序章 「そして世界は黒く煌めいた」
きぃん、と金属が弾かれる音が星空の広がる夜に鳴り響く。
宙へと舞ったコインは何度か回転すると垂直に落下した。
落下したコインは待ち構えていた手のひらの上に収まり、コインの裏である赤いバラのデザインが持ち主の目に留まる。
コインの持ち主である少女は、己の手のひらの上のコインをしげしげと眺める。
十代中頃であろう少女は、ウェーブがかった金色の髪を肩まで伸ばしており、派手すぎないアクセサリーやメイクは少女を少しだけ大人びさせ、外見は可愛らしいというよりも美しさが際立ち、怪しい笑みには妖艶さが垣間見える。
夜空に溶けてしまいそうなほどの黒いドレスを着た少女は建物の屋上に一人立っていた。
少女がいる建物はあたり一体の中で一番高く、街を一望できる。
少女の隣には巨大なアンテナが立っており、少女がこの場所にいることが似つかわしくない事をありありと示す。
すると、屋上に一人の男が入って来た。
白いスーツに白いシルクハットを被った男だ。
男は妙にくねくねとした動作で歩き、少女とアンテナの間に立つ。
腰まで伸びた長い髪をうなじあたりで結んでいるため、男が歩くのを追随するかのようにしっぽのような黒髪がなびく。
アンテナを見上げ、大きい口をにやりと釣り上げるこの男はまさに憎悪と悪意の塊のようだと、シュヴァルツと呼ばれた少女は思う。
「シュヴァルツ。正義、とは何だと思う?」
なんの脈絡もなく話をおっ始める男に、シュヴァルツと呼ばれた少女はじつに面倒臭そうな表情を浮かべる。
「哲学の話? そんなお寒いこと考えてる暇があるなら働いた方がマシだと思うわよヴァイス」
シュヴァルツは男、ヴァイスの問いかけをさらりと流そうとした。
しかしヴァイスは唇を尖らせ、えー、と子供のように不満を漏らす。
「連れないなぁ、これはとても重要なことだよ。当てずっぽうで良いから言ってみなよ」
ため息を出しつつ、シュヴァルツはコインを手のひらで弄びながら考える。
「……一般的に正しいと思われる行動が正義じゃないの?」
「そう、それ! その一般的っていうのは誰の一般?!」
ビシィ、とヴァイスはシュヴァルツに勢い良く指差す。
シュヴァルツはうんざりとした様子でヴァイスに視線を向けず言葉だけを投げる。
「大衆じゃないの? 膨大な数になるけれど」
「それじゃあ、どうやってその数えきれない人たちが思う正しいことを見定めるのかな?」
「面倒な話に付き合う気はないわよ。何が言いたいのよ?」
話の着地点が見えないず、シュヴァルツはため息混じりに言った。
対してヴァイスは実に楽しそうにニヤリと笑う。
「結局は、何が正しいのかと最後に判断し行動するのは己自身ということさ」
「……で?」
それがどうしたっていうのよ、とシュヴァルツは目でヴァイスに訴える。
ヴァイスはシルクハットを取り、人差し指でくるくるとそれを回す。
「一般的に悪者と呼ばれる僕達も正義の味方と同じく、己の思う正しい行動を取っている」
大げさに両肩をあげ、芝居がかった悲しい顔を演じ、話を続けるヴァイス。
「けれど、虚しいね。大衆に認められた者は英雄となり、大衆から否定された者は悪と断定される」
ヴァイスは空をあおぎ、なぜか悲しい表情を浮かべた。
「やっていることは同じだというのにねぇ」
ヴァイスが元々狂った性格をしていることを知っているシュヴァルツは、適当に話を流した方がよさそうだな、と心の中でつぶやき、手元のコインを弄ぶ。
が、シュヴァルツは何かに気づいて顔を上げた。
「ヴァイス、下が騒がしいようだけれど?」
そう言ってシュヴァルツは建物の下から聞こえてくる音を耳で拾う。
銃声と怒号、爆発音までもが、遥か高みに位置するシュヴァルツ達にも届いてくる。
「どうやら我々の作戦を垂れ込んだ者がいるようだねぇ、面白いことをしてくれるよ!」
心の底から楽しんでいるのか、男、ヴァイスは嬉々として手を叩く。
「部下のほとんどが防衛に回っている。この様子だと、奴が来るかもしれないねぇ。とても鬱陶しい」
そう言いつつ、ふふふふふ、と噛み殺すように笑いを漏らすヴァイス。
一方、シュヴァルツは右手に持ったコインを指の上で転がし始める。
癖なのか、指を巧みに動かしてコインロールをしつつ、シュヴァルツは何かを考える。
「ここを占拠して一時間、エレベーターは封鎖済み、階段には部下が配置されている。この防衛を奴は一人で突破できるのかしら?」
きぃん、ともう一度コインを指で弾き上げ、シュヴァルツはそれを視線で追って空を見上げる。
すると、上昇するコインを飛び越えて、何かが星空へと舞う。
「あは、本当に来たようね」
シュヴァルツがコインをキャッチすると同時、ビルの外から飛び上がってきた何者かが屋上へと降り立つ。
上半身を白いフードと長いマフラーで覆い隠し、顔が見えないどころか性別の判別すらできない。
シュヴァルツはコインを持っていた小さなバッグの中にしまい、ヴァイスは待っていましたと言わんばかりに白いシルクハットを投げ捨てる。
「待っていたよ想い人!」
ヴァイスは両手を広げて満面の笑みを浮かべる。
黒いブーツを打ち鳴らしながら、未知の来訪者はシュヴァルツとヴァイスへ向かって歩き出す。
「良いね、良いよ、良いじゃないか! 私は好きだよ、己の信念、感情に素直な人は!」
シュヴァルツに後ろへ下がるよう肩手で促し、ヴァイスは正体不明の者へとスキップする。
ヴァイスが右手を横へと振ると、ヴァイスの右手の爪が一メートルほど急激にまっすぐ伸び、五本の爪先を合わせると、白い刀剣へと早変わりした。
異形なるその姿を、しかし、その場にいる誰も驚かない。
想定内の展開だと言わんばかりに、正体不明の相手はヴァイスに向かって一直線に走り、ヴァイスもまたそれに応じて迎え撃つ。
「お互いの感情をぶつけ合おうじゃない! 突き合おうじゃない! 乳繰り合おうじゃない!」
地面に触れるほどに長い爪は火花を散らし、ヴァイスは笑い声を上げて突撃する。
その様子を見ていたシュヴァルツは人差し指を唇に当て、誰にも聞こえないように呟く。
「さぁ、貴方の意志を見せてみなさい……ジャスティカ」
白い刃が閃き、漆黒の蹴りが舞い上がる。
その日、街中の灯りが消え、一瞬だが強烈な光が街全体を覆った。
後に暗闇の煌きと呼ばれる事になるその事件の全容は、未だ誰にも知られていない。
スローペースになると思いますが、つらつらと連載していこうと思います。
前々から書いてみたかった変身ヒーロー物です。