第04話 「不滅の英雄 IV」
フーが事件現場であるデパートに到着したのは事件が発生してから二十分後だった。
デパートの前には幾つものパトカーが止まっており、全警察官が武装していた。
フーはデパートから少し離れた所に止まっていたパトカーに近づき、指揮を取っているらしい警官に敬礼し、警察手帳を見せる。
「コーストシティから応援で来ました、フー・ヤンです。状況は?」
すると、警官は少し驚いた様子でフーを上から下まで見る。
「わざわざ応援に来たのか? 辛気臭い顔してる割に真面目なことだ」
皮肉のつもりか警官の態度はそっけなく、フーは少しだけ不満を感じるがここは堪える。
警官はやる気のなさそうな表情で後ろに立つデパートを親指で差す。
「さっき黒い物体がデパートに突っ込んで、中でドンパチが始まったと思ったら静かになりやがったんだよ」
つまりは様子見をしているということか、とフーは大体の状況を把握し、デパートに視線を移す。
すると、デパートの扉が勢いよく開き、中から人質に捕らわれていたらしい客が走り出てきた。
驚いた警官は慌てて無線機を取り、全員に指示を出す。
「A班は脱出した客の保護、B班からD班は警戒しつつ中へ突入!」
「僕も行きます!」
フーは腰から拳銃を取り出して同行を志願すると、警官はやや面倒そうな顔をしつつも「好きにしろ」と答える。
フーは一人だけ私服のまま、武装した警察官と共にデパート内へと向かう。
三階へと歩みを進めたジャスティカはなるべく気配を遮断し、物陰に隠れながらあたりを散策する。
三階には長い通路が多く、改装中だったのかテナントのシャッターはほとんど閉まっていた。
ジャスティカの視界はスカーレット達のモニターに共有されており、彼女から何の指示も下されないということは、恐らく向こうもまだ新しい情報を掴んでいないということなのだろう。
しばらく奥へと進んでいくと、少し遠くから誰かが走っている足音が耳に入ってくる。
「こ、こここ、来ないでぇ!」
怯え切ったような声を聞き、ジャスティカはすぐに駆け出す。
同時にスカーレットからの通信が入る。
『恐らく客の一人よ。ずっと三階に隠れていて見つかったのでしょうね』
曲がり角を曲がった先には同じように長い通路が伸びていたが、その途中で二つの人影が見えた。
一人は隠れていたデパートの客らしく、アイルシティのとある学校の女子生徒の制服を着ている。
もう一人は白いシルクハットと白いスーツを着た男が、女子生徒を捕まえており、不気味な笑い声を上げていた。
「はな、は、離してください!」
ろれつが回らないのか、女子生徒は口をわなわなさせながら叫ぶ。顔を横に振り、腰まで伸ばした茶色い髪を揺らし、白スーツの男から離れようとするが、まったく振りほどけそうにない。
「あぁ、そういうわけにもいかないんですよねぇ。というか、女子高生の肌ってやっぱりすべすべしてて良いねぇ」
女生徒の両手を片手で掴み、空いた手で彼女の頬をさする白いスーツの男。
ジャスティカは白スーツの男の風貌を見て悪寒を感じた。
悪意を何の躊躇いもなく全面へさらけ出している様子は不快以外の何でもなかった。
『あ、あいつは』
スカーレットが何か言った気がしたが、ジャスティカは構わず駆け出す。
弾丸の如く飛んだジャスティカは風を切る音を奏でつつ、白いスーツの男へ漆黒の蹴りを放つ。
「おぉっとぉ!」
視認することすら難しいであろう蹴りを、男はふざけた声を上げながら避ける。
女子生徒を盾にするようならそのまま男ごと組み倒そうと思っていたが、男は女子生徒を離して距離を取る。
ジャスティカはすぐに男と女子生徒の間に立ち、男を睨む。
白いスーツの男はジャスティカに両手を大きく広げて笑う。
「ジャスティカ! あぁジャスティカじゃないか! 久しぶり、元気にしてたかい? こんな所で会うなんて奇遇だねぇ。最近調子どう?」
男は楽しそうに大きな口を吊り上げる。
が、ジャスティカは答えるはずもなく、攻撃態勢を緩めない。
「相変わらずの無口、だがそこが良い! あぁ、でもジャスティカ、今日は君とお喋りする時間はなさそうなんだ」
残念と言いつつ表情は笑顔そのものの男は、シルクハットを投げ捨てた。
『ジラフ、後ろの女の子を連れて逃げなさい。そいつはモンスター能力を持っている』
スカーレットの声色に緊張が込められているのをジャスティカは見抜く。
すぐに後退しようとしたジャスティカだったが、遅い。
男が右手を掲げると、唐突に白い爪が伸び、まるで白銀の刃のように変形する。
爪の刀剣は凄まじい速さで伸び続け、ジャスティカを横薙ぎに切りつける。
五メートルの距離を一気に縮めた伸びる斬撃を、ジャスティカは身をかがんでギリギリ回避する。
標的を失った爪の刀剣はしかし、ジャスティカのマフラーの先端を捕らえ、銃弾をも弾くマフラーを軽々と切り裂く。
マフラーの強度では奴の斬撃を防げない。
瞬時にそう判断したジャスティカは再び襲ってきた攻撃を、今度はエクスキューターの脚部を上げて防御態勢を取る。
金属同時がぶつかるような音が鳴り響き、猛烈な衝撃がエクスキューターの装甲を通り越してジャスティカ自身に僅かながらダメージを与える。
攻撃はそれだけで終わらず、伸び縮みする斬撃の嵐が襲い、ジャスティカは必死になってそれを足技で弾き、いなす。
『ジラフ、そいつは黒星の幹部、ヴァイスよ。装備が万全じゃない今は勝目がない、どうにか隙を作って撤退しなさい』
いつもの冷静な口調とはいえ、余裕を感じさせないスカーレットの言動からして、今は非常に良くない状況なのだろう。
すぐにでも男、ヴァイスから距離を取りたかったが、ヴァイスの連撃は収まることを知らず、ジャスティカをその場に釘付けにさせる。
「動くねぇ、それなら、これでどうかな!」
ついにヴァイス自身が動き出す。
ヴァイスは左手の爪も刀剣へ変えた。
ただでさえ早かった攻撃の手数が二倍に増える。
ジャスティカは体をコマのように回転させ、遠心力を利用して攻撃の手数と威力を底上げするが、防戦一方なのは変わらない。
「しゃあ!」
ヴァイスが右手を気合の声を叫んで振り上げる。
二十メートルは伸びたのではないかと思われた爪の刀剣は、コンクリートの床を軽々と引き裂きながらジャスティカの真下から斬りつけてくる。
ジャスティカは下からの攻撃に合わせるように、右足を蹴り上げ、攻撃の軌道を無理矢理逸らす。
振り抜かれたヴァイスの斬撃は天井を切り裂き、その隙間から空が見えた。
重い一撃をいなし続けたからか、ジャスティカの両足が一瞬だけしびれて動けなくなる。
が、敵の攻撃は止まらず、まだ変形していないヴァイスの左手がジャスティカへ向けられていた。
「これ避けたらやばいよー」
気の抜けた忠告をジャスティカは間に受ける気もなく、すぐに身をかがめようとし、そこでピタリと体を止めた。
後ろには尻餅をついて動けないでいる女生徒がいる。
ヴァイスの笑顔が狂気へと変わる。
白い刃が伸び、吸い込まれるようにジャスティカの胸を穿つ。
二階で気絶している黒星のメンバーを縛り上げていたフーと他の警察官だったが、突然上の階から白い何かが二階の天井を切り裂き、大量のコンクリートが落ちてきた。
全員が驚き、何名かが床に転んだ。
「ま、まだ残っている黒星がいるのか!」
「今のって、モンスターの攻撃だよな? モンスターがいるんだよな?!」
全員が恐怖の表情を浮かべ、誰一人動かなくなってしまう。
フーはすぐにでも状況を見に行くべきだと判断するが、肝心の指示を下すリーダーが震え上がって何の役にも立たなくなっている。
「僕が様子を見てきます。皆さんは捕まえた黒星達と外へ出てください」
こんな異常事態においても異様に落ち着いているフーは生気のない瞳で提案する。
もはや恐怖で何もできなくなってしまった警官たちはこくこくと頷き、それを承諾と受け取ったフーはすぐに上の階へと登っていく。
『――フ――ジラ――返事を――ラフ!』
近いような遠いような距離から声が聞こえ、ジャスティカは薄らと瞳を開ける。
『ジラフ! ……っ。 ケンイチ! 返事をして!』
本名を呼ばれ、半ば覚醒したジャスティカは現状を見て完全に意識を取り戻す。
満面の笑みを浮かべたヴァイスの左手からは白い爪が真っ直ぐ伸びている。
後ろへ振り向くと、床にヘタリこんでいる女子生徒がおり、さらに、ヴァイスが伸ばした爪の刀剣が女子生徒の目の前で止まっていた。
が、驚くべきはその刀剣が帯びている血の量だろうか。
爪の刀剣はジャスティカの胸の中心を貫通していた。
「ごふっ」
ごぽり、と泥のように口から血が吐き出される。
どうやら肺を串刺しにされたらしく、心臓が鼓動を打つ度に全身が痛みで悲鳴をあげる。
あまりの激痛に己の体の感覚が薄れていく。
「あー、痛そうだねぇ、というか痛いよねぇ。早く絆創膏貼らないとバイ菌が入っちゃうよ」
刀剣をグリグリと動かしながら、ヴァイスはうんうんと頷く。
「がっ、あ」
しゃべるどころか呼吸もままならず、意識が一気に遠のくが、どうにか踏みとどまる。
もう一度ゆっくりと後ろの女子生徒へ振り返り、ジャスティカは口を開く。
「は、やく……逃げ、ろ」
どうにか紡いだ言葉は少女に届き、涙を浮かべながらも少女は駆け出す。
さきほど床を切り裂いたせいで二階へ下る通路は使えず、少女は屋上への階段を登って行った。
「ちょっとちょっと、逃がしたりしないって」
すぐに追おうとしたヴァイスは、爪の刀剣をジャスティカから引き抜こうとする。
しかし、己の命がもはや風前の灯火となっていながらも最後の力を振り絞り、ジャスティカは両手で爪の刀剣を掴み、それを阻止した。
この状況を打開する策があるわけではない。
これはただの足止めだ。
「まったく、途中までは楽しかったんだけどなぁ」
ヴァイスは刺した爪を縮ませながらジャスティカの目の前まで歩き、空いている右手の爪を伸ばす。
「今まで楽しかったよ、ジャスティカ」
まさに爪を振り下ろさんとしたその時、ガガ、と電子音が鳴る。
『待ってヴァイス』
その声はジャスティカの耳に付けられている端末から漏れ出た声だった。
スカーレットが端末の通話をスピーカーモードへ変えたのだろうと、ジャスティカは気づくが、声を発することができない。
スカーレットの声を聞いたヴァイスは手を止め、少しだけ目を見張る。
「おや、この声は……」
『ヴァイス、こちらの負けよ。その子はもう戦線に復帰できない。無駄に命を散らさないで』
しばらくスカーレットの声に聞き入っていたヴァイスは、にやりと微笑む。
「ほうほう、これは面白い。まさか君がそちら側に回っているとは」
通信機の向こうにいるスカーレットに話しかけるようにヴァイスはジャスティカを見る。
「ふふふふふ。これは良い事を知ったなぁ。うん、彼が助かるかは分からないけれど、収穫もあったことだし、今日はこれくらいにしておいて、こっちはさっさと用事を済ませよう」
すると、ヴァイスは右手の爪で左手の爪を切った。
爪の刀剣が刺さったまま、ジャスティカは膝から崩れ落ちる。
『すぐに回収に向かうわ』
スカーレットの声はジャスティカに届いてはいるが、もはや体の感覚は失われつつあった。
そこで、立ち去ろうとしていたヴァイスが体ごとくるりと振り返る。
動けないジャスティカは視線だけをヴァイスに向ける。
「なんちって」
途端、ヴァイスが右手を風のように薙ぐ。
振るわれた爪の刀剣は狙い違わず、ジャスティカ、ケンイチの体を袈裟懸けに切り裂く。
これまで以上の血しぶきがあがり、ケンイチは痛みすら感じる暇がなかった。
『――っ!』
ケンイチはスカーレットの悲鳴を聞いた気がしたが、聴力はすぐに遮断され、意識は暗い闇の中へと溶けて消えた。
こんな便利ブーツ履いてみたいものです。