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第9夜

 シャーサは母のいなくなったリビングで皿を磨く。

 毎日丁寧に使い込み、古いながらも反射で自分の顔を写すアルミの深皿が、今は憎い。

 この世の終わりのような自分の表情に目を背け、木棚に食器を片付ける。

 ふと、皿に注いだミルクを美味しそうに飲んでいた猫の姿を思い出す。

 あの猫は、神様にきっと自分の願いを伝えてくれたのだ。

 母の幸せ、自分の消失、そして、誰かから愛されること。

 全部自分が望んだとおりのはずなのに、どうして満たされないのだろう。

 猫の姿で尻尾を揺らしていた魔法使いは、自分の「望んだもの」の一つなのだ。

 彼に会いたい。…いや、会いたくない。

 だって会ったら、

「会ったら…?」

 どうなるっていうんだ。

 シャーサは唇を噛む。

 魔法使いの言うとおり、考えて、考えて、でも、自分はいまだに答えを出せないでいた。

 結局また同じだ。選べない、選びたくない。

 シャーサはいつもよりのろのろと階段を上り、自分の部屋の扉に手をかける。

 魔法使いと会いたいのは、自分の中の結論を伝えたいわけでは無い。

 ただ、会えて嬉しいと、微笑んでくれるのではないかと、そう思ってしまうからだ。

 結局自分は、魔法使いの幸せを口先で願いながら、ただ一方的に幸せを享受したいと願う卑怯な人間なのだ。

 自己嫌悪をつのらせながら、ドアノブに手をかける。

 そして、いつものように扉を開け、中に入った先は、シャーサの部屋では無かった。

 ほんのり湿り気のある朝露とハーブの香りに、はっと部屋を見渡す。

 その見慣れない部屋にいた人間が、シャーサの方を振り向く。

 振り向いた拍子にフードが脱げたその先客の顔は、今まさにシャーサが思い浮かべていた人物だ。

 シャーサの扉は、魔法使いの店につながっていた。




***




 魔法使いの店のドアが繋がる先は、ランダムだ。

 出口を決められるのは魔法使い当人のみか、魔法使いが許可した相手だけである。

 たまたま繋がってしまって、時折迷い込む人間もいるが、それも稀なことだ。

 だから、ドアを開けた状態で固まっているシャーサを見て、魔法使いは驚いた。

 しかし、「自分が無意識に呼んでしまったのだろうか」という焦りは、シャーサから発された言葉に吹き飛んだ。

「あ、会いたかった…」

 ぽろ、と涙を流してこちらに近付くシャーサに、思わず手を伸ばす。

 ふらつく足元に力を入れ、地面を蹴る。

「ボクも、」

 二人の手が触れあったのは、扉がぱたりと閉まる音と同時だった。

「ボクも、会いたかった、」

 シャーサは握った魔法使いの右手を、額に当てる。

 ひんやりとしたシャーサの手の感触に、魔法使いはほう、と息を吐いた。

 いつになく近い距離が嬉しく、鼻先にあるシャーサの頭に頬を預ける。

「ごめんなさい」

「…何に、謝っているんだい?」

 魔法使いは空いた手をシャーサの背に回す。

「あ、謝るものが多すぎて、」

「整理できない?」

 落ち着かせるように背を撫でると、頷きが返される。

「…なら、ひとつずつ、紐解いていこう。大丈夫、時間はあるさ」

 しかし、首が横に振られる気配に、魔法使いは首を持ち上げ、シャーサを見下ろした。

「嫌かい?」

「違う…違うんです、ごめんなさい、私は、」

「うん」

 嗚咽で詰まる言葉を必死に絞り出すシャーサを、魔法使いは待つ。

「優柔不断で、何も出来なくて…自分の気持ちも分からなくて。…でも、あなたと、一緒にいたくて」

 握られた手に、シャーサの手の震えが伝わってくる。

 魔法使いは軽く指先を曲げ、シャーサの額をなぞった。

「こんなの、ただの逃げ、だし、甘えだし」

「うん」

「お母さんからも…の、望まれるような人間に、なれないのに、」

「うん」

 そこで言葉を切って、押し黙るシャーサに、魔法使いは静かに耳を傾ける。

 二人の脈の音が聞こえてきそうな長い沈黙のあと、シャーサはぽつりと言った。

「す、好きって言って欲しかった、」

背を撫でていた魔法使いの手が、軽くシャーサの服を掴む。

「うん」

「何が、駄目だったんでしょう」

「なんにも駄目じゃなかったさ」

 背を丸めて肩を震わせるシャーサを、魔法使いは引き寄せる。

「でもきっと、足りなかった。最初から、何もかも」

「それでも、お母さんのこと、だいすきだもの。ね?」

「だって、嫌いになれるわけない」

「そうだね」

「ごめんなさい」

「いいよ」

 魔法使いはシャーサを抱え込むように抱き締めて、頭を撫でる。

 まるで子どものように泣きながら、涙と共に流される謝罪を、魔法使いはひとつひとつ許した。





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