十二話
ショッキング、残酷、グロテスクな表現があります。苦手な方はお控えください。
剣劇の嵐。
それは回転速度を上げ、オレの肌を裂かんと迫りくる。
完全に防戦一方。攻勢に回るなど到底不可能。
一瞬でも気を抜けば、骸を晒す事になるかという程の猛攻。
回転を上げる剣戟の嵐に、オレもまた回転を上げて腕を繰り出す他にない。
ギリギリのチキンレース。しかも、勝負相手は自分の肉体。
腕が動かなくなるか、心臓が破れるか、肺腑が張り裂けるか、血管が千切れるか。
あるいは、相手の刃で真っ二つにされるか。
そんな、どれが負けても全て自分の死に直結しかねない馬鹿げたチキンレースだ。
心臓はオーバーヒート寸前。あと一歩でジャンクヤード行きなんじゃないかとすら思える。
腕の筋肉は引き攣り、骨は軋み、腱はぎしぎしと嫌な音を立てる。
肌に微かな痛み。
薄皮一枚切られたと察知したのは、肌を滑って行く血の感覚で。
体温と全く同一で、肌の上を血が滑って行く感覚でしか分からないそれ。
傷は増え続けている。
致命の一撃を喰らうのがどれほど先か。一分後か、一秒後か、さほど遠くはない。
致命ではなくとも、重傷を負うのはどれだけ先か。
一撃でも喰らってしまえば、この危うい……もはや瓦解し始めている拮抗は完全に崩れ去るだろう。
命を絶たれる事はないかもしれない。
だが、それは負けた事に何の影響も及ぼさない。
むしろ、生き残ってしまえば、それはただ惨めなだけなのかもしれない。
たとえ絶対に死ねない身であったとしても、同時に絶対に負ける事の出来ない身でもあった。
それは自分の矜持と意地。
何で負けたくないのかなんて自分でも分かりやしない。
なんでそんな矜持があるのか、なんでそんな意地があるのか、分からない。
けれど、ただ負けたくない。それだけが分かっていればいい。
負けたくないという意思があれば、最後の瞬間まで足掻き続けられる。
勝ちたいという気合いがあれば、命を賭して戦いに臨める。
そう、このまま縮こまっていていいのか?
守ってばかりいていいのか?
攻め込まずして勝てる戦いがあるか?
オレは勝ちたい。勝ちたいのなら、攻め込むしかない。
たとえ、それがどんなに無謀な賭けでも、どんなに無茶でも。
オレは、絶対に、勝ちたい――――!
腹は決まった。最早、迷う事など無い。
肉は切らせてやると最初から覚悟していた。
今度は骨だって切らせてやる。ぜんぶ切らせてやる。
腕の一本や二本、持っていけばいい。
だが、この命だけは、切らせてはやらない。
それ以外の全部を切らせてやる。だから、オレに勝たせろ――――!
「オオオオッ!!」
裂帛の気合いと共に、我武者羅に剣を繰り出した。
相手の剣を弾いた甲高い音。まず一つ目の賭けには勝った。
だが、その程度で事態が覆るような事はない。
相手にはほんのわずかな隙が生まれたが、その隙に打ち込めるほどオレは卓越していない。
相手はオレが準備を整えるよりも早く体勢を立て直し、次なる剣戟を放っている。
真横から振るわれる最速の一撃。弧を描く銀円は、オレの胴体を切り裂かんと迫る。
その一撃が欲しかったと、二つ目の賭けに勝ったオレは嗤った。
手を開く。固く握りしめられた手は上手く開かず、しっかりと開き切るのに酷く難儀した。
それでも、手を開いて、オレは待ち構えた。
加速する意識の中で、ゆっくりと停滞し始める世界。
見える。
イケる、やれる。そう確信する。
覚悟はとっくの昔に決まっている。
あとは度胸。こんな馬鹿げた真似を実行するだけの度胸があれば、それでいい。
そんな度胸なら、売るほど持っている。
そして、停滞し始めている世界の中でも未だ高速で迫る刃へと向けて、オレは右手を突き出していた。
「ギッ――――――!?」
痛い。イタイ。いたい。痛い。イタイ。
いたい。いたい。いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい――――!
目がくらむ。
歯が砕ける程の力で歯を食いしばる。
手の先から脳天へと突き抜ける筆舌に尽くしがたい激痛。
今にも零れ出しそうな眼球を押し留めるように、必死で相手を睨み据える。
体内に冷たい金属が侵入してくる怖気を覚える感触。
筋肉が断ち切られ、腱が引き千切れ、骨が抉られ、髄が漏れ出していく。
視界は明滅を繰り返す。それは赤と黒のコントラスト。
そして訪れる、真っ赤な、真っ赤な世界。
全てが血に染まっているかのような世界。
それはオレの錯覚が生み出しているのか、それとも本当に視界は紅く染まっているのか。
激痛と吐き気。その二つが混然一体となってオレへと襲い掛かる。
それを必死で抑え込んで、オレは肘の半ばまで埋まった刀を見て嗤った。
――――三つ目の賭けにも勝った。
「きさっ……!」
相手が驚愕し、剣を引き抜くよりも早く、オレはそいつの首を掴んでいた。
無事な左手に全身全霊の力を込め、そいつの喉を引き千切ろうと。
柔らかく、細い首筋に、オレの細い指が食い込んでいく。
そしてオレは、殺意を燃やして叫んでいた。
「死ね!」
左手から炎が溢れ出した。
赤々と、真紅に燃える焔。
燃えろ、燃えろ、燃えろ。もっと強く、もっと熱く、もっと激しく。
逆巻け、火の粉を巻き上げ、天すらも焦がせ。
全部燃やしてしまえ。何もかも燃やしてしまえ。
お前が炎だというのならば、森羅万象一切全てを焼き尽くして見せろ。
炎は、何もかもを燃やし尽くす破壊だ。敵も、味方も、区別など無い。
それはただ焼き尽くすもの。目に映る全てを焼く炎。
なにもかも、なにもかもを焼く。跡にはただ、焦土が、殺戮の荒野が残る。
それが、炎というもの。
「あっ、ぎっ……ぃやぁあああああああああああああああっ――――!」
悲鳴。
オレの腕すらも焼く憎悪の焔が、リンとか言う女の首を、顔を焼く。
滾る炎の奔流は髪を焼き、悲鳴を溢れ出させている口から侵入し、喉すらも焼き尽くす。
途轍もない力でそいつはオレの手から逃れて、のたうちまわる。
火に焼かれ、か細い呼吸を繰り返しながら痙攣する姿。
勝った。
オレの勝ちだ。
オレは立っている。
相手はもう戦えない。
オレの勝ちだ。
オレの勝ちだ。
「あは、あは……アハハハハハハハハハハハハ――――!」
哄笑。それは自然と口を突いて出ていた。
オレの勝ちだ。オレの。
勝った。勝った。勝った。
オレの方が強い。それを証明してやった。
「ハハハ……」
闘技場の控室から、デリックやらデイダスが飛び出してくる。
死にかけているリンに治療を施し始め、オレも担がれて運ばれる。
なぜ、と思ったが、単純な事だった。
オレの右腕は肘辺りまで真っ二つになっている。
魔法治療が出来なければ、腕を切除する必要のある程の大怪我。
それを認識した時に、高揚と脳内麻薬で忘れていた痛みが蘇ってきた。
「ぎっ……あああああああああああああ……! 痛い痛い痛い痛いぃ……!」
腕から上って、脳髄を刺し貫くような激痛が襲ってくる。
のたうち回りたいほどの激痛。
のたうち回って腕を動かせば、裂けた腕が激痛を訴える。
動かなければ、発狂してしまいそうな痛みが責め苛む。。
「あっ、ああ……! ああああ……!」
問答を交わす事すら無しに医務室に放り込まれると、目玉が飛び出るほどに強い酒を飲まされた。
高濃度アルコールと失血で朦朧とし始める意識を激痛が呼び覚ます。
アルコールを投与されてもまぎれない程の痛み。
「ぎっいぃぃっ……! 腕がっ、ああっ……!」
行き場を失った左手は、爪が剥がれ、肉が潰れるほどの力でベッドの枠を掴んでいた。
全身全霊の力を込めていれば、右腕の痛みはまぎれた。
だから、左手が壊れる事も気にせずに、オレはベッドの枠を握り潰していた。
「ひいっ、いいっ……! はぐっ、ふぐぅぅぅっ!」
ころしてくれ、そう叫びそうにまでなった。
意味のない呻き声と絶叫が勝手に溢れてくる。
これを噛んでいろと、木の枝が差し出されて、それを噛めば少し楽になった。
痛い。痛い痛い痛い痛い痛い。
だれか、誰か、助けてくれ。
痛いんだ。すごく痛いんだ。
だって、オレの腕が、真っ二つになったんだ。
「ぐっ、うううう! ぐっ、ぎっ……! ううう……! うううううううう……!」
ベッドに抑え込まれる。
数人がかりで抑え込まれて、殆ど身動きもとれない状態にされて。
なにが、と思う暇もなく、右腕に更なる激痛が走った。
「んぐうううう――――――っ!?」
これからの人生全てが希望に彩られているとしても耐えられそうにないほどの激痛。
腕の神経という神経の全てを、塩で出来たヤスリで削られているかと思うほど。
絶叫と悲鳴。
殺してくれと叫んだ。
叫んでも叫んでも痛みは消えなくて。
やがて、それが一秒だったのか、一分だったのか、分からないけれど。
痛みが消えた。
今までの痛みがまるで嘘だったように。
全身に残る鉛のように重い疲労だけが妙にリアリティを感じさせた。
「はあっ、はあっ、はあっ……! オレ、の、うで……」
恐る恐る、自分の腕を見てみれば。
うでは、くっついていた。
縦に走る白い傷痕だけが異様に綺麗に浮かび上がっていて。
今までの事がまるっきり嘘だったかのように、しっかりと、元通りにくっついていた。
「あ……あう、うう……?」
意味が分からない。
なぜ、どうして、なにがおきた。
腕をさすってみれば、左手が痛みを訴えた。
指先の肉が潰れて血が滲み、爪が捲れ上がっている。
その手を、見知らぬ男が取ったと思うと、暖かい光が腕を包んでいた。
そして、剥がれていた爪も、潰れていた肉も、全て元通りに。
「……これでよし。すまんね、重傷を治すには、私の技量じゃ痛むんだ」
柔和な笑みを浮かべた優男がそう言う。
魔法……だったのか。
あんな、腕が真っ二つになるような重傷すらも、一瞬で治るのか。
魔法って、スゲェ……。
「あ、ありが、とう……」
「礼はいらないよ。私も仕事でね」
優男が大きく息をついて部屋の隅の椅子に座り込む。
それを横目にしながら、オレは馬鹿のように右腕を撫でさすっていた。
完璧に、痛みも無く、元通りになっている。
痺れも無ければ、妙なこわばりもない。
元通りの、健常な状態の腕。
傷痕が無ければ、重傷を負ったことすら幻だったのではないかとすら思える。
「うで……」
腕が、元通りになった。
嬉しかった。
腕を失う事になるかもしれないと思いながらもやったのに、腕は元通りになった。
嬉しくて嬉しくて、涙が溢れて来て。
そして、自分が勝利した事を思い出すと、その嬉しさは倍増した。
嬉しくてたまらなかった。
泣きながら自分の勝利を再確認していると、デリックとデイダスが医務室に入って来た。
デリックは、あの変態的な格好をした少女を抱き抱えていた。
そいつの丸焼きにした顔や喉も、完璧に元通りになっていた。
唯一元通りになっていないのは、長い黒髪だけ。
「おお、ニーナの治療も終わってたか」
「でりっく……」
「お? どうしたどうした、そんなしおらしくてお前らしくねえ」
自分らしくないのは百も承知だった。
でも、そう言う声が出るんだから仕方あるまいに。
「そいつ……いきてるのか?」
「勝手に殺すんじゃねえよ。ちゃんと生きてら。まぁ、死にかけだったのは確かだがな」
「そっか……」
殺しかけたが、謝るつもりなど毛頭ない。
命の危険もあるのが分かっていて挑みに来たのだ、ならぶっ殺す勢いで相手するのが当然だ。
死んだらご愁傷様、腕も運も足らなかったな、来世からやり直せ、ってことだ。
そう思っていると、デイダスが大きくため息をついて、先ほどの優男の隣の椅子に座る。随分と疲れているようだ。
「あ゛あ゛ー……疲れた……ニーナお前、火傷を治すのは大変なんだぞ。もちっと手加減してやれ」
「むちゃ言うな……」
「わかってら。ったく、お前の腕の方の治療が何倍楽だったことやら……」
「……やけどって、そんなにむずかしいのか?」
「斬られたりした怪我なら表面治しゃすむが、火傷は欠損と同じで、芯の方まで造って治さなきゃならねえからな。そこいらへんが面倒くせえ上に、時間もかかるわ、魔力も使うわ……」
「ふうん……」
「まぁ、んなこたぁどうでもいい。お前の方はどうだ」
「なおった」
ぴらぴらと右腕を振って見せる。
「そんならいいがな。まあ、その、なんだ」
「?」
「水浴びでもしてこい。汗も掻いてるだろうし、まぁ、いろいろと綺麗にしなきゃならんだろう」
「……よく分からないけど、いってくる」
立ち上がって、ベッドから降りて、ようやく気付く。
そこからはもうノンストップだった。
疲労を忘れる程の勢いで走り出して、水浴び場に辿り着くと、樽に貯められていた水をひっかぶった。
「……死にてぇ」
割と真剣に今は死にたかった。だれかオレを殺してくれないか。
一体ニーナが何に気付いたのかはご想像にお任せします。