序章
チャイムが授業の終わりを告げると講堂に生き返ったかのような活気が戻って来る。
教授が資料を纏めている中、各々次はどうするか話したり、さっさと他の講義のために移動していたりと様々だ。
この講義を選んだのは自分だが、それでもたまに教授の説明にうんざりするときがある。
「ねぇねぇ、お昼どうするー?」
「私食堂ー」
通り過ぎる会話を聞いて、もうそんな時間かと携帯の時計を確認する。
食事は一旦家に帰ってとるとして、その前に図書館で借りていた資料を返してくることにした。
「すみません、返却お願いします」
「……はい、確認しました。ありがとうございます」
資料を返却して去ろうとしたら携帯にメッセージが入っていることに気が付いた。サヤからだ。
サヤとはサークルのコンパで知り合い、付き合ってもう一年になろうとしている。
元々、児童向けのパペットサークルには野郎一人で行きづらいという友人に付き合って行っただけだったからもう辞めてしまったが、サヤの話を聞くようでは中々に児童たちに人気らしい。
さて、そのサヤからもう少しで講義が終わるからお昼一緒にどう?という内容が届いている。
サヤのことだから片付けにもたついて時間が掛かるだろうし、何か時間を潰せるものがあった方が良いだろう。
中庭のベンチで待ってると送信し、適当な本を見繕うことにした、のだが。
カウンターの司書から死角になっているところに落ち着いた色合いの深い赤色の本が不自然に置かれているのに気付いた。
さっき見たときには何もなかったと思ったのだが、見落としていたのだろうか。
「あの、ここに本ありますよ」
「え?やだ、私ったら回収忘れかしら」
緩く髪を結んで肩に流している司書はしまった、という顔をして本を受け取った。
「ん?これ、ここのものじゃないわ。だってバーコードがないもの。それにタイトルらしきものもないし、誰かの忘れ物じゃないかしら」
確かにどこか古ぼけていてごわごわとしている感じはここの綺麗に整理した資料から浮いて見えた。心なしか水でふやけてしまっているようにも見える。
「これは一旦預かっておくわね。ありがと」
一度注目してしまうと何故か中身が気になってしまうもので、視線はその本に釘付けになっていた。読みたい。中に何が書かれているのか気になる。それは喉の乾いているときに水を見たときのような本能のままの貪欲さに似ていた。
どうしても無性に気になってしまい、似たものを持っている人を見たことがあると嘘をついてまでその本を持ち出してしまった。
「日記かなんかか?それとも誰かの資料か」
念のため背表紙のところにタイトルが彫られていないかと触ってみたがボコボコとしているだけで何もなかった。
読めばわかるかと中を開くと手書きで何かが書かれているのでなく、普通に文字が印字されていた。
一見小説のような始まりで書かれていたのに読み進めるごとに違和感を感じた。
そう、それはまるで“誰かに見られている”ような。
それもどこかからの視線を感じるのでなく本の中から感じる。
気分が悪くて閉じようとした瞬間、読んでいたページに文字が浮かび上がった。
『見つけた』と。
「は?」
文字が本にびっしりと浮かび上がると黒い手が取り込もうと伸びてくる。
本から手を放そうと思った時には遅く、既に俺は取り込まれてしまっていた。