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10 病院長

多重人格の自覚症状の一つは、記憶の欠落だ。


しかし面倒な事に、人間の脳は高度な脳処理の負担を軽減する為に、記憶する事を割愛したり、過去の記憶で代替する事がある。


気が付くといつもの道を通って、職場に来ていたりとか、ろくに考えなくても、いつもの仕事をこなしていたりとか。


ちゃんと脳は処理して肉体を行動させてはいるが、記憶に残らない事はある。


だが、多重人格の場合は、過去にも記憶に無い行動をとる。

少なくとも、記憶障害として病院を勧める事は出来る。


近代の陰陽師は、狐憑きを見つけると、カメラやビデオで対象者を隠し撮りする。

その後に、陰陽師が鎮魂香と真言で副人格を抑制して、主人格に記憶に無い奇行の映像を見せて、病院行きを承諾させるのだ。


そして、強い抗うつ剤を処方する事で、精神の自己抑制力を薬に頼る様になり、薬無しには自己感情を抑えられなくする。

こうして、名実共に精神病患者に仕立てあげ、狐憑きを病院に隔離するのだ。


勿論、薬物は副人格にも影響するので、長期的に処方すれば、脱力感に染まった、『無害な狐憑き』が出来上がる。


勿論、その様な精神病院の医院長も『陰陽師』なのだけど。


肉体を奪う侵略者に対して、必要な事と理解していても、犯罪である殺人を行いたい者は少ない。


それゆえに、手間は掛かるが多くの陰陽師は、これに似た手法をとる。





ここ、田所クリニックも、そんな病院で、医院長の宮辺純一は、陰陽師だ。


先代の田所聡医院長も陰陽師だったが、息子は陰陽師ではなかった為に、陰陽師の宮辺が医院長を引き継いだ。

先代の息子は副医院長になっている。


表向きは、息子が先代の研究を理解できないと言うのが理由になっている。


この医院での研究は、一部の患者に対する脳への薬物投与で正常化を目指す物だ。


近代の技術では、脳の部位別に活性具合いを調べる事が出来る。


『狐憑き』の患者に、副人格活性時の共通点が見つかれば、その部位を薬物で麻痺させる事で多重人格/狐憑きを治療できると考えたのだ。


陰陽師の長年の研究で、鎮魂香と真言で、副人格を不活性化する事は出来るので、その時の差異を統計している。


実際、傾向は見つかり、治療法の一つとして、学会に出す準備もしている。


「世界中の陰陽師やエクソシストに、光明こうみょうが見えるだろう」


医院長室のパソコンで、論文を整理しながら、宮辺は呟く。


論文が大詰めを迎える頃、ノックの音がして、総務の柏崎が入ってきた。


「医院長。例の消防署検査が来ましたが、私の対応でよろしいですか?」

「ああ、話は覚えている。頼んだ。今はちょっと手が離せないんだ」

「判りました。結果は書類にしておきます」


宮辺はパソコンから目を話さず返事をし、柏崎は扉から顔だけ出して応対をした。

柏崎は先代の親戚で、この病院の経営を実質的に切り盛りしている有能な男だ。


消防署の検査とは、京都市内で頻発する病院の出火事件により、急遽に行われる事になった、消火設備点検だ。

宮辺が横目でモニターを見ると、ロビーの監視カメラに消防署の職員数名が映っている。


午後の回診も終えているので、就業時間中に、キリの良い所まで仕上げてしまいたいと宮辺は思っていた。

消防署の検査は、同行するだけなので、彼が行く必要もないし、今日の診察の大半は副医院長に任せてある。


幾つかの薬物臨床試験の資料を片手に、論文を仕上げていると、時間がたつのが早い。


定時を知らせるアラームが鳴り、宮辺は時間がきたのを、やっと悟った。


「今日は、ここまでにしとくか」


行の終わりまで書き終えてから、彼は書類を保存する。


トントントン


タイミング良く、柏崎が消防のレポートを持ってきた。


「医院長。研究の方は順調ですか?」

「ああ。皆の協力もあって、もうすぐ目処がつく」


柏崎が微笑み、レポートを机の上に置く。


「消防の検査も問題ないので、前祝いに呑みに行きませんか?」

「そうだな。たまには息抜きも必要か」


宮辺は酒を滅多に飲まないが、弱いほうではない。

呑みニュケーションが職場では必要である事も理解している。


タクシーを呼び、四条河原町交差点で降りる。

四条大橋を渡れば、宮辺のマンションも近い。


スナックを何軒か回り、シメに、あまり客の居ない、奥まった店に、はじめて入って、マッタリとカクテルを飲んだ所までは覚えている。

柏崎も一緒だからと、気が抜けていたのだろう。




息苦しさで目が覚める。

目は塞がれ、口には何かが押し込まれ、手足は動かない。

指は手袋をしたままで固定されている感じだ。


「ウーッウーッ!」


声を上げるが、呻き声にしかならない。


「あらあら、もう起きちゃいましたか?」

「お嬢。最近のガムテは丈夫ですから、動けませんよ」


聞き覚えの無い少女らしき声と、野太い男の声がする。

振動と音から、車で運ばれている様だ。


「靴とネクタイは、四条大橋で良いんですよね?」

「ああ。手袋は大丈夫か?」

「大丈夫ですお嬢。その辺りはシッカリ訓練しておりやす」


言われてみれば、片方の靴が無い様で、足の指が自由に動く。


「さて、着いたぜ」


車が停められ、す巻き状態のまま、担ぎ出される。

試しに暴れるが、数人がかりらしく、たいした動きにならない。


何かを乗り越え、斜面を降りて、草を掻き分ける音の後、水の臭いがした。


地面にうつぶせにされ、頭だけ起こされて、猿ぐつわだけが外される。


「うっぱぁ~っ!何なんだいったい?」


一声あげると、頭を捕まれ、地面に向かって降り下ろされる。


鼻と口から、生臭い水が押し寄せた。

むせるが、息ができずに、気管まで汚水が流れ込み、鼻から入った水の痛みで、一瞬、意識が飛びそうになる。


必死に藻掻くが、数人がかりで押さえられていて、逃げ切れない。

水も飲んだし、肺にも入った様で、痛苦しい。


顔が水から引き上げられ、ヒューヒューと呼吸音をたてている。


「言っておく事は有るか?鴨川には死んでから落とすから、これが最後になるわよ」


先程の若い女の声だ。


「医院長、あんたが悪いんだ。あんたさえ来なければ、シンちゃんが医院長だったんだ。更にあんな論文まであげられたら」


震えているが、柏崎の声だった。

『シンちゃん?副医院の伸治か?そうか、義理の甥っ子だったな』と、宮辺は病院内の人間関係を思い出す。

親戚から客観的に見て、家族経営の病院に、宮辺は邪魔なのだ。


うちも最後に言っておくわ。先に逝ってなさい。陰陽師さん」


宮辺は、このひと言で、多くを悟った。

病院の連続放火、消防署員の病院見まわり、狐憑き。


再び顔面が浸る水面に、抗う気力も、宮辺は失ってしまった。





「本当に大丈夫なんですか?」

「大丈夫かよ。あんたは何もしてないでしょ?酒に薬を盛ったんのも、私等うちらだし、あんたは帰宅してる。四条大橋のカメラは、全部潰してあるし、靴とネクタイが残ってる。あんたは、四条河原町で別れて帰宅したのよ。明日、何回か携帯に電話してから、捜索願いを警察に出したらいいわ」


この話は、消防署員に紛れた男に持ち込まれた。

彼は、研修生と言っていたが、病院の内情に詳しく、弱味や不満を調べあげている様だった。


「あとは、特別病棟の五人を退院させてくれたら、全部あんたの思い通り。約束を破ったら、不幸な火事が起きるわよ」


この少女達の目的は、判らない。

だが、確かに店から一人で、自宅前までタクシーに乗って、コンビニに寄った柏崎にはアリバイが有るので、恐喝きょうかつのネタは無い。

ビデオを撮られていても、日時の証明は出来ない。


兎に角、柏崎は再度の帰宅をし、翌日に指示通りの事を行った。


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