プロローグ ・舞い込んだ案件
夜の校舎の中を俺は歩いていた。
蛍光灯はすべて消えていて、窓から微かに差し込む月明かりだけが、ぼんやりと廊下を浮かび上がらせる。床は素材も分からないくらいに黒くくすんで、壁に貼られた掲示物は風化して色あせている。
そんな廃墟のような廊下を、俺はなにかを探して歩き続ける。なにを探しているのかは分からない。
ふと、廊下の向こうに一人の女子学生の背中が見える。その背中を、俺は知っていた。
肩甲骨の先まで伸びる長い黒髪と華奢な体格。彼女は、まるで夢遊病に罹ったように、ふらふらと廊下を進んでいる。
そんな彼女の前に、淡く白い光が浮かび上がった。縦に長いその光は、徐々にはっきりとした形へと変わっていく。
その光が作った形は、人間のシルエットだった。のっぺらぼうのように顔は平坦で、男にも女にも思える身体つきをしてる。
彼女は構わず、人型のシルエットへ向かって歩みを進めた。
俺は呼びかけようした。これ以上先へ進むんではいけない。早くそのおかしな光から離れるんだ、と。それなのに、どうしてか声が出ない。
人の形をしていた光は突然大きく膨れ上がる。それはみるみる肥大化して、人の身体なんて容易く呑み込んでしまえるほどになった。
それでも女子学生は逃げようともせずに、ただその大きな光を見上げている。
光は、大きな口を広げるように彼女へ近づく。
彼女の名前を叫ぼうとした。それでも、声は形にならなかった。
次の瞬間、彼女の身体は大きな光に包み込まれる。
たまらずに叫びを上げようとした。
瞬間、目の前の景色が不意に崩れた。
見えるのは白い天井とカーテンの隙間から漏れる朝陽。廃墟のような学校ではなくて、よく知る狭いワンルームの中だ。
あまりにも見慣れた朝の景色。いつもと違うのは、背中に汗がたまっていること。
最悪の目覚めだった。
どうして今さらこんな夢を見てしまったんだろう。彼女がいなくなってから、もう五年近くが経ったというのに。
ベッドから起き上がって、身支度を始める。真っ先に顔を洗って、浮かんだ脂汗を落とすと少し気持ちが落ち着いた。
顔をタオルで吹き終わった時だった。洗面台の隣に置いた携帯電話が着信音を流している。この携帯に電話をかけてくる人物を、俺は一人しか知らない。
画面を確認すると案の定だった。
「おめでとう。次の場所、決まったよ」
通話のボタンを押すなり、テンションの高い声が飛び込んでくる。この脳天気な男の声は上司に当たる人のものだ。
「そうですか。で、どんな現場ですか?」
電話口の向こうから含み笑いが聞こえてくる。面倒ごとが持ち込まれる前ぶれなのは、もうこれまでの経験から察しがついた。
「私立國城東高校、もちろん知らないわけないよね? 鴨ちゃんには、ここに教師として潜入してもらうことになったから」
あまりにも想定外の指示に、思わず言葉を失った。
当然、その学校の名前ならよく知っている。
「あの。言っている意味がよく分からないんですけど……」
「そのままの意味だよ。どう? やれそう?」
一度まぶたを閉じる。
思い出すのは、今朝の悪夢だ。どうして久しぶりにあんな夢を見てしまったのか、疑問だった。あるいは、こうなることを予期していたんだろうか。
目を開いて、はっきりと答えた。
「それが仕事ならやるだけです」




