幸せな夢と気づかない朝
あははははっ、もっと! もっと遠くに!
ダメ、そんなんじゃすぐに捕まえてしまうから!
今度はもっと遠くに!
大好き、大好き!
世界中で一番愛してる。
あなたが、大好き……。
ね、だからもう一度……。
楽しい……とっても……とずっと一緒にいたい……。
「……」
ひどく幸せな気分の夢を見て目が覚める。
でも、目が覚めてしまうと胸にぽっかりと穴が開いたような虚無感があった。
もう少し眠っていれば、幸せな気分のままでいられたのだろうか。
――そうはいっても、幸せな気分というだけで何も思い出せないけれど。
「……ん?」
違和感に起き上がると枕の横にはボロボロのピンクのウサギのぬいぐるみがあった。なんだ、コレ。
どこから現れたんだ……。
ちょっと怖くなって摘まみ上げたぬいぐるみ。
全然覚えがないし、綿が出てるし、目玉が片方取れている。
「ひっ……」
こういうのって捨ててもいいのだろうか。
ちらりとゴミ箱を見て、そこから這い出てくるのを想像すると怖くて窓の外に投げ捨てた。
ぬいぐるみは綺麗な弧を描いて草むらの向こうへと消えていった。
きっと誰かのいたずらに違いない。
でも、誰が?
……何も見なかったことにしよう。幽霊的なものは苦手だ。
パタンと窓を閉めて体を伸ばす。
体はいつもより爽快だった。
おかしいな、ちょっと前まで左肩の傷が痛んでいたのにそれもない。
服を脱いで鏡で確認しようと左肩の包帯を緩めた。
鏡を使っても自分ではうまく見えないが、感覚的には傷がずいぶんよくなっているような気がした。
――こないだまでまだジクジク痛んでいたのに……やっぱり城で使っている傷薬は高級だからよく効くのだろうか。
王城のひよっこ騎士である私、ジャニス=ローズブレイドは城に勤務している騎士の一人である。
とはいってもローズブレイド家は代々騎士を輩出している名家で、私の二人の兄もすでに王城で騎士として働いている。
私の左肩にある傷は数週間前に森で迷子になった第四王女のレーニア様を獣から庇った時に出来た名誉の負傷である。
この時期の王家の森は闇オオカミの繁殖期なので立ち入り禁止である。
けれどレーニア様は病に臥せっていた母である側妃のラーニア様の為に花を摘もうと足を踏み入れてしまったのだ。
無鉄砲ではあるが、気持ちは分からなくはない。
とにかく、姫がご無事でよかった。
包帯を片手でなんとか巻きなおし、制服を着こむとお茶だけ飲んで職場へと向かう。
体をしっかり作るためにはちゃんと食事をとった方がいいのは分かっているが、王城で務めだして半年の私は一人暮らしと職場に慣れることで精いっぱいだった。
もう少し早く起きることができれば食堂に行けるのだが、それでも睡眠の方をとってしまいがちだった。
本当は左肩の傷も魔術師の治療を受けた方が痕が残らないと勧められたが、面倒なのと傷跡も気にならないのでその助言も流し聞いていた。
現に良くなっているし、痛みがないなら特に問題はない。
この世界には魔力というものが存在する。
数パーセントの確率で魔力を持って生まれてくる者がいて、それを使って様々なことをするのが魔術師である。
魔術師には大きく二つに分けて光の魔術師と闇の魔術師がある。
光の魔力を持って生まれた者は治癒力を高める能力があり、おもに医療魔術師になる人が多い。
一方闇の魔力を持つ者は更に貴重な存在で、その魔力を使って様々なことができる。人を浮かすことや物を移動させたり、努力すれば様々な応用によって色々なことができる。
簡単に言えば攻撃に特化した魔術が使える。
しかしそれにはとてつもなく難解な知識が必要になるらしい。つまり相当な勉強をしないと身に着かないということだ。
こればかりは魔力が無くて良かったと思う。
私は体を動かすことは大好きだが勉強は苦手だ。いくらすごい力が手に入ろうとも向いていない。魔力のない私には騎士が天職なのだ。
毎日戻ってくる不気味なぬいぐるみを朝窓から放り投げ、それ以上は考えないことにした。相変わらず幸せな夢は続いていたし、何より体調がすこぶる良かった。
「あれ、太った?」
そのうちなんだか騎士の制服がきつくなってきた。実家を出て不摂生をしていたので、なかなか体重が増えずに困っていたのに不思議だ。
心なしか朝起きるとたいてい絡まっていた髪もなぜか艶々のサラサラである。
「快眠すると体調も良くなるのか?」
しかし、夢の終りはいつも寂しい。最近は『このまま一緒にいたいのに辛い』と思うようになってきていた。
それほどまでに幸せなのだ。
しかし、一緒にいたいって誰と?
うーんと考えても思い出せない。
まあ、考えても無駄なことは考えないことに限る。
そんな風に過ごしているうちに一番上の兄に呼び出された。