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二話

 熱に浮かされるようにして、目が覚めた。

 熱く湿った吐息が漏れ、直後に世界全てがぐるぐると回った。

 気持ち悪い。酷く、気持ち悪い。

 どうしてこんなに気持ち悪いんだろうと思いながら、おぼろげな視界で周囲を見渡した。


「う……あ……?」


 石造りの天井。そして、清潔なシーツの敷かれたベッド。

 壁に造りつけられている机の上に、皿と木製のコップが置かれていた。


 コップの中には水がある。いや、なきゃおかしい。だってそう言う用途に使うもんなんだから。

 だから水はある。水が無いのだとしたら、世界が間違っているに違いない。

 世界が間違っているなら、オレは今頃貴族のお嬢様……いやお坊ちゃまに生まれて、魔法の勉強をして才能を発揮し、今頃は魔法学院に入学しているに違いない。

 中々に素敵でイカれた論法だが、熱に浮かされた頭なんだから仕方ない。


 さておき、当然の推論として思い至った考えに従って左手を伸ばし、テーブルの上に置かれていたコップを手に取ろうとする。

 だが、熱に浮かされていたオレは目測を誤り、コップを倒してしまう。そして、倒れたコップからかすかに酒の匂いがする水が零れた。

 水は入っていた。と言うことは、世界は間違っていないと言うことだ。

 じゃあ、これも現実か……。


「クッソ……もったいねえ……」


 すぐさまコップを取り直し、持ち上げる。

 殆ど零れてしまったが、ほんの一口分だけ水が残っていた。それを、口に含み、嚥下した。

 冷たい水の感触が喉を滑り落ちていき、胃の腑がわずかに熱くなる。

 飲用水に酒が混ざっているのはよくあることだ。その心地よさに思わず溜息を漏らすが、直後にもっと水をよこせと全身が訴えた。


 だが、水はもう無かった。それでも諦めきれずにコップを傾けるが、当然ながら水は落ちてこない。馬鹿みたいだと自覚して、コップを放り投げた。

 木製のコップが地面に落ちて乾いた音を響かせ、それを聞きながらオレはベッドに倒れこんだ。

 もはや体を支えているのですら億劫だった。


「はぁ……」


 息を吐けば、その吐息すらも熱い。熱があるのだろう。

 その全身の熱に負けず、じくじくと腹と背中と肩が熱を訴えていた。

 そこでようやく過去の記憶が甦ってくる。


 ……そうだ、オレは、猛獣と戦って勝利したんだ。

 腹と背中は、猛獣の爪によって切り裂かれた傷。

 そして肩は牙によって貫かれた傷。この熱は、恐らく傷が原因の発熱だろうと思い到る。


 そう言えば、あの時肩から引っこ抜いた牙はどうしたのだろう。

 そう思ったとき、右手に何かを握っていることに気付く。

 何かと思えば、それはあのときに引っこ抜いた牙だった。

 二十センチほどもある、緩やかに湾曲した短刀のように鋭く、長い牙。


「はは……オレ……生きてる……生きてるんだ……」


 再び、あの時の感情が甦った。

 猛獣を倒し、傷を負いながらも勝利し、生還したという全身を駆け巡った激しい喜びの感情。

 そして、直後に湧き上がった闘技場を覆うほどの激しい熱狂の渦。

 その熱狂の渦はオレと言う存在によって巻き起こり、その感情の全てがオレへと向けられていた。


 万雷の如き喝采。その喝采はたった一人のオレへと向けられていたのだ。

 その感覚は、オレの熱情を強く刺激し、もう一度味わいたいと思わせた。

 死にかけるほどの経験だったのに、もう一度喝采を浴びたいがためにまた勝負に挑むなんて馬鹿らしいと僅かに苦笑したが、それでも悪くないと思えた。


 古代ローマの奴隷剣闘士は引退した後も喝采を浴びた経験が忘れられず、再び剣闘士に舞い戻る事があったというが、それも納得出来た。

 それこそ、オレが男であったならば、射精していたかもしれないと思えるほどの激しい感動の発露。

 それを再び浴びたいと、心のどこかが叫んでいた。

 オレは功名心は強いほうではないと思っていたが、どうやら違ったようだと苦笑し、手の中に握られている猛獣の牙を握り締めた。


「あー……」


 なんか、ムラムラしてきた。

 疲れマラみたいなものか。疲れマラは男だけに起こるものだけどさ。

 そりゃ女にはマラは無いからな……あったら大変だ……。

 ……まぁ、お気楽にムラムラできてるんだから体は大丈夫だろう。

 いや、八歳と言う年齢でムラムラ来る辺り拙い気もするが、それはさておいて……腹、減ったなぁ……。


 多少なりとも気は晴れてくると途端に空腹が自覚出来るのだから体というのは現金なもの。

 熱で茹だる頭は少々鈍いが、具合が悪いわけではないのだ。

 オレは少しばかり体を起こして、机の上に置かれていた皿を手に取る。中を見てみれば、クルミやナッツなどが散りばめられたオートミールが盛られていた。


「オートミールは余り好きじゃないが……こらうまいこらうまい、こんなうまいものはじめてくった」


 ブツブツとこれは美味いものなのだと自分に言い聞かせながらオートミールを口に運ぶ。冷えているので相当不味いが、まぁ、食える。

 数分ほどして全てを胃に納め終えて、机の上に皿を置く。

 

 さて……メシも全部喰っておいてからでなんだが、ここは一体何処なんだろうか。

 周囲を見渡す。

 畳部屋で言うなら二畳半といった程度の広さであり、シングルベッド一個置いただけで部屋は殆ど一杯だ。見渡す程の広さではない。

 ベッドは入り口側から見て左の壁際に置かれており、入り口正面のほうに造りつけの机があるという形だ。滅茶苦茶狭い部屋で独房なのではないかと邪推しそうになる。


「うーん……」


 とりあえず、今のオレは動ける状況ではない。

 左腕は上がらないし、腹も背中に引き攣って痛いし、挙句の果てには起き上がってるだけで頭がくらくらする。

 まぁ、貧血だろう。前世でも何度か遭ったことのある症状だ。今思えば懐かしいような気もする。

 考えてみると、左肩を貫通してた牙を引っこ抜いたんだから出血は酷くなっただろう。下手したら自分で自分にトドメを刺していた可能性も……。


「なんか背筋が寒くなってきた……」


 今更ながら自分の行いに慄いていると、唐突に部屋の扉が開かれる。

 そして、あの時オレを闘技場まで連れて行った男がポットを手に入ってきた。


「おっ。目が覚めたか。どうだ、気分は」


「どっちかと言えば悪い」


 端的な質問に、正直に応える。嘘をついても仕方あるまい。

 そしてそれを聞いた男は笑い、転がっていたコップを拾い上げ、そこに水を注いでオレに差し出した。

 オレはありがたく受け取って飲み干す。しかし、全然足らない。


「もっと」


 コップを差し出し、端的におかわりを要求する。めんどいからポットごと寄越してほしいくらいだ。


「おう、じゃんじゃん飲め。血を失った後は水を飲みまくるんだ」


 そう言いつつ男がコップに水を注ぐ。

 男の言う通り、血を失った後は水をたっぷり飲んだ方がいいと聞いたことがある。

 いや、脳の手術をした後は脳脊髄液が減少するから、たっぷりと水を飲むんだっけ……?

 まぁ、なんでもいいや。喉が渇いてるのは確かだから。

 何杯か水をお代わりして、ようやく喉の渇きが落ち着く。


「落ち着いたか?」


「ああ、で、あの後どうなったんだ?」


「おう、お前はサーベルタイガーに勝ったが治療も虚しく天に召された」


「嘘つけ」


 死んでるとしたら今のオレはなんだっつうんだよ。


「嘘じゃない。しかし、助命嘆願が強かったから、死霊術師に頼んでアンデッドにしてもらったんだ。蘇生よりも安上がりだからな」 


「え……マジ……?」


 この世界、話を聞くに魔法だのなんだのが存在しているという。今の男の口振りからしてもそれは確かだろう。

 そんなファンタジー臭がする世界にアンデッドが居ないと言い切れるのか。

 ましてや、オレがそのアンデッドにならないと言えるのか……。

 そう思うと、途端に今の自分の状態すらも疑わしくなってくる。


「嘘に決まってんだろ! だーっはっはっはっは!」


 そして、不安になって尋ねた直後に男はオレの不安を笑い飛ばした。

 こいつ後でぶっ飛ばす。ぜってぇぶっ飛ばす。

 いや、ぶっ飛ばすだけじゃ足らん。膾切りにしてやる。それからあの猛獣の餌にしてやる。

 もうぶっ殺してしまったが、代わりの猛獣くらい居るだろう。


「安心しろ。お前はちゃんと生きてる。まぁ、普通なら死んでたところだが、運がいいみたいだな、お前は」


「運のいいやつが奴隷剣闘士になるわけないだろ……」


「うん? 確かにそれもそうだな」


 オレは運が悪い。そればっかりは確信を持って言える。

 何しろオレは転生する時の能力エディットで運を最低まで下げたのだから。

 今思えばとんでもない事をしてしまった気がする。

 と言うか、間違いなくとんでもない事をしたのだと思う。運はゼロでも死にはしないなんて言ってたのに騙された。

 オレが女に生まれたのも運が悪いからではないだろうか。


 この世界において、女は男と比べれば社会的弱者だ。前にも言ったが、遺産の相続権だってないし。

 正確にいえば、力の弱いものが弱者であり、女は男と比べて腕力が低いから弱者にならざるを得ない。

 と言うか、人売りに売られたのも運が悪いからなんじゃ……。


「どうした、リスが唐辛子でも食っちまったような顔して」


「今後の人生の展望が暗くてな……ふへへ……神様に心当たりねえ? もう一回転生さしてもらうんだ……ふへへ……」


「……大丈夫か?」


 哀れなものを見るような目で見るな畜生。


「まぁ、あんまり暗い顔するなよ。いいニュースがあるんだぜ」


「……なんだよ」


 いいニュースと見せかけて、実は悪いニュースとかじゃあるまいな。

 そう思って心の準備をしつつ、男が口を開くのを待つ。

 そして、男が放ったのは何とも衝撃的な一言だった。


「お前はもう解放奴隷だ」


「……は?」


 男が言った言葉を理解するのに少しばかりの時間がかかった。

 カイホ=ウドレイ。それは華々しい活躍をした奴隷剣闘士であり……などとわけのわからない事を考え始める程だった。

 カイホウドレイ。解放奴隷。つまり、解放された奴隷。


「……分かったぞ」


「お、ようやく分かったか」


「オレを騙す気だな!? そうはいかんぞ!」


 拳骨された。

 

「いってぇぇえ! 何しやがんだ畜生! 表出ろ! ぶっ飛ばしてやる!」


「出れるか阿呆。いいから大人しく聞け」


「チッ!」


 激しく舌打ちをしつつ、確かに聞かなければ何が何だか分からんので大人しく話されるのを待つ。


「いいか? 解放奴隷になるにはお前は自分の値段の三倍の額を払う必要がある。で、お前の値段は銀貨四枚だった」


「それ、高いのか? 安いのか?」


 確か、うちで収穫してた小麦粉は三十キロくらいで銀貨二枚くらいだったと思うが……。


「どっちかっていえば安いが、まぁ妥当な額だろう。何しろちいせぇからな。あと五つも歳食ってたら何十倍の値段にもなってたぜ。この場合は運がよかったんだろうよ。何しろ歳食ってたら、剣闘場じゃなくて娼館に買われてたろうからな」


 もしかしてオレはむしろ運がよかったんだろうか……。

 いや、下手したら死にかけてたんだから運は悪かったな……娼館なら死にはしないだろうし。

 いや、自殺してたかも……。


「んで、だが、お前が自分を買い戻すには金貨一枚と銀貨二枚だったわけだ。そしてお前は猛獣と戦って買った。そのファイトマネーは金貨二十枚。水夫の日当が銀貨二枚だから、ちょうど百倍ってとこだ」


「おお、高いな。余裕でオレを買い戻せるじゃんか」


 金貨二十枚もあれば、相当な豪遊が出来るはずだ。

 とりあえず、うちの村でなら一年は余裕で暮らせるぞ。

 そうだとすると、やっぱり剣闘士ってのは相当儲かる職業なんだな……。


「いや、全然安いぞ。普通の闘獣士なら、あの歳食った猛獣でも金貨百枚は取ってたところだ」


「なんだそりゃ! ピンハネにもほどがあるだろ!」


 五分の一ってふざけんな! 労働基準法の整備を求める! あと労災もだ!


「これからその金貨八十枚分を使うんだ。大人しくしとけ」


「はぁ?」


 いったい何のことだと思って問いかけようとするのだが、既に男はオレに背を向けていて話を聞くつもりは無いらしい。


「おい、入って来い」


 男がそう呼びかけると部屋の扉が開き、巻頭衣を着た男が入ってくる。

 いや、あれは貫頭衣ってよりはローブかな。下に何も着てないわけではないだろうし。


「さ、やってくんな。きちんと治してやれよ」


「はいよ。ほれ、服脱げ。ああ、動けねえのか。脱がしてやろう」


 そういって、その貫頭衣の男がオレの服に手を駆ける。


「さ、触んなぁ! オレは一応剣闘士だぞ! 娼婦じゃねえ! 金貨一億枚取るぞ!」


 その手を蹴っ飛ばし、ベッドの上を転げて端っこに逃げる。

 しまった! こっちに逃げたらこれ以上逃げられない!

 

「何色気づいてんだアホ! 怪我治してやろうってんだ! 大人しくしろ!」


「は、離せペド野郎! オレはまだ生理来てねえんだぞ! ロリコンじゃなくてペドフィリアになるぞ! いいのか!」


「わけわかんねえこと抜かすな! 俺には嫁さんだって居るんだ! おい! 手伝えデリック!」


「仕方ねえなあ……ほら、おとなしくしろ」


「く、クッソォ!」


 無理やり抑え付けられ、服をはぎ取られる。

 

「いてえ! もっと優しく脱がしてくれ! こっちは怪我人だぞ!」


「今から健常者にしてやろうってんだよ! 【キュア・ミドル/中傷治癒】!」


 その言葉と同時、男の手から何やら暖かく白い光があふれる。そしてオレの腹に触れると、今まで感じていた傷の痛みが一瞬で掻き消える。


「お、おおっ!? すげえ! 魔法か!」


 初めて見る魔法が治癒で、しかも対象が自分というのはなんだか情けない気もするが、それよりも何よりも、魔法ってスゴイという感情が先立った。

 何しろ本当に一瞬で傷が全て消えたのだから驚きだ。


「今の呪文は普通の治療院に行ったら金貨三十はかかる。ポーションなら金貨百二十枚だ。ほれ、安い気がするだろ。何しろアンデッドにはダメージを与える事も出来る便利な魔法だ」


「ああ、確かに……いや、今の魔法だろ。残り五十枚は?」


「安いポーションを飲んだと思って諦めろ」


 くそう、結局ピンハネすんのかよ。


「まぁ、次からはいい事もあるって。そう気ぃ落とすなよ」


「ああ……とりあえず、オレの上から退けろ、変態」


 未だにオレを抑え付けている男を蹴っ飛ばす。デリックとか呼ばれてたな。

 しかし、オレの蹴りは殆ど通用しなかったらしく、デリックは笑いながら退けた。

 

「はぁ……とにかくオレは解放奴隷なんだな?」


 どうにも血が足りていないせいか、頭の働きが変だが、そこらへんはちゃんと理解している。


「おうよ」


 つまりは家に帰ってもいいということだ。

 まぁ、家に帰った所で食料が増えるわけでもないのでそう易々と帰れそうにもないが。

 両親がオレを追い出すとは思わないが、現実問題食料は無いのであって、オレが帰ったら一家の誰かが死ぬ可能性すらもある。そもそも村の場所わかんねぇし。

 だとすると、まずはここで生計を立てて行かないといけないわけか……剣闘士になれないかな?


「で、そこで相談なんだが……お前、剣闘士続けるつもりはねぇか?」


「あん? なんで?」


 いきなりの問いかけに少々驚きつつも、内心は顔に出さずに極普通に返事を返す。

 剣闘士にならないか、とは願っても無い申し出だが、すぐに飛びついたら色々と足元見られかねん。


「いや、それがよう。お前、勝ったろ? もしもまたお前が戦うと分かれば、今度はもっとたくさんの客が押し掛けるだろ? んで」


「皆まで言うな。大体わかった。オレに美味い汁を吸わせる代わりに、剣闘士になれってこったろ?」


 この世界で剣闘士の収入がどんな風に回ってるんだか知らないが、客が大量に押し寄せれば興行は成功と見て間違いない。

 その点で言えば、オレが居れば客が来ると分かって居るならスカウトするのも当然だろう。


「おう。ファイトマネーは正規の量を支払うし、お前をそう簡単に死なせるような真似もしねぇ」


「要は出来レースか」


「まぁ、な。だが、ハッキリ言って次の試合でお前が死んじまっても構わねぇ……って闘技場の主催者側は思ってるだろうよ。続けて稼げれば儲けもん、稼げなくても、次のお前の試合には観客は押し寄せる」


 なるほどな。絞れるだけ絞る……そんな具合だ。

 デリックの言うことは事実なんだろう。

腹は立つが、正直な話、今のオレはそんなものにでも縋らなくてはならない状況でもある。

 頷けばオレは他の剣闘士よりはマシな待遇で剣闘士として戦う事になる。

 首を横に振れば、オレは右も左も殆ど分からない世界で一人生きていくことになる。

 

「オーケー、あんたらの提案に乗らせてもらうとするよ」


 元々剣闘士になるつもりではあったのだ。頷くのは当然とも言える。

 オレがそう言うと、デリックがあからさまにほっとしたようにため息をつく。


「よし、そんじゃあ今はしっかりと体を休めてファイトに備えてくれ。次のファイトは三日以内にはあるだろうからな」


「おうよ」


 デリックは来た時と同じくポットを手に部屋から出ていき、貫頭衣の男も同じように出ていく。

 ふむ、オレを置いていったってことは、どうやらこの部屋はこのまま使っていいらしい。

 まぁ、ありがたく使わせて貰うとしよう。相部屋とか大部屋で雑魚寝は好かんからな。


「やれることもないし……寝るか」


 そう独りごちるとオレはシーツを引き上げて目を閉じた。

 明日……いや、今日から、オレは剣闘士。いったいどんな相手とのファイトが待ってるんだろうか。

 それを考えると、何故だかワクワクしてしまう。

 しかし、体が休息を求めていたからか、さざなみのような眠気が押し寄せ、オレはあっという間に眠りに落ちて行った。



 

 翌日、目が覚めるとオレはベッドで寝ていた。まぁ、ベッドで寝たんだから当たり前だが。

 目が覚めてしばらく、ベッドの上でシーツに包まってゴロゴロする。

 やる事が無いのだ。まだ体は本調子ではないし、この部屋の中では本調子だろうが出来る事は殆ど無い。

 出来る事と言えば筋トレくらいだろうか。今の状態ではやめた方がよさそうだな。

 そう思ってごろごろし続けていると、デリックが部屋に入って来た。

 

「なんか用か」


 端的に問いかけると、見りゃわかんだろ、と言わんばかりにデリックが応える。


「朝飯だ」


 まぁ、手に持ってる皿を見れば分かった。会話の掛け合い的な意味で用を聞いたんだがな。

 そう思いつつ、デリックから皿を受け取る。


「うげ、オートミールかよ。肉とか肉とか肉とかねえのか」


「ねえ。我慢しろ」


 まぁ、喰えるだけありがたいのでありがたく頂く。

 オートミールを喰う時のコツは、ゲロの事を考えない事だ。

 ゲロのことなど決して考えては行けない。考えると喰いづらくなる。

 しかし、そう考えている時点で既に考えてしまっているのでダメかもしれん。

 

「……オレさぁ、オートミール見るとゲロ吐きそうになるんだよね」


「奇遇だな、俺もだ」


「お前もか」

 

「ああ」

 

 どうやらみんな考える事らしいので我慢して食べる。

 唯一の救いはクルミとナッツがたくさん散りばめられて居た事だろうか。たぶん、脂肪をつけて出血を抑えようって考えなんだろうな。


「ごっそっさん」

 

「あん? なんだ、ごっそっさんって」


「ご馳走だったぞバカヤローって世辞だ」


「なるほど」

 

 皿をデリックに返すとデリックはそのまま部屋を出て行く。

 ヒマだなぁ。オレ、部屋から出てもいいのかなぁ。出ても何か出来るってわけじゃないけど。

 今は大人しくして体調を整えるのが先決かな?

 しかし、何も出来ないで居るってのもヒマだなぁ……。

 そう思いつつ、再びベッドの上をごろごろ。本当に暇だ。何かする事ないか。

 

「石の数でも数えるか」

 

 ヒマになると不毛な事するって言うけど本当だな。とは言え、暇つぶしにはなるからとりあえず数えよう。

 ……ふむ、見える範囲の数で言うと、百二十七個か。

 えーと、縦横のサイズが全部同じ石だとするとサイズはおよそ八立方メートルか。

 重量ってどうやって求めるんだっけ。密度がわかんないと無理だったと思うが……。

 

「うーん……硬度は調べられるけど密度は……うーん……うーん……」

 

 重量が分かればこの部屋に使われてる石材の総重量も分かるんだが……うーん。

 いや、別の事を考えるとするか。そうだな、この石材を使って家を作る場合の仕事量の計算を……。

 

「おーい、遊びに来たぞ」

 

 と、仕事量の計算に取り掛かろうとしたところで、昨日の貫頭衣の男が部屋に入って来た。

 

「なんか用か」


「ヒマだから様子見にな。体調はどうだ」


「大分いい。だがヒマだ」


「そいつあいいや。お前、字読めるか?」


「よかあねえよ。字が読めるかは分からん。見せてみろ」

 

 差し出された紙を受け取ってみると、記されているのは日本語だ。カタカナ、ひらがな、漢字と全部使われてる日本語だな。

 

「読めるな。えーと、ニールが二キロメートル先の駅に一時間で辿り着くには、ニールは時速何キロ以上で歩けばよいか? 最小値をこたえよ。 応用として分速何メートル以上であるか答えよ、か」

 

 算数の問題だな。応用も十分に算数の範疇だ。

 

「そいつはうちのガキどもに教えてる勉強のテキストだ。暇潰しにはなるだろ?」


「こんなもん暇潰しにもなりゃしねえよ」


 一応前世じゃ高校生やってたんだ。今更こんなもんやってられるか。

 

「んじゃ、その問題解いてみろよ」


「男がちんたら歩いてんじゃねえ、走れ」

 

「おい」

 

「冗談だ。時速二キロだな。分速に直せば三十四メートルだ」


 適当に暗算したが概ね間違ってないだろう。二千を六十で割ればいいんだからな。三十三だと微妙に辿りつかないし。

 

「なんだ出来るんじゃねーか、珍しい奴だな」


「こんなもん理屈がわかってさえ居りゃ出来る」


「そりゃそうだが、普通はハイソウデスカ、って分かるもんじゃああるまいに」

 

 まぁ、それはそうだが、オレはオレで普通と違うからな。

 

「んじゃ、次だ。お前はパンを四つ持ってる。俺が半分分けてくれ……って言ったら、お前は幾つ持ってる?」


「四つだ」


「間違いだな。ロクに計算してねえじゃねえか。こりゃ勉強が必要だな。いいか? 四つあるのを半分にするんだぞ?」


「いや、四つで間違いない。分けるつもりなんかないからな」


「おい、ケチな奴だなお前は」


「ケチで結構」


 そもそもただの割り算じゃねーか。最初の問題よりレベル下がってんぞ。

 

「んじゃ、次だ。一から三十までの間にある、一と自分以外で割る事の出来ない数値を答えな」


「えーと……二、三、五、七、十一、十三、十七、十九、二十一……は違うな。二十三で、二十九」


「出来てるな」

 

 あっててよかった。というか、いきなり問題の難易度がレベルアップし過ぎじゃねーか?

 

「というかだな、なんでいきなり勉強になってんだ?」


「それはな、俺もヒマだからだ」


「ああ、そう……」

 

 だからってなんで勉強になるんだか。まるでギリシアじゃねえか。ここローマっぽい風習だと思ってたんだが。

 

「ところで、あんた名前なんて言うんだ? 今考えれば聞いてもいねえや」


「ん? ああ、そう言われればそうだな。俺はデイダスだ。まあ、気軽にデイダス兄ちゃんって呼んでくれ」


「ああ、それで、デイダスのオッサン、うちのガキどもって言ってたが、孤児院でもやってるのか?」


「兄ちゃんと呼べ、兄ちゃんと」


 いや、それは無理があるだろう。

 

「まぁいい。こう見えて俺は神父だ。孤児院も兼ねてんのさ。まぁ、その孤児は大抵奴隷になるがな」

 

「ああー……」

 

 そういえば、そうなんだよなぁ。捨て子は奴隷になる、ってのは極普通のことだ。

 むしろなんで孤児院があるのか不思議なくらいだ。

 あれ、本当になんで孤児院があるんだ? 孤児なんて即売り飛ばされるものだが……。

 その疑問に気付いたのか、デイダスが頬を掻きながら言う。

 

「まぁ、読み書き計算の出来る奴隷ってのはよ、高く売れる。それに扱いもさほど酷くならねえ。メシ食わせて、勉強教えて……まぁ、いい稼ぎになるわけだ」

 

「うっわー……」

 

 合理的な商売ではあるが、元手は回収できてんのかね……?

 食費はそんなに高くならないだろうから、上手く育てば十分に投資は回収できるのか?

 

「あんた、意外といい奴か?」


「いや、結局は売り飛ばしてんだから、ちょっといい奴くらいにしとけ」


「偽善者ぶるつもりもなければ、偽悪者ぶるつもりも無いってか」


「まぁな」

 

 なんか小悪党みてえだな……。

 

「まぁ、ひどい扱いはされてねえだろうし、ちょっとくらいはいい事したことになるだろ」


「どうだかね。まぁ、勉学を身に着けたならそれだけで十分生きていく技能になるからいい事にはなるのかもな」


 この世界の識字率はさほど高いわけではない。とは言っても極端に低いわけではないが、やはり読めない奴は居る。

 代筆や代読業って言う仕事が成り立つ程度に識字率が低いのだ。

 

「そうかね……っと、なんかしんみりしちまったな。字が読めるんなら後でいいもん持って来てやるよ」


「お、なんだなんだ?」


「本だ、本。つっても伝説を記した本だから面白くねえかもしれねえが、暇つぶしにはなるだろ?」


「おお、大歓迎だ」

 

 本が読めるなら言うことは無い。ずっと田舎で暮らしてたから、この世界の文化には詳しくないからな。

 何しろお伽噺すらロクに知らないくらいだ。知ってるお伽噺って言ったら十二聖少女アリスくらいで、耳にタコが出来るくらい聞かされた程だ。つまりそれしか聞いたことない。

 本には多少なりともこの世界の伝承なんかが記されてるだろうし、そこから少しくらいは世界の価値観なんてものが分かる。本はまさに知識の宝庫だ。

 

「んじゃ、ちょっと待ってな」

 

 そういってデイダスが部屋から出て行く。それを見送ってオレはベッドに寝転がる。

 はてさて……どんな話が飛び出してくるのやら。

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