誰が為、誰のため
当たり前にある日常にどこか嫌気が刺して、仕方ない。夢を追っていたはずなのに、まるで宝箱かのように背後に置いてきてしまって、もう振り返ることも、開けることもない。なんとなく社会のインフレの荒波に呑まれて、自分の気持ちは海岸から離れてしまったようだ。ただ、会社の為に、名誉の為に、地位の為に。電車に揺られ、なんとか倒れないように足に力を入れて、なんでもない顔して、他人と異なってしまうことを恐れている。「でもそれでいいさ。」と自分で納得したいと思って自分を洗脳し尽くしている。自宅に帰ると、もうすぐ6歳になる娘が、自分の部屋から飛び出して、鼓動を速くして、飛びついてくる。「お父さん、お帰り!」と、まだ声帯も完成していないか細い声で大声を、張り上げるように喉を震わせる。靴擦れで赤くなってしまったかかとをあげ、靴を脱ぎ、丁寧に並べる。これは親の教育方針のために、まるで上品に生きているかのように見せているのだ。居間に入るとまな板よりも薄い小さい窓から、風が僕の帰宅を迎えてくれた。しかし、寂しい。何の音も光も発さずに、佇んでいるテレビ。不器用に並べられた椅子に、机は古びてでこぼこに山と谷を作っている。キッチンは掃除したばかりに見え、ほこりさえも見つからないような状態。でも、何かが足りなくて。僕は、これ以上の何かを求めてしまっている。そんな心に刺さった槍を取らずに、仏壇へと頭を下げる。美しい女性の写真が飾られて、初恋かのような気持ちになる。今日も、働いてきました。娘の為に。娘が生きる為に。そう報告して、布団に頭を沈み込める。ああ、今日も疲れた。明日は。明日こそは。きっと。生きたい。自分のために。