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三話

 本のページをめくる。記されている文字を目で追い、その意味を読み取って頭で理解して行く。

 

「最終戦争より過去、遥かなる山脈より来るは漆黒の不定形たる魔王。魔王たるや国々を飲み込み、数多の配下を創り出し、人々を阿鼻叫喚に貶める。世界は絶望に沈み、人々は怖れを抱き日々を生きた。その時、立ち上がる者あり。名をばカムイと言いける。カムイ、宣託の巫女より告げられし神託を聞き、方々を旅す。数々の仲間と共にカムイ、ついに魔王へと挑む。魔王との戦いは七日七晩続き……」

 

 読み難い。とにかく読み難い。持ってきてくれたデイダスには悪いが、スゲエ読み難い。

 どうしてこんなにも文章が硬いのか。難解ではないのが救いだが、読んでて疲れる。

 だが、半分ほど読み進めたお蔭で大体のところはわかった。

 

 この世界は根本の成り立ちからして色々とファンタジーだ。

 この星……つまりはオレが生きている惑星は、かつてあった途方もない戦いの余波で生まれたものらしい。

 全時空を総べる神が選定した英雄が全時空を滅ぼさんとした強大な存在と戦い、その戦いで滅んだ数々の世界の断片が繋ぎ合わさり、この世界が産まれた。

 そして、この世界はその成り立ちが原因で、他の世界への道が頻繁に開いてしまうらしい。

 

 正直眉唾な話なのだが、その英雄達が神々となって現在の世界に存在する……と言うのだから、少なからず真実は含まれているんだろう。

 

 そして、この世界はそんな事情から、非常に災厄に見舞われやすいらしい。

 序文に書かれていた創世記神話から、まだ四分の一も読んでないのに世界滅亡の危機なんて両手の指じゃ足りないくらい起きてる。

 

 最初は宇宙から来た邪神との戦いで世界が滅びかけた。

 これはさっき言った全時空を救った英雄たちが倒したらしい。その功績で英雄たちは神になったとか。

 

 次は異次元から侵攻して来た謎の怪物たちで世界が滅びかけた。

 これは全世界の人間が力を合わせて開発した魔道兵器で滅ぼして、数千人がかりで異次元への扉を封印したらしい。

 

 その次は世界のよどみが集って生まれた邪悪な存在が魔王となって人々を脅かしたとか。

 これは当時の人間が六人で戦いを挑んで滅ぼしたそうだ。

 ちなみに、世界のよどみが云々の魔王はこの後何回も出てくる。人間が居る限り復活するとかめんどくせえ……。

 

 そして、最終戦争って言われている戦争。数々の種族が戦争を起こしたらしい。

 この最終戦争の時に十二聖少女アリスが現れた。

 この本に記されてたのは、エルフ、獣人、人間の聖少女だけだったけどな。

 人間の聖少女はこの最終戦争の戦いを最後に誰も姿を見てないそうだ。

 

 その次、最終戦争の最中に起きた凍てつく時の大河って言われる世界規模の災厄。

 時空間因果律が完全に破壊されて、その世界全体の時が止まってしまうんだとか。

 これはエルフと獣人の聖少女二人が命を投げ打って防いだらしい。

 

 それから、短いと五年単位。長くても三十年単位で世界規模の災害やらなんやらが起きてる。

 今読んでいるのは、異次元から来た魔王で世界が滅びかけた辺りで、最終戦争以前に起きた出来事らしい。

 この世界が滅ぶのは日常茶飯事だぜ。冗談抜きでな。

 で、その魔王はカムイとかいう英雄が封印したらしい。

 その魔王は今でも封印されてて、その英雄の仲間たちが今でも番人をしてるそうだ。

 

「はぁ~……」

 

 とりあえず、キリのいい所まで読み終わったので本に栞を挟んで閉じる。

 背伸びをしてみると、身体のあっちこっちがバキバキ言う。

 この世界の成り立ちやらなにやらは、概ね分かった。分かったからなんなんだ、って話にもなるが、まぁ暇つぶしにはちょうどよかった。

 

「まだ日没前か……」


 今がいつごろかを確認する為に、部屋の上部に開いている明り取りの穴から外を見ると、夕焼けに燃える空が見えた。

 けっこう長いこと集中してたと思ったんだが、案外時間は経ってなかったんだな。

 とは言え、日没前ともなると眠くもなってくる。日没と同時に寝て、日の出と共に目覚めるのは至極当然のことだ。

 

「まぁ、寝るか」

 

 作り付けの机から離れ、ベッドの上に転がる。晩飯はまだだが、まぁいいだろう。一食くらい抜いても。

 そう思いつつ目を閉じれば、すぐに眠気がやってくる。

 入眠の前に考えるのは、いつもと同じこと。

 どうか、目覚めた時にまだこの世界に居ますように、と。

 

 

 

 それから二日ほどが過ぎた。その間に特筆すべき事は特になかった。

 既に奴隷ではないオレは部屋に閉じ込められているわけではないらしいので、多少は出歩いても構わないのだが、出歩く理由も殆ど無いので大半は部屋で過ごしている。


「しかし、いつになったらファイトが始まるんだか……」


 今までに何度か剣闘場で興行が行われていた事はわかっている。勉強になるだろうと見に行ったし。

 剣闘場でやる事は余り一定してはいない。

 主に主催者の気分だったり、参加する剣闘士の面子からその場で決めたり。

 戦争の再現のような事をしたり、水上戦の再現をしたりという大がかりな事は数日前に決めるようだが、やはりその場で決めるのが大半であるらしい。

 剣闘士同士で戦ったり、犯罪者らしきもの十数人がしっかり武装した剣闘士等に惨殺されるような試合はその場で決められる。

 正直、戦争の再現やら虐殺は見ていても一切勉強にならなかったが、剣闘士同士の試合はかなり参考になった。

 

 剣闘士同士の試合は、プロレスに近い。

 そりゃもちろん全く同じではない。まずプロレスのように台本は無い。勝敗だって決められていない。

 あるのはただ、観客を楽しませようという意図のみ。

 両者ともに決死の思いで戦っているが、そこでしっかりと観客を楽しませるのだ。まぁ、要するに試合を長引かせる。ただ、グダグダと引き延ばすわけではない。

 トドメを刺せる場面でも刺さなかったりとかといった感じだ。それ以外は本当に真剣にやってる。

 ああでも、凄い強いって評判の奴は相手を瞬殺してたな。それでも観客は熱狂してたからいいのかもしれないけど、それは前評判があったからだろうな。


「オレはどうしたらいいんだろうな。やっぱり苦戦しつつも、って感じなのか? いや、それはちょっと遠慮したいなぁ……」


 オレはどのように振る舞うべきか、それが一番の問題だ。

 オレは別に戦いが出来るわけでもないし、八歳児という絶望的なハンディキャップが存在している。

 そりゃ身体能力はあるし、武器だって素人よりはマシな程度には使える。しかし、それが慰めになるか? と言えば、気休めにはなる、というくらいだ。

 オレを死なせるような真似をしないとの言質は取っているが、それでも不慮の事故というものがありえる。


 そうなるとオレは本気で相手を殺しにかかった方がいいのだが、そうなると人気を取ることが出来るのか……。

 人気よりも命が大事と言えば大事なのだが、人気を取れなけりゃ剣闘士としての価値が失われる。つまりは契約が終わりになりかねない。それは命の問題に直結すると言ってもいい。

 金を稼ぐ手段が消えるというのはかなり致命的な事態と言える。

 バルティスタ共和国に於いて、仕事は主に奴隷がやるものだ。職業奴隷と言う奴。

 なので、働き口というのは極端に少ない。オレは読み書きができるが、その読み書きを使って働ける職場が、オレという女のガキを雇うかどうか……。

 それと、あの歓声を浴びることが出来ないというのは非常に残念でもある。


「オレはどうしたらいいんだろうなぁ、ほんと……」


 相手を本気で殺しにかかって安全を可能な限り盤石にするか、自分の命をチップに金と名誉を取るか。

 ずっと考えているのだが、これにまったく答えが出ない。本当にどうしたらいいんだ。

 そう思っていたところで部屋の扉が開かれる。

 そして部屋の中にデリックが入ってくる。


「何か用か?」


 このデリック、たびたびこの部屋にやってくる。それはメシを運びに来るのであったり、暇だからと顔を出しに来たりとだ。

 デイダスもデイダスで度々顔を出すが、デリックよりは頻度が少ない。何しろデリックは一日に五回は顔を出すからな。


「おう。用事があるから来るんだ。それ以外で来たことがあったか?」


「こないだ酔っぱらってオレに管を巻きに来た奴は誰だ」


「んなことする奴は誰だ。ったく、ふてぇ野郎だ」


「お前だお前」


 ちなみに、雑談をする中でオレが特別待遇だということも知った。

 普通の剣闘士なら相部屋で雑魚寝だ。流石に男女別に分けられはするらしいのだが。

 で、何故オレが小部屋を一人で使えているのかというと、オレがあまりにも幼すぎるからだ。

 そりゃ八歳の剣闘士なんて前例がなくて当たり前。大抵はあの少年のように食い殺されている。


 しかしオレは生き残って剣闘士になった。剣闘を開催している側も、どう管理していいか困ったので一人部屋にしたらしい。

 まぁ、八歳の女の子を、同性とは言え粗っぽい剣闘士と一緒にしたらどうなるかは想像がつきそうなものだ。賢明な判断と言える。

 これは熟達した剣闘士、あるいは自由民の剣闘士と同じ扱いらしい。まぁ、それはラッキーだと受け止めているが。


 ああ、自由民っていうのは一般市民の事だ。

 剣闘士がみんな奴隷っていうのは間違いらしい。まぁ、殆どが奴隷であるのも確からしいが。

 自由民が剣闘士になるなんてのは珍しい事だが、居ないわけではないそうだ。

 なんでも、皇帝が剣闘士として戦ったことも昔はあったとか……。


「んで、何の用なんだ? また嫁さんの愚痴でも吐きに来たのか? だったらお帰りはあちらだ」


「ちげえよ。お前のファイトの日程が決まった。四日後だ」


「へえ……ようやくか。相手は?」


 やっとか、という安堵と、そんなに早くか、という不安。その不安を押し留めるようにして先を急かす。


「相手は死刑囚だ。二人の男を毒殺した悪女でな」


「へぇ。公開処刑か」


 死刑囚が武器を持つことは許されない。そして防具もだ。

 そして、ちゃんと武装した剣闘士と戦う……まぁ、そうなりゃ結果は見えてるわけで。

 剣闘の名目を持った公開処刑って奴だ。

 

「まぁ、そうなるな。女は女同士で闘るのが定番だ。今戦える女剣闘士はお前ともう一人しかいねえからな。それでお鉢が回ってきた」


「なるほどな。で、どんなシチュエーションで戦う事になるんだ」


「どんなって、普通だよ、普通」


「その普通がわかんねぇから聞いてんだよ……」


 こちとら剣闘士歴三日だ。しかも訓練も受けてないと来た。

  普通は長期の訓練を受けて剣闘士として戦う事になるのだ。

  こりゃお先真っ暗だぜ!

 まぁ、相手は剣闘士ってわけではないからマシではあるけど。


「うーむ……まぁ、とりあえず服は着れる。乳には布を巻いて隠すんだ。死刑囚もな」


「乳なんかまだねぇよ」


 そもそもオレは栄養失調で発育が悪いんだ。腕だってガリガリだぞ。


「死刑囚は武器を持たされん。剣闘士は何を使ってもいい。相手によっちゃ奪われるかもしれんから、そこは気をつけろ」


「それは知ってる。他には?」


「うーむ……ファイトマネーは安い。楽な試合だしな」


「だろうとは思ってた」


 面接は獰猛な猛獣と殺し合いをさせられ、死刑囚を公開処刑するだけの簡単なお仕事だからな。

 これで給金が高いと思うのは間違いだろう。


「ああ、女剣闘士は基本的に防具をつけちゃならん。盾はつけてもいいが」


「ひでぇ話だ」


「まぁ、相手は死刑囚だからな。武器も持ってねぇから、楽にやれるはずだ」


「そうか……で、どうやって戦えばいいんだ? オレはすぐに相手を殺していいのか?」


 どうやって戦えばいいのかはいまだに分かってない。

 もう面倒なのでこいつに意見を聞いてみる事にした。

 デリックはこの剣闘場で長年働いているというし、聞く相手としては大正解だろう。

 

「うーん……どう戦うっつっても、普通にだよ。お前は本気で相手を殺しにかかればいい。それでいいんだ。剣闘士が相手なら、相手も必死で生き残ろうとするからな。死刑囚は逃げ回るから追っかけ回せ」


「そんなもんか……」


 要は、命を大事にガンガン行こうぜってことか。

 矛盾してる気もするが、まぁ気にしないでいこう。

 必死でやればいいんだろ、結局は。というか、必死にやらなきゃ死ぬ。


「それじゃあ、四日後に備えてしっかり体調を整えておけよ。この試合を乗り越えたら、美味いメシを喰わせてやるからよ」


「おっ、マジか? もうオートミールは飽き飽きしてたんだよ」


 毎日毎日オートミールばっか。たまには野菜やら肉が食いたい。豚とか牛とか贅沢言わないから、せめて動物性蛋白質が食いたい。

 この際、野鼠とかでもいいぞ。臭くて不味いけど。


「おう。魚と肉どっちがいい。選ばせてやるぜ」


「んじゃ肉だ」


 肉以外に選択肢なんか無いだろう。あって堪るか。

 魚は故郷でも食えたからな。肉は生憎とあまり喰えなかったから、ここで選ぶのは当然肉だ。


「よし来た。豚のステーキをがっつり食わせてやるぜ」


「約束違えんなよ?」


「お前こそ、ちゃんと約束護れよ」


「おうよ」


 そういうとデリックは満足げに頷いてから部屋を出て行った。

 オレはそれを見送ると、座っていたベッドから立ち上がり、作り付けの机の上に放られていた牙を手に取った。


「今度も生き残る。それだけだ」


 オレの栄光を象徴する猛獣の牙に誓いを立てた。

 そう、今度も生き残る。ただそれだけでいい。オレは生き残るんだ。

 生き残らなきゃ、何も始まらないから。

 

 


 四日という時間は瞬く間に過ぎた。

 特にこれと言って説明する事も無くだ。

 その四日の間に体調は完全に回復したし、コンディションも万全。これで負けたのなら……運が悪かった、ってことだろう。


 そして試合の始まる直前、オレとデリックは控室に居た。

 手には剣。それを振り回して調子を確認している。

 そして、オレは困惑を感じていた。


「なんだか、軽いな」


 そう、軽い。武器が軽いのだ。

 自分の腕力が強い事は分かっていた。しかし、ここまで強くはなかった。少なくとも、前ならばもっと苦労していただろう。

 両手で持ち上げる事は出来ても片手で振り回すなんて到底無理……のはずだった。


「確かにグラディウスは他の武器よりゃ軽いが、子供に振り回せるもんではねぇんだが……」


「つっても、現に振り回せてるしよ……」


 デリックの言葉に微かに首を傾げるが、ふとそこで思い至る。

 オレのステータスが発揮され始めたのではないかと。

 オレのステータスは脳筋万歳な構成である。

 十歳になればステータスが正常に発揮され始めるとは聞いたが、もしかすれば他に条件があるのかもしれない。

 十歳になればステータスが発揮されるとしか聞いてないし。


「うーん……ステータス……ゲームだとレベルアップで上昇するが……」


「うん? なんだって?」


「あいや、なんでもない」


 思わず口に出ていたが、案外それは間違ってないのかもしれない。

 何しろステータスなんてゲームみたいなものが出ているのだ、レベルが出てきたっておかしくない。

 以前のオレと今のオレで何が違うかと言えば、剣闘士になった事と、あの猛獣を殺した事だ。

 その猛獣を殺した事でレベルアップして、多少なりともステータスが発揮された、とか?

 以外とあり得るのかもしれない。とすると、レベルというのは生来の素質をどれだけ解放できているかの指数だと考えられる。

 レベルを上げたら同じステータスに成長するRPGと同じようなものなのかもしれない。

 そしてオレは、最終レベルに到達したときのステータスを調整することが出来た、という事だろうか。

 ……全然チート能力じゃないじゃん。いや、チート能力とは言ってなかった気がするな……ただステータスをエディットしろって言われただけで……。


「人生って甘くねぇなぁ……うひひ……」


「そりゃそうだが、いきなり何言ってんだお前?」


 どうやらオレの人生は強くてニューゲームでも、モードはベリーハードらしい。

 いや、ニーナマストダイとか? ニーナ死すべし。へへへ、確かに現実がオレを殺しにかかって来てる気はするぜ……。


「まぁ、何にしろ必死扱いて生き残るしかねぇよな……」


 ベリーハードだろうが、世界が殺しにかかってこようが、頑張ればきっと生き残れるさ、たぶん。

 いや、そう信じなきゃやってられない。努力しても無駄とか、そんなことは考えたくない。

 そう信じてオレはグラディウスをしっかりと握りしめる。


「剣を二本持ってるが、二刀流か?」


「まぁな。急遽予定変更だ。片手で使えるなら、両手で一本ずつってのも、悪くない」


 二刀流の方がかっこいいから、なんてアホな考えではない。

 二刀流になれば、純粋に手数が増える。

 グラディウスは片手で十分に振り回せる重量だから、二刀流でも振り回せはするだろう。

 ただ、問題は体重。

 オレは腕力はあっても体重は見た目相応だ。正確に測っては居ないが、恐らく三十キロは超えていないだろう。

 その重量では幾ら腕力があっても、身体が振り回される。慣性を打ち消すには腕力だけではなく、踏ん張るための体重が必要なのだ。


「大丈夫なのか?」


「知るか。駄目ならかたっぽ捨てるだけだ」


 大は小を兼ねる。んー、いい言葉だ。そういうわけで、二刀流にするのは間違いじゃないだろう。

 

「まぁ、なんでもいいが、ちゃんと生きて帰って来いよ。女房にはちゃんと料理を用意するように頼んであるからな」


「応よ」


 ガッツポーズを取って見せると、開き始めていた扉へとオレは歩き出す。

 

 強い光がオレの目へと突き刺さり、歓声が波のように押し寄せてくる。

 闘技場へと踏み出したとき、その歓声は更に強くなった。

 闘技場一杯に詰めかけた民衆。その民衆の全てがこれから行われるショーに期待をかけている。

 オレが出口から現れた事に気付いた観衆の声は、小さき勇者! とオレを呼ぶ声へと変わる。

 それに対してオレは手を振って応える。


 観衆の声は更に大きくなる。オレがまた勝利する事に期待をかけている。

 これだ。これが、これが欲しかった。

 この期待の声が、やがて賞賛に変わる。

 期待を一身に背負って、その期待を見事果たした時に、声援の全てが賞賛へと変わるのだ。

 それは、どんな素晴らしい音楽にも比肩し得ない甘美な音だ。

 他者に認められるって言うのは、嬉しい事だろう。

 

 そうしていると、対面の出口から三十を超えたくらいの女が現れる。

 いや、それよりも若いのかもしれない。

 疲れ果て、全てに裏切られた……そんな顔をしている。

 その疲れと絶望が彼女を年老わせているように見えた。


『殺せ! 殺せ! 殺せ!』


 観衆からは野蛮な掛け声がかかる。

 どいつもこいつもとんでもないストレスを抱えてるんだろうか。

 いや、対岸の火事、って所か……遠く離れていれば、そんなものは何とも思えない。

 オレが死のうが、相手が死のうが、結局観衆は大いに騒ぎ立てる。

 何しろ、オレ達にしてみれば悲劇でも、観衆にとっては喜劇なんだから。

 悲劇は遠くから見れば喜劇に見えるとはよく言ったものだ。

 

 そんなくだらない事を考えつつ、オレは闘技場の中心へと歩いて行く。

 そして動こうともしない死刑囚の顔を見る。

 

「悪いが終いだ」


 それだけを口にして、オレは剣を抜く。陽光を受けて鈍く輝く刃。

 硬くて、冷たくて、人なんて簡単に殺せる武器。

 オレはこの武器で相手を殺せるのだろうか。

 何度も何度も自問自答した。

 けれど、分からなかった。

 殺せるさ、他人の事なんてどうでもいいだろ、と嘯く自分が居る。人を殺すことは悪い事だと徳性を説く自分が居る。

 結局オレは未だに人を殺すことに対する覚悟を決めかねていた。


 けれど、呼吸は穏やかだ。

 心臓もいつもよりも多少早く鼓動している程度。

 殺さなければ、オレが殺される以外にない。だから、ここから出るには殺さなければいけないと、分かっているから。

 たぶん、オレはもう割り切っている。殺さなければ自分が死ぬ。だから、仕方ない事だと割り切っている。


 けれど、そのあと。

 そうして割り切って相手を殺して、オレはそれに納得出来るのかわからない。

 つまるところ、相手を殺してでも生き抜く事に、オレが納得出来るのか。

 オレは自分の意志でここに立っている。金を稼ぐというだけの目的で。

 そんな目的で人を殺して納得出来るのか。分からない。


「ぁ……ああ……ああああああああっ!」


 咆哮。そして一拍遅れてオレは胸倉をつかまれている事を自覚した。

 そして、地面に叩き付けられ、そのまま女がオレに馬乗りになっていた。


「かっ……クソがっ!」


 女を横倒しにし、オレは剣を手に女へと襲い掛かる。

 相手が素手なんて言うのは大した慰めになっちゃいない。リーチの差はさほど大きいものではないのだ。

 大人と子供では腕の長さが違い過ぎる。

オレの幼い体躯というハンディキャップが重く伸し掛かっている状況だ。

 剣という武器の持つ威圧力は、死にもの狂いの女にとってはさほど有効ではないらしい。


「死にやがれ!」


 だが、リーチ自体は僅かにオレの有利。

 であれば、素手と剣という武器の差があるならば、剣を当てられれば、オレの勝ち。

 そう思って、右手の剣と左手の剣を同時に振るって、オレは女を殺そうとした。

 

 ……本当に、それでいいんだろうか。

 

 一瞬、ほんの一瞬だけ、そう思ってしまった。一瞬のためらいが、剣の動きを止めてしまい、女はその隙を見逃さなかった。

 

「うああああああっ!!」

 

「あっ……」

 

 スローモーションでオレの顔に拳が迫ってくるのが分かった。避けようと思って顔を動かしても、身体の動きすら鈍い。

 戦いという事態に際して肉体の発揮した集中力がこの光景を見せているのだ。

 そんな事を冷静に考えた直後に、オレの顔面に拳が突き刺さった。

 

「がっ!?」

 

 吹っ飛んで、地を転げた。頬が痛い。口の中がじゃりじゃりして、血の味がする。

 ああ、クソ。オレのバカ野郎。

 オレはまだ、この光景を非現実的に見ていたんだろうか。

 あの時に……猛獣と戦った時に、闘技場に響き渡る歓声で現実だと認識したはずなのに。


 なんて、無様。オレはまだ甘ったれていた。


 自分が甘ったれていた事を認識した瞬間にオレの頭が沸騰した。

 耐え難いほどの怒り。

 それは今まさにオレの命を奪わんとする女に対する物であり、未だに甘ったれていた自分への怒り。


 この場に於いては、強者こそが正義であって、弱者である悪者は死んでいく。それが真実。

 なら、する事は一つしかないだろう。

 

 オレは立ち上がり、血の味のする唾液を吐き捨てる。

 そして、両手に持っていた剣の一方を捨て、両手で剣を握った。


「終わりにしてやるっ!」


 咆哮と共にオレは女へと突っ込んでいって、今度こそ何のためらいも無く剣を振り抜いた。

 

 金属の刃が柔らかい肉を切り裂く、嫌な感触。

 ああ、これは、夢に出るなと、思った。

 そう思いながらもオレは腕だけは止めず、振り抜いた剣を引き戻し、女の腹へと向けて突きを繰り出していた。

 

 刃が女の柔らかい腹の肉へと埋没し、内臓を切り裂き、骨にぶつかって体を貫通した感触。

 全てが剣を通してダイレクトに手に伝わってくる。

 

「――――あ」


 自分の腹に突き立った剣を見て、女が何か呆けたような声を上げて、地面に倒れ込んだ。

 動き出す気配は、ない。

 

 ふと周囲を見渡せば、観客たちはみな指を下に下げ、殺せと大合唱をしている。

 その声に従ってオレは女の腹から剣を引き抜いた。

 このまま首を落とそう。その方が、苦しまずに死ねるだろう。

 そう思って女の首元へと向かうと、女の視線がオレの目を射抜いた。

 

「あたしを、殺すのかい……」


 淡々と、そんな質問が浴びせかけられた。

 どう答えようかと、一瞬だけ迷って。そして正直に答えた。

 

「殺す。恨んでもいいぜ」


「そうかい……あたしを殺すならね、一つだけ忠告しといてやる」


「なんだ」


 そう聞き返すと、女は微笑んだ。その微笑みは、どこか透明で、それでいて優しげに見えた。

 なぜだか、説明のしようも無いくらいに……母さんの事を思い出させるような、優しげな微笑み。


「ちゃんと、生き残りなさいよ。あいつに殺されたんだって自慢できるくらいにね……」

 

 ……ああ、そうだな。オレは生きるために人を殺す。

 生きる金を得る為に。

 だったら、ちゃんと生き残る。

 最後まで抗う。もう迷わない。

 薄っぺらかった決意を、強固にして。オレは生き残る。

 厳しくて優しい、名も知らない死刑囚の女に、オレは母性を見た気がした。

 

「……頼まれなくたって、生きてやるよ。……でも、ありがとよ」


「……そ。最後くらいは、カッコついたかもね」


 そして、オレは一人の命を奪った。

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