第8夜
その店は、森の中にあった。
大樹の根元に隠れるようにして存在するその店には、店主が集めたものや、「勝手に集まってきた」ものたちで溢れている。
客は様々な方法でそこに訪れ、あるいは迷い込み、自身の必要とするものを手に入れることができる。
しかし、その店は世界のどこかには存在しているけれど、探そうと思っても容易にたどり着くことはできない。
それは、そこの商品たちよりも、さらに価値のある、『店主自身』を守るための空間でもあるからだ。
さて、その日も、件の店主…もとい魔法使いは、魔法使いを求めてやまない野蛮なものたちから、命からがら逃れて、店に帰ってきた。
ばたんと扉の閉まる音と共に、魔法使いは疲労の滲む吐息を吐き、銃痕でボロボロに焼け焦げたローブの裾を揺らす。
魔法使いの身体は、存在そのものが神秘に近かった。
しかし魔法使いとしては、自身の神秘性よりも、美味しいパンの焼き方に興味がある。
どれだけ長く生き、絶大な力を持っても、人々の一つ一つの温かい営みに愛おしさを感じる。
そういえば、いつだったか、とある夫婦に寂しくはないかと聞かれたことがある。
「寂しくはないが、愛しい相手の隣で幸せそうに笑う君たちは素敵だ」とその時は答えた。
魔法使いは、シャーサとそういう幸せを築きたかった。
けれど、シャーサは普通の人間だ。
魔法使いのように、終わりが見えてこない冗長な存在ではなく、生き物としてのサイクルの中で生きている。
彼女が戻る理由に言っていた、婚約の話だって、人の営みの中で当然のことだった。
(結婚かぁ)
魔法使いは結婚したことが無い。
求婚されことは山ほどあったけれど、断ってきた。
心が伴わない相手と人生を歩むのは辛い。
付き合ってから、結婚してから想いが育まれるということに、魔法使いは懐疑的だった。
もちろんそれはそれで、幸せな一生を送った人々も知っているけれど。
(人は、家族は、そうして生きていくんだものね。…死が二人をわかつまで、)
やはりシャーサも、そういう人々のように生きたいのだろうか。それなら、魔法使いの隣は選んでくれないかもしれない。
(そうして、普通の営みのなかで、彼女は愛されて、幸せになるだろうか)
「やだな」
自分の唇からこぼれた言葉に、魔法使いは小首を傾げる。
「い…」
(やじゃない、そんなわけない)
ぶるぶると首を振り、自分の思考を客観視しようと息を吐く。
(彼女が幸せになるのは、良いことなのに)
そうだ、最終的にシャーサがどこにいたいのか、選ぶように言ったのは自分じゃないか。
(なら、あんなに親切で丁寧で、優しい彼女が、笑顔になれる場所を得るのなら、祝福しないと嘘だろう?)
魔法使いはぼやける思考にそう言い聞かせながら、傷口から滲む血を眺める。
「会いたいな」
疲れていつもより直情的なだけだ。
自分の中で矛盾する気持ちを、魔法使いは雑に処理する。
それが魔法使いにとって初めての『独占欲』だと気付くのは、もう少し時間がかかる。