表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/14

第11夜

「…お茶、入れます。どこにありますか」

「えっとね、ここはお店だから…台所はここには無いんだ。場所を移動しよう、ええと」

 魔法使いはシャーサの先ほどの剣幕を思い出し、立ち上がろうとした腰を沈める。

「…移動を手伝ってくれるかい?」

「はい」

 シャーサに支えられながら、魔法使いは店の奥へと歩く。

 形が異なる扉が付いた、長い廊下の突き当たり。

 その壁にそのまま足を踏み出す魔法使いにシャーサの足が止まりかける。

「え、」

「大丈夫」

 ぶつかる、と思ったその足が、壁を通り抜けた。

 布を潜り抜けたような感触に混乱しながら、シャーサは目をつむって魔法使いと共に壁を通り抜けた。

 室内の暖かさを感じる空気に、無意識に止めていた息をはっと吐いて、目を開ける。

 そこは、人の暮らしを感じるリビングが広がっていた。

 木目の床に、丸い絨毯。ローテーブルの前には、シャーサが見たこともないような布張りの大きな長椅子。

 白く綺麗な漆喰らしき壁。どういう原理なのか、天井から下げられたランタンには揺らめかない火が灯っている。

 振り返ると、シャーサが潜り抜けてきた壁にはレースカーテンが掛かっていて、先程の廊下と店が透けて見えた。

「…すごい…」

「ここが、ボクのお家」

 呆けたように感嘆を漏らすシャーサに、魔法使いはいたずらっぽく笑う。

「お店からお家の中が見られるの、ちょっと恥ずかしいからね」

 だからと言って、こんな見たことも聞いたこともない技術で遮るものだろうか、とシャーサは面食らいながら頷く。

 布張りの長椅子まで連れていき、座らせると、魔法使いは思い出したように靴を脱いだ。

「そうだ、室内は土足厳禁なんだ。スリッパスリッパ…」

 ふらふらと椅子に掴まって立ちあがる魔法使いを慌てて制して、レースカーテンの脇の棚からスリッパを取ってくる。

「ああ、ありがとう。…ひとりで暮らしているものだから、怪我をしてても普通に動くことが癖になってしまっているんだ。その、なかなか慣れなくてごめんね」

 申し訳なさそうな魔法使いの前にスリッパを置き、自分もそれを履いてから、少し迷ってシャーサは魔法使いの隣に座った。

「いえ…痛くないんですか」

「…うーん…多分痛いと思うんだけど、ちょっと今は麻痺してるから元気、かな」

「そうですか」

「そうなんだ」

 そこで途切れる会話に、魔法使いは「そうだ」と手を叩く。

「そう、それで、お茶だったね。あっちが台所なんだ。どれを使っても大丈夫だから、好きに使って」

「はい」

 明らかに高そうな茶葉や茶器に緊張しつつ、お茶の用意を済ませてリビングへ戻ると、魔法使いはいつの間にか服装が室内着のそれに変わっていた。

 ありがとうとカップを受け取り、香りを楽しむ魔法使いの隣に、シャーサは腰を下ろす。

 カップの水面に顔を寄せれば、花のような芳醇な香りに自然と口角が上がった。

 普段とは違う気の抜けたシャーサの表情に、魔法使いも頬を緩める。

「…ふしぎな気持ちだ」

「不思議な気持ち、ですか?」

「君が、ボクの隣に座ってる」

「…だけ、ですよ?」

「うん。だって、初めてだもの、嬉しいさ」

「うれしい」

「うん」

 うれしい、ともう一度言って、そろそろと紅茶を飲む魔法使いを、シャーサは見つめる。

 ああ、そうだ。自分は、この言葉が聞きたかったのだ。

 何か大それたことをしなくても、お茶を淹れて、隣に座って、話をして、それが嬉しいのだと。

 しかし、シャーサは、はっと頭を振る。

 この心地良さに慣れては、抜け出せなくなるような気がしたからだ。

 まだ、夢に沈みきらない今のうちに、自分から出ないと、帰れなくなりそうだった。

「それで、そうだ。答えを、求める気に、なったのかな」

「え」

 ドキリとして、シャーサはカップを握る手に力を込めた。

「それとも、出た答えを、この場所に、求めにきたのかな」

 こちらを真っすぐに見ながら首を傾げる魔法使いの目線に、射貫かれたように動けなくなる。

「それとも、」

 魔法使いはことりとカップを置いて笑った。

「ボクに、攫われてくれるのかな」

 シャーサはその言葉に、目を見開く。

「さらわれ…?」

 魔法使いは、何かおかしいことを言っただろうか、というふうに不思議そうな表情をしている。

 実際、魔法使いのその言葉は、『普段よりも思考力が落ちたから』出てしまった言葉であった。

 だから、その時の魔法使いは、みるみる顔を赤くするシャーサを見て、「どうしてそんなに照れることがあるのだろうか」と疑問にしか感じなかった。

「だ、誰が、誰を」

「ボクが、君を」

「なんで、ですか」

「なんでって…君と一緒にいたいもの。君のこと、好きだから」

 「だから、君がいいなら、ボクに攫われてくれたらいいなって」と笑う魔法使いに、シャーサは落としそうになるカップを思わず机に置いた。

「…私は、前も言いましたが、婚約している方が、います。…それに、あなたのこと、本当に好きなのか、まだ、分からない。自信が、なくて…」

「うん」

「…多分、あなたに優しくされて、舞い上がってしまったんです」

 ちょうどこんなふうに、と思いながら、シャーサは置いたカップの中で揺蕩う水面を見た。

 そこには、この幸せな場所には不釣り合いな、陰気な女…自分の姿が写っている。

「あなたは私を幸せにできるかもしれないけれど、私は、同じだけあなたを幸せにできる自信はない」

「…ふむ…」

「それに、私は、あなたを神様みたいに思ってしまう気がするんです」

「神さま?」

「…なんというか、依存、してしまうかもしれない。それは、嫌です」

 シャーサは自分のことを重い女であると、自覚していた。

 だからこそ、自分が自立できないままでいることも、分かっている。

 それは、シャーサに「自分で選ぶこと」を教えた魔法使いも察しているだろうことだ。

 魔法使いは少し考えるそぶりを見せてから、答える。

「ボクが君を幸せにするために、これから沢山頑張っていくとして。…君はもうボクの幸せなのだから、難しい事は特に考えなくて良いと思うんだ」

 現にいま、ボクは幸せだからね、と魔法使いはカップの中身を揺らす。

「あと、今思い出したのだけど、ボクは君のかみさまになりたいんだった。だから大丈夫」

「?」

 予想していなかった言葉に、シャーサは目を丸くする。

 どういうことですか、と聞こうとする言葉は、魔法使いの嬉しそうな声に遮られた。

「そうだ。ボク、君を舞い上がらせたいのだけど、優しくってどんな感じかな?」

「どんなって…」

「好きになってほしいんだ」

 今日、何回目か分からない告白に、シャーサはウッと言葉を詰まらせる。

「もしかして、今はボクのこと、好きではないかもしれないんだろう?だから、この気持ちは本物だって心から信じられるくらいに…君に、ボクのこと好きになってほしい」

「い、いや、もう、わたしに構わないでください。わたしの、気持ち、が」

 シャーサはとうとう、手の甲で顔を隠した。

「揺らいで、しまうから」

 シャーサの言葉に、魔法使いは溢れるように笑う。

「ボクは、君自身にもっともっと揺らいでほしいので、君に構うのをやめません」

 シャーサは眉を寄せる。

 流されてしまっていいんだろうか。全部ほっぽりだして、この魔法使いに身を預けてしまっても、いいんだろうか。

 少しの間、目を伏せてから、シャーサは深呼吸をする。

「…あの、一度、帰ってもいい、ですか」

 手を下ろして、自分のスカートを握り、シャーサは決意の眼差しを魔法使いに向けた。

「きちんと、自分で、あなたの元を選びたい」

 攫われたから、なんて、この人に責任を全部押しつけて逃げるのは、卑怯なことのように思えた。

 たとえ母親から否定されても、どういう結果になっても、こんなにも自分のことを望んでくれる相手の隣にいることは、きっと間違いではない。

 魔法使いは瞬きをして、「…うん」と小さく頷く。

 珍しく歯切れの悪い魔法使いの様子に、シャーサは不安になる。

「なにか、思うところが、ありますか」

「その、少し、心配で」

 魔法使いは真剣な表情でつぶやいた。

「…焦れて、迎えに行ってしまうかも」

 その言葉に、胸の奥がくすぐったくなって、シャーサは笑う。

「じょ、冗談では無いんだよ…!」

 魔法使いの慌てた様子がおかしくて、余計に笑いを誘われた。

「あなたが来てくれるのは、嬉しいのですが、どうか、待っていてください」

「う、は、はい…」

 珍しくころころと年相応に笑うシャーサの声が、部屋に響いた。

 そうして、小さなお茶会が終わり、シャーサは改めて店の扉の前に立った。

 これを抜ければ、またあの家に帰るのだと思うと、憂鬱だった。

 けれど、その先に彼との生活が待っていることを思えば、いつもより怖くはない。

 扉に手をかけて、見送りに立つ魔法使いに頭を下げる。

「じゃあ、失礼します」

「うん。…行ってらっしゃい」

 小さく手を振る魔法使いに、シャーサは微笑んだ。

「いってきます」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ