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大洪水と思いやり

 さすがに機械は早い。胸まで茂った草の藪が見る間に倒れていき、どんどん見通しが良くなっていく。飛び散る小さな屑で、空気がうっすら緑色に染まるほど。


「やっぱり効率がいいですね。これ、刈り取った草はその辺に積んでおいても構いませんか? ゴミの日に出したほうが?」

「あ、それね、ちょうど山の裏手のほうに山羊を飼ってるとこがあって、そっちに持って行こうと思ってるんですよ。それもあって草刈りに来たの」

「山羊、ですか」

「そうなのよー。って言っても牧場って規模じゃなくて、二頭だけなんだけど。最初は田圃の土手とか畑の除草に飼い始めたら、可愛くてしょうがなくなってもう一頭増やしちゃって。自分とこだけじゃおっつかなくなって、そこらじゅうで草食べさせてるの」


 泰子さんはおかしそうに笑って、さらに話し続ける。草刈り機の音で時々聞き取りづらいけど、お構いなしだ。


「そこの家も杉田でね、先祖をたどったら親戚なんだけど。この辺はそういうつながりが多いのよ。神父さんは、ご家族はどちらに?」

「海外暮らしですが、おかげさまで両親とも元気にしています」


 わたしは漠然とした答えを返した。坂上神父が複数ルーツをもつ人間だから、こういう時に家族親戚の所在をぼかせて便利だ。もっとも半面、生い立ちなどに好奇心剥き出しの質問をされることもあるが、その点についても、聖職者の身分が一定の遠慮を引き起こしてくれるので助かる。

 案の定、泰子さんは深く突っ込まず、次の話に移ってくれた。


「あら! 海外なの、遠いわね~。それじゃあ寂しいでしょう。神父さんって独身でしたよね?」

「ええ、カトリックの司祭はそうですね」


 プロテスタントの牧師なら結婚できるし、カトリックでも助祭なら妻帯できる制度がある。けれど、司祭になれるのは独身男性だけだ。今のところは。


 断っておくが、わたし自身はカトリックでもプロテスタントでも、あるいはほかのいかなる教派でもない。ただこの坂上護がカトリックの司祭であるだけだが、これは実際的な利便の都合によるところが大きい。

 司祭、ということにしておけば、色恋沙汰のやっかいな問題を避けられるからだ。


 守護する人間が愛し愛される喜びを知るよう導くことはあっても、天使自身がその対象にはなれない。だから「天使は愛を知らない」だとか揶揄する悪魔もいるが(そこの駄犬だ)、とんだ言いがかりだ。

 まあ、今は「愛とは何か」なんてことを論じたいわけじゃなく……


「それじゃあ、ご両親に孫の顔を見せられないわねぇ。そりゃもちろん、いろんな人生があるわけだけど、やっぱり残念でしょう。子供は大事よぉ~、五年前に兄さんが亡くなった時も、美里ちゃん夫婦のおかげで喜美子さん、本当に助かったもの。早々とよそに嫁いじゃった美幸ちゃんも、あの時は帰ってきて手伝ってくれたし。あ、美幸ちゃんって、お姉ちゃんのほうね。まぁ、吉田さんとこの長男みたいに、出てったきりずっと音信不通なんてのもいるけどねぇ。でもやっぱり子供は大事よ、本当に」


 ……この個人情報の大洪水をどうやって止めるべきか、それが問題なんだけど。無理かな。うん、無理っぽい。方舟が要る。

 杉田家の概況はむろん把握しているけれど、こんなことまで新参のよそ者が聞いてしまっていいんだろうか。しかし喜美子さんの夫の信夫さん、結構早くに亡くなられたんだな。


「五年前ですか。まだお若いのに」


 ぽろりと言葉がこぼれた。質問のつもりではなかったのに、泰子さんは深くうなずいて、草刈り機の音に負けまいと声を大きくする。しまった、鳩を放つのは早かった。


「ええ、まだ六十代だったのに! 人生百年時代とか言われてても、不摂生してたらそりゃ駄目よねぇ。あれだけ毎日お酒飲んで甘いもの食べてたら、無理ないわ。短気で怒ってばっかりいたし、医者嫌いだし。生活習慣病の見本市みたいなものだったわ。神父さんも若いからって無頓着にしてたら、後悔するわよ。長年の習慣のツケはね、老後にどっと来るもんなの」

「はい、気をつけます」

「ふふふ、やだわ失礼、神父さんにお説教しちゃった。でも神父さんぐらい素直でまじめな人なら、心配ないでしょうね。兄さんは本っ当、人の言うこと全然聞かなくて困ったわぁ。あたしや喜美子さんが口を酸っぱくして注意しても駄目、お医者さんの言いつけも守らなくて、結局あれよ。美里ちゃんもそういうとこ、ちょっと似ちゃったのかしらねぇ」

「……?」


 美里さんも持病があるんだろうか。そんなデータはなかったけど……性格の話かな? 首をかしげたわたしにお構いなく、泰子さんが「好き勝手やってるとツケがどっと来るのよ」と二周目に入ったところで、草刈り機が止まった。


「おぉい、母さん! そろそろそっちの端から、草、積んでくれや」

「はいはーい! さて、やりますか。神父さん、軍手使う? 予備のあるけど」

「お借りします」


 差し出された軍手をはめて、倒れた草をかき集め、トラックの荷台に載せていく。じきに泰子さんが荷台に上り、わたしが置いた草を奥から詰めていく係を受け持った。

 こうして見ると結構な量だ。敷地外の森に積んでおけば自然に土に還るだろう、と高をくくっていたけど、引き取り先まで用意してもらえて助かった。


 勇さんが草刈りを続け、わたしがトラックと庭をひたすら往復する。さすがに泰子さんのおしゃべりも一時中断だ。

 しばらくすると勇さんもあらかた刈り終えて、運ぶほうを手伝ってくれた。

 そうこうして汗をかくこと小一時間、積み終えると同時に、正午を告げる町内放送の音楽が流れてきた。


「ちょうど、お昼に間に合ったわね。お疲れさん」


 泰子さんが勇さんをねぎらい、荷台から降りて額の汗を拭くと、わたしにも笑いかけてくれた。


「神父さんも、お疲れ様でした。大変よねぇ。神父さんって、お祈りしてればいいのかと思ってたけど、こんなことまでしなきゃならないなんて。業者に頼めばいいのに」

「なかなか予算が厳しくて。ここほどひどい状態でなくても、草むしりや簡単な大工仕事は、司祭の仕事である教会が多いですよ」


 わたしが苦笑でごまかすと、泰子さんは深刻そうに眉をひそめた。改めて建物を眺め、周囲を見回し、難しい顔をする。


「この教会を直しても、信者さんがいなきゃ寄付も集まらないでしょ? そんなので食べていけるの? この辺の神社も昔はもっとたくさんあったのに、経営が厳しくて神主さんも会社勤めで週末だけしか神社にいなくて、あげく廃業したって話をちらほら聞くけど」

「馬鹿、おまえ」勇さんが遮った。「教会は神社と違って、なんか上のほうで取りまとめてるんだ」

「あ、そうなの。それならいいんだけど。そうよねぇ、ちゃんとどこかから、お給料もらってるわよねぇ」


 無言で微笑むしかないわたしの背後、門扉のほうから犬のヒヒヒ笑いが聞こえる。後で覚えてろよ。


「そこらへんの事情は教会によっていろいろ違うんですが、わたしの場合は、ええ、そうですね。ですから、躍起になって皆さんからお金を集めたりはいたしません。ご安心ください」


 まぁもちろん、そうは言っても世俗社会で不動産を所有し諸々の祭礼をおこなう以上、どの教派でも先立つものは不可欠だ。聖職者が全員天使で奇蹟も使い放題なら、献金が皆無でも問題ないけれど、実際はなかなか世知辛い。

 幼稚園や学校を経営する教会もあるし、平日の昼間は神学校で教師をしていたり、教会とはまったく関係のない副業に励む聖職者もいる。タクシー運転手だったり、ガソリンスタンドのスタッフだったり。


「ああごめんなさい、そういう意味じゃないのよ。ただちらっと、神父さん、お昼ごはんどうされるのかと思って」

「おい母さん、失礼だろう」


 夫婦のやりとりに、わたしは思わず失笑する。外見だけ言えばこの坂上神父は、二人の子供よりもまだ少し若いぐらいだろう。ちゃんと食べてるのか、と気にかけてくれる心の温かさが沁みる。


「お気遣い、ありがとうございます。適当に済ませますから大丈夫ですよ。それよりも、草刈りのお礼に何かお手伝いさせていただけませんか? ここの手入れは急ぐわけではありませんから」


 わたしの申し出に、泰子さんはすぐ「気にしないで」と応じたが、勇さんがふむと考えておもむろに言った。


「それなら、少し箱を折ってくれんかね。うちじゃなくて、本家の」

「喜美子さんのところですか?」

「ああ。こないだ、うちの箱が足りなくなって急場しのぎに融通してもらったのを、まだ返せてなくてなぁ」


 勇さんの提案に、最初は憤慨の表情を見せた泰子さんも、そういえばと思い出したらしく、恐縮そうにポケットから携帯電話を取り出しつつ確認した。


「お願いしてもいいかしら」

「もちろんです。後で作業場のほうに伺えば良いですか?」

「ちょっと待ってね……あ、美里ちゃん? あのね、今あの教会で草刈り終わったんだけど、神父さんがお礼に何かしたいって言ってくれて。それでね、ほら、前に……」


 大きな声でやりとりすることしばし、どうやら話がついた。

 昼食後に昨日の作業場へ行く約束を取り付け、泰子さん夫婦は青草を満載したトラックで帰っていく。

 お昼はちゃんと食べてね、と念を押されたのが少しくすぐったかった。


『よーし、メシだメシ! 日本に来たからには寿司食いに行こうぜ、ロシアっ子のアーリャちゃん!』


 神よ。そこの悪魔を流氷に乗せてオホーツク海に放逐してくださいませんか?


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