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【第4夜】



あの舞踏会から、一か月ほど経つころ。



 シャーサは仕舞いこんでいたスリッパを、窓際に置いた。

 その日は、あの魔法使いと夢のような一夜を過ごした時と同じ、満月だった。

 こんなことをして、自分は何を期待しているのだろうとシャーサはぼんやりとスリッパを眺める。

 シャーサは、嫁ぎ先が決まった。

 あの舞踏会の夜、無事に新しい夫を見つけた母は、次にシャーサの結婚相手を探しはじめた。

 新しい愛の巣に、いい年をした娘を置いていては、邪魔なのだろう。

 着の身着のまま追い出されないだけましだと、シャーサは自分に言い聞かせる。

 だというのに、こうして未練がましく、あの魔法使いの残してくれたものを引っ張り出してきて見えるように置くだなんて。

 あの人は魔法使いであってサンタクロースではない。スリッパにプレゼントを入れてくれるわけでもないのだから、とシャーサは苦笑いをする。

 もう寝てしまおう。それで忘れるのだ、あの魔法使いのことは。

 そう思ってスリッパに伸ばした自分の手に、影が落ちた。

 雲か、鳥か、目を向けると、そこにいたのは、一匹の猫だった。

 いつのまに現れたのかと、行儀よく座るその猫を見つめていると、猫は口を開いた。

「ーー…ぁー…テストテスト。こほん。こんばんは、久し振り」

「え」

 覚えのある優しい声に、シャーサは周囲を見渡す。

 しかし、自分以外の生物は、目の前の猫だけだ。

「僕だよ。…こっちの方がいいかな」

 ふわりとと風が吹き、カーテンが揺れる。

 次の瞬間、猫のいた場所には、あの魔法使いが立っていた。

「いい夜だね、月も綺麗だ」

 シャーサと顔を合わせるようにしゃがみ、窓枠越しに笑いかける魔法使いに、シャーサは固まる。

「ど、うして」

「君に会いに来たんだ」

 シャーサは嬉しさで熱くなる胸を抑える。

 しかし、シャーサの口から出てきた言葉は、感情とは全く反対の言葉だった。

「私は、会いたく、なかった」

 ぽろぽろと抑え込めなかった感情が瞳からこぼれる。

「ほ、ほうっておいて、欲しかったのに。なんで、来たんですか」

 自分の感情に正直になれない後ろめたさが、シャーサの心をめちゃくちゃにする。今まさに、あれは夢だったのだと諦める気でいたのだ。

 魔法使いは涙を流すシャーサを静かに見つめる。

「君の知らないところで、素敵な人と出会って、幸せになるために、探してみたんだ。素敵な人のこと」

 シャーサはその言葉に、はっと魔法使いを見る。シャーサが別れ際に言った言葉を、この魔法使いは本当に実行したのだ。握った手に力が入り、爪が食い込む。

「色んな場所に行ったよ。北の砂漠、南の島々、海の底にある国、空の城。でも、どこで、どう過ごしたって…何を見て、何を聞いたって、最後に、「君はこれを見てどう感じるんだろう」って思ってばかりだった」

 魔法使いはローブの下からひょいひょいとお土産を出して、窓の桟に並べ始める。

「あの中のどれかが、君の幸せだったろうか。君を笑顔にするのだろうか。そればかりだったんだ」

 蕩けるように笑う魔法使いからシャーサは目を逸らす。

「私より素直な人も、卑屈ではない人も、優しい人も、たくさん…沢山いたでしょう」

「いたよ。世界は、かくも広いのだから」

「なら、どうして、よりにもよって私なんですか」

 この魔法使いがシャーサにもたらしてくれるほどのものを、シャーサは持ち合わせていない。

 どうして魔法使いが自分にこうして無償の優しさを与えてくれるのかが、理解できないのだ。

「私の何が、あなたの中でそんなにも大きいのですか」

 シャーサの言葉に「うーん」と首を傾げてから、魔法使いは恥ずかしそうに笑った。

「一目惚れ、かな」

 予想していなかった返答に、シャーサは呆気にとられる。

 目の前の美しい生き物が一目ぼれする相手が、自分であるなんて、信じられない。月がすっぽんに恋するようなものだ。

 魔法使いは土産物を手慰みに揺らしながら、くすくすと笑っている。

「今、僕がこうして素敵だと思ったもの、愛しいと感じたものを、君にこうして並べて見せてるのは、その証なんだ」

「証」

「うん。ボクが会いたいと…素敵で恋しいと思えるひとが、君であることの、証」

 これまで言われたことの無い言葉と、向けられたことの無い純粋な好意に、シャーサはいっぱいいっぱいになる。

「…そ、そんなことを言われたことが無いので、その、ごめんなさい、どう受け止めて良いか、分からない、です」

「えっ…そうなの?」

 驚いた顔をする魔法使いに、シャーサは恥ずかしさを誤魔化すように少し怒った声を出す。

「そんな頻繁に、周りに振りまく言葉では無いでしょう⁉」

 魔法使いはそんなシャーサの様子に臆することなく、鷹揚に頷いた。

「うん、勿論。でも、君はこんなに素敵だろう?」

「は、…え?」

「誰も君にそう伝えないなんて、勿体無いことをするなぁと思っただけだよ」

 臆面なく紡ぎだされる歯の浮きそうな言葉に、シャーサは眉を寄せて下を向き、唇を噛む。頭に上る熱で頭が働かない。

「でもそのお陰でボクが一番乗りだ。素直に喜べるな」。

 ふにふにと笑う魔法使いを前に、戸惑いと羞恥が止まらないシャーサは、声が出なかった。

 魔法使いはそんなシャーサの様子を微笑ましく眺めて、目を伏せる。

「それと、受け止め方についてだけれど…君の自由にすればいいと、ボクは思う。ひとの心は、外側から無理矢理つついて動かすものではないしね。有るように有れば良いんだよ」

 つい、と魔法使いは窓際の土産物をつついてから、立ち上がる。

「初めてで喉が詰まるなら、慣れるまで待てばいい。そのうち言葉が出るだろう。そういうものだ、ひとって。…だから、僕は君から言葉が出るまで、ゆっくりここに通いながら待つさ」

 不安定な足場の上で猫のようにぐぐ、と伸びあがる魔法使いに、シャーサは慌てて声をかける。

「い…え、いえ、あの、こ、来ないで、ください」

「えっ!ボクのこと、嫌いになってしまったかい?」

 驚いた様子で、魔法使いはシャーサの瞳をのぞき込んでくる。その目の前の透明な青の瞳に、シャーサは思わず首を横に振る。

「よ、よかった…。なら、やっぱり、ボクは君に会いたい。君の笑顔が見たいんだ」

 ほっとした表情の顔が離れて、シャーサは我に返る。嘘でも首を縦に振れなかった自分に後悔しながら、話を終わらせまいと必死に言葉を出す。

「ち、違う…私は、それだけの理由で求めて貰えるほどの人間じゃ、ない」

 涙を滲ませるシャーサに、魔法使いはそっと手を伸ばす。

「ひとの価値とは、本人ではなく、周囲の人がふと気付くものさ」

 伸ばされた手から逃げるように首振って身を引くシャーサに、魔法使いは眉を下げ、手を下ろした。

「…たとえ君の目に、雲に隠れて見えなくたって、」

 言葉を切り、魔法使いは空を見上げた。

「こんなにも眩しい」

 魔法使いの声と共に、部屋に風が吹き込んで、シャーサは思わず目を閉じる。

 次に目を開けた時、目の前にあるのはいくつか置かれた異国の土産物。

 そして、夜を照らす大きな月だけだった。




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