四話
街には活気があった。
道行く人々の数は多く、開かれている市場では様々な珍品や名品が並んでいる。
町並みには節操がない。
あれやこれやと混ざり合い、とりあえず取り入れてみましたと言わんばかりの有様だ。
絨毯を売っているらしき店ではペルシャ風っぽい絨毯の横には日本の茶道で使う緋毛氈のような絨毯があり、かと思ったらその横には金属で織られたタペストリがぶら下がっている。
道行く人々の服装も無茶苦茶だ。
古代ローマ風のトーガっていう服みたいなのを着てる奴もいれば、全身を覆う中世の騎士の甲冑のようなものを身に着けている奴も居る。
それだけに飽き足らずに、デニム生地みたいなものの服を着てる奴もいるし、左前で和服らしきものを着てる奴や、媚びを売ってるのかと疑わんばかりのメイド服を着てるやつもいる。
文化が無茶苦茶だ。日本よりひどい。
少なくともオレの住んでいた村は全員麻の服を着ていたのに、この町の混沌具合はなんなんだか。
「どうだ、この町には活気があるだろう。お前の村なんかとは比べもんになるまい?」
「それより、なんで男も女もメイド服を着てるのか教えてくれ」
オレの視線の先にはメイド服を着た男と女が居た。その前には紳士服みたいなものを着た四十がらみの男が歩いている。
細面の優男が着ていたのを見たのが唯一の救いだ。
もしも筋骨隆々な大男がメイド服を着ていたのなら、オレは自分の目を抉るか、その男を殴り殺すか、あるいは見なかったことにしていただろう。
「うん? なんでって、奴隷の仕事着は皆あれだろう」
「……男専用の服とか無いのか?」
「男と女で服を分けるのも変だろ」
その考え方の方がもっと変だろ……オレの村じゃ少なくとも女しかスカートは履いてなかったぞ。
「オレの村だと、ああいうスカートは女しか履かないものだったが……」
「ふむ。とすると、お前の村はシェンガの方に近いのかもしれんな。シェンガの方は男女で衣服を分ける風習がある」
「そうなのか……」
思わぬところで自分の故郷の情報を得られたな。
「で、シェンガってどこだ?」
分からないことは即質問する。
聞くは一時の恥っていうしな。
ここで聞き逃して後で聞けなかったら拙いだろうし。
「シェンガってのはここから西の方にある国でな。早馬で駆けて半月くらいの距離だ。あの国は独自の文化と風習が強くてな。七百年前の大分裂戦争の時に橋が架けられて陸続きになるまで、殆ど交流の無かった国でもある」
「ふぅん……意外と物知りだな。なんでそんなこと知ってんの?」
「昔は冒険者をやってたんだ。その後に奴隷になっちまったがな」
「そりゃまた運の悪い事だな。なんでまた奴隷なんかになっちまったんだ?」
「冒険者の扱うものは大概高い。それを借金して買って、払い切れずにな……まぁ、冒険者やってたから剣闘士もそんなに大変ではなかった」
「ふうん。払い切れねぇようなもん買ったおっさんも案外間抜けだなぁ」
「いやな、本当なら払い切れたはずなんだ。けど、膝に矢を受けてしまってな。治療を受けられる状況でもなかったから、冒険者生命は終わっちまった。そうなりゃ金も稼げねえってわけでな」
「そらまた運が悪いな……」
デリックも苦労してんだな。
「ところで、おっさんの家は何処なんだ?」
「もうちょっとだ」
さっきからそういってばっかりで全然着きやしない。
デリックがあっちこっち見て回ってるせいもあるが。
しかし、見る限り物価はどれもこれも安い。
鶏肉らしきものの串焼きが二本で銅貨一枚。黒パンは一籠で銅貨三枚。白パンだと一籠で銅貨八枚だ。
オレの現在の所持金が金貨百四十八枚。
あの試合のファイトマネーは金貨百五十枚だったのだ。減っている二枚は、しばらくの間の雑費と言うことで闘技場側に支払った。
さて、物価の説明だが、金貨は一枚で銀貨十枚。銀貨一枚で銅貨十枚になる。
つまり、オレは白パンを両手で抱えきれないくらいに買える。
しかし、物価が安いのもあるが、それ以上に剣闘士が高給取りというのもあるのだろう。聞けば水夫の日当が一日銀貨二枚程度だというし。
つまり、単純計算で剣闘士は一回の試合で水夫の五百倍以上を稼ぐという事だ。
そりゃもちろん剣闘士は毎日試合が出来るわけではない。
平均で言えば、月に十度。三日に一回程度らしい。怪我をすれば頻度はもっと減るし。
それでも相当な高給取りだろう。
「ほれ、あそこが俺の家だ。おい?」
「ん? ああ。いい家じゃないか。いや知らんけどな」
物価について考えているうちにデリックの家に辿りついていたらしい。
デリックの家はそれなりに大きい。剣闘士の訓練士も高給取りなんだろうか。
そう思いつつもデリックの後に続く。
「おーうい。今帰ったぞー、リウィア」
リウィアというのはデリックの嫁さんの名前だろうか。
その呼びかけに応じたのは金髪の肉感的な美女だった。
対するデリックは熊男という形容がピッタリの大男だ。
「美女と野獣、か」
こんなムサイおっさんがこんな美女を嫁に貰ってたら、世の中の優男はいったいどんな美女を嫁に貰えばいいんだろうか。
くだらない事を考えていると、そのリウィアとやらが穏やかな笑みを浮かべつつオレに近づいてきた。
「な、なんだ……?」
一言も喋らずオレに歩み寄ってくるその姿は何か異様な恐怖心を煽った。思わず後退りする。
美女なだけに何か怖い。美形って怖い、オレ覚えた。
「う、うお……うおおおお!?」
そして、リウィアがオレの脇に手を差し込み、オレを持ち上げた。
リウィアはそのままくるりと回って、笑みを深くすると、オレに頬ずりし始めた。
「まぁまぁ……本当に可愛らしいわ! あなたがニーナちゃん?」
「いいから頬ずりすんな! やめれ!」
「あら、ごめんなさい」
なんなんだこいつ……会ってから一分と経ってないのにマイペースだと確信したわ。
「すまんな。リウィアはのんきな奴なんだ」
「ああ、今ちょっと話しただけで分かったよ……」
デリックの申し訳なさそうな声に返事を返しつつも、なんだってこんな良家のお嬢様みたいな人とこの熊男が結婚できたのか疑問に思う。
「……リウィアとは昔パーティーを組んでた仲だ」
「へ?」
話に脈絡が無さすぎるぞ。いきなりなんだ?
「リウィアを見ると大体誰でも同じようなツラする。なんだってリウィアと俺みたいなのが? って顔をな」
顔に出ていたらしい。いやまぁ、こんな美女と野獣が結婚してたら誰だって疑問に思うよな。うん。
「しかし、冒険者ね……」
リウィアは線が細い。筋肉がついているようにも見えないし、その手にも肉刺があるようには見えない。
とすると、魔法使いとかそういう奴だろうか。あの闘技場でオレを治療してくれたデイダスみたいに回復魔法とかを使う奴なんだろうか。
「まぁ、なんでもいいだろ。ほれ、早くメシにしようぜ。リウィア、準備は出来てるな?」
「もちろん。たくさん作ってあるから、ニーナちゃんもたくさん食べてね」
「へいへい」
デリックに誘われて来たのだ、元からご相伴にあずかる気だ。
そしてオレはリウィアが腕によりをかけて作ってくれた夕食に舌鼓を打ち、久しぶりに……と言うか、生まれて初めてと言えるくらいに豪華な夕食を楽しんだ。
そして夕食を終えた後は暫くの談笑を楽しむ。話の内容は、主にデリックとリウィアの昔語りと、オレの故郷の話。
オレの故郷の話はそんな面白いもんでもないと思うんだがな。
しかし、この時間もそう長くは続かないと考えると少し残念だ。
元々剣闘士は自由に外出出来る立場ではない。
無論、全くできないというわけではないが、それでも制限がある。
なので、オレは日付が変わる前には帰らなくてはならないのだ。
「それでね、その時にデリックったら自分から炎の壁に突っ込んじゃったのよ。火への抵抗力を上げるために【パワーズ・オブ・レジスタンス/四大元素への抵抗力】をかけてたお蔭で大したことはなかったのだけどね」
「間抜けだなぁ、おい……」
「あの時は床が滑ったから突っ込んじまったんだ! 本当の俺なら華麗に潜り抜けてたっての!」
「華麗に炎の壁を潜り抜ける、か」
ライオンの火の輪潜りは見たことがあるが、熊の火の輪潜りは見た事無いな。
中々見ものだろうな。熊って見た目からして動きは鈍重そうだし。
「……お前、なんかひでぇこと考えてなかったか?」
「何を根拠に」
「俺の顔をニヤニヤしながら見てたら分かるってえの」
それもそうか。
「しかし、魔法ね……便利そうだよなぁ」
魔法、呪文、秘術、秘跡と色々と呼び方はあるが、やってる事は結局一緒らしいそれ。
それは物質や動作の持つ意味を用いて、世界そのものに働きかける事で現象を引き起こすという技術であるらしい。
習得には魔力が必要ではあるが、生物は本来からして魔力というものを持つらしく、学べば誰にだって使えるんだそうだ。
「ニーナちゃんも使ってみたいの?」
「使えるのか?」
魔法というからには勉強とかが必要なんだろう。そう考えると少々気が重い。
元々、頭を使うのは嫌いなのだ。
体を動かす方が好きなのかと言われると、どっちかと言えば頭使う方が好きではあるんだが。
「そんなに難しくないわよ。ほら、見てて」
そういうと同時、リウィアが差し出した手の先に不可思議な図形が構築されていく。
それは何かに似ているということは無い。だが、そこに何か、力というものが脈動していることが分かった。
「これは呪文回路。これを構築する事で式として、ここに魔力を流し込むことで式を成立させて結果を生み出すのよ」
「なるほど……で、どうやってやるんだ?」
「出来る、と思うのが大事よ。やってみて」
ううむ……出来ると思うのが大事と言われても困る。
とりあえず、リウィアの作ったその図形を見つつ、自分もそれを構築しようと考える。
「…………」
「出来ない?」
「無理」
簡単に出来たら苦労しないよなぁ……誰でも三日で魔法使いなれる! とかって触れ込みの本、どっかにないかなぁ……。
そんな都合のいい事を考えていると、リウィアが席を立って、すぐ近くの棚のようなものの中を漁る。
そして取り出してきたのは羊皮紙らしきものだった。
「お、スクロールか。何のスクロールだ?」
「【シールド/盾】のスクロールよ。この間作ったばかりだから使えるはずよ」
デリックの言葉によるとアレはスクロールか。
とすると、魔法のアイテムみたいに、それだけで魔法を使うことが出来るのか?
「ニーナちゃん。これを使ってみて。これには既に回路が構築されているの。あとは力を流し込むだけで使えるから、感覚を掴むのにはちょうどいいはずよ」
「あ、うん」
言われた通りにスクロールを受け取り、それを開いてみる。
スクロールの中には言われた通り、先ほどのものとは違う図形が描かれている。
そして四方に魔法陣のようなものがあるが、これは関係ないんだろうか? まぁいいや。
「つっても、力って言われてもな……」
「だよなぁ。俺もついにはスクロールも使えなかったんだ。ワンドは使えたんだけどな」
「普通はスクロールを使う方が簡単なはずなんだけどね」
うーん……どうやればいいのやら……。
不思議に思いつつも、スクロールを手に念じてみる。
力を込めるって言われてもなぁ……あれかな、昔の漫画みたいに、手から気弾を放つみたいな?
……なんか違うような気がするな。
うーん……むむむ……ええい、とにかく気合いを込めろ。
出来なけりゃ出来ないでなんとかなるさ。
「ぬぬぬ……ぬー!」
「ふふふ……」
「……あんだよ」
なんでオレのことを見て笑うんだか。
「いえね、そうやってると、なんだかすっごく可愛くて。私にも娘が居たらこんな感じだったのかしら」
「……聞いちゃ悪いと思ってたんだが、あんたら子供居ないのか? 答え辛かったら答えなくていいんだが」
「ええ……どうしてだか、できなくてね」
それはまた、重い話だ。
子供を産まない女に価値は無い……とまではいかないが、役立たずの烙印を押される事には違いない。
普通なら離婚になるのが当然の結末だ。
そうなっていない事を見るに、デリックはそんなことはどうでもいいくらいにリウィアの事を愛してるんだろうな……。
「まあ、湿っぽい話はやめにしようや。な? いずれ出来るって。な?」
「お、おう。そうそう。やれば出来るって言うだろ」
「それだ! ニーナ! お前いいこと言うな! やれば出来るはずだ!」
「ああ、じゃあ、そう言うことでお邪魔なオレはここらで退散するよ」
妹や弟が欲しかったら、姉、もしくは兄はさっさと寝ろ。そう言うことだ。
オレは別に姉じゃないが、ここにいたら邪魔になるだろう。
「お、おい。変な気ぃ遣うなって」
「いや、いいからいいから……お熱い夜を」
「だ、だから待てっての! というか何やるか分かってんのかお前は! マセたガキだな!」
「うるせぇ! いいから帰らせろ! オレは帰って寝るんだ!」
「まだ夜になったばかりだってぇの! まだメシだって思いっ切り食ってねえだろ!」
「いいか、オレは子供なんだ! 早めに寝なくちゃいかんのだ! そういうわけで帰って寝る! 今日は色んな意味でしんどいんだ!」
精神的にも肉体的にもな。比重は精神的ダメージの方に傾いてるがな!
「あらあら……うふふ」
「ほら見ろ! リウィアだってあらあらうふふって言ってるじゃねえか!」
「あらあらうふふから何を読み取った!?」
「知るかバーカ! デリックの熊野郎! リウィアのほんわか美人ー!」
悪口なんだか褒め言葉なんだかいまいち分からん捨て台詞を吐いて、オレはデリックの家から飛び出した。
家から飛び出したオレは一目散に闘技場に帰ると、オレに宛がわれている部屋に引っ込んだ。
「末永く爆発しろリア充ども!」
そして、叫びながらベッドに飛び込んだ。
「はー、はー…………あー……なんか無性に疲れた……」
まぁ、リウィアの作った飯は美味かった。それでよしとしよう。
今日はしんどくて、早く寝たかったのも本当だしな。
今日は色々と疲れた。肉体的にも、精神的にも。体の中で鉛を抱えて居るような疲労感がある。
「はぁー……あふ……ねむ……」
ベッドに全身を預けると、眠気が押し寄せて来た。
オレは生あくびを噛み殺すと、シーツに包まって目を閉じた。
さっさと寝よう。次のファイトは暫く先だって話だが、ゆっくりと体を休めておくのは間違いじゃない。
そう思いながら、オレは静かに眠りに就いた。