第07話 「その身は誰がためのもの II」
インディゴと別れ、フーとミチルはアパートの地下駐車場のエレベーターを使って部屋へと向かう。
部屋へ向かう間、フーとミチルは一切口を開かず、ミチルはずっと顔をうつむかせ続けていた。
エレベーターを降りると、窓が一切ない通路を歩き、二人は目的の部屋へ辿り着く。
部屋には二人が使うには広いキッチン付きリビングがあり、テーブルがリビング中央に居座っており、テレビが一台奥の壁に設置されている。
リビングの両端には扉が一つずつあり、フーの部屋とミチルの部屋がしっかりと別けられている。
「君の部屋はここだ。僕は大抵リビングにいるが、いなかったら外に出かけているか向かえの私室にいると思ってくれ。手洗いとシャワーは君の私室に直接繋がっているからプライバシーは完全に守られる」
淡々と説明するフーに、ミチルは居心地が悪そうに聞く。
「しばらくは外に出ることはできなくなるから、窮屈だとは思うが我慢してくれ。何か必要になったら僕が外に出て取りに行く」
「べ、べつ、に、平気」
おどおどとした態度でミチルはどうにか言葉を紡ぐ。
いまいちミチルとの会話のテンポを掴めないフーが内心困り始めると、ミチルはろくに視線を合わそうともせずに己の部屋へと入って行く。
「お、おい」
フーが呼び止める間もなく、扉を閉められてしまった。
情報通り他人とのコミュニケーションを極端に避け、部屋に引き篭るタイプらしい。
これから彼女とどう過ごせば良いのか困っていると、フーのポケットに入っていた端末に通信が入る。
フーは端末を耳にかけ、リビングに置かれたテーブルの椅子に座り、通信を開く。
『新しい住居はいかがかしら?』
気のせいかどこか楽しそうな声を出している主はスカーレットだ。
「前途多難、と言ったところか」
独り言を呟くようにフーはぽつりと本音を漏らす。
『あら? 何かあったの?』
「……さっそく部屋に閉じこもってしまったんだが、どうしたら良いんだ?」
『そこは年上の男性として貴方が優しくリードしてあげるのが良いのではなくて?』
ただでさえ口下手な彼にとって、年の離れた女の子と話すとなると難易度はさらに増してしまう。
フーはわずかに眉を潜め、どうしたものかと思考を巡らせる。
『まずは料理でもご馳走してあげたらどうかしら? 護衛任務には護衛対象者の健康管理も仕事として含まれていることだし』
気を利かせてくれているのか、スカーレットから優しくアドバイスをもらう。
やるだけやるさ、と言い残し、フーは通信を切る。
時刻は六時を周っており、夕飯をどうしようか考え、フーはふとあることに気づく。
ミチルは外に出られない身なので当然外食はできない。フーが外から食事を買ってくることもできなくもないのだが、なるべくミチルがいるアパートから離れないように言われている。
となると、冷蔵庫に入れられている一ヶ月分の食材から今晩の夕飯を作ることになる。
フーは席を離れ、キッチンに入ると少し大きめの冷蔵庫の前に立つ。
冷蔵庫を開き、ぎゅうぎゅうに詰められた食材を眺め、フーはぽつりと独り言を呟く。
「料理の基本は、さしすせそ。砂糖、しそ、炭、洗剤、創造意欲……だったか?」
曖昧な知識を引き出し、フーはおぼついた手つきで料理という名の儀式を行い始める。
部屋に入ったミチルはしばらくの間呆然と新しい空間を眺めていた。
部屋の角にはベッドがあり、そしてその向かえにはミチルが以前に住んでいたアパートから運んでもらった家具や荷物等が入ったダンボールが積み上げられている。
壁には窓が一切ないが、閉鎖感を紛らわせるためか、ホログラムボードにより擬似的に窓が再現されており、窓から自然豊かな景色を眺められるように設置されている。
鬱陶しいと言わんばかりにミチルは壁に付けられたスイッチを乱暴に操作し、ホログラム機能をオフにすると、清潔感溢れる装飾が消え、部屋は途端に暗くなり、白い壁に囲まれた空間へと早変わりする。
ダンボールに入った荷物を整理することなく、ミチルはベッドの上へと倒れこむ。
この一週間はミチルにとってはとんでもない出来事の連続だった。
一週間と少し前に、失跡した母から連絡が届いたと学校側から言われたのが事の発端だ。
幼い頃に別れた母親と会える事に、かつてないほどの緊張感と勇気と少しだけの希望を抱いて外へ出たものの、蓋を開けてみれば母などどこにもおらず、挙げ句の果てにはマフィアの襲撃に巻き込まれた。
事件後、警察だと名乗った青いレザージャケットの男にミチル自身が狙われている可能性があると言われた時は背筋が凍った。
非常に不本意ではあるが、警察側から護衛を着けられることを甘んじて受け入れた。
命が狙われている可能性があるのなら、甘えていられる状況ではないと思ったからだ。
そして現在初対面の男にしばらくの間護衛される身となったが、不安は拭いきれない。
誰も信じず、誰にも頼らない人生を歩んできた彼女にとって、今この状況は耐え難い苦痛でしかないからだ。
自然と瞳に涙が浮かんでくるが、ミチルを慰めようとする者は誰一人としていない。
「なんでこんな目にあってるんだろ」
暗い部屋の中、少女は体を震わせて枕を抱き寄せる。
ミチルが部屋の中で一人ベッドに埋もれている様子を、モニター越しで男が眺めていた。
男の実年齢は四十代後半であるはずだが、顔立ちはどう見ても二十代後半か三十代前半にしか見えない。
膝まで届く程の長さがある緑色の上着を着ており、メガネもかけているせいかこの男からは知的な印象がある。
短めの髪は綺麗に整えられ、清潔感溢れる男は椅子に深々と座っていた。
男がいる部屋はずいぶん広く、様々な工具が床一面に散らばっており、部屋の中央には診察台が幾つも置かれ、機械的なパーツが台の上でバラされている。
壁には幾つかのモニターがポツポツとかけられ、何に使うか分からないチューブやコードが巻かれて設置されている。
男はコップに入ったコーヒーを飲み干し、ミチルの部屋の様子とフーが料理に挑んでいる様を交互にモニターで観察する。
「リザードの方はともかく、レディのプライバシーを見るのはどうかと思うわアイビー」
不意に後ろから呼ばれ、男、アイビーは椅子を回して後ろへ振り向く。
赤いワンピースと茶色いロングブーツを履いた金髪の少女、スカーレットは杖をついてアイビーの隣まで来ると、空いている椅子に身を降ろす。
アイビーはふむと一度考える仕草をし、口を開く。
「俺と君、インディゴの交替で彼らを監視するんじゃなかったのか?」
「男性陣が見て良いのはリビングまで。ミチルさんの部屋の方は私が見るわ。こちらのモニターに回してちょうだい」
ちょいちょいと、スカーレットは己の右目を指差す。
「了解」
特に気にした様子もなく、アイビーはメガネをくいと上げるとキーボードを素早く操作する。
すると、スカーレットの右目に装着されたコンタクトレンズ型モニターが光る。
「確認したわ。非常時以外は基本的に私がミチルさんの部屋を担当するわ……それにしても」
スカーレットは一度目を伏せ、後ろを振り向いて部屋の惨状を見渡す。
「相変わらず整理されていない部屋ね」
「仕方ないさ。立て続けに整備の仕事が入ってくるんだ」
アイビーは席を立つと、部屋の中央に設置された診療台へと向かう。
手持ち無沙汰になったスカーレットは作業机の上に放置されている機械類の一つを手に取る。
恐らくいつも通信手段とジャスティカへ変身する際に使う端末の部品だろう、とスカーレットが推測した途端、まるで建物が倒壊するかのように部品がバラバラに崩れ去った。
スカーレットはピクリと体の動きを止め、自然と息を潜める。
「あぁ、そこら辺の物は壊れやすいから気をつけろよ」
アイビーが背中越しに声を投げかけ、部品を乗せているスカーレットの手が僅かに揺れる。
「……えぇ、分かったわ」
スカーレットは机の引き出しを開き、バラバラになったパーツをそっと引き出しの中にしまった。
後ろの様子に気づくはずもなく、アイビーは両手に工具を持ち、台の上にバラされた機械をイジる。
大人しくアイビーの作業でも眺めていようと思ったスカーレットはあることに気づく。
「それ、ジラフのエクスキューターかしら?」
「あぁ。けど、ここまで損傷するとは想定外だ」
アイビーがそう言うとスカーレットの表情が曇った。
アイビーはブーツ型に変形しているエクスキューターの外装を剥がし、ボロボロになった装甲をしばらく観察すると床へと放る。
「衣服・外骨格混合型パワードスーツ『エクスキューター』。白の衣服は刃を弾き、黒の装甲はコンクリートをも砕く、はずなんだけどな」
エクスキューターをバラしつつ、使い物にならなくなっているパーツを抜き取るアイビー。
手馴れた様子でアイビーは赤色の染まってしまったマフラーを掴むと、そこで手を止める。
マフラーの所々にはほつれや切られた跡があり、真ん中には大きな穴が穿たれている。
「……私もそれを装着して戦えたら良いのだけれど」
少しだけ切実さが混じった口調でスカーレットは言った。
マフラーをゆっくりと巻きながらアイビーはスカーレットに答える。
「エクスキューターは体に伝達される神経に反応して動くが、筋肉の伸縮に合わせて力を調整する。足の神経が絶たれているとなると、足は動かせても走るどころか立つこともできないだろうね」
マフラーを綺麗に畳んで横へ置くと、アイビーはため息をつく。
「まぁ、結局こいつも試作段階を超えないな。開発者の僕としてはプロトタイプを前線に出すのは非常に気が引けるけれど」
ちらりと肩ごしにスカーレットを見るアイビーだが、スカーレットは己の髪を弄っていた。
「手段を選んでいる場合ではないの。待っている間にも人は襲われ続けるわ。手がつけられないほどに黒星が戦力を拡大したら一巻の終わりだもの」
そうかい、とアイビーは適当に相槌を打って作業に戻った。
スカーレットは己の視界上にミチルの部屋の映像を表示させ、再び思考を巡らせる。
「でも、どうして黒星がミチルさんを狙っているのかが分からないわ。実の両親に育てられなかった事以外は普通の女の子だけれど」
ミチルの経歴を調べれば調べるほど黒星の意図がつかめなくなる。
それほどまでにミチルという少女は普通なのだ。
いつもの癖でコインを取り出し、手のひらの上で弄ぶが、一向に答えが見つからない。
「目的、か。そんなに大した目的も理由もないのかもな」
視線をこちらに向けず、アイビーは作業をしながら言葉を続ける。
「いつの世も、正義の味方や悪の組織の行動理由なんざ大したことない。世界を作り替えたいだの征服したいだのと、大掛かりな計画を企てているわけでもないさ」
経験則なのか、持論なのか、アイビーは迷いなく言う。
「生きるため、それだけだ。君もそうだろスカーレット?」
アイビーは背中越しにスカーレットに語りかけると、スカーレットは逡巡した後こくりと頷いた。
すると、機を計らったかのようにスカーレットの端末が通信を受信する。
「あら、間が良いのか悪いのか。こちらのモニターに繋いでも良いかしら?」
「どうぞご勝手に」
了解を得たスカーレットはキーボードを操作し、端末とモニターを繋げる。
すると、モニター上にスーツを着た男が現れた。
男がいる部屋はどこかの会議室らしく、周りには男以外誰もいない。
男は会議室のテーブルに座っているが、後ろに設置されている窓からの逆光のせいで男の顔がよく見えない。
男からもスカーレットがいる部屋を見えるようにすると、男は少しだけ眉を潜める。
『ん? そこは開発局か?』
「えぇ、アイビーにも監視任務を伝えるついでに様子を見に来たの。それで、そちらの要件は? 察しはついているけれど」
『あぁ。先日のデパート襲撃事件をこちらで検証した結果を伝える』
男の言葉に、スカーレットは冷静を装うが、膝に置いていた手は握りこぶしを作っていた。
『此度の事件でのお前の活躍を認め、貴様の罪を三百五年から二百九十八年の懲役へと軽減する』
一瞬だけ目を見開き、すぐにいつもの冷静な表情へと戻ると、スカーレットはさらりと後ろ髪をかき上げる。
「やっと三百を切ったわね。先が長いわ」
『報告は以上だ。仮釈放の身であることを忘れるな』
「了解」
一方的に通信を切られ、スカーレットはため息をつく。
「減罪おめでとう、と言えば良いかな?」
会話を聞いていたアイビーが気にした様子で質問する。
「そうね、ありがとう」
椅子の背もたれに深々と体を預け、スカーレットは天井を仰いだ。
なぜだか、心の中には虚しさが広がる。
「アイビー、貴方の言う通り、私も黒星も大した理由があって行動しているわけではないのかもしれないわね」
作業をしている仕事仲間はスカーレットに答えるわけでもなく、黙々と手を動かし続けた。
料理を始めて二時間後、どうにか紫色の何かを作り上げたフーだったが、味見のためにそれを一口だけ食べた途端に胃袋の中身を床へ盛大にぶちまけてしまい、料理を断念した。
掃除をした後冷凍ピザを解凍し、ミチルの部屋の扉をノックする。
「ミチル、夕飯の支度ができた」
しばらく返事を待つが、一向に反応がなく、フーはもう一度ノックする。
「おい、ミチル」
何度かノックをすると、部屋の中で何かがごそごそと動く気配がした。
「い……ない」
「? なんだって?」
ミチルの声があまりに小さく、フーは思わず聞き返す。
「いぃ、いら、ない。食、事」
「ちゃんとしたピザだ。解凍時間も間違えてない、美味しいはずだ」
「そ、そうじゃ、なくて」
喋りにくいのか、ミチルは少しだけ間を置く。
「わ、私は、人と、話したくない、し、見たくも、ない。放って、おいて」
弱々しい口調ながら、拒絶の色は濃い。
これ以上話すことはないという意味か、扉の向こうから声がしなくなる。
仕方なく一人でテーブルに着いたフーは、ちらりとミチルの部屋へ視線を投げる。
「これは……厄介だな」
どうしたものかと思いつつ、ピザを二枚別の皿へ移し、フーは夕食を取る。
その日ミチルが部屋から出てくることはなく、フーは就寝時間までリビングで時間を潰すことになった。
こうして無口な二人の生活が始まったが、互いに相手を理解し合おうという気は一切なかった。
お世辞にも、幸先は良いとは言えない。
コミュ障系少女ミチルの明日はどっち。