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九話

 結局、修練って言うのは、自分をどれ程まで追い込むかにかかっている。

 自分の限界。精神の限界。その双方に極限まで迫る事で得られる、高純度の負荷。

 力みの後にある解放。カタルシス。

 それが自身の肉体を精錬していく。

 例えてみれば、何度も打ち延ばされる鍛鉄のように。


 だから、限界まで自分を追い込み続けなければならない。

 そうしなければ、強くなれないから。

 強くなれなければ、何も得る事は出来ない。

 弱いと言うことは、ただそれだけで罪悪だ。

 その罪悪は、何よりも重く、厳しい。


 弱い事こそが悪なんだ。


 弱ければ奪われ、蹂躙される。

 強い者こそが、蹂躙し、奪う事を許される。

 強いと言うことは、ただそれだけで免罪符になり得る。

 その強さと言うのは、あらゆる形の強さが存在している。


 例えば武力。

 例えば財力。

 例えば権力。


 それは如何なる形の物でも構わない。ただ力であるならばそれで十分だ。

 そして、力には様々な形があるように、その強さと言うのも千差万別に異なる。


 武力では財力に勝てない。

 財力では権力に勝てない。

 権力では武力に勝てない。


 もちろん、それは極単純な、そして誤解を恐れない方法の比喩でしかない。

 財力と言う武器で、権力者の権力を削ぐことが出来るように。

 武力と言う武器で財力を持つ者から財を奪えるように。

 権力と言う武器で武力を持つ者を不当に処刑できるように。


 そして、そのどれもを持たない者は、ただ奪われる者だ。

 中世の人間が、ヒエラルキーの最下層に居た者たちから搾取していたように。

 弱い者たちは、強い者たちの餌、道具だ。

 強い者にはそれが許され、弱い者はそれに従うことしか出来ないのだから。


 そして、搾取される者は、決して幸せになる事は出来ない。

 こじんまりとした、ちっぽけな幸せは得られるのかもしれない。

 例えば、愛する者と家族を持つように。


 確かに、家族を作ると言うことは幸せなのかもしれない。

 だが、その家族を護る事も出来ないような人間に幸せなどない。

 いつ不当に奪われるかも分からない幸せなんてものは、砂上の楼閣に過ぎ無い。


 オレたちが不当に搾取され、オレがそのとばっちりを食って奴隷になったように。

 弱い者はいつだって泣いている事しか出来ない。

 だが、弱いままでいいわけが無い。

 強くなれるのなら、強くなって、奪う側に回る事が出来るのなら。

 それは如何なる労苦を厭わずして突き進むべき道だ。

 そうでなければ、何も得る事は出来ない。

 幸せと言う、人を動かす原動力も。


 幸せになりたい。


 幸せは椅子取りゲームだ。

 ほんの僅かな、たった一握りの人間がその椅子に座る事が出来る。

 敗北した者は幸せを得る事が出来ず、地べたを這いずる事になる。

 弱い者は地べたを這いずる事も、ましてや椅子取りゲームに参加するなんてことも出来はしない。


 椅子取りゲームに参加する強者に媚び諂い、そのお零れに預かる事しかできない。

 それは腐肉を漁る下等な生物にも等しい。

 オレはそんなのは嫌だ。

 他者を蹴落としてでも、絶対に幸せになりたい。


 だから、椅子取りゲームに参加する強者にならなければいけない。

 強くならなければ、何もできない。

 弱い事はそれだけで罪悪なのだから。

 罪悪を持つ者は、搾取され、罰せられる。そう言うものなのだ。


「今日も相変わらず気合い入ってんなぁ」


 唐突に横合いから声がかかって、思案に耽っていた思考が現世へと立ち返る。


「まぁ、な」


 流れる程になっている汗を腕で拭い、デリックの言葉に応える。

 努力しなければ何も始まりはしないのだから、努力するのは当然のことだ。

 そう思いながら、ふと窓の外を見やれば随分と日が落ちてきている。

 体もかなり疲労して、腹も減っている。


「そろそろ、メシにするか」


 一旦メシにして、栄養補給を終えたら再度修練を始めよう。

 栄養が無ければ体は衰える。修練は大事だが、食事はもっと大事だ。


「今日も外に喰いに行くのか?」


「闘技場のメシはすくねーんだよ」


「まぁ、それもそうだがな」


 それに闘技場のメシはマズイ。マズイものを好き好んで喰う奴は居ない。

 それに、メシを好き放題に喰う金はあるのだから、外食に行ったところで何の問題も無い。

 何かの規則に違反しているという訳でもないのだし。




 何時ものようにメシを食った後は、筋肉の疲労を取るためのストレッチを兼ねて散歩をする。

 町を歩く足取りは軽い。

 筋肉痛はおおよそ癒えてきたが、それでも厳しい修練の繰り返しで中々完治はしない。

 それでもまぁ、歩ける程度ではあるのだが。


 日が落ち始めた町は、活気が残りながらもどこか暗い。

 それは物理的なものではなくて、精神に直接やってくるもの。

 この町は、成功者たちの町。選ばれた者が、その傲慢さで生きる町だ。

 ただ、この町の市民として生まれる事が出来た、というだけの幸運で。


 その選から漏れたオレは、こうして自分の命をチップにして金を稼がなくてはならない。

 いや、それはオレですらまだマシな方なのだろう。


 裏路地に目をやってみればすぐにわかる。

 そこにはオレと同じく不運だった者たちが群れを成している。

 奴隷同然の雇用条件で日々の糊口を凌ぐものや、奴隷として売られた者たちの骸が転がる場所。

 そこに一歩足を踏み入れれば、いとも簡単にこの町の裏の顔が見えてくる。


 栄える場所があれば、その逆に貧しくなる場所もある。

 この町では、それがすぐ近くにあるというだけの事なのだ。


「きゃあああぁぁっ!?」


 そして、その裏路地を通り過ぎようとした時、オレは足をひっ掴まれた。

 もうそれだけで思考回路はスパークして、口からは勝手に悲鳴が漏れだし、その場にへたり込んでしまう。


「お、おい、大丈夫か?」


「だ、だだだ、大丈夫……び、びっくりさせんなよチクショー!」


 デリックに声をかけられて、少しだけ冷静になる。

 そこでようやく、その裏路地に転がっていた人間に足を掴まれたのだと知る。

 ブロンドヘアの少女だ。少女とは言っても、オレより年上のようだが。

 たぶん、十四歳か十五歳くらいだろう。

 その腕には、おびただしい数の発疹が浮かんでいる。何だこれ?


「お、おーい。は、離してくれ」


 ぺしぺしと頭を叩いてみても、呻き声が聞こえてくるだけだ。

 無理やり引っぺがしたら、腕折っちまいそうで怖いな……。

 というか、腕の皮膚がべろりとめくれてるから、皮膚が剥がれそうで更に怖い。


「娼婦か。ひでぇ毒を貰ってるみてぇだな」


「あん? ああ、こいつ娼婦か……ってことは……」


 この症状、梅毒、か。

 この世界にも、あるんだな。

 見たところ、もう二期になってる。この世界には抗生物質も無いし、助からないだろう。


「とにかく腕離してくれねぇと帰れねぇな……よっと……」


 指をほぐして、足から離す。

 握力も殆ど失っているのか、抵抗はさほどでもなかった。


「じゃあな。一つだけ教えといてやると、梅毒は高熱を出すと菌が死滅する。熱病に罹れば生き延びれるかもな」


 殆ど意味のない助言をして、そいつから離れていく。

 オレに出来る事はない。

 もしかすれば、なにか出来るのかもしれない。

 けれど、見も知らぬ他人の事なんて、構っていられない。

 薄情なのかも知れない。けれど、そうする以外に道が無いことも、確か。

 オレの両手は、オレの身を守るだけで精一杯なんだ。





 そして、闘技場へと戻れば、また修練を始める。

 限界まで自分を追い込んで、やがてそれが来た時にベッドに倒れ込む。

 全身の筋肉疲労で動けそうにもない状態になって、ようやく眠りに就く。

 それがオレの毎日。

 生き延びるための、布石の一つ。





 毎日を繰り返し、やがて休養期間も終わりを告げる。

 明日は、休養の終わり。

 そして、ファイトが組まれている。

 相手は猛獣。ライオンだそうだ。

 やれると、不思議と確信していた。

 理由も無い、根拠も無い。けれど、確信出来た。

 ライオン如きには、もう負けはしないと。


「……まぁ、とりあえず、今日は英気を養うとするか」


 明日に疲れを残すのも拙い。

 鈍らない程度に修練をしたら、今日はそれで終わりとする。

 明日に全力を発揮出来るように調整をしておかなければならないのだ。

 だから、とりあえずメシを食いに行こう。


「そう言うわけで、メシ食いに行くぞ、デリック」


「おうよ。その後はもう休みか?」


「ああ。疲れ残しちゃ拙いしな。今日は本でも読んでるさ」


「それがいい」


 そう言うわけで、町へと。


 食事も、さして特筆する事はない。

 何時も通りたらふくメシを食った。ただそれだけだ。

 まぁ、よく喰うせいで食費が凄い事になってるが。

 それも闘技で稼げばいい。いずれにしろ、勝ち続けなければ命運は繋がらないのだから。


「さて、俺は帰るとする。最近、帰りが遅かったせいでリウィアがお冠だからな」


「そうか……悪いことしたな」


「気にすんな。リウィアもお前の為って言ったら許してくれたしな。けど、機嫌は悪くなるってもんだ。女心は難しいな」


「そーだな」


 正直オレにも女心は分からん。

 体が女でも、頭は殆ど男のまんまだからな。

 一応推測は出来るっちゃ出来るが、女との接点が増えただけで推測できるようになっただけだし。


「まぁ、今日は早く帰って仲良くしてろ。あ、ニンニクが性欲増進に効くらしいぞ」


「お前はどうしてそう下品な発想に辿り着くんだ?」


「男と女の仲直りつったら、古来からソレって決まってんだよ」


「まぁ、そう言われればそうなんだが……まぁいいや。ニンニクだな。覚えとく」


 そう言いながら、デリックが立ち去って行く。

 それを見送った後、オレは腹ごなしに散歩を始める。

 半分暇潰しで、残りの半分は夕飯の用意だ。

 闘技場のメシはもう嫌だ。なので、冷めても美味しく頂ける物を買っておく。


「金貨千枚くらい落ちてねぇかな」


 都合のいい妄想を呟きつつ、町をぶらぶらと歩く。

 なんかちょうどよく美味そうなもん売ってないかな。

 あ、あの揚げ物は美味そうだな。


「おっちゃん、これ何?」


「おう、クモのフライだ。喰うか?」


「やめとく」


 クモは食える。うん、食える。でも好き好んで食いたくはない。

 うーん……何かないかね……。

 お、またもや美味そうな店発見。


「なぁ、あんちゃん、これ何?」


「粥だ。器持って来たら銅貨一枚で一杯だ。ないなら銅貨一枚で器を貸してやる」


「……うーん」


 屋台の鍋を覗き込んでみる。

 どろどろぐちゃぐちゃの麦粥。わぁ、すっげえマズそう

 しかもなに、このスゲェ生臭くて塩っぽい物体は。


「イワシの塩漬けだ。コイツで粥を食うんだ。うめぇぞ?」


「え、これ、イワシ? どう見ても内臓だけど」


「そらそうよ」


 完全に貧民食だわな、これ。

 腹は膨れそうだが、冷めたら食えたもんじゃないだろう。

 ううん……何かいいものが無いか……。

 そう思ったところで、足を掴まれた。

 デジャヴを感じるその感覚。

 悲鳴を上げる事も無く、足元を見下ろす。


「こないだのとは、別人か」


 ブルネットの髪をした十二歳くらいの女の子。

 この子も、梅毒に掛かっている。

 あの時の子供よりも、症状は軽いが。


「はぁ……」


 今はまだ、日が出ていて裏路地が見渡せる。

 だから、その路地に、この子供と同じような子が、何人も転がっているのが見えた。

 饐えた異臭は、梅毒で出来る腫瘍の膿。そして、死体が腐乱していく臭い。


 こいつらのようには、なりたくないと、そう思えた。

 これが、奪われていく者たちの末路。

 椅子取りゲームに参加する事すら出来ず、参加者に媚び諂って生きていくしか出来ない者たち。

 人生の敗者。底辺を這いずり回る者たち。


「悪いが、見知らぬ人間を助けるほどオレは優しくないんでね」


 そういって、しゃがみこんでその腕を引き離そうとする。

 その時、そいつがゆらりとした動きで顔を上げて、虚ろな目でオレを見ながら、声を発した。


「た、すけ……て……」


「だから、オレはそんなに優しくないんだっての」


 助けを求められても、オレには出来る事など無い。


「まぁ、冥福は祈ってやるよ。あの世では精々幸せにな」


「まって……おね、がい……」


「無理言うな」


 手を引き離して、立ち上がる。よし、オッケー。


「ニーナ……たすけて……」


「――――は?」


 なんで、オレの名前を知ってる?


 嫌な予感が脳裏に走って、オレはそいつの顔を引き上げて覗き込んだ。

 無数の赤い発疹が出来た顔。

 その顔立ちを認識して、ぞわりと嫌な汗が背筋に噴き出した。


「フェリス……か?」


「そう……おぼえてて、くれた……」


「……お前も、奴隷になってたのかよ」


 フェリスは、オレの隣の家の子供。

 オレの五つ年上の少女。だから、今は十三歳のはず。


 そして、オレが五歳の時に、姿を消した。


 冬に入る少し前に姿を見なくなった。

 その年は、不作の年だった。だから、その行方は聞くまでも無く分かってしまって。

 フェリスは死んだのだと思っていたのに、どうしてこんなところに、居るんだよ。


「ニーナ……たすけて……わたし、死にたく……ないよぉ……」


 そのフェリスが、涙を流しながら、オレに助けを求めていた。

 薄汚れて、死に瀕しているその姿は、どうしようもなく哀れで。

 助けようと、思わず体が動きかけて……。


「ごめん……!」


 それでも、オレは、見捨てた。

 オレには、フェリスを助けてやれない。

 オレの両手は、オレ一人を護るので精一杯。

 誰かの手を引いてやることも、護ってやることも出来ない。

 だから、見捨てるしかなかった。


 怨みの声も、絶望の声も聞きたくなくて、耳を塞いで走り出した。

 何を恨めばいいのだろうか。

 神様なんてクソッタレな物を恨めばいいのだろうか。

 弱い自分を恨めばいいのだろうか。

 それとも、他の何かを恨めばいいのだろうか。


 分からなくて、ただ我武者羅に走った。

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