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七話

 あの試合から、一日が経った。

 目を失ったショックで怨嗟の声を吐いた直後にオレは気絶したらしく、気付けば自分の部屋で寝ていた。

 ほんの数時間前にデイダスがやって来てオレの治療をしたばかりだった。


 そして、オレを襲うのは、あの闘技での記憶。


 狂おしい程の憎悪。

 身を焦がす憤怒の炎。

 全身を掻き毟り、皮膚を引き剥がしたくなるほどの耐え難い屈辱。


「目が疼く……クソが……!」


 疼く。目が、抉られた左目が、疼く。

 あの時を思い出し、耐え難い怒りが湧き上がる都度、傷が痛む。

 虚ろとなった眼窩からは血が流れ出している。

 怒りが血流を増大させて、どうにも傷が完全に塞がらない。


 許せない。絶対に許せない。

 オレの、オレの目を、奪いやがった。

 オレが受けるべきだった賞賛の声を、奪った。

 何よりも許せないのは、オレが、怯えた事。


 カッ、と、頭に血が上り、左目から流れる血が増える。

 ぐらぐらと頭が沸騰する。

 オレが、犯される事に怯えた事。

 そして、あの男に阿るような真似をした事。


 それは、絶対にしてはならなかったこと。

 このオレの尊厳と意地にかけて、決して許してはならなかったこと。

 それをやってしまったのが、許せない。


 怯えた事が、オレが敗北を認めたことが。

 何よりも許せない。


「クソッ!」


 拳を壁に打ち付ける。

 ごっ、と鈍い音が響き、拳に痛みが走る。


「クソッ! クソッ! クソッ! クソォォォッ!」


 何度も何度も、拳を壁に打ち付けた。

 苛立ちと屈辱を紛らわすように。

 自分への罰のように、何度も打ち付けた。

 

「クソッ! クソッ……! クソッ……。チクショオ……」


 拳が血に濡れ、骨に嫌な痛みが走るようになって、オレは崩れ落ちた。

 こんな真似をして、何になるって言うんだ。

 自分の事を痛めつけても、何の意味も無い。


 分かっては居る。分かって居ても、自分を抑えきれない。

 耐え難い屈辱が、左目に映る濁った白色の視界に否応なく掻き立てられる。

 もしも眼球が残っていたとすれば、オレは何の躊躇も無く引き抜いていただろう。

 例えそれに何の意味も無かったとしても。


「チクショオォォ……!」


 どうして、オレはこんなにも弱い。

 どうしてオレは、女になんて生まれてしまった。

 男なら、男に生まれて居れば、もっと結果は違ったはずだ。


 奴隷になんてならなかったかもしれない。

 もっと体は強かったかもしれない。

 あの男に負ける事なんてなかったかもしれない。

 目を抉られるなんて屈辱を、味わわなくてよかったかもしれない。


 自嘲する。


 もしかしてとか、かも知れないとか、たらればの事を考えたって意味は無い。

 ただの逃避。ああだったらよかったのになんていう、下らない幻想。


「チクショウ……」


 泣きたかった。

 自分が情けなくて。なによりも悔しくて。

 それでも、涙を流したら本当に負けてしまうような気がして、意地でも涙を流さないように歯を食いしばった。


「殺してやる……ぶっ殺してやる……」


 意思を固めるように、オレは怨嗟の声を吐いた。

 必ず、必ず殺してやる。

 その目玉を抉り取って、クソの山に放り投げてやる。

 あのツラをぐちゃぐちゃに潰してやったら、どれだけ爽快だろう。

 ブツとタマを踏み潰してやったら、アイツはどれだけ泣き喚くだろう。


 漆黒に燃える憎悪の焔に、復讐心と言う糧をくべてオレの心臓は動き出す。

 ふつふつと滾る激情の炎はオレの肉体を動かす。

 全身の血液がマグマに変わってしまったかのように、身体が熱い。


「――――殺してやる」


 改めて意思を固めるように、その意思を言葉にした。


 もう、泣き言は言わない。

 今すべきことは、ただ一つ。

 あのクソ野郎をぶっ殺して、思い知らせてやる。

 この滾る復讐の炎を、叩き付けてやる。


「楽には死ねんぞ……!」


 今この場には居ない、あの男に向けて怨嗟の声を吐く。

 そして、オレの怒りに呼応するように、全身から炎が噴き出す。

 オレの体すら滅ぼそうと言う程に猛る紅炎。

 オレの激情を糧に燃える、復讐と憎悪の焔。


 魔法なのか、それとも別の何かなのかは分からない。

 分かるのはただ、この炎はオレの意思に呼応して燃える事。

 そして、オレが目を抉られた事で目覚めた新たな力。


 たった今得た力だと言うのに、今までずっと使い続けて来たかのように馴染む。

 全身を舐めるかのように猛る焔は、まるで失った目の代わりに得たようで。

 そして、決して諦めようとはしないオレを祝福しているかのようで。


 ――――何より、復讐を肯定しているようで。


 オレは笑みを浮かべると、燃え盛る炎を消す。

 炎を使うのは今この時じゃない。

 激情の炎は、ゆっくりとオレの中で解放の時を待ち続ければいい。

 しかるべき時に、使ってやるさ。


 そして、オレは歩き出す。

 復讐の為に、まずすべき事は自分を鍛える事。

 もう、身体を痛めるだのなんだのとグダグダと抜かしていられない。

 強くならなくては、いけないのだ。

 どんな無茶を重ねても、強くならなくてはいけないのだ。




 部屋から出ようと扉を開いたとき、何かに激突して扉が中途半端にしか開かなかった。

 そして、部屋の外から呻き声が聞こえる。


「おい、誰か居るのか?」


 部屋の外に声をかけると、扉が外側から開けられる。

 そこには額を抑えながら呻き声を上げるデリックが居た。

 どうやら、部屋の扉の真ん前に突っ立っていたらしい。


「なにやってんだお前。扉の前に突っ立ってんじゃねえよ」


「そりゃ悪かったな……おー、いてぇ……」


 それほど強く開けたつもりは無かったのだが、不意打ちだったので痛かったんだろう。


「で、何か用か? 悪いがオレはやらなきゃならんことがある。おしゃべりをしてる暇はない」


「ああ……ええと、なんだ、その、傷の具合はどうだ? デイダスにはちゃんと治ったと聞いてるが……」


「ぼちぼちだ」


 傷口は未だに疼く。

 だが、何か無茶をしなければなんということも無い。

 片側の視界が無いせいでどうにも距離感が掴めないが、慣れれば何とかなるだろう。


「そうか……これ、やるよ」


 そういってデリックが差し出してきたのは、黒い布地のバンダナだった。


「まぁ、なんだ、使えよ」


「ありがとよ」


 そう言って、腰まである髪の毛を持ち上げて、そのバンダナをリボン代わりにして縛る。


「……なぁ、普通、眼帯代わりに使わねえか?」


「ああ、これそのために持ってきたのか」


 考えてみればそれもその通りだと思い、髪を解いてバンダナを頭に巻く。

 左目だけを隠すような形で巻くと言うのは初めてで、少し手間取った。


「どうだ?」


「……いいんじゃねえか? まぁ、その、なんだ……気ぃ落とすなよ」


「別に気ぃ落としちゃいねえよ。今は燃えてるくらいだ」


 今のオレは滾ってる。

 それが復讐と言うロクでもない考えだとしても。

 だが、復讐にはロクでもないものでも意味はある。

 少なくとも、オレの心は満足する。

 この狂おしい程の憎悪は消える。

 それならば、復讐は何も生まなくとも意味はあるのだ。


「そうか……? 無理はするなよ? なんなら、剣闘士を引退することだって俺が掛け合っても……」


「やめろ」


「……そうか」


 それがデリックの優しさだと言うことは分かって居る。

 だが、その優しさに甘える事は出来ない。したくない。

 オレは、復讐をやり遂げなければ、もう一度歩き出す事すら出来ない。


「デリック、悪いが付き合ってくれるか」


「何をするんだ?」


「修練だ。リベンジのために、次は絶対に、勝つために」


「ああ、分かった」


 絶対に負けない。負けられない。もう二度と負けたくない。

 オレは不敗でなければならない。オレは勝者でなくてはならない。

 名声を得るために、全ての者からの賞賛を浴びる為に。

 理由なんてそれだけで十分。


 オレはもう負けたくない。


 だから、どんなことだってする。

 強くなるためなら。

 名声を得る為なら。

 賞賛を浴びる為なら。




 剣の修練。それはただ剣を振り回しているだけで済むようなものじゃあない。

 剣を持つ相手と切り結ぶ事を想定するのならば、剣を持つ相手と切り結ぶ事でしか修練は出来ない。

 ただ素振りを行うだけでは、イメージトレーニングと筋力トレーニング以上の意味は無い。

 だから、剣の修練には相手が必要となる。


 それでも、オレは一人で黙々と剣を振り続ける。

 手に出来た肉刺が潰れ、血が滴っても。

 疲労した腕がパンパンになり、限界を訴えても。


 必要が無い、意味が無いからと言って、それをやらない理由にはならない。

 それを言ってしまうのならば、オレはここに立っている意味すらなくなる。

 剣を振る必要が無いのなら、闘技場に居る必要も無い。

 闘技場に居る必要が無いのなら、勝つ必要はない。

 勝つ必要が無いのなら、鍛える必要だってない。


 だから、こうして自分を追い込む。限界まで追い込んで、追い込み続ける。

 どんなに僅かでも結果があるのなら、いや、例え結果がついて来なかったとしても、それをやる意味はある。


 努力は自分を裏切らないなんて陳腐な事を言うつもりは無い。

 努力は自分を容易く裏切る。だが、努力しなければ、信頼に応える事も無い。

 ならば、限界まで努力を積むしかない。

 いいや、限界を超えてでも、努力を積む。


 限界を超えない事に、意味は無い。

 限界を超えてなお挑戦し続け無ければ、ダメなのだ。

 スタートラインから遥かに出遅れているオレでは。限界を超え続けなければならない。


「おい、ニーナ。いい加減にしとけ。そろそろ腕が引っこ抜けちまうぞ」


 思案に耽っていた最中、唐突に横合いから声がかかる。

 ずっと、オレの素振りを眺め続けているデリックが棘のある声で注意を促していた。

 ある程度、デリックと打ち合い続けてデリックがへばった後、オレはずっとこうして素振りを続けていたのだ。


「引っこ抜けたらくっつけ直しといてくれ……」


 その時が、きっとオレの限界を超えた先の限界なんだろう。

 自分を追い込むと言う事は、自分の思う限界に追随していく事ではないのだ。

 もう動けないと、肉体が意思にどうあっても応えなくなった時こそが終わりの合図。

 頭にナイフを突きつけられても、目玉を抉り取られそうになっても、肉体が意思に応えない。そんな状況こそが。

 そして、その時に行われた素振りこそが、最も価値がある。


 全身全霊の力を振り絞って行われる最後の一回こそが、最も価値のある素振りなのだ。

 いや、言ってみるならば、それまでの全ての動作はその一回の為だけに存在するお膳立てだと言ってもいいのかもしれない。

 限界を超えた先の、本当の限界。

 そこに辿り着いた時の素振りこそが、全てを凌駕する価値を持っている。


 だから、その価値ある結果を得るために。オレは素振りを続ける。

 意思が、根性が、気合いが、そう言ったものが肉体を動かし続ける限りは。

 追い込むと言うのは、そういうことだ。


「別に、帰っててくれても、いいぞ。素振りは、一人でも出来る」


 素振りを続けながら、デリックに言う。

 デリックは気楽な一人身ではない。

 リウィアと言う妻の居る身だ。

 オレだけに感けていられるような立場ではないだろう。


「いや、お前の事は見張らせてもらう。迂闊に一人には出来ねえ」


 それはオレの身の安全の為だろう。

 だが、それが外的要因なのか、内的要因なのか。

 他の剣闘士に因縁をつけられると言うことが無いとは言えないのだから。


 しかし、傍に居てくれると言うのなら、それはありがたい事だ。

 オレは、何の気負いをすることも無くトレーニングに挑み続ける事が出来る。

 自分自身の、本当の限界を探る事が出来る。






「あんまり無茶ばっかりしてたら、ぶっ壊れちまうぜ」


 ため息交じりにデリックが言う。

 それは、呆れと怒りがない交ぜになった声だった。


「悪かったな。だが、それでもオレはやらなくちゃいけない」


 結局、オレは限界に至れたのだと思う。

 握力が無くなって、バンダナで剣を自分の手に無理やり固定してまで振り続けたのだから。

 これは、明日になれば筋肉痛は確実だろう。

 最後には歩く体力すらなくなって、デリックに部屋まで連れて来てもらったくらいなのだから。


「……まぁ、無茶するってんなら、しっかり見張ってるからいいさ」


 そういって、デリックが苦笑する。

 迷惑をかけているな、と、自覚した。

 それでも、オレはやらなくちゃいけない。

 やらなくては、オレと言う存在が壊れてしまうような気すらするから。


「……悪いな」


 だから、出来るのは謝罪だけ。

 その謝罪にデリックは再び苦笑すると、オレの頭を撫ぜた。


「いいってことよ。お前は、なんだかやってくれるって気がするからよ。さ、早いとこ寝ちまいな。明日も修練だろ?」


「ああ……」


 確かに、酷く疲労している。

 目を閉じれば、すぐさま眠りに落ちて行くだろうと確信出来るほど。

 だから、デリックの申し出は素直にうれしかった。


「じゃあな、鍵はかけとくぜ」


「分かった……おやすみ……」


 デリックの声に返事を返しながらも、オレはもう半ば眠りに落ちて行っていた。

 デリックが部屋から出たのを認識する前にはもう、オレは夢も見ないほどに深い眠りへと落ちて行っていた。

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