ニセモノの教師
「えー、それでは、休職された田畑先生に代わって、今日から本学に新しく加わる先生を紹介します。鴨居先生、どうぞひとことお願いします」
頭頂部が不安な教頭に促されて、俺は入れ替わりで壇上に立つ。顔を上げると、規則正しく立ち並ぶ生徒たちの集合体が視界いっぱいに見えた。
ひと学年だけで十近くのクラスがあるこの学校で、全校生徒は千人近くいるだろう。今、それだけの生徒が、全校集会のためにこの体育館の中に集められている。
そして今、俺はその全校集会で全生徒の前に立っている。
体育館の舞台の壇上に立つなんて、学生の時だって一度もなかった。それが今、教師という立場でここに立って、あいさつすることを求められている。
興味もなさそうにあくびをする生徒も、好奇の目で見てくる生徒も、その視線を一手に引き受けている。
現実感がなさすぎて、今は緊張も湧き上がらない。
まさか教師のフリをすることになるなんて、この仕事を始めた頃には、まるで想像もつかなかった。
小さく息を吸ってから、目の前のマイクに向かって言葉を話す。
「鴨居憐です。担当科目は物理。今日からお願いします」
最後に小さく頭を下げてから、舞台袖に戻る。退屈そうな生徒も、興味を向けていた生徒も、もう終わり?と、みんなが困惑の表情を浮かべたのが見てとれた。
体育館の端に集まる教師たちは、驚きと不満を隠そうともしていない。俺を紹介する立場になった教頭は、明らかに慌てている。
本物の教師と思われているんだから、その反応も仕方がないとは思う。それでも、こっちがその都合に合わせる理由もない。
舞台袖に戻った後は、他の教師たちに混ざって全校集会が終わるのを待つ。いかにもベテラン風の先生も、まだ若手風の先生も、誰もがチラチラと俺のことを見てくるのが分かった。
さすがに集会中になにか言ってくる人はいなかったけど、新しい同僚たちからの視線は険しかった。
集会が終わると、教職員は職員室に集まった。
集会の前にも一度職員室には寄っていたけど、何度来ても、なかなかこの空間は慣れそうにない。授業前の準備で忙しいのか、広い室内はピリピリとした空気が漂っている。
もっとも、この空気を作った原因の一部が自分にあると、自覚はしているけど。
「では、鴨居先生。くれぐれも、しっかりとした授業をお願いしますね」
最初の授業に向けた準備をしていると、教頭からのあまりにも露骨な念押しがあった。どうやら、よっぽど信用されていないらしい。
全校集会でのあいさつ以外にも、俺は順調に評価を落としている様子だった。
改めて教員内でのあいさつを求められれば、全校集会と同様に最低限の言葉で済ませて、これまでの教務経験を問われたら、「ありません」と即答をした。
そもそも、真面目に教師の仕事をする必要なんてないんだ。せめてクビにさえならなければ、今回の任務にはなんの支障もない。正規の教師になりたいわけでもなければ、同僚からの評価が欲しいわけでもないんだから。
「仕事は真面目にしますよ」
俺だって別に無駄な問題を起こしたいわけじゃない。最低限の求められることは、こなす心づもりでここに来ている。
だけど、そんな俺なりの決意は、他の教師陣には伝わっていないみたいだ。
同僚との間に波風なんて立てたくないのに、教師という熱意が求められる仕事に馴染むのは難しい。
「理事は、なんであんなの採用したんだよ」
「非常勤だからって、なんでもいいわけじゃないのに」
ひそひそ。こそこそ。教員同士の内緒のおしゃべりが聞こえてくる。もちろん、聞こえるように言っているんだろうけど。
教頭はお手上げだというように首を横に振りながら去っていく。すると、入れ替わりで今度は一人の若い女性教師が隣に立った。
「鴨居先生」
暗いブラウンの髪と、幼い印象の顔立ち。俺が知っている頃より、少し髪が短くなっている気がしたけど、それ以外は五年前からほとんど変わっていないように見えた。
「二年F組の担任の眞鍋です」
「担任……」
真知子先生は、ムッとまゆげを釣り上げて言った。
「担任を持ってるようには見えないかもしれませんけど、一応、これでも今年で六年目です」
あの真知子先生が、今は自分のクラスを持っているなんて。そう思って漏れたつぶやきは、違う解釈をされてしまったみたいだ。
「すいません」
「別に謝らなくたっていいですけど……。私が鴨居先生の教育担当になったので、困ったことがあったら、なんでも訊いてください」
「ありがとうございます」
「鴨居先生は、今いくつですか?」
真知子先生は急にそんなことを訊いてきた。
「二十三です」
この学校に潜入するために履歴書を偽装したけど、どうせなら年齢も嘘にすればよかった。実年齢を答えてしまったあとに後悔する。
「すみません、急にこんなこと訊いて。ただ、若い先生だと生徒に舐められたり特有の問題もあるので。鴨居先生も、くれぐれも気をつけてくださいね」
変わらない見た目とは裏腹に、真知子先生はハキハキとした口調で話す。記憶にあるイメージとの違いに意外に思っていると、職員室のドアが開いて一人の女子生徒が入ってきた。
「失礼します」の言葉の後に、クラスと名前を続ける。職員室を見渡して人を探したかと思えば、「あ!」と声を上げて駆け寄ってきた。
「真知子ちゃーん!」
「ちょ、ちょっと! だから名前呼びは禁止だって!」
真知子先生は、ぶんぶんと両手を大げさに振って、必死に否定をしようとしている。慌てたその様子が、いやに懐かしく感じた。
やっぱり、真知子先生は真知子先生のままだ。
「真知子先生、ちょっと校内を見てきていいですか?」
言った後で、呼び方の間違えに気づいた。
「ちょ、あなたまで名前で!」
真知子先生は、顔を真っ赤にして憤慨した。