1話 オーディションと宣告
「――喰らえッ! これが俺の、魂の叫びだッ! ファイナル・シャウティング・バーストォォォッ!!」
絶叫。
俺の喉から迸った声音は、オーディション会場の空気をビリビリと震わせ、防音壁にぶつかって衝撃波のように跳ね返った。
分厚いガラスの向こう側にいるミキサー担当のスタッフが、驚愕に目を見開いているのが見える。
これは、俺の声じゃない。
伝説的熱血アニメ『超絶音士シャウター』の最終話。主人公ブレイズ・シャウトが、ラスボスである暗黒音響魔王を打ち破った、あまりにも有名な決めセリフ。
そして、この声は、ブレイズ・シャウトそのものの声だ。
いや、正確には、彼を演じた伝説の声優、ザ・グレート・シャウトの声。
この声を出している瞬間だけ、俺は空っぽじゃなくなる。
気弱で、自分の意見もろくに言えない、響鳴という空っぽの器に英雄の魂が満たされる。
最高だ。
この瞬間だけ、俺は世界最強のヒーローになれる。
「…………」
セリフを言い終えた後の、静寂。
審査員席に座る三人の男女が、呆気にとられたような顔で俺を見つめていた。
やがて、一番右側に座っていた人の良さそうなベテラン風の男性審査員が、感嘆のため息を漏らした。
「すごいな、君……。まったく、ザ・グレート・シャウトの生き写しかと思ったよ。あの独特な声のしゃがれ具合から、息継ぎのタイミングまで、完璧だったよ」
「ええ、本当に。これほどのモノマネ芸人は、私も久しぶりに見ましたわ」
中央の女性審査員も、技術には感心しているようだった。
やった。手応えは、ある。
今回こそ、いけるかもしれない。
声優養成所の学費を稼ぐためのバイト生活にも、もううんざりだ。
俺は、ただのモノマネ芸人で終わりたいわけじゃない。
人々を熱狂させ、勇気づけ、心を震わせる、本物の声優になりたいんだ。
この世界の誰もが憧れる、英雄に。
逸る心を抑え、俺は審査結果を待った。
しかし、最後に口を開いた審査委員長らしき初老の女性の言葉は、俺の淡い期待を打ち砕くのに十分すぎるほど、冷ややかだった。
「技術は認めましょう」
彼女は手元のタブレットに表示された波形データに目を落としながら、淡々と告げる。
「たった今、あなたが発した音声データは、オリジナルのものと99.8パーセント一致しています。これは驚異的な再現率です。あなたの耳と声帯は、間違いなく一級品なのでしょう」
「あ、ありがとうございます……!」
「ですが」
俺の言葉を、彼女は無慈悲に遮った。
その鋭い目が、初めて俺の顔を、いや、俺の喉をまっすぐに見据える。
「一番肝心なものが、あなたの声には、ない」
「……え?肝心な、もの……?」
心臓が、嫌な音を立てて脈打った。
一番、言われたくない言葉が来る。そんな予感がした。
「あなたの“魂の響き”が、です」
宣告。
それは、これまで数え切れないほど浴びせられてきた、絶望の言葉。
「あなたの声は完璧なコピー。寸分の狂いもなく描かれた、美しいだけの複製画。そこには、響鳴という人間自身の喜びも、怒りも、哀しみも、なにも乗っていない。だから、聴いていて少しも心が動かない。私たちの魂は、少しも震えないのです」
やめてくれ。
もう、それ以上は。
「声優とは、自らの魂を声に乗せて、人々の心を揺さぶる仕事です。私たちは、魂の叫びを聴きたいのであって、精巧なモノマネを聴きたいわけではない」
彼女は静かに立ち上がると、俺に深く、しかし事務的に頭を下げた。
「申し訳ありませんが、今回のオーディションは、不合格です」
ああ、またか。
頭が真っ白になる。膝から崩れ落ちそうになるのを、必死で堪えた。
だが、絶望する俺に、彼女は最後に、追い打ちをかけるようにこう言ったのだ。
まるで、親切心のつもりであるかのように。
「……響鳴さん。私たちは、あなたの声が聞きたいのですよ」
俺の声。
その言葉が、錆びついたナイフのように胸に突き刺さった。
オーディションルームの重い扉を開けて、廊下に出る。
曲がり角の向こうから、歓声が聞こえてきた。
「やったー!合格した!」
「おめでとう!」
きっと、俺の次の番だった奴らだろう。
彼らの声には魂がこもっている。喜びという、確かな感情の色が乗っている。
それに比べて、俺は。
「……俺の声、なんて」
無意識に自分の喉に手をやる。
そこにあるはずの俺自身の声。
そんなもの、とうの昔に――。
俺は世界から音を遮断するように、ポケットから取り出したイヤホンを強く耳に押し込んだ。