第01話 「不滅の英雄 I」
とある人工島の都市中央に建てられている大病院にて、ケンイチ・E・コウヅキは今日、退院の日を迎えていた。
女性の看護師に連れられ、ケンイチはしばらくの間お世話になった病院を歩く。
出口へと向かう途中、廊下の壁に設置された鏡に映った己の姿が見え、傷が完治したことを改めて自覚し、ケンイチはほっと胸を撫で下ろす。
頭に巻いていた包帯は既に取り払われ、今は短めの黒髪がハリネズミのように元気に逆立っている。
久しぶりに着た私服は上下オレンジ色のジャージで、持ち主の明朗快活さを表している。
表情もまた明るく、無駄に明るいのが唯一の取り柄だよな、と友人からは良く言われている。
十代後半の男性として平均的な体格をしており、どこからどう見ても健康体であることに、ケンイチは今日退院できることに笑みを浮かべる。
「思ったより早く退院できて良かったですね、ケンイチさん」
ケンイチが立ち止まって喜んでいる様子に気づいたのか、女性の看護師は笑顔でそう言うと、ケンイチは少し頬を赤くし、サックを背負い直して再び歩き出す。
「いやー、一時はどうなるかと思いましたけど。本当にお世話になりました」
ぽりぽりと後頭部をかきつつ、ケンイチは看護師に礼を言った。
「強盗から人を守るのは立派だけれど、もうそんな無茶をしちゃダメよ。また大怪我しても命が助かるとは限らないんだから」
優しく論する看護師に、ケンイチは「肝に銘じます」と短く答えて苦笑いを浮かべる。
病院のフロントまでたどり着くと、看護師がふと誰かを見つけ、歩みを止める。
「あら、あの人って確か前にケンイチさんに会いに来てた警察の人よね?」
退院したばかりの者にいきなり事情聴取に来たのかと眉をひそめる看護師を、ケンイチは慌てて手を振って否定する。
「あぁ、今日は警察として来てるわけじゃないですよ。退院祝いとして個人的に会いに来てくれてるだけです」
ケンイチに説明され、看護師は半信半疑といった表情を浮かべるが、「そうなんだ」と一言つぶやき、とりあえず納得してくれた。
「まぁ、それなら見送りはここまでにして、私は仕事に戻るわ。退院おめでとう。体は大事にね」
看護師が手を振り、ケンイチは「ありがとうございました」と頭を下げ、病院の出口へと向かう。
「フーさん!」
ケンイチは病院の出口近くに立っている男の名を呼ぶ。
二十代半ばに見えるフーと呼ばれた男性は、ケンイチに気づくと手を振った。
いつもは制服を着ているフーだが、今日はプライベートということもあり、青いジャンパーにデニム色のジーンズをはいている。
疲れた表情を浮かべているが、それがこの人の平常時の顔であることは、これまで数回会った際にケンイチが気づいたことだ。
フーの髪は警察官としてはギリギリの長さまで伸ばされており、髪を切りに行く暇がないほど仕事が忙しいのだろうかとケンイチは思ってしまう。
だとしたら、せっかくの暇をわざわざケンイチに合うために使っていることになるのではないだろうか。
今更申し訳ない気分になってきたケンイチだが、フーはそんなことも知らずケンイチの前まで歩み寄ってくる。
「ケンイチ君、退院おめでとう」
少しだけ暗いトーンでフーはケンイチに祝いの言葉を送るが、これもまた平常時のフーのテンションだ。
「ありがとうございます、フーさん。忙しいのにわざわざ祝いに来てくれて」
「いや、君のおかげで前の事件の被害者が最小限に抑えられたのは事実なんだ。助けられた人達と警察側を代表して、礼を言うよ」
「大袈裟っすよ」
頬をかいて困った顔をするケンイチだが、フーは全く気にする様子もなく、ケンイチの肩に手を置く。
「ともかく、英雄の退院祝いだ。昼飯をおごらせてくれ。近くのファミレスで申し訳ないけど」
そう言い、二人は予定通り、病院の近くで営業されているファミリーレストランへと向かった。
「改めて、退院おめでとう」
「ありがとうございます」
注文した料理が出揃い、フーがドリンクをかざすと、ケンイチはそれに習ってドリンクを持ち上げてフーと乾杯する。
時刻は午後二時を周り、昼飯時が過ぎた店内にはケンイチ達以外の客はほとんどいない。
二人がもそもそと昼食を取っていると、店内に設置されたテレビからニュースが流れる。
『先日、コーストシティにて犯罪組織、黒星により銀行が襲撃されるという事件が発生しました。黒星への対処が未だ追いつかず、ここ、アイルシティへの影響も心配されています』
テレビから聞こえてくるニュースに、ケンイチは食事の手を止めていつの間にか聞き入っていた。
フーもニュースが気になったのか、フォークをテーブルに置いてじっとニュースを見ている。
『黒星による犯罪は未だ留まることを知らず、被害が拡大して行く傍ら、正体不明の人物ジャスティカの活躍が注目を集めています』
テレビの映像には、『黒星』と呼ばれる犯罪組織のトレードマークである黒に塗りつぶされた五芒星が映し出されている。
その隣には、ブレてしまってはいるが、ジャスティカの写真が紹介されていた。
ジャスティカは顔をフードで、上半身を長いマフラーで隠しており、男性なのか女性なのか判別できない。
しばらくニュースを眺めていると、ドリンクを一口飲んだフーが口を開いた。
「ケンイチ君、今日僕がここに来たのは君の退院を祝うためでもあるけれど、忠告するためにも来たんだ」
「もしかして、黒星ですか?」
ケンイチの予想は当たっていたらくし、フーは唇を引き結び、こくりと頷く。
「あぁ、奴らの武力に正直我々警察では対処しきれない。軍隊の力が必要とされる状況だが、警察側の訴えを国が聞いてくれない。最近では、我々の士気も低下しきってまともに動こうとする者が少ないんだ」
フーはいつものように無表情のまま淡々と話すが、彼の拳が固く握られているのをケンイチは見逃さなかった。
一度目をつぶり、フーは生気のない瞳をケンイチに向ける。
「恐らく、この街にも黒星の手が回ってくる。そうなる前に、君はこの街から逃げるんだ。できれば、君の知っている人全員にも、同じように忠告して欲しい」
警察としては頼りにならない発言だが、勤務時間外の今だからこそできる忠告をしてくれたのだろう。
ケンイチの身を案じてかけてくれた言葉だが、当の本人は笑顔で首を横に振る。
「ありがとうございます、フーさん。でも、俺逃げないっすよ」
「なぜだ?」
いつもの暗いトーンがもう一つ下がったような声でフーが聞き返す。
それとは対照的に、ケンイチの表情は明るい。
「俺、この街、アイルシティが好きですから。身寄りがいなかった俺を拾って支えてきてくれた人達を置いて一人でここから去りたくない。それに、この街はきっと守られますよ。なんたってフーさんみたいな隠れ熱血警官達が隣町のコーストシティで黒星と戦ってくれてるし、ジャスティカだっている」
「……ジャスティカ、か」
謎の人物の名を呟き、フーはちらりとテレビ画面に未だ映っている写真を見る。
「確かに、彼……彼女かもしれないが、ジャスティカが現れて多少なりとも黒星の悪事を押さえ、かろうじてコーストシティの市民は守られている。だが、黒星の力は増して来て、被害も深刻化してきている。他人任せにしている我々警察の言えたことではないが、ジャスティカの限界が近いのかもしれない」
「そんなことないっす」
現実を突きつけるフーの重い言葉にケンイチは笑顔で返す。
「何度挫けようと、何度傷つけられようと立ち上がる。ジャスティカに希望を見出す人が居る限りあいつは戦います」
ケンイチは疑いのない目でそう断言し、フーはやれやれといった様子で首を振る。
「それ、どちらかというとこの前の事件の君じゃないか」
「褒め過ぎっすよ」
気恥ずかしいのかケンイチは笑って誤魔化し、それが面白いのかフーに少しだけ笑顔が戻る。
明るい雰囲気が二人の間に漂い始め、それを感じたケンイチはフーに親指を立てた。
「ジャスティカはそう簡単にやられたりなんてしないっす。あいつは不滅だ」
「不滅、か。そうかもしれないね」
フーはドリンクを再度飲み始め、ケンイチは昼食を再開する。
テレビはいつの間にか今日の天気を流しており、黒星とジャスティカに関するニュースはいつの間にか終わっていた。
食事を終えた二人は会計を済まし、レストランの外へと出ようとする。
その時、先に扉から出たケンイチが誰かにぶつかってしまう。
「て、うお」
「あ」
ケンイチは軽く後ろへ仰け反るが、ぶつかった相手はバランスを崩して転んでしまった。
「うわ! すいません、大丈夫ですか!」
転んでしまった相手を助け起こそうと手を伸ばしたケンイチの手が止まる。
尻餅をついて地面に座り込んでいたのは、金色のウェーブがかった髪と空の色のように青い瞳をした少女だった。
年は恐らくケンイチと同じく十代後半、派手すぎないアクセサリーやメイクは少女を少しだけ大人びさせ、外見は可愛らしいというよりも美しさが際立っている。
赤色のワンピースと茶色いロングブーツの間からは引き締まった白いふとももが見える。
だが、目を見張るのはやはり少女が握っている介護用の杖だろう。
ケンイチは罪悪感に苛まれ、つい手を止めてしまった。
少女は右足の自由が利かないらしく、ケンイチが差し出した手に己の手を添える。
「大丈夫よ、私の不注意も悪かったわ」
「あ、いや、そんな」
我に返ったケンイチは少女を助け起こし、少女の所有物らしい赤いバッグをケンイチの後ろにいたフーが拾う。
「ありがとう、助かったわ」
少女は落ち着いた様子でバッグをフーから受け取り、さらりと礼を言った。
その少女の表情と声に、ケンイチはぴくりと眉をひそめた。
初対面だとは思うのだが、なぜか既視感を覚えたからだ。
「あの、俺たちどこかで会ったことある?」
すると、少女は少し驚いた様子で目を見開き、ニヤリと怪しく笑う。
「あら、ナンパの口上としてはちょっとありきたり過ぎるんじゃないかしら?」
言われ、ケンイチは今更ながら己の発言が誤解を真似かねないと気づく。
後ろに立っていたフーがおもむろにふむ、と顎をさすった。
「若いうちは盛んだから仕方ないが、あまりハメを外しすぎると僕が出てくるぞ」
諭すようにフーがケンイチに語り、会話があらぬ方向に展開されていく様をケンイチは両手を振って慌てて止めようとする。
「いや、そういうつもりじゃなくて!」
ケンイチがどう言い訳したものかと困り慌てふためく様子が滑稽だったのか、少女はくすりと笑った。
「冗談よ。確か病院で何度か見かけたわよね。包帯も取れたようだし、退院したのかしら?」
言われてみれば入院中に何度かすれ違った事を思い出し、ケンイチは納得の意味を込めて頷く。
「あ、あぁ、そうなんだ。今日退院した。君はたまに病院に来ていたような気がするけれど」
「えぇ、私は病院で定期的に検査してもらってるの。今日もその帰りよ」
居住まいを正し、少女はもう一度ケンイチを見やる。
「ともかく、退院おめでとう。もう無茶をしては駄目よ」
そう言い残し、少女はその場から去っていく。
杖をついてゆっくり立ち去っていく姿を、ケンイチはしばらく見送った。
やはり、彼女の声をどこかで聞いたような気がするからだ。
そしてまたもう一つ疑問が浮かぶ。
もう無茶をしては駄目?
彼女とは今のが初めての会話のはずなのだが、なぜ彼女はケンイチが無茶をして入院したことを知っていたのだろうか。
疑問が深まるばかりだったが、そこでこほんとフーが咳払いをし、ケンイチは我に返る。
「さて、僕もそろそろ仕事に戻らないといけない。仕事の先輩を拾ってからコーストシティに戻るよ。ケンイチ君はどうするんだい?」
「俺はちょっとデパートに寄ろうと思います」
「送っていこうか? 病み上がりがあまり歩き回っちゃいけない」
少し心配した面持ちで気を使ってくれるフーだが、ケンイチは手のひらをひらひらと振る。
「そんなに遠くないし、大丈夫ですよ。久しぶりに外に出たんでリハビリがてら歩こうかと思います」
二の腕を持ち上げ、ケンイチはエネルギーが有り余っている様をフーに見せつけた。
フーは何か言いたげだったが、ケンイチの様子を見て頷く。
「……分かった。また何かあったら以前上げた番号にかけてくれ」
ありがとうございます、と一礼し、ケンイチはフーと別れ、一人デパートへと向かった。
ケンイチとフーが別れ、それぞれが別の場所へ歩いていく様子を、赤いワンピースを着た少女が遠くで見ていた。
さきほどぶつかってしまった時は少し気が動転したが、どうにか問題なく彼らから離れることができた。
すると、少女のバッグから着信音が漏れ、少女は道路際に設置されていたベンチに腰掛け、五センチほどの黒い端末を取り出す。
近未来的なデザインをしたそれは通信機能を備えており、少女は着信ボタンを押すと端末を耳にかける。
『ようスカーレット、用事は終わったか?』
電話の相手である男はずいぶんとしゃがれた声で少女をスカーレットと呼んだ。
「えぇ、次の検査は来月よ。と言っても、治るわけじゃないから、これ以上悪化しないようにただ診てもらっているだけだけどね」
そう言い、スカーレットは己の動かない右足に目を落とす。
『まぁ安全第一、健康一番だ。それよりもちょっと気になる情報が入った』
男が後半だけ声のトーンを落として語ったので、スカーレットの眉が潜まる。
『星が動いた、アイルシティに向かっている可能性がある』
その言葉の意味を理解したスカーレットは、バッグから一枚のコインを取り出し、手のひらの上で弄び始める。
器用にコインロールをしつつ、スカーレットは思考を巡らせる。
これが彼女なりの精神統一の方法だ。
「目的地は特定できているのかしら?」
『いや、ご丁寧に何台も車を出して別々のルートを走っている。だが、全車がアイルシティ方面へ走っているのは確かだ』
スカーレットの現在地は人工島の上に立つアイルシティと呼ばれる島唯一の街であり、コーストシティとはこの人工島のすぐ隣にある陸地の街だ。
アイルシティとコーストシティの間には幾つもの橋がかけられており、車、電車、バス、モノレール等が毎日何百台と通っている。
スカーレットは親指でコインを宙へ弾き、手のひらでそれをキャッチする。
コインは表を向いており、白いバラのデザインがスカーレットの目に入る。
「インディゴ、迎えに来てくれるかしら? 嫌な予感がする」
電話の相手、インディゴは『もう着くぜ』と返すと通信を切った。
するとインディゴの言葉通り、スカーレットの目の前を真っ黒な大型トラックが停車した。
運転席側の窓が開くと、運転手が腕を窓から突き出す。
「乗れ、スカーレット」
そのしゃがれた声はまさしくさきほど通信していた相手、インディゴだ。
灰色の髪は五十代半ばである彼によく似合い、無造作に伸ばされた髭と髪を後ろへと流しているからか、ライオンのような風貌と荒々しい印象がインディゴにはある。
青色のレザージャケットは彼の大きな体格にマッチし、とても年老いた体には見えない。
端末とコインをバッグの中に戻し、スカーレットは横に置いていた杖を手にとって立ち上がる。
インディゴと視線を合わせ、スカーレットはこくりと頷いた。
「すぐに奴らの目的地を探しましょう、思っていたよりこの街への侵攻が早い」
スカーレットを乗せたトラックは発進し、不穏な空気が漂い始める街を駆ける。
キャラクター登場回。
これからキャラクターを小出しにしていきます。