十四話
走って、ゴブリンに剣を叩き付ける。
何度も、何度も。同じことの繰り返し。
なぜオレはこんなにも必死になって戦っているんだろう。
諦めて全てを投げ出してしまえば楽じゃないか。
そんな誘惑が襲ってくる。
もちろん、それはただの逃げだ。けれど、この苦しい状況が今すぐに終わる事だけは間違いがない。
ただ、その終わり方が、オレの死という終わり方ってだけで。
そんなものは許容できない。けれど、この苦しさが、痛みが終わるのならばと、そう思ってしまう自分が居る。
今はいい。けれど、十分後は? 一時間後は?
その時にオレは自信を持ってそれは下らない誘惑だと言い切る事が出来るのか。
そして、その誘惑に屈せずにいられるのか。それが分からない。
今この瞬間にも零れ落ちていく命の滴。赤く地面を染める血液は止め処なく。活力を全身に行き渡らせる命の通貨は消えていく。
いつ動けなくなる。いつ戦えなくなる。いつ……死ぬ?
分からない。
刻一刻と迫りくる死の恐怖と戦いながら、目の前の敵と戦わなくちゃいけない。
苦しい。苦しい……。
痛み。苦しさ。めまい。全てとの戦い。
戦う敵はどれも強大で数も多く。仲間なんてもんは一人も居やしない。
ひたひたと忍び寄る死の感覚は恐ろしいほど明確に感じられた。
ああ、死ぬ、死んでしまう。また、あそこに、あそこにいくことになる。
いやだ、死にたくない。死にたくない。死にたくない。
あそこは、あそこはもういやだ。
寒くて、暗くて、寂しくて、悲しくて……なにもない……。
さびしくてさびしくてさびしすぎる場所。
自分以外の何もない。無限に漆黒の闇が続く永久なる牢獄。
心を冒す絶望と恐怖の檻。虚無だけが全てを支配する静寂の海。
いやだ。いやだ。絶対に嫌だ。あそこには、あそこにはもう二度といきたくない。
死にたくない。死にたくない。死にたくない――――!
あそこは、いやだ。いやなんだ。たとえどんなに苦しくたって、どんなに辛くたって。
人が居て、生命に溢れていて、確かに意味の存在する世界に生きていたい。
とうさん、かあさん、デリック、デイダス、リウィア、リン。そして……フェリス。
みんなと、いっしょにいたい。みんなと生きていたい。
命溢れる世界に……生きていたいんだ。
血反吐撒き散らす事になっても、どんなに無様でも、どんなにカッコ悪くても。
死にたくない。絶対に死にたくない。あそこにだけは二度と行きたくないんだ。
死にたくない。死にたくない。死にたくない。
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。
「い、や……だ……」
ただ声を発するだけで抜け落ちていくかのようにすら感じられる生命力。
今にも消えそうなちっぽけな命。その最後の灯火を燃やすように。
「いや……だ……!」
抗って抗って抗って。最後の瞬間まで抗い尽して。
絶対に生き延びてやると、決意を立てて。オレは、戦う。
「死ぬのは……! イヤだッ!」
全生命力を投じた正真正銘最後の一撃を創り出す。
最大にまで凝縮した純粋な炎の塊。それが最後の一撃。
いつの間に現れたのか、ゴブリンや、オークよりも遥かに巨大な体躯を持った何か。
身長三メートルにも届こうかという巨躯のそれへと、オレは踏み込む。
たったの一歩が重い。
何か冷たく重い、鈍い衝撃。
剣を握る右腕に鈍痛。そして軽くなる。
何が起きたのかを類推する事すら出来ない。
また一歩踏み込む。
なにが起きたのかなんて、理解する必要も無かった。
重要なのはただひとつ。
残る武器は左手に秘められた最期の悪足掻き。
これで勝てなければ、オレの人生は幕を閉じる。
また一つ、踏み込む。もう、敵は触れられるほどに近く。
だから、オレのありったけ。持ち得る全てを。
今にも消えそうな命だろうが、なんだろうが、関係ない。
この滾る炎に篭めて、打ち込む。ただそれだけ。
たった一つある、オレだけの、オレだけの炎。
最期に極めるには、相応しい。
全身全霊の最期の一撃。その一撃は、敵の胴体を穿ち。
左腕が吹き飛んだんじゃないかって思えるくらいの衝撃。
後先を考えないなんてどころではなくて、自爆特攻にも近いようなそれ。
その一撃はオレの左腕の感覚を根こそぎ奪い取った。もしかすれば、腕そのものがもげてしまったのかもしれない。
けれど、それに見合うほどに、この一撃は凄まじかった。
――――どうだ? オレの、力は。
激痛で意識が覚醒した。全身を蝕む激しい痛み。
それにのたうち廻る事も出来ないほどに全身が疲労していた。いや、それどころじゃないのかもしれない。
体を動かす事すらできない。もしかして、脊髄をやってしまったのかもしれない。
そんな思考が回せる程度には、オレの頭は明確に回転していた。
激痛に蝕まれる思考ではその程度が限界。
ただ、呼吸を荒くすることしかできなかった。
「凄まじい生命力だ。いや……常軌を逸している、と言ってもいい」
「って、言うと?」
なにか、声が聞こえる。
声の聞こえる方向もよく分からなくて、そっちに目線を向けてみても、なにもみえない。
「……俺は、ニーナを助けられないと思った。失血が酷かった。内臓も外に出ちまってた。腕も両方失って……もう、楽に死なせてやるしかないって……」
「ッ、テメェッ……!」
「それしか、なかったんだ。あれじゃあもう、回復魔法なんか効かない。使っても、無意味に体力を消耗して死期を早めるだけだ。だから……オレは、フィアフルスパイダーの毒を飲ませた」
デリックと、デイダスの声だと分かった。
話の内容は、途轍もなく物騒で、かつオレに密接に……というか、オレ本人の話だった。
「ふざけんなぁっ! テメェ、アイツがどれだけ……!」
「話は最後まで聞け。効かなかったんだよ、小瓶一つも飲ませたフィアフルスパイダーの毒が」
「……あ? フィアフルスパイダーの毒は一噛みで象も殺せるくらい……」
「効かなかったんだよ、実際に。飲ませてすぐに呼吸が乱れて……だが、一瞬後には持ち直した。解毒したんだ……体内で」
「馬鹿言え。あの毒はよっぽどのシャーマンでもなけりゃ……」
「実際に解毒されちまったんだ。アイツの肉体は凄まじい。大人顔負けの腕力に、娼婦の毒にもかからない抵抗力。フィアフルスパイダーの毒も解毒しちまったくらいだ。アイツの肉体には、神が宿ってる」
「……だとしたら、随分と薄情な神様なもんだよ。こんな有様にしちまうくらい、コイツに運ってものを与えなかったんだから……」
「ああ……今は、鎮痛剤をやってる。強烈な奴だ。このまま……静かに眠ったまま、死んでいくはずだ……」
うそつけ。こんなに、痛いじゃないか。
デイダスに抗議してやろうと、オレは必死で体を動かす。
一分近くかけて起き上がり、自分の左腕がまだくっついている事を理解した。
ただ、おざなりに巻かれた包帯の下が、どれほどひどい有様になっているかは何となくわかった。
以前の自分の腕より半分以上も細くなってしまっているそれは、殆ど骨が露出してしまっているだろうことは想像に難くない。
全身は激痛を訴えているのに、左腕だけは何の感覚もないんだから。
「……手は、ないのか?」
「強力な霊薬でも、あればな。それ以外は……」
「そうか……」
それでも、左腕は動いた。だから、曲がったまま動いてくれない左手をベッドの端に引っかけて、体を引っ張った。
血でべったりと貼り付いたシーツから体が剥がれる感覚。
「うっ……ぐっあ、ぁぁぁぁ!」
呻き声を上げながら、オレはベッドから転げ落ちる。
地面に叩き付けられて、目の前が真っ白になるほどの激痛が全身に走って息が詰まる。
それでも心臓は未だ止まらない。風前の灯火であろうとも、未だ燃えている魂の炎。それを消さないために、オレは足掻く。
「……どうして、アイツが死ななきゃなんねえんだ。どうして、ニーナは……あんなに運が悪いんだよ……」
「知るかよ……俺だって、出来る事なら助けてやりたいんだ……だが、オレじゃあ、アイツを救えるほどの回復魔法は……」
「……教会の司祭なら、どうなんだ」
「司祭様でもあの怪我を治すのは無理だ。あそこまで体が損傷してたら、死なせて蘇生魔法を使う事もできない……」
かすむ視界の中、声の聞こえてくる方角へ、芋虫のように体をくねらせ、ズタボロの左腕を酷使して這いずる。
遠くから聞こえてくるように感じられる闘技場の歓声。よくデリックとデイダスの話し声が聞こえたものだと自分を褒めたかった。
この歓声が聞こえて、これだけの怪我を負っていて死んでいない事からすると、あの闘技からさほどの時間は経っていないんだろう。
「俺が、もっと高位の魔法使いだったらなぁ……どうして、俺の才能はこの程度だったんだろうなぁ……悔しくて、悔しくてたまらねぇよ……」
「デイダス……」
今、目を覚ます事が出来たのは途轍もない幸運だと思った。
オレが幸運だなんて言うと、ビックリするくらいに薄っぺらな言葉のような気もしてくるが。
それでも、未だ生にしがみ付く事が出来るのならば、それは間違いようも無く幸運だった。
やがて、声の聞こえてくる方角、医務室の外に繋がる扉の前へと辿り着く。
呼び掛けようとして、ロクに声も出ない事に気付いた。
さっきの呻き声がよく出せたなと思えるほどか細い声しか出ない。
それでも気付いてもらおうと、左腕で医務室の扉を殴りつけた。
扉の外の話し声が止んだ。そして、オレは続けて何度も扉を殴りつけた。
ガツガツと乾いた硬質の音。なんで手でこんな音が出るのかと疑問にすら思わなかった。
やがて、扉がゆっくりと開いた。
そして、恐る恐る部屋の中を覗き込んだデイダスが、オレの姿に気づいて素っ頓狂な声を上げた。
「に、ニーナ!? な、なんで、おまえ!」
「デイ、ダス……」
「な、なんだ? よく聞こえない」
オレの口元に耳を寄せたデイダスに、悪態を吐く。
「鎮痛剤……効かねえ、ぞ……くそ、が……」
「お、お前……あの鎮痛剤も解毒しちまったのか!?」
「知る……か……なに、のませやがった……」
「ケシの実から作った鎮痛剤を……」
……モルヒネか、ヘロインか。いずれにしろ、麻薬だ。毒と認識して解毒しちまったのか。
なんで、鎮痛剤まで解毒しちまうんだ……くそが……。
「まぁ……ンなこた、どうでも、いい……オレを、治せ……はやく……」
「な、治せたって、お前、その怪我じゃ……」
「うるせぇ……! いいからやれ! 速くしねえと夢枕に化けて出るぞ! 七代にわたって呪ってやる!」
「ああもう! わかったよ! やればいいんだろうが!」
そういって半ばヤケッパチにデイダスが回復魔法を発動する。
そして、左腕にこみあげてくるような筆舌に尽くしがたい激痛が走った。
「はぐっ! ぐがっあっ、あっあっ、あっ……!」
「き、効いて……る?」
「はぁ……はぁ……! いいから……続きを……!」
「あ、ああ! デリック! 他に回復魔法が使える奴を片っ端から呼んできてくれ! それと、腕もってこい!」
「おうよ! 任せとけ!」
勇み足で出て行ったデリックを尻目に、デイダスが新たに回復魔法を発動する。
それに転げ回りたくなる程の凄まじい激痛が走り、ゆっくりと左腕の感覚が戻ってくる。
左腕の肉が再生する痛みは、他のどんな痛みとも種類の違ったものだった。
「痛いだろうが辛抱してくれ! 絶対に治してやる!」
返事をする気力すらもなく、ただ激痛に耐え続ける。
もう、ここ数日で一生分の激痛を味わったんじゃないかってくらいに激痛は味わったが、この再生の痛みは全く別種の痛みだった。
どんな形容表現をしても表せる気がしない。そう言った種類の痛み。
その痛みに耐え続けて、いつの間にか周囲が騒がしくなって、唐突に右腕の感覚が戻って来て。
やがて、別の意味で死ぬんじゃないかって頃に、オレの怪我はあらかた治っていた。
治療開始から、ほんの三十分。その程度の時間で、全治何年ってレベルの大怪我はほぼ治癒していたのだ。
改めて、回復魔法の凄さって奴を思い知った気分だった。
「で……ニーナ。気分はどうだ」
「はぁ……はぁ……はぁ……わる、く、ない……」
疲労困憊で、その癖頭は嫌なくらいに冴えてるが、悪くはない。
さっきまでの死体同然の状態よりは、よっぽどよかった。
「俺の顔面の腫れについて何か一言」
「男前が、上がった……ぞ……」
「…………」
「わるい……あやまる……そのうち、なんか、おごる……」
「まぁ、いいさ」
デイダスの見事なまでの顔面の腫れはオレが殴った事によるものだった。
激痛に耐え兼ね、暴れ回り、デイダスを殴り飛ばし、他数名の医者を病院送りにしてしまった。
「俺の腕前がもっと上なら、痛みも無く治してやれたんだがな……右腕も、どうだ」
「…………ちょっと、動きがにぶい。なんだ、これ」
ワンテンポのズレ。日常生活では問題ないだろうが、戦闘では致命的なズレになる。
これはいったいなんなんだ?
「やはりか……一回では治し切れなかったな」
「どういうこった」
「お前の右腕は切られてた。だから動きが鈍いんだ」
「ああ……」
つなぎ直したのか……神経が上手く繋がってないせいでこうなってるわけだ……。
しかし、切断されてからしばらく経っていたはずの腕が繋がるなんて……。
「他に、何かおかしいところは?」
「体が……ちっとも、動かねえ……」
立ち上がろうとしても出来ない。下半身の感覚はあるから、神経は繋がってるんだろうけど。
全身を蝕む酷い倦怠感は疲労の現れか、あるいは他の何かか。
「だろうな。生命力が殆ど枯渇してんだ。大人しく寝ておけ」
「寝れる気がしねぇ……」
「麻酔薬打って……ああ、効かねえんだったな」
「らしい、な……」
麻酔薬も効かないとは、とことんまでヘヴィだ。
もしも手術するような事態になったら、オレは麻酔なしで手術を受けなきゃならねえのか? どんな拷問だよ、そいつは。
「とりあえず、デリック。コイツを部屋に連れてってやれよ」
「お? おお、分かった」
今まで部屋の隅で所在なさげにしていたデリックがようやく自分の出番だとリア帰して歩み寄ってきた。
そして、オレを抱き上げるとそのまま歩き出した。
「助かって、よかったなぁ、ニーナ」
「あ……? ああ……」
「お前の肉体には神が宿ってるってよ、デイダスが言ってた。ホントかも知れねえな」
「さあな……」
オレの肉体に、神が宿ってる、ね……。
オレも聞いていたが、何ともまた確信を突いた言葉だ。
オレのこの肉体能力が神からの恩賜だとすれば、確かにオレの肉体には神が宿っていると言えるのかもしれない。
薄情で酷薄、そんなクソッタレな神様だが、オレを生き残らせる程度には役立っているのかもしれない。
「本当によ……よかったぜ……」
「なに……泣いてんだ、お前……」
「これは汗だ……」
「そうかよ……」
「ほんとに、ほんとに……よかった……」
男泣きに泣くデリックの姿は、なんだか弱弱しく見えた。
ただ、その涙にうれしさを感じていたのは、変な事だったろうか。
オレの無事に安堵してくれる人が居るっていうのは、こんなにも嬉しい事なのだろうか。
よく、分からなかった。
ただ、嬉しいなと、そう思って。
いつの間にか、オレの意識は眠りの世界に落ちて行っていた。
深い、深い眠りの底に。