くだらない理由
「なるほど、そういう事情であったか」
「裁判もなしにこれでは、アークラッド殿下の謀略だとご自分で言っているのも同然ではない。いったいなにを考えているのかしら?」
縛り上げられ、船に放り込まれしばらくすると父、母、弟も槍を構えた兵に脅されながら乗ってきた。
水夫が船の出港準備の最中、両親に事情を問われて説明するとずいぶん落ち着き払いながらそう言われる。
確かに。
私がやった証拠などない。
自称目撃者の証言だけだ。
母曰く「それを鵜呑みにして裁判もなしに一家連座で海上追放など、証拠隠滅を急いでいるようにしか見えない。そんな真似をするのは真犯人だけ」だと。
「第二王子、アークラッド殿下は王位に興味はないとおっしゃっていたがそうでもなかったのかな?」
「どちらにしましても、今あなたが携わっている国の事業は滞ってしまうわね。それとも、それが目的かしら? 一番大事な資料はあなたしか場所を知らないのに、どうするつもりなのかしら?」
「お父様の携わっている事業……?」
父は王城勤め。
最近城に面する入江に魔物が入り込むようになったらしく、城の防衛を強化する城壁を建設する事業を王命で任されていたという。
王命ということは、かなり重要な役目をいただいたのではないか。
「もしかしたら城の誰かに妬まれて謀られたのかもしれんな」
「どういたします?」
「さて? そろそろ――」
父が船着き場の方を見る。
視線を追うと、十人近い護衛騎士を引き連れたアークラッド殿下がニヤニヤと下劣な笑みを浮かべ、船着場から私たちが乗せられた船に近づいてきたところだ。
「これはこれは殿下、わざわざお見送りに来てくださったのですか」
「ほう。娘と違ってさすがは侯爵。引き際は弁えているということかな?」
腕を組み、尊大に言い放つ。
この言い方……やはり、アークラッド殿下が私を陥れたのか。
「だが、私が来たのは見送りのためではない。最後の機会を貴様らにくれてやろうと思ってのことだ」
「最後の機会?」
「娘。アネモネを私の妻として差し出せば、真犯人を捜す手配をしよう。妻となる女とその家族を犯罪者にするわけにはいかぬからな、そこは約束しよう」
「なっ……」
アークラッド殿下の妻に……私が!?
私は王子妃の教育など受けていない。
身分的には問題ないが、なぜ私を?
アークラッド殿下にも優秀で美しい婚約者候補はたくさんおられる。
今日のお茶会はレオンクライン様の婚約者候補たちと交流を深めるのが目的ではあるが、同時にアークラッド殿下にも候補との交流を求められていた。
つまり、両王子ともに婚約者“候補”止まりばかりだから、いい加減一人に絞って婚約者を決めろ、という王と王妃からせっつかれてこのお茶会を開催した――という事情がある。
それなのに兄王子の毒殺を企て、わざわざ犯人に仕立て上げた私を妻にしよう?
いったいなにを考えているの?
「お前の容姿は前々から気に入っていた。着飾れば横に置いて見せびらかすのにちょうどいい。なにより、兄上もお前に懸想している! 気づいているんだろう? だから兄上が婚約者を決めないのだと! そんなお前を私が妻にすれば、兄上はさぞがっかりするだろうさ!」
「な、なにをおっしゃっているのですか……!? そもそも私はアロークスの婚約者ですよ……!?」
なんとなく、レオンクライン様が婚約者を決めたくなさそうであるのには気づいていたけれど、私に懸想しておられた?
それはさすがにあり得ない。
あの場で婚約破棄されたとはいえ、私はレオンクライン様に出会う前からアロークスの婚約者だった。
それではレオンクライン様が横恋慕していたことになる。
いくらなんでも不敬すぎではないか!?
「さあ、返答はいかに! 貴様が俺の妻になれば汚名を雪げ、家族も今まで通り生活ができるのだ。なにも迷うことなどなかろう!」
アークラッド殿下が叫んだ瞬間、ザクっとなにかが断ち切られる音がして幼い弟、オズワイドが舟を漕ぐオールを船着き場を押し返すところだった。
弟が切ったのは船着き場と船を繋いでいたロープ。
驚いた水夫が船の先頭から海に飛び込み、船着き場に泳いでいく。
「なっ!?」
「オズワイド!? なにをしているんだ!?」
私が驚いてオズワイドの肩を掴む。
隣に来た父がオズワイドからオールを取り上げると、幼い弟は比べ物にならない力で船着き場を突き放した。
オールを船の中に放り投げると、呆気にとられるアークラッド殿下たちへ向かって紳士らしく胸に手を当ててお辞儀をする。
「お心遣い痛み入ります、殿下。しかし、殿下に娘は不釣り合いでございましょう。どうやらアロークスくんも見込み違いだった様子。まったく父親に男を見る目がなかったおかげで娘には余計な苦労をさせてしまいましたな。はっはっはっ」
「き、貴様……! オーズレイ! 正気か!?」
「勘違いしないでいただきたい。先に我々を裏切ったのはアークラッド殿下、あなたですよ。そんなあなたと、この国を我々が見限ったというだけの話です。実に残念ですな。国王陛下もよもやご子息がこれほど愚かでは頭も痛かろう。この国の行く末が心配でしょうなぁ。はっはっはっ」
苦虫を噛み潰したようなアークラッド殿下の姿が小さくなる。
そして、見えなくなった。
そのくらい沖に出てから、父とオズワイドは私と母に「ごめんなさい」「すまんな」と笑った。
母も「当然です。あんな下種に娘をやれるわけがありません」と真顔で言い放つ。
状況は最悪も最悪。
水も食糧もない船の上で、一家四人が魔物の遊泳する海のど真ん中で遭難状態。
でも、それなのに私は嬉しくて嬉しくて涙が止まらなかった。
私はアネモネという花が嫌い。
自分の名前だけれど、花言葉がどれも悲しいから。
親はどうして、私にこんな名前をつけたのだろうか?
「はかない恋」「恋の苦しみ」「見放された」「見捨てられた」。
どうしてそんな花の名前をつけたのか。
そんな名前を付けた両親の愛が、そんな名前の姉を持つ弟の愛が、嬉しくてたまらなかった。
危険な海上だというのに母の胸にしがみついてわんわん子どものように泣いてしまう。
こんなにも優しい家族を、私はこんなふうに殺してしまうんだ。