第一章:かりそめの平和
偽りの存在として生まれた少年が、その命を賭して手に入れたもの。
それは、世界の平和と、「本物の日常」だった。
かつて世界を揺るがした大戦から二年。
英雄となった少年シンタロウは、愛する者ルナと共に、帝都を離れた小さな村で、穏やかな日々を送っている。規格外の力を持て余しながらも、その失敗さえも、平和の証として笑い合える、温かい生活。
全ては終わった。
そう、誰もが信じていた。
しかし、歴史の裏側で、蠢く悪意は絶えることがない。
「賢者の礎」。初代賢者アキラが、その身を賭して世界を護った「封印」の象徴。
その、たった一欠けらが、平和に慣れた世界に、再び災厄の種を蒔く。
闇に生きる者たちの手に渡った『欠片』は、狂信的な野望に火をつけ、禁忌の理術を完成させようとしていた。
これは、二度目の平和を壊そうとする者と、二度と「本物の日常」を奪わせないと誓う英雄の、再始動の物語。
「戦いは、終わったはずだった――」
最後の戦いから、二年が過ぎた。
俺、シンタロウとルナは、帝都から少し離れた小さな村で、穏やかな日々を送っていた。
「……あっ」
「またやってしまったのですか、シンタロウ様」
家の裏手で薪割りをしていた俺は、思わず声を上げた。
手にした斧は無事だが、その下にある薪割り台が、真っ二つに割れてしまっている。力を込めすぎたらしい。
呆れたように、しかしその声には笑いを含んで、ルナが家から顔を出す。
「すまん。つい……」
「ふふ。もう、薪割り台がいくつあっても足りませんね」
俺は苦笑しながら、割れた台の残骸を片付ける。
こんな風に、規格外の力が日常生活の邪魔をすることは、今でも時々あった。だが、その失敗さえも、平和の証のように感じられた。
旅の行商人から買った帝都の新聞には、若き皇帝を称える記事が躍っていた。
『賢帝ルキウス、ガルディアンとの不可侵条約を締結! 大陸に真の平和来る!』
その見出しを見て、俺は心の底から安堵する。
「あいつが上手くやっているなら、それでいい。俺たちの戦いは、もう終わったんだからな」
俺の言葉に、隣でお茶を淹れていたルナが、優しく微笑んだ。
偽りの存在として生まれた俺が、多くの犠牲の末に手に入れた、本物の日常。
俺は、この幸せが永遠に続くことだけを願っていた。
* * *
その頃。
帝国とガルディアンの国境に新設された中立地帯では、一つの神殿が、新たな平和の象徴として多くの巡礼者を集めていた。
初代賢者アキラを祀る、通称「礎の神殿」。
その中央には、彼女がその身を賭して召喚魔法を封印した石像、「賢者の礎」が静かに佇んでいた。
「……ちっ、また汚れてやがる」
中年の清掃員ミロは、舌打ちをしながら、その神聖なはずの石像を雑巾で拭いていた。
彼は、先の共和国末期の内乱で全てを失った元兵士だった。英雄だの、賢帝だの、平和だのと浮かれている世間を、彼は冷めた目で見ている。日々の暮らしは苦しく、今夜のパンを買う金にも困っていた。
彼にとってこの石像は、ただの厄介な仕事道具でしかなかった。
その日の夜。
最後の見回りと清掃をしていたミロは、疲労から濡れた床に足を滑らせた。
「おわっ!?」
彼の体はバランスを崩し、手にしていた金属製のバケツが、派手な音を立てて「賢者の礎」の台座に激突した。
ガンッ!
静かな神殿に、不吉な音が響き渡る。
ミロの血の気が引いた。
見ると、石像の裾の部分が、拳ほどの大きさにわたって欠けてしまっている。床には、不気味に淡い光を放つ、石の破片が転がっていた。
(お、終わった……。聖なる像を……俺は、死刑だ……)
恐怖に震え、その場にへたり込むミロ。
だが、次の瞬間、彼は信じられない光景を目撃する。
欠けたはずの石像の断面が、淡い光を放ち始めたのだ。そして、まるで粘土のように石が盛り上がり、傷口を完全に塞いでしまった。
ほんの数秒で、石像は元通りの姿に戻っていた。
「ひ……っ」
ミロは、その人知を超えた現象に、神聖さよりも、得体の知れない恐怖を感じた。
ふと、彼は自分の足元に転がる破片に目をやる。
像本体は修復されたが、この破片は、淡い光を放ったままだ。
(像は、元に戻った。なら、この石ころ一つ、誰も気づきはしない……)
彼の心に、悪魔の囁きが響く。
(この不思議な石なら……闇市で、高く売れるかもしれない……)
恐怖と欲望が、彼の心を支配した。
ミロは、震える手でその破片を拾い上げると、素早く懐に隠した。そして、何事もなかったかのように、その場を立ち去った。
その小さな罪が、再び世界を揺るがす災厄の引き金になることなど、知る由もなく。
* * *
数日後――。
帝都の裏路地。喧騒と怪しげな活気に満ちた闇市場。
ミロは、懐の破片をなけなしの金に換え、人混みの中へと逃げるように消えていった。
その日、闇市で取引された不思議な光る石は、複数のブローカーの手を経て、ある人物の元へと届けられた。
薄暗い理術研究室。
薬品の匂いと、機械の駆動音が響くその部屋で、一人の男が、届けられた破片を分析装置にかけた。
モニターに表示されたのは、あり得ないほどのエネルギー反応を示すグラフ。通常の理術触媒の数千倍、いや、数万倍。理論上、存在しないはずの数値だった。
男――旧カエサル派の理術研究員リーダーであった、カッシウスは、そのモニターを見て、狂喜に打ち震えた。
「間違いない……これこそが賢者の力の源泉……!」
その目は、過去の度重なる挫折と、亡き主君への狂信に濁っていた。
「これさえあれば……! カエサル様の夢、『キマイラ』は完成する!!」
彼の甲高い笑い声が、誰にも知られることなく、闇の中へと響き渡った。
第二部 第一章 了
いつも『異世界に召喚された俺は「壊れた人形」と蔑まれた偽物の賢者らしい。~疲労を知らない肉体と規格外の怪力で、腐った国家の道具にされた僕は、やがて自らの存在を賭けて反逆の剣を振るう~』をお読みいただきありがとうございます。
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