放蕩息子の帰還
つましい司祭館の名ばかりリビングは、大人が四人も入ると窮屈だ。
両親に持ってきてもらった、いささかちぐはぐな印象の服に着替えた大樹さんは、身の置き所がない様子でソファに縮こまっている。その向かいで吉田さんが優しい苦笑いを浮かべ、ハンカチを濡らし続ける奥さんをなだめていた。
台所に何もないので慌てて天使パワーで紅茶を呼び出して淹れたけれど、実際のところ、出されたのが水だろうと青汁だろうと誰も気にしなかったんじゃないか、という雰囲気だ。
わたしの予想通り、二人ともまったく怒りなどしなかった。
最初は落ち着いた態度を保とうとして、お帰り、無事で良かった、と簡単な言葉を交わして。じきに奥さんの涙腺が決壊し、大樹さんが何度も謝って。
吉田さんもちょっと涙ぐんだけれど、こちらは気合いでこらえていた。
『そろそろ感動の再会も一区切りついたかね? あぁまったくやれやれ、リアル放蕩息子の帰還を目の当たりにするなんて、霊魂が削られるったらないね』
ぼやきながらダミアンが入ってきた途端、うわっ、と大樹さんが悲鳴を上げて腰を浮かせる。吉田さんと奥さんがふきだした。
「おまえ、相変わらず犬が怖いまんまか。それでよくここに転がり込んだなぁ。そもそも、なんで教会に寄り道しようなんて考えたんだ?」
からかい半分の質問に、大樹さんは答える余裕もなく犬を凝視している。わたしは急いで助け船を出した。
「ダミアン、部屋に行ってろ」
『言われなくてもそうするさ。修羅場になりそうもないし、つまんねーからな』
ふん、と悪魔は鼻を鳴らし、尻尾を一振りしてリビングを去っていく。大樹さんがほっと深い安堵の息をついた。
「……昨日、着いたんだけど。踏ん切りつかなくて……うろうろしてる間に日が暮れて、そういや教会があったな、って思い出したんだよ。教会なら黙って入り込んで泊まっても見付からないんじゃないかって。この辺ネットカフェもないし、そもそも金がないし」
「でも犬がいたから諦めたんですね?」
「はい。昨日は晴れてたから、結局、駅前まで戻ってロータリーのベンチで寝たんですけど。今日こそは帰るしかない、って決意したものの、朝から雨が止まなくてなかなか出発できなくて」
やっと午後に雨の止み間があったから歩き出したものの、待っている間に決意が鈍ってしまい、ぐずぐずしているとまた降りはじめて。そうすると、ずぶ濡れで帰るのがますます惨めに思われてきた……そう大樹さんは語った。
「それで、いちかばちかもう一度、教会に行ってみようって。犬がいたら諦める。もしいなかったら、せめて一晩待って、身体を乾かしてからにしようって」
「おまえは、そういうところも変わっとらんなぁ。ずるずる先送りにして、最後の最後まで自分で決めようとしない」
父親に呆れられて、大樹さんがうなだれる。けれどその言葉には続きがあった。
「そんなおまえが、よく帰ってきたよ。なぁ。よく決断した」
「…………」
「なんだその顔」
「いや、親父、絶対怒ると思ってたから……」
「この馬鹿。十年も心配してりゃ、いまさら怒る気力もありゃしねえわ。こんなに長いこと、いったい何やっとったんだ。セミナーとやらはどうなったんだ、借金はしてないか?」
「セミナー……? あ、ああ、あれね……うん、最初はうまく行ってたんだけど。会員増やして、紹介金とかもらって」
「おい、それ、マルチ商法ってんじゃねえのか」
「や、うん、だからその、じきにやめたよ。稼げなくなったし。その後は、いろいろバイトで食いつないで。借金はギリギリしてない。それだけは守ったから」
おどおどとごまかすような説明をしながらも、最後の一言はしっかりと、母親に向けて言う。どうやら、借金だけはするな、と言い聞かされて育ったらしい。
貯金が底をついてキャッシングに手を出すしかなくなる寸前で、この一線を越えるぐらいなら、惨めでも怒られても家に帰ろうと決めたんだろうな。
わたしは微笑ましくなり、つい口を挟んでしまった。
「大樹さんは、良いご両親に恵まれましたね」
教えを胸に刻んで大切にできて、それを破ることと、帰って怒られることを秤にかけた時、後者を選べるのは、親への信頼があればこそだ。
……と思ったままを一言にまとめたんだけど、ちょっと露骨だったらしい。親子三人、揃ってなんともややこしい顔になってしまい、はいともいいえとも答えられず、互いに視線をそらしてもぞもぞした。
気恥ずかしさに耐えきれなくなった吉田さんが、オホンと咳払いする。
「いやぁ、まぁ、幸運に恵まれたんだろうよ。神父さんにも世話かけちまって、すまんかったね。おい大樹、この神父さんがここに来たのはな、つい最近なんだぞ。一人でせっせと草刈りして、建物も修理して、だからおまえが転がり込めたんだ。神さんにお礼言っとけ」
「ああ、それは確かに、主のお導きがあったのでしょうね」
わたしはつくづくとうなずいた。
こんな場所の教会を手入れしたって人がいないだろう、とダミアンが呆れたし、わたしも疑問を抱かなかったわけではないけれど。最初に見た時のような、草に埋もれて門も開けられないざまだったら、大樹さんはひょっとしたら、家に帰ることまでも諦めていたかもしれない。
あるいは、吉田さんがわたしを見て我が子を思い出した後だったからこそ、今、怒鳴りつけたりせず穏やかに迎えられたのかもしれない。
吉田さん一家もまた、天のはからいに感謝する気持ちを抱いてくれたようだ。帰り際、礼拝堂に寄って祭壇前に並んで立ち、深々と一礼してくれた。
外はいつの間にか雨が止み、雲間から月光が射している。わたしは晴れ晴れとした気持ちで、遠ざかる白いトラックを見送っていた。
静かな達成感が胸に満ちていく。
どうやらそろそろ、ここでの仕事は終わりが近いらしい。




