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【或る夜のこと】




 ある日、少年は夜の町で迷子になっていた。

 少し遠くまで買い物に出かけ、母親をびっくりさせようと思ったのだ。

 お金を握りしめて揚々と出かけ、目当てのものは買えたものの、帰り道が分からなくなってしまっていた。

 店はどこも閉まっていて、人も見当たらず、心細さに泣き出しそうになる。

 月の光を反射させる川の近くを、とぼとぼと歩く。

 歩き疲れて立ち止まった時、少年は連なる石積みの壁に、不自然にくっついた扉があることに気が付いた。

 その扉は、誰かが捨てたのか、壁に立てかけられている。

 だというのに、扉に付いた摺りガラスからは、灯りが漏れているのだ。

 少年は引き寄せられるように扉を開き、中に入った。

 そこは、何かの店だった。

 けれど、普段少年になじみのあるような、食べ物や日用品は棚には見当たらない。

 とげとげと不思議な形のお面や、見たことの無い形のボート。天井から吊り下げられた灯りが棚の中の小瓶を照らしている。独特な草のような臭いは、なんとなく薬屋のようだった。

 店の奥には、店主らしき男性が本を読みながら座っている。

 入ってきた少年に気が付くと「おや」と顔を上げて笑った。

「いらっしゃい。こんな夜遅くにお使いかい?」

「こんばんわ…。えっと、ここは、どこですか?」

 少年は緊張しながら店主に聞く。物を買って行けと言われたらどうしようかと焦る。

「なるほど、迷い込んできてしまったのか。ここはボクのお店さ。…なんでも屋さんかな」

「なんでもやさん…」

「うん、ほぼ趣味で集めた様なものだから、偏りもあるけれど」

 世の中には八百屋や服屋だけでなく、なんでも屋という店もあるのか、と少年は感心しながら店の中を観察する。

 店の中をゆっくりと見渡していた少年は、ふとカウンターの奥に視線が引き寄せられた。

「もしかして、その女の人も売り物なの?」

 そこには、ひとりの女が寝ていた。

 店主は少年の視線を追いかけてから、ころころと笑いながら首を振る。

「まさか!この子はボクの大切なひとさ」

「大切な人…家族?」

「うん」

 店の中で寝るなんて、不思議だな、と少年は思う。

 だって店は働くところだ。それとも彼女は休憩中なのだろうか。

 これだけ売るものがあるから、昼間はとても忙しいのかもしれない。

 帰り道を聞くことを忘れて、少年は賑やかな店の中を物色する。

 そして、少年はふと思いついて店主に訊ねた。

「お兄さん、ここにお薬はある?」

「なんのお薬だい?」

「早く大人になれるお薬」

 店主はふむ、と顎に手を当て、考える素振りを見せた。

「君の思う、大人とはなんだい」

 少年はその問いにぱちくりと目を瞬かせた。

「体が大きくて、強くて、お金をいっぱい稼げること…?」

 大人がなんなのか、なんて考えたことが無かった。

 だって何もしなくても、そのうち大人にはなれると思っていたからだ。

 少年の答えに、店主は頷く。

「お金をいっぱい稼ぐのは、君自身の行動による結果であるべきだ。体を大きく、丈夫にするお薬なら、用意してあげられるよ」

「ほんとう?」

「けれどここはお店だから、タダではあげられない。…君は何を払ってくれるんだい?」

 それもそうか、と少年は肩を落とす。少年の手元に残っているのは、先ほどの買い物で余ったおつりだけだ。

 ポケットから出した小銭を悲しそうに見つめる少年の様子を見ていた店主は「お金じゃなくてもいいよ」と声をかけた。

「お金じゃなくていいの?」

「良いよ」

 店主は微笑む。

「ものや、音や、光や、記憶や、物語だって。その商品と同じだけの価値があるなら、なんでも」

 少年は目を丸くする。

「おなじだけの、かち」

「この場合は、君の体が大きく丈夫になるまでの時間と生活、そして努力に釣り合う何か、だね」

 少年は「うーん」と唸ってから、自分の抱えていた包みを差し出す。

「これは?」

 包みの中身は、母親にあげる予定だった、フルーツの入ったパンとミルクだ。

 店主は包みの中を覗いて、眉を下げる。

「ううん…すごく素敵だし、個人的にはとっても欲しいけれど、それだと足りないかな」

「そっか…」

「そのパンとミルクを沢山食べないと、君は大きくなれないだろう?」

 確かに、と少年は頷く。

 きっともっと大切で、珍しいものじゃないといけないのだ。誰にもあげたくない、自分の大切なもの。

 少年は自分の持っているものを、ひとつひとつ思い浮かべた。

「…なら、僕が一等大事にしているものは?今は持ってないんだけど」

「それはどんなもの?」

「…石」

 それは、少年が小さいころからずっと集めてきたものだ。

 綺麗なもの、珍しいもの…家族にもらったり、あげたり、出かけた先に拾ったり。一つ一つに思い出が詰まっている、少年の宝物だった。

 しかし、少年にとっては宝物に違いないけれど、周りからすればただの石だ。

 そんなものは『かち』にならないと一蹴されるかもしれない、と少年は不安そうに店主を見る。

 けれど、少年の予想に反して、店主はあっさりと頷いた。

「良いよ。これのことかな?」

 店主はカウンターの中から、見慣れたブリキ缶を取り出した。

 それは間違いなく、少年のものだ。

 まるで手品のような店主の行動に、少年はびっくりする。

「お兄さんは、サーカスの人?」

「いいや、違うよ」

「…もしかして妖精?」

「人間さ。耳は尖っていないし、羽も生えていないだろう?」

「じゃあ、泥棒だったりする?」

「とんでもない!確認の為に借りているのさ。…これじゃなかったかな?」

 店主が首を傾げる。

 少年は目の前で起こったことに納得できなかったけれど、家に取りに行く手間が省けたので、まあいいか、と頷いた。

「ううん、合ってるよ。…それでもいいの?」

「良いよ」

 店主はブリキ缶をカウンターの中にしまうと、立ち上がった。

「そこで少し待っておいで」

 店主は壁際の、物が積み上げられた棚に近付く。

 そして、扉をそっと開けると、中から小瓶を取り出した。

 確認するように中身を振ってから、少年に「どうぞ」と手渡す。

 小瓶は少年の指三本くらいの小さなものだ。その中に青く透き通った液体がほんの少し入っている。

 受け取って、しげしげと小瓶を眺める少年に、店主は説明する。

「それをコップ一杯の井戸水に混ぜて、寝る前に飲みなさい」

「うん」

「それを飲んだら、夜が明けるまで別のものを食べてはいけないよ」

「うん」

「それとこれはアドバイスだけれど、寝るときは緩めの服を着たほうがいい。…いっそ着ないほうがいいかな」

 店主の言葉に少年はびっくりして店主を見上げる。

「そんなにすぐに大きくなるの?」

「これはそういう薬さ。…君の体が大きく丈夫になるまでの時間と、生活と、努力を、全て『済んだことにする』薬だよ」

 君の宝物に応じた年数だから…と指を折り始める店主に、少年は少し怖くなって小瓶を握りしめる。

「…やめておくかい?」

 少年の様子に気が付いた店主が、少しかがんで少年と目を合わせた。

 少し考えてから、少年は首を振り、小瓶をポケットに入れる。

「…ううん、お母さんが、大変そうだから」

 少年は、まだ子どもの自分がもどかしかった。体が大きければ、母親の仕事をもっと手伝うことができるし、

 父親のように外へ働きに出かけることもできる。

 腕の中の包みを抱え直し、少年は母親の喜ぶ顔を思い浮かべる。

「早く働きたい」

「立派な子だね」

 店主に褒められて、少年は誇らしげに鼻を膨らませる。

「お父さんが海から帰ってくるまでは、僕がお父さんの代わりにお母さんを助けてあげるの」

「そうかい」

 店主は頷いてから、少年の頭にそっと手を乗せた。

「それならば、それを飲む前に、お母さんに今日のことをきちんと伝えておきなさい」

「どうして?」

 こっそりと飲むつもりだった少年は口をとがらせる。

 薬のことを母親に話すと、心配して飲ませてもらえないかもしれない。

 それに、どうせなら母親を驚かせたかった。

 店主はおどけたように肩をすくめてみせる。

「急に大きくなったら、誰か分からなくてびっくりするだろう?」

 少年ははっとする。確かに、急に大きくなったら自分だと気付いてもらえずに、追い出されてしまうかもしれない。

 そうなってしまったら本末転倒だ。

 そっか…と納得した様子の少年に、店主は頭に乗せていた手を下ろし、少年のポケットを指さした。

「お母さんにどうしてもダメだと言われたなら、そのお薬は窓辺に置いておくといい。元の石と交換してあげる」

「…うん」

 素直に頷く少年に、店主は微笑む。

「それから、これはサービスだ」

 店主は先ほどまで読んでいた本のページを、一枚ちぎり、テーブルの上で折り始めた。

「ご本、破っちゃっていいの」

「これはまた『生えてくる』から、大丈夫。完全に育ち切ると危ないし、ちょうど良かったかな」

 出来上がったのは、四角錐の立体だった。そして、懐から紐を取り出して通すと、少年の首にかけた。

 ちりん、と紙の立体が鈴のような音を響かせる。

 わあ、とはしゃいでちりちりと音を鳴らす少年の背中を、店主は軽く押した。

「さあ、もうお帰り。お母さんが待ってるよ」

 店主に促され、少年は扉を開ける。

 すると、扉の先は少年の部屋だった。驚きと安堵に、少年は泣きそうになりながら扉をくぐった。

「君と、君の家族の行き先に、幸があります様に」

 背後で扉の閉まる音が聞こえ、慌てて振り向く。

 そこにはもう、あの灯りを漏らす不思議な扉は無く、見慣れた真鍮のドアノブの扉があるのみだった。


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