙撃だ。

 挟まれている! もう駄目だ!

 多くの楊の部下たちはそう思った。実際、敷地の外と屋敷の玄関の間に死角は殆どなく、あっという間に半数の人間が負傷し倒れた。いや、それ以上の人間が倒れているかも知れない。銃弾で倒れた人間が雨に濡れた暗い地面に延々と続いている。

 そして屋敷側から狙撃を行っていた集団の一人が無線で報告を行った。

「玄関側はもうすぐ制圧完了です」

 それは喜びに満ちた声だった。

  

 

「被害の状況を確認しろ」

 楊准将は苛立ちを隠さず、大声で命令を下した。数人の兵士が確認作業に入ったが、そこには目を背きたくなる光景が広がっていた。十数人の兵士が岩に押しつぶされ、既に息がない。その中には楊が将来を期待していた半中尉もいた。

「くそっ」

 大勢の部下が犠牲になったことに怒りを感じていた。

 いったい誰の仕業なのだ・・・。

 凛の君なのか? 入口を閉鎖し我々を足止めする気だったのか? だが向こうも動揺している様子だ。では誰が・・・?

 凛の君も入口の爆破に違和感を持っていた。

 目的が分からない。そして楊准将の作戦とは全く思えなかった。楊の確認を求める怒鳴り声がそれを裏付けている。

 凛の君は懐中電灯の明かりを頼りに、自分の白い龍が倒れている所に歩いた。初めに倒れた龍はもう息がない。楊と闘ったもう一匹の龍は微かに息があるものの、昏睡状態のように見えた。

 凛の君は拳を握り、唇を噛んだ。

 何もかも上手くいっていない。なのに私はこの二匹の龍を犠牲にしてしまった・・・自分の能力不足が招いた結果だわ。

 悔やんでいた。涙が自然とこぼれる。悔やみきれないと思っていた。

 凛の君は再び唇を噛んだ。強く、強く噛んだ。そして少しの間考えた。やはり答えは一つしかない。

 私はまだあきらめない。

 そう思った。そして振り返り、焦り、怒鳴り散らす楊を見た。



 緑の二匹の龍は白い龍の声に呼ばれた気がしたのだ。それは凛宗の総本山の方向からだった。

 内容は分からない。彼らからは途絶え途絶えの意識しか認識できない。

 大粒の雨が降る中、龍たちは緑色の光を放ちながら総本山の方角に飛ぶ。目的の場所が近づくにつれ、彼らはその角度を徐々に地上に落としていった。速度は重力加速度に従い、速くなる。

 だが・・・。

 龍たちは、突然激しく何かに衝突した感覚を覚えた。

 凛の君がいると感じられるエリアに進入できない。見えない壁としか言いようのないものがある・・・。

 二匹の緑の龍はそう思った。

「見えない壁っていったい・・・」

 龍の意識は大木と共有されていた。大木はそう呟いた。

 二匹の緑の龍は何度かその壁を突破しようと試みたが、それが達成されることはなかった。その壁は強い結界ではないかと龍たちは思い始めていた。

 大木の二匹の龍は辺りを凝視した。

 そして緑の龍は屋敷の玄関手前で男が倒れているの見つけた。明かりは玄関ものだけで見えにくかったが、男は腹部から出血しているのが分かる。

 銃弾にやられたのか・・・? 

 そして龍は複数の血の匂いを感じていた。

 多く人間が倒れている。自動小銃の音も聞こえる・・・戦闘が行われている様子だ。

 大木は龍の目を通して同じ風景を見ていた。彼は目を背けたかった。人が血を出して倒れているという事実が、高校生の大木には衝撃だったのだ。同時にこの惨い風景を巻き起こした何かに、強い怒りを感じていた。

 そして更に大木は仰向けで倒れ、頭と腹部から血を流している男を見た。まだ息はしている様子だったが、虫の息だ。苦しそうに手を腹部に当てていたが、何の気休めにもなっていないだろう。

 大木はその男を哀れに感じた。

 いったいここで何が起こったと言うんだ・・・。

 暗闇で顔はよく見えない。だが、何処かで見た顔のような気がしてきた。

「まさか・・・」

 よく見えないが確かに見覚えがある。いやそれどころか、よく知った人間だ。

 大木はその事実に動揺し、そして言葉を失った。

 その瞬間、頬に幾筋の雨のしずくが流れ、大木は今自分がいる場所が暗闇の雨の中であることを思い出した。

  

 

 楊は鍾乳洞の暗闇の中、崩れた岩々を一つ一つ懐中電灯で当てていた。

 大きな岩が多く、とても人の手でどかせることは出来ないだろう。自力での脱出は無理と言っていい。そしてその大きな岩の下には自分の部下が何人も居るのだ・・・。

「くそっ、誰なんだ! 何が目的でこんなまねを!」 

 楊の怒りに満ちた声が鍾乳洞に響き渡る。

 それに自分たちが救出されるとして、どれくらいの時間が掛かるのか・・・おそらく一日や二日の話ではない。時間が掛かれば、我々全員が生命の危機を迎える可能性だってある。しかもこの状態では外に指揮を出すことは不可能だ。

「これで独立運動は失敗に終わる! 全て水の泡だ!」

 楊は怒りと苛立ちで我を忘れていた。持っていた拳銃で崩れている岩に何発も銃を打ち込んだ。白髪が乱れ、怒りに満ちた形相になっている。

 黙って聞いていた凛の君は静かに言った。

「これはあなたの仕業ではないのですね」

「ああ・・・そうだ。そして私の部下の大勢が犠牲になった! 何の成果を見ずにな!」

 暗い闇の中で声が飛ぶ。

 楊の声は怒りで興奮していた。

「楊准将・・・あなたは指揮官として失敗をしているわ」

 凛の君の言葉で、一瞬にして空気が張り詰めた気がした。

「何を言っている?」

 凛の君の言葉に楊はすぐに反応した。楊には怒りを隠す様子もない。側で聞いていた杉浦は、凛の君の挑発とも言える突然の発言に意図を測りかねていた。

 凛の君は言葉を続けた。

「指揮官たる人間が自ら危険な場所に赴き、結果、外部と連絡出来ないこの洞窟に閉じ込められている」

「・・・」

 その言葉に一瞬にして楊准将は我に帰った。凛の君が適切なポイントをついていたからだった。

「私を追い回す仕事なんて、部下にやらせればよかった。指揮官が行う仕事じゃない」

「いったい何が言いたいのです?」

 楊の口調は変わっていた。冷静さを取り戻してきているようだ。

「何も。少なからず私はあなたを買っていたし、恐れてもいた。出来れば排除しようとも考えていたわ」

 凛の君はそこで言葉を止めた。

「おそらくこの爆破を行ったのは・・・」

 倒れている二匹の白い龍を見る。暗闇でも白くぼんやりとその巨体が分かった。

 そして唇を噛み、この戦いがいったい何であったのか振り返った。

「この爆破を起こしたのは、あなたの配下ではないのかしら。この立原市内でこれだけの爆発物を扱えるのは、あなたの配下以外は考えられない」

「私の部下が裏切ったというのですか?」

「おそらくは」

「ばかな。裏切って何の得が・・・」

 そう言って楊ははっとした。

 今まで想定から外していた。

 そうか・・・。

「日本政府が・・・」

「そう、そもそもこの独立運動は凛の民、大陸だけの話ではないわ。独立運動が起きるのは日本という国の中なのだから」

「だが、我々の情報では、立原の独立の気運を知っていても日本は何も動いていなかった・・・我々はそれを彼らの平和ボケだと思っていた・・・」

「独立の気運を知っていて何もしない、そんな間抜けな国は世界の何処にもないわ。おそらくあなたの部下が日本側に寝返って情報を操作していたのじゃあないかしら」

 本当なのか・・・。

 杉浦は凛の君の話している内容に驚いていた。

「我々凛の民を使って内戦を引き起こそうとした大陸、それを避ける方法を模索していた私、そして新たに登場した独立運動自体を押さえ込もうとしている日本・・・この三つ目が実は相当に動いていた」

「・・・」

「彼らは鍾乳洞の入口を爆破して我々をこの場に封じ込めた。我々は脱水症状で死ぬか、餓死して死ぬか、例え救出されたとしても、数日間でも指揮系統がない状態が続けば独立運動は骨抜きなる。あなたがさっき叫んだように必ず失敗に終わるわ」

 杉浦は結界が破られ、神の扉を開く台座が粉々に破壊されていたのを思い出していた。

 あれも日本政府に内通した者が行ったことなのだろうか・・・?

「凛の君、もしかしたら我々十二氏会の中にも日本側に裏切った人間が・・・」

「そうね・・・千年の忠誠を破ったものがいるはずよ」

「くっ・・・」

 杉浦は自分の身内とも言える人間に裏切り者が出ていることにショックを感じた。

 あの年長の側近が疑っていたのは正当だったのだ・・・旧貴族としての誇り、祖先から千年もの間、皇帝に忠誠を尽くしてきた誇りはどこに行ってしまったのか! しかも日本側に裏切るなんて・・・。

 杉浦はその人間が誰なのか考え始めた。

 そして楊准将もまた自分を裏切った人間が誰なのかを考えていた。だが、分からなかった・・・彼は部下というものは無条件に上官に従うものと考えていた。部下の気持ちなど考えたこともなかったのだ。

 凛の君は自分の言った言葉の影響を気にもせず、目の前の僅かに息のある方の白い龍に手を当てた。

 冷たい・・・。

「お願い、もう一度だけ・・・大木君の龍に私達のことを伝えて。お願い・・・もう他に何も願わないから・・・」

 しばらく何も起きなかった。

「お願い・・・」

 凛の君は白い龍に自分の額を当て言った。

「お願い・・・」

 その言葉に反応したのか、龍が白く光りだし、明るくなっていった。そこから光の粒が湧き出し、鍾乳洞内を浮遊し始めた。光の粒が辺りに散りばめられ、それはまるで光る雪のように見えた。

「いったい・・・」

 凛の君は戸惑いそう呟いた。だが、一方で浮遊する光の粒の美しさに心が奪われてもいた。それは杉浦や楊准将も同じだった。

 たった今起きた不幸が嘘のように感じられる。

「・・・」

 次第に光の粒は集まり、光の球を作り始める。球は凝集され強い光の点となった。そしてその瞬間、強烈な光が放出され、風を巻き起こし、光線と爆風は鍾乳洞内に一瞬にして広がった。

 鍾乳洞内はその光で目を開けることが出来ない。爆風を受け、多くの者は立つことすら難しかった。

 杉浦は石筍にしがみついて爆風に耐えていた。石筍を影とし、その中で薄目を開け、凛の君を見た。

 凛の君は何も頼らずにすっと立っていた。風は凛の君の髪を後方に激しくなびかせていたが、凛の君をなぎ倒すようなことはしない。

 凛の君は真直ぐに光を見ていた。

 石筍の影であっても自分は薄目でしか開けられないというのに。

「ありがとう、今まで尽くしてくれて」

 凛の君の声が爆風の中で聞こえたような気がした。

 泣いているのか・・・。

 龍たちとは契約で主従関係を結んだわけでもない。勝手に体に居座って、自分の見ている色を食べ続け、ある日突然、力を発動し、凛の君の意のままに動いた。彼らは従順だった。

 そして彼らは去ってゆく。おそらくもう二度と会えない存在となって。

 光は弱くなってゆく。風も弱くなり、白の龍の命が燃え尽きようとしている。やがて光は消え、風もなくなり、もうそこには何も残っていなかった。

 凛の君は姿勢を変えず、そのまま毅然と立っていた。その髪は方向に流されていることはもうなくなっていた。

 

 

 凛の君の屋敷の裏手にある森から、白い光が揺らぎ出ていた。結界に阻まれ、屋敷の上空を廻っていた二匹の緑の龍は、それを避けようと更に上空に昇った。

 光の高さは二十メートルはあるだろうか・・・。

 一人の背広姿の青年が屋敷の外から光の柱を見上げていた。倒れた装甲車の陰で傘を差し、携帯電話で何かを怒鳴りながらそれを見ていた。

 装甲車の目の前では楊准将の部下が挟み撃ちにされても尚、諦めず抵抗を続けている。

 彼らは相当死んだはずだ。まだ抵抗を続けていることに驚きすら感じる。

 屋敷の門までの距離には味方と楊准将の兵士が倒れ、死亡した人間が点々と転がっていた。それは残酷な風景だった。

 数人の雨合羽の男が青年の側に寄ってきた。彼は一旦電話を止め、その男達と会話を交わした。

 男達は頷き、そして去ってゆく。

 森に発生し、揺らいでいる光の柱の周りに風が回り始めた。風はすぐに暴風と化し、光と共に一気に周辺に広がった。光と暴風が総本山全体を覆ったのだ。

 暴風により、立つこともままならない状態になった。強い光で目も開けられない。

「くそっ」

 多くの人間が風で飛ばされないように銃を抱え込み、その強烈すぎる光と風を必死に耐えていた。

 暴風と光の嵐は止む様子もなく続く。

 総本山の山門付近に張ってあった幾つかのテントは、風に耐えられず、全て社務所や手洗い場、山門などに勢いよくぶつかり曲がった。

 青年の側の林は風でうなり、たわんでいる。一本の木がそれに堪えきれず音を立て折れた。

「なんだ、これは!」

 青年はそう怒鳴った。

 そしてその瞬間、青年の側の装甲車が突然揺れ、風に転がされ更にひっくり返った。光が走り、風が暴れ、全てが破壊さるのではないかと思った。その光景に恐怖を抱かなかった者はいなかっただろう。

「いつまで続くんだ!」

 青年の横にいた男がそう叫んだ。

「結界がもうもちません!」 

 別の男の声がした。

「くそっ」

 青年は上空で飛び続けている二匹の緑の龍を見上げそう言った。

 予期出来ない要素が多い・・・あの龍を相手に戦うことは、手持ちの武器では対応困難だ。

 苦労して張った結界もこの光と風でなくなってしまうとは。

 あの緑の龍の実体が何だかは知らないが、おそらくは洞窟に閉じ込めた楊准将、もしくは凛の君たちを救出してしまうだろう。あの鍾乳洞の祈祷所を爆破したことだけが今回の唯一の成果だとは・・・。

 くそっ。

「撤収だ!」

 その青年は苛立ちを隠そうともせずにそう号令した。

 大陸から来た人間を根絶やしにし、凛の民の独立運動を収束させる作戦は失敗だ。そして、大した戦果を上げず、犠牲者を出したことに責任を取らされるだろう。

 あの古い体質で、何も決めようとしない連中に俺は責められるのだ。今回の件を日本国民はどう反応するのだろうか? 他人を批判し、建設的な意見を言わないあの自分勝手な国民たちは、今回もやはり責めるべき誰かを探すのだろう。

 だいたい、あの化物のような生き物を相手に諜報部門の人間だけで何が出来るというんだ。増員もされず、自分の部下だけで何が出来たというのだ・・・。

 民間に戻った元自衛隊の人間を説得し、諜報活動に復帰をしてもらった。その彼も銃弾に倒れ、平凡な人生を奪われ、そしてもう助かる見込みはない・・・。

 その青年は理不尽さを光と風の中で感じながら部下達の撤収作業を確認していた。それは迅速に行われた。 

 光と風は次第に弱まってゆく。

 そしてついには・・・辺りはまた雨と暗闇だけの世界に戻った。

 そして洞窟の外の楊准将の部下はそれまで戦っていた敵が消えてしまっていることに気づいた。何が起きたのか分からなかったが、自分達は助かったのだと思った。そしてすぐに犠牲者が多過ぎることを知った。

 上空に居た二匹の緑の龍が、辺りに響き渡るように鳴いた。

「おおおおお」

 死者を鎮魂する声にも聞こえる。それは兵士達の勝手な想像でしかなかったが、そうだったのかもしれない。

 二匹の龍は静かに下を見下した。彼らは光と風を通して白い龍の思いを感じとっていた。緑の龍たちは一旦、天に向かい、きびすを返し、一気に光の中心だった森に降下した。

 大木は結界での衝撃を予感したが、龍は何事もなく結界を感じた場所を無事に通過した。さっきまで全く歯が立たなかった結界は、どこかに消えてしまっている。

 そして龍はそのまま森に衝突し、高く土煙の立て、地中の岩盤を割り、鍾乳洞に到達した。

 そのとき凛の君は、自分の背後で岩が崩れ落ちる音を聞いた。鍾乳洞内に岩が転げ落ちる音は反射し、無限に響き渡る。

 そして振り返り、その音の方向に懐中電灯を当てた。落盤があったかのように無数の岩が積み重なり、そこには二匹の緑の龍の姿があった。

「あれが大木君の龍・・・」

 凛の君はそう呟いた。

 あの場所は外と繋がっている。私達は助かったのだ。

 凛の君は安堵を覚えた。自然と表情が柔らかくなる。

 大木は二匹の龍の目を通して凛の君の無事を確認した。そして大木はすぐに凛の君の屋敷の入口に倒れていた男の元に二匹の龍を向かわせた。

 自分の見たものが錯覚であることを祈っていた。龍は屋敷の直上に着くと何回か旋回し、屋敷の入口にゆっくりと降り立った。

 大木は間違っていなかった。

 その男は雨に打たれたまま、全く同じところで仰向けに倒れていた。左手を腹部に手を当てている姿まで先ほどと何も変わらない。

「何故・・・」

 大木は呟いた。

 倒れている男は僅かに息をしている。腹部は血で染まり、周りの水溜りにまで血を流し、それを血の海と化していた。

 龍は「この男はもう長くないだろう」と大木に語った。

 大木は叫びたい衝動に襲われた。

 倒れている男は田沢だったのだ。

 東京に向かっているはずの田沢が、この立原で血を流し、今や瀕死の状態だった。

「田沢さん!」

 大木は龍たちを通して声を掛けたが、返事は返ってこない。

「田沢さん! 田沢さん!」

 田沢は痛みで耐え切れない、苦しそうな表情をした。

「ううう・・・」

 田沢の少し足が動いた。大木はそれを龍の目を通し見て、堪らず叫んだ。

「田沢さん! あんたまだ新婚じゃないですか? こんなところで死んだら駄目だ!」

 龍はじっと田沢を見ていた。田沢は大木の声が聞こえたのか、右手がかすかに動いた。

 苦しそうな表情だった。

「田沢さん!」

 田沢は更に苦しそうな顔をした。その状態が続いたかと思うと、一瞬だけ表情が和らいだ。

 大木はその表情につられ、ほっと安堵した気持ちになったが、田沢はそれきり呼吸を止めてしまった。

 死んでしまった・・・。

「おおお!」

 大木は叫んだ。もう立っていることは不可能だった。膝を付き、両手を道路のアスファルトに付いた。

「くそおお!」

 大木はこぶしを道路に叩き始めた。そして叩き続けた。

「大木君!」

 加奈子が堪らず車から出る。強い雨が加奈子を容赦なく叩きつけるが、加奈子にはどうでもいいことだった。

 大木を強く抱きしめた。さらに強く、自分の力の限り強く抱きしめた。

 

 

 岩が崩れ、積み重なっていたが、とても天井の穴には届きそうもない。それに外からの雨が降り注ぎ、一つ一つの岩は滑りやすく、そして崩れやすそうだった。

 凛の君は大木の龍が崩し、開けた穴を下から見上げていた。懐中電灯の光に濡れた岩がキラキラと光る。

「さあどうする? 楊准将」

 凛の君は振り返り、懐中電灯を向けた。

「また戦争の続きでもする?」

 笑いながら楊を挑発した。

「いや・・・助けが来るのを待ちましょう。穴が開いたおかげで外の者と携帯が繋がりましたので」

 楊は凛の君の挑発には乗らず、淡々とそう答えた。

「多くの部下を死なせた私は、おそらく処分の対象となります。外も所属不明の部隊によって、多くの部下が殺されたと言っていました。攻撃を仕掛けたのは、おそらく日本の特殊部隊でしょう」

 楊は溜息を付いた。

「そして死んだ者の中には、私の右腕とも言える人間も居ました」

「・・・」

「ご指摘の通り、前線で指揮を取っていたつもりが、計略に落ち、挙句の果てに私は鍾乳洞に閉じ込められた・・・これでは言い訳ができませんな。日本側を甘く見ていた私の責任です」

 苦笑しながら言葉を続けた。

「私は自惚れていたのでしょう。私の指揮で計画は上手く行っているように思っていた。自分はやはり優秀な人間だったのだと。それまで自分が不遇だったのは、やはり周辺のせいだったのだと確信していました」

 楊の口調は力がなかった。

「でも実際は多くの兵をなくし、敵を見誤った。そして独立運動を利用して日本に内戦を起こす計画は、失敗に終わろうとしている」

 凛の君は目の前で語る初老の男を暗闇越しに見つめていた。懐中電灯の明かりだけでは楊の表情は分からない。

 今まで感情のない人間だと思っていた敵が、悩み、苦悩する一人の男であることに凛の君は少し驚いていた。

「それでも私はあなたを買っています」

 凛の君は言った。

「そしてあなたを必要としています」

 隣にいる杉浦は凛の君の言葉に驚いた。

 何の意図があるんだ・・・。

 楊の部下も凛の君の言葉を聞いて、驚き、ざわついている。凛の君はその雰囲気に気づいていたが、構わず言葉を続けた。

「そもそも私は凛の民の独立に反対はしていない。だからこそ一年前に大陸側の独立計画を受け入れた。本当の目的が、日本で長期の内戦を起こすことだとは知らずにね」

 この場にいる人間の全てが、凛の君の話を注意深く聞いていた。凛の君の意図が分からなかったからだった。

「でも内戦発生を目的とする独立運動なんてありえないわ。武器の無償供給の約束があっても、内戦で傷つき、国民が居なくなっては意味がない。そんなことは到底認められないわ・・・」

 それは当然だ・・・自分が君主だったら当然そう思うだろう。立場が違うだけの話だ。

 楊はあの白い龍たちを思い出していた。

 あの得体の知れない生き物・・・さっきまでの強烈な光と風、鍾乳洞からの脱出路を作った緑の龍・・・あれらの力で我々の行動を阻止しようとしていたのだろうか・・・。

「ただ・・・」

 凛の君は右手を前方に差し出し、何かを掴むような仕草をした。凛の君の右手が光り出し、その光で辺りの景色が浮き上がった。

 やっぱり・・・色が分からないわ・・・。

 彼女の目は以前と変わらず、色を見分けられないまま、白と黒の世界を映し出していた。

「私にはまだ力が残っている・・・」

 あの光と風を放ち、消えてしまった龍が力をくれたのだろうか? それともあの倒れて死んでいる龍が、実はまだ生きているのか? いや、それはない。あの龍は確かに死んでしまっているわ・・・。

 凛の君は横たわっている白い龍を見た。

 いずれにせよまだ私には力がある。

 凛の君は強い口調で言った。

「凛の民がこの地に来てからの千年の歴史は、差別され、区別される不遇の歴史だった。それは今でも変わらない。凛の民と言うだけで本土の企業は雇用を拒む。雇用しても子会社、孫会社の人間として採用し、我が民を安く使っている」

 楊は黙って凛の君の話を聞いていた。凛の君は言葉を続ける。

「収入は低く、仕事も選べず、我が民はこれからもその生活を続けなければならない。だが私は彼らの皇帝だ。この状況から彼らを救わなければならない・・・」

 凛の君は言った。

「我が民族の独立に協力してほしい」

 楊はその言葉に驚いた。

「さっきまで楊准将を本気で殺そうとしていたじゃないか」

「拳銃で撃ちまくっていたよな」

 楊の部下からそう呟く声が聞こえる。

「そうね」

 凛の君は端的に答えた。

「将来、あなた方が私の意図と異なる行動を取れば、私はあなた達を必ず殺すわ。だが、私はあなた方の能力を認めている。それ故に敵となってほしくはない」

 凛の君の口調は強いままだ。

「私の意図は凛の民の独立にある。そして犠牲者は出来るだけ抑えたいと考えている。もし私の意志に合意できるのであれば、私達に協力し、凛の民の独立を現実のものとさせて欲しい」

 楊准将はそれを聞いて少し考えた。そして言った。

「我々や大陸側にメリットがあるようには思えませんが」

「そうかしら」

「少なくとも我々には。そして裏切ったら殺すとまで言われています」

「そうね。でも新しい国を作るという経験はそうは出来ない。大陸には今回の作戦の失敗を不問にするように私から依頼する。さっきも言ったように私はあなたを高く評価している。独立への計画は再度あなたが中心に作る。それでどうかしら?」

 凛の君は少し笑っているように見えた。

 私が処分されないということはおそらくありえない・・・責任を取らされ、最悪十数年の禁固刑だろう。

 楊は過去の例を振り返って、自分に当てはめていた。凛の君の言っていることは現実から離れているような気がした。

「私の能力を使ってでも、あなた方を処分の対象になんかにはさせないわ」

 楊の心の内が聞こえたのか凛の君はそう言った。

 そうか・・・。

 凛の君の提案に対して、楊は愉快に笑いたくなった。

 それに新しい国作りの計画も私に任すと発言するとは・・・私を評価して必要としてくれる。ここに自分が求めているものがあったとは・・・。

 そして答えた。

「分かりました。この瞬間から我々は凛の君に従いましょう。そして凛の民の独立にご協力致します」

 楊はそうはっきりと答えた。

 凛の君はその言葉にゆっくり、そして深く頷いた。

 この男が見方になってくれるのであれば、きっと凛の民の独立は上手くゆくはずだ。

 そう思った。


 

 雨は激しく、止む様子がない。

 大木は暗闇の道路に膝を付き、加奈子は大木を守るように覆い被さっていた。

 合羽に雨が当たり、無数の音を立てている。

 加奈子は、大木とさっき空に消えていった二匹の緑の龍は、今、姉のために動いているのだと直感していた。

 大木君を信じる・・・。

 そう強く思った。

 そのとき車のヘッドライトに人影が過ぎった。

 加奈子はそれが誰なのか目を凝らしてその方向を見た。それは加奈子が知っている人物のような気がしたのだ。

 そう、それは良く知った人間だった。加奈子が会いたかった人物だった。

 五十過ぎの女性が傘を差して歩いている。そして車のすぐ傍まで来て、立ち止まった。

 加奈子はゆっくりと立ち上がる。

そして言った。

「母さん・・・」

 その言葉と同時に車の運転席の扉が開き、凛の君の側近が傘を差して車から降りた。

「私が呼びました。大木さんの頭痛があまりにも辛そうだったので・・・薬を彼女に頼みました」

 加奈子は側近の顔を見た。

「私の妻です・・・一年ぶりに我が家に帰ってきました。息子と共に」

 大木ははっとして加奈子を見た。そして加奈子の表情を理解しようとした。

 彼女は泣いていた。

 加奈子は加奈子の母親だった女性を正面から見た。

「母さん・・・今までありがとう」

 加奈子の母親はその言葉に胸を打たれたようにびくっとし、手を口にあて泣き出した。

 そして二人は固く抱き合った。

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