叱咤、変化
「はい、お待たせ。…それで?さっきから何が言いたいの?」
来て早々悪いけど、小林さんにはお帰り頂いた。ケイの巻き添えを食ったようなものだから少し申し訳ないと思ったけれど仕方ない。
小林さんを玄関まで見送ってリビングに戻ると、ソファに深く体を沈めた、不機嫌です!と全身で表現しているケイが待っていた。自分から話しそうになかったので渋々質問すると、半眼で睨んでくる。
「なぁ、尚。お前さ、小林さんのこと好きなんだよね?」
「またその話?…好きだよ?でも小林は俺のことは好きじゃない。だから別れた。前に話した時にそう結論出たよな?」
小林は高橋の気を引きたくて俺と付き合ったんだ。きっと、先輩の妹。小さな女の子。その認識から抜け出したくて。まぁ神田先輩との付き合いで相談したい事があるんですぅ〜、とでも言って、あいつに近づこうって打算的な考えもあったかもしれないけど。高橋は優しいから嫌になるほど親身になって相談に乗ってくれる事だろう。
「別れるって結論はお前が出したんだから、それに関しては俺は特に何も言わないけどさ。何でデートの世話までしちゃってんの?彼女が幸せならそれで良いんだ…!、な〜んて自己犠牲の精神、お前には無いよな?」
「だから自己犠牲なんかじゃないって。これは、俺の自己満足。」
自己犠牲では無い。自己満足。何度も自分自身で確認したことをもう一度口にする。自己満足だ、ただの。それがどうした?何が悪い?
…別に誰かに迷惑をかけてる訳じゃないだろ。そう告げるとケイがソファから立ち上がり、真正面から非難の目を向けてくる。
「馬っ鹿じゃねーの?迷惑かけてる訳じゃないとかさ、お前本気で思ってるわけ?…本当に?」
怒鳴りつけるのでも、軽蔑するのでもない。ケイはひたすら悲しそうに、憐れむようにこちらを見てくる。
「何だよ?別に良いじゃん。…ていうか何だよその目。お前めったに怒らないからかなり怖いんですけど〜?」
「茶化すなよ。本気で話してんだよ、これでも。…ちゃんと、本気で考えろよ。」
なるべく軽薄に聞こえるように、笑いながら返せば。ものの見事に一刀両断される。大きなため息をつく。うんざりだ。こんな重苦しい、シリアスな空気感。
真剣に、とか、本気で、だとか。子どもの頃からそういう風に何かに取り組むのが嫌いだった。本気で取り組んだのに目的が叶わず挫折する。それが怖かった訳じゃない。純粋に自分の事も、他人の事も。本気で考えることが嫌いだっただけだ。幼い頃からの俺の悪習をケイは知っている。それなのに。
「今更だよな、それ。本気で考える?何を?」
「…色んな事だよ!自分がどうしたいのかとか…あとは…お前の事を考えてる人の事とか、だよ。そういう色んな事考えろって言ってんの!…お前、知ってるよな?知ってて、知らないふりしてるんだよな?」
痛みを堪えているようにも泣きそうにも見える顔でこちらを見るケイの目を見ていられなくて目を逸らす。ふと、壁に掛けられた小物入れが目に入った。100均で買った安っぽい、小さなポケットがたくさん付いた布製の小物入れ。そして、そのポケットから覗く、藍色の万年筆。目を閉じる。
知っていた。馬鹿じゃないんだ、そんなのとっくに気づいてる。重たい気持ちを向けられるのも、真剣に何かを考えるのも嫌いな事を知っていて、その上で、…吉田さんが俺が接しやすい距離に居てくれている、なんてこと、最初から分かっていた。恋愛小説の鈍感な主人公じゃあるまいし、他人の気持ちを感じとることぐらい出来る。それでも。
「馬鹿はお前もだろ。」
閉じていた目を開き、ケイに向き直る。お前には分からないんだよ。お前みたいに、何も怖くないやつには分からない。怖いことも嫌なことも乗り越えようと努力出来るやつには分からない。
「知ってるよ。吉田さんの気持ちは。それに…吉田さんも、俺が自分の気持ちに気づいてるって分かってる。」
ケイが目を見開いて俺を見つめる。だよな、お前はそういうリアクションするだろうな。想像通り過ぎて笑える。でもな、ケイ。普通は怖いんだよ。現状が変わることが分かってて、しかも結果が自分の望むことじゃないと分かってて、それでも行動出来るやつなんて所詮少数派なんだ。
当たって砕けろ、なんてよく聞くけれど。砕けるなんて恐ろしいこと、本当は誰もしたくないんだよ。世間はそれが出来る人を、勇気があるって賞賛するけど。叶わないことをわざわざしたくないって考える臆病者の気持ちはどうなるの?
「知ってて、お互いが知らないふりしてるって知ってて、それでも知らないふりを続けてるんだよ。」
優しくて、勇気があって、他人の気持ちに踏み込む行動力も、そのせいで傷付く覚悟もある。そんな非常識なまでの善人がそうそう居てたまるか。心の中で吐き捨てる。そんな気持ちの悪いくらいの良い人になんてなりたくもない。俺の器は小さ過ぎて、そんなこと考えただけでも、限界を超えて色んなものが溢れ出しそうなんだよ。
「…可哀想じゃん、そんなの。」
迷子になったような顔で、そうポツリと呟くケイの姿を見て、お前だって可哀想だよ。と心の中だけで思う。俺みたいな人間とは真逆の、誰が見ても良いやつのお前が、俺みたいなのと友達になっちまって。可哀想に。
「ケイ。」
小物入れに手を伸ばし、ポケットからあるものを取り出す。切手のシールの付いた小さな紙袋、それを差し出す。
「吉田さんに渡しといてくれる?あと、良い店教えてくれてありがとうって伝えて。」
笑いながら紙袋をヒラヒラと揺らせば、ケイは天を仰ぎながら盛大にため息をついた。何なの?その、しょうがねぇなぁみたいな顔。…まぁ。確かに馬鹿だけどさ、俺。
「わ〜かったよ。っとに…お前も吉田さんもさ、何でそんな面倒臭い性格してんの?」
「仕方ないだろ?生まれつきだよ。」
呆れたようにしながら、でも確かに笑いながら包みを受け取るケイに、内心ホッとする。やっぱりお前に怒られるのは凹むわ。…マジで怖いし。
「お〜い、尚。」
「ん〜?」
「やっぱりさ、ちゃんと考えた方がいいよ。…今のままで良いのか、とかさ。」
…分かってるよ。しつこいって。ていうかさ。
「お前吉田さんの肩持ちすぎじゃね?何時の間にそんな仲良くなったんだよ。…今日のことも話してたみたいだし。」
何となく面白くなくてそう言えば。にやにやと笑いながら、さ〜てね〜。なんてはぐらかされた。…調子乗ってるな、こいつ。舌打ちする。ちっ。
まぁ確かに、考えないと駄目なのかも、な。ケイの本気をぶつけられて、否応なく考えさせられる。
変化するのは嫌だ。でも、変わらなくても、当たることを避けても、砕けてしまうという結果が変わらないなら。…いっそ真正面から。当たってしまおうか。