八話
体が熱い。
熱にうなされるそれとは違う、体そのものが火照っている。
全身の筋肉が疼くような痒いような、奇妙な感覚。
それが一体なんだろうと思いながら目を覚まし、起き上がろうとした瞬間。
「ぎっ、ぃぃっ……!」
全身を貫いた鋭い痛みに呻き声を上げた。
その痛みは腕と背中と脚を中心として走り、電流にも似た不愉快な痛みが全身を襲う。
痛みに思わずのけぞれば、全身からその痛みが発せられる。
「はぎっ、ひぎぃっ……ういぎぎぎぎ……」
痛くて痛くて、悲鳴を上げるのが止められなかった。
それくらいひどい痛みがオレを襲っていた。
そして、ゆるゆると全身の力を抜いて脱力すれば、その痛みは和らいでいく。
「うぐぉぉお……い、いてぇ……」
まぁ、筋肉痛、なのだろう。
この痛みのタイプは、たぶんだが筋肉痛だ。
ここまで酷い筋肉痛と言うのは、前世も今世も含めて初めてだが。
「う、うおおっ……!」
とはいえ、筋肉痛だからってずっと寝てるわけにもいかない。
気合いを入れて、無理やり起き上がる。
腹部と肩に奔った激痛に息が詰まりながらもベッドの上に座った状態になって、一息つく。
「こ、ここまで酷い筋肉痛とは……や、休み貰っててよかった……」
左目の失明と言う、視覚の半分を失う大怪我をしたのだ。すぐに慣れるわけもない。
だから、それに慣れるまでは休みを貰っている。猶予は二週間。
それまでに感覚を取り戻しておけ、と言うお達しだ。
片側の視界だけで過ごすのに慣れるのではなく、これでは筋肉痛と戦うのに休みの大半を費やす事になりそうだが。
「くっそぉ……」
舌打ち。こんな痛みにかかずらっている場合じゃないのに。
体を鍛える事だけに集中できる環境にない事が恨めしい。
そもそも、修練士って段階を踏まずに剣闘士になる事自体がおかしいんだ。クソったれ。
「ぐぐぐ……と、とにかく、ストレッチでもしておくか……あいだだだっ……」
筋肉に対する負荷にはあまりならないが、筋力の維持として無意味ではない。
とにもかくにも、行動をしなくては……。
ストレッチを続けて、クソ不味い朝食を食べて、またストレッチ。
一時間ほどみっちりとストレッチをしたあと、デリックと共に修練場へと。
「お前、なんでそんなギクシャク歩いてんだ?」
「体がイテェんだよチクショウ!」
「そ、そうか……あんま無理すんなよ?」
まぁ、筋肉痛になってる状態でトレーニングをして意味があるのかは分からない。
だが、やらなければ、そこで腐って行ってしまいそうな気がする。
だから、オレは可能な限り自分を追い込み続ける。
限界まで、また動けなくなるまで。
その時に、肉体はそれに反旗を翻す。
こんなはずじゃない結果を、覆すために。
だから、無茶無謀はやって当然の事。
「……よし」
刃を潰したグラディウスを構え、同じくグラディウスを構えるデリックと正対する。
構えと言えるほどの構えも無く、適当に振りやすい体勢で。
「じゃあ、行くぞ。あんまり無理はするんじゃねえぞ」
その言葉と同時に、デリックが打ちかかって来た。
上段から振り下ろされる一撃。
上背のあるデリックが、その体躯を生かすための愚直ながらも効果的な一撃。
その一撃を、横に体をズラす事で回避。
「だらぁっ!」
そして、その間隙に、剣を突き込む。
普通なら、これで殺れる。
だが、デリックは一瞬にして剣を引き戻し、背後へと飛び退りそれを回避。
そして、横薙ぎの一撃を放ってくる。
「くそっ!」
避けれない。いや、仮に避けたとしても、体勢が崩れる。受けるしかない。
その判断を半ば本能的に下し、剣の軌道にオレの剣を差し込む。
金属と金属の激突する音。
手に痺れ。筋肉痛が奔らせる、電流のような痛み。
それを感じ取りながら、力づくで剣を弾き飛ばす。
オレの腕力は、真正面からの打ち合いであればデリックに匹敵、あるいは超えている。
持ち味を生かす事、生かさなければ、負ける。
「ニーナ、おめえは判断がおせえ! 打ち込む前に考えるんじゃねえ! イケると思ったらブチこめ!」
デリックの叱責が飛ぶ。
その叱責を聞きながらも、再び振るわれた剣にこちらも剣を振るって合わせる。
剣と剣が激突する音が響き渡り、オレとデリック双方の剣が弾き飛ばされる。
そして、次の瞬間に、オレは剣を投げつけていた。
「ばっ!?」
予想外の事態に一瞬思考が停止したのか、デリックの動きがあからさまに遅れる。
だが、顔に向けて投げつけられた剣を回避したのは流石か。
しかし、避け方が悪かったな。顔を逸らして無理やり避けるやり方じゃ。
「とったぁっ!」
デリックへと飛びつき、その首筋へと掴みかかる。
「うおっ! クソッ!」
引き剥がそうとしてくるのを堪え、首筋を締め上げる。
これだ。重要なのは触れる事。
剣だけにこだわる必要はない。
それに拘泥する事は、選択肢を狭める事と同義。
ただ急所に触れるだけでいい。それだけで必殺足り得る。
「離せってんだよ!」
デリックがオレを無理やり引き剥がし、一瞬、オレは空を飛んだ気がした。
ああ、そりゃもちろん気のせいで、デリックがやったのは、オレを引っぺがして持ち上げただけだ。
「ぐげがっ」
そして、その次の瞬間に背中から地面に叩き付けられた。
く、くそ、カエルが潰れたような悲鳴が出たじゃねえか。
「バカヤロォ! ボディスラムする奴があるか! 死んだらどうする!」
ここの地面は土とは言え、よく踏み固められた土だ。
その強度はコンクリートに勝るとも劣らない。
下手したら首の骨が圧し折れて死んでたところだ。
「お前が悪いんだバカヤロー! いつまでも首に掴みかかりやがって! 何のつもりだアホ!」
「必殺技の考案中だ! オレが殺す気なら今頃お前はボロ屑になってたところだ!」
これは本当だ。オレがやるつもりなら、今頃デリックは致命傷を負っていた。
さすがに修練でそこまでするつもりは無かったので、やらなかったのだが。
「ほー!? 言うじゃねーか! ならやって見せろや! おう! おうおう! やってみせろ! おう!」
「もう寸止めもしねー! 今度はマジでぶっ殺してやる!」
「こっちのセリフだクソガキ! 大人の恐ろしさを思い知らせてやる!」
まぁ、その後、まるっきり子供の喧嘩になったのは余談だ。
「クソッ、お前のせいで無駄な時間を使った!」
「へっ。まだまだひよっこだ」
結局、その後デリックは早々触らせてくれなかった。
まぁ、剣を使った戦闘の練習にはなったからそれでいいのだが。
今は昨日と同じく、剣を振り回し続けている。素振りだ。
デリックは元々長時間戦えない。
かつて膝に受けた矢の後遺症だと言う。
短時間ならば戦えるのだが、膝は痛みを訴え始め、立っているのも辛くなるらしい。
だから、デリックが戦えなくなれば、必然的にオレは一人での修練をすることになるわけだ。
「で、お前の言う必殺技、ってぇのはなんなんだ?」
「必ず殺す技」
まさに必殺技。
「いや、そういうことを聞いてるんじゃなくてな……」
それは分かってる。だが、わざわざ話すつもりは無い。
デリックが誰かに情報を漏らすとは思って居ないが、どこで誰が聞き耳を立てているか分かったものじゃない。
だから、これは取っておきだ。来るべき時に開陳する。それでいい。
「いずれ見れるさ。それまで楽しみにしておきな」
「はあ。そんならまあ楽しみにしとくがよ」
この必殺技を披露した時に、闘技場の面々が驚く顔が目に浮かぶようだ。
この必殺技で、アイツを必ずブチ殺してやる。
そう意気込んだ時、腹が鳴った。……締まらねえ。
「……腹減った」
「まだ昼飯には速えぞ」
「マジかよクソッタレ。そう言えばオレって休養日扱いだよな。出かけていいのか?」
「ああ、構わんぞ」
「じゃあ、メシ食いに行く」
闘技場の不味くてショボくて寂しいメシなんか食ってられん。
見舞金なんだかファイトマネーなんだか知らんが、あの試合の後に金は貰えたからな。
豪勢にメシを食っても構いやしないだろう。
「行くぞ、蛋白質をたらふく取る。奢るぜ?」
体を鍛えるにあたって、蛋白質の摂取は重要だ。
それは血や肉を作る重要な栄養素なのだから。筋肉痛の解消にも重要だろう。
で、蛋白質取るにはなに喰えばいいんだっけ? チキン?
まぁ、なんでもいいや。闘技場のショボイ食事じゃ明らかに足りないしな。
「タンパクシツとやらが何だか知らんが、まぁ付き合うぜ。けど奢りはいい」
まぁ、そこらへんは大人の矜持があるか。
そう思いつつ、修練用の剣を乱雑に樽の中に放り込んで修練場から出る。
そして、金貨を十枚ほど持って、町へ。
とは言っても美味いメシを食わせる店に心当たりがあるわけでもなく。
デリックのオススメする食堂に行くことに。
食堂と言うと、大抵が立ったまま軽いものを食う軽食屋みたいなものらしいが、中にはちゃんと席に座ってしっかりしたメシが食える店もある。
まぁ、やっぱりそう言う店に限って少々割高なようだが。
とは言っても、焼き鳥一皿銅貨三枚とか、魚のムニエルが銅貨五枚とかで、オレにとってはさほど高いわけでもなく。
なので、気にせずに語感的に美味そうなものを適当に頼む。
もちろん、食い切れる範疇で、だが。
金があるからと言って、無駄に浪費するのは馬鹿な事だ。
「…………よく喰うな、お前」
「腹減ってるからな。……まぁ、自分でもちょっとおかしいような気はするが」
ちょいと頼み過ぎたかな? と思わないでもない量をぺろりと平らげてしまえた。
それでもまだ余裕があったので追加注文して、今は二度目の追加注文した料理を食っているところである。
体積的には入っててもおかしくないのだが、にしたってこんなに胃が広がるもんなんだろうか。
「まぁ、食わなきゃな、例え無理してでも。楽々入るってんなら好都合なくらいだ」
とにかく食って食って、体を作らなきゃいけない。
元々、栄養不足で発育不良なのだ。出来るだけ食べて、太らなくては。
と言うより、適正体重まで増やさなくては。ウェイトの差は少しでも埋めておきたい。
それに、自分の事とは言え、女の子が骨が浮くくらい痩せてるのを見るのは辛いんだ。
「あんま食うとデブになるぞ」
「早々なりゃしねえよ」
確かにデブになりたくはないが、一回思いっ切り食ったくらいではデブになったりはしない。
そう思いつつ、とにかく食う。喰うべし喰うべし。獣のように喰うべし。
「っ……てて……」
唐突に、左目に痛みが走った。
時折、幻肢痛のように目が痛む。昨日だけで、四回はこうして痛んだ。
血は出ないのが救いだが、これがまた鬱陶しい。
「どうした?」
「いや……ちょっと、目が……」
そう言った直後、また異様な焦燥感に襲われた。
こうしていてはいけないと、焦燥がオレを掻き立てる。
左目の疼きと、燃える憎悪の焔が、オレを苛む。
こんなことをしている場合ではないと、訴えてくる。
――――黙ってろ。
オレの感情は、オレの物だ。
オレの物をオレが御し切れないわけが無い。
だから、黙っていやがれ。
すべきこと、やらねばならないこと、それらを成し遂げなくてはいけないのだから。
ただ、復讐の炎は、静かに燻り続けていればいい。
来るべき時に、盛大に燃え上がればいい。
「ああ、たく、鬱陶しい……」
左目の痛みをトリガにするように、あの時の憎悪が何度でも蘇る。
その憎悪はオレを掻き立て、焦燥感を募らせるのだ。
左目が痛む度に訪れるのだから、堪らなく鬱陶しい。
「大丈夫か?」
「ああ、平気だ……平気だが……クソッ!」
また怒りが燃え上がる。
ダメだ、自分の感情を制御し切れていない。
それを自覚出来るだけ、まだマシな状況なのかもしれないが。
「クソッ、ムカつく。ムカつく。マジでムカつく」
苛立ちがオレを襲う。
ああ、クソッ、イライラする。
なんだってこんなにムカつくんだ、チクショウ。
「どうした、ニーナ。そんなにイライラして」
「何が何だかわからねえがムカついてしょうがねえ。ああ、クソッ!」
地団太を踏みつつ、コップの水を飲み干す。
この苛立ち、どうにもしようがない。
とにかく、体を動かして、鍛えて居なければ、紛らわす事も出来そうにない。
「こうなったらとっととメシ食って修練のやり直しだ! 付き合え!」
「お、おう」
オレは魚のムニエルに豪快に齧り付き、テーブルの上の料理を片づけ始めるのだった。