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これで良かったんだろうか

「なぜ、あの歌を?」


 わたしは遠慮がちに問うた。

 確かにポピュラーな歌だ。けれど、同じように口ずさみやすい旋律なら『いつくしみ深き』だってある。『主よ、みもとに』は……それよりは少し、かなり、歌詞の内容が重い。タイタニック号が沈没するときに演奏されたエピソードで有名だ、と言えばわかるだろう。


 多くの宗教がそうであるように、キリスト教もまた死後の魂について説いている。自然、祈りの文言や聖歌にも、天国への望みがよく紡がれているわけで、別にこの歌だけが特別ではないし、おかしくないと言えばそうなんだけれど。……でも。


 じっと返事を待っていると、喜美子さんはこちらの複雑な懸念に気付いた様子もなく、なんでもないことのように答えた。


「特に理由はないんですけど。なんとなく、お祈りしていたら歌いたくなって。ふさわしくありませんでしたか?」

「いいえ、ミサの中でのことではありませんし、何も問題はありませんよ。ただちょっと不思議に思いまして。失礼しました」


 ぺこりと頭を下げ、今度こそ家に戻る喜美子さんを見送る。……わたしも帰るか。

 車のドアを開けて乗り込みかけたところで、わたしは夜空を振り仰いだ。まばらな明るい星がみっつ、よっつ。主のお告げか、あるいはかすかな示唆でもいただけないかと待ってみたけれど、何の変化もなかった。

 ため息をつき、車を回して帰路につく。


 これで良かったんだろうか。

 良くないはずがない。もちろんだ。ミサに与ることができて、喜美子さんは本当に満足そうだった。

 けれど……わたしがおこなったことは、『導き』と言えるんだろうか。

 喜美子さんを教会に呼び戻し、神の愛と慈しみを思い出させたなら、もう仕事は終わったと?


 出し得る答えはひとつ、否。

 充分やった、つとめを果たした、とはまったく微塵も思われない。参ったな。


 考え事をしていたせいで教会を通り過ぎそうになり、慌ててハンドルを切る。天使は決して交通事故に遭わないが、道を間違えたり迷ったりは普通にするのだ。まぁ天使ひとによるけど。


 そういえばここの門灯はまだ電球が切れたままだった。暗くてもわたしやダミアンは不自由しないけれど、もし誰かがここに立ち寄ろうと思うなら、不用心だ。

 開け放しておいた門扉の間を通り過ぎながら、天使マネーの残高を考えて、ちょいと手を一振り。門柱の上に暖かな光が点った。


 礼拝堂のポーチでは、出た時と変わらない姿勢で、黒犬が伏せている。わたしが車を降りて歩み寄ると、おざなりに尻尾を振って首をもたげた。


『運転手ご苦労さん。こっちは異状なしだよ』

「不審者が戻ってきたりはしなかったか。やっぱりただの通りすがりかな」

『俺の知ったことじゃないね。それより妹ちゃんには会えたか?』

「いいや。門前で下ろしただけだからな」


 わたしは素っ気なく答えた。

 新しい住宅なら、よほどの豪邸でもない限り門と玄関の距離はそう遠くないし、だいたい直線的に見通せて声も届きやすい。表に車が止まって家族の話し声がしたら、気を利かせた誰かが迎えに出てくるかもしれないが、何せ杉田家は古い日本家屋だ。どっしりした門から母屋までの小径はまっすぐでないし、鬱蒼とした植木が声と視界を遮っている。


「そうでなくとも夕食前で、きっと希美さんもお手伝いに忙しい最中だ。おまえが一緒に来ていたとしても、会えなかっただろうさ」

『ちぇっ、つまんねーな。せっかくお姉ちゃんが恨みつらみを神父サマに吐き出しかけたんだから、もう一押ししてやりたかったのに』

「アレルヤ唱を浴びせるぞ。審判の日までへたばってろ、このろくでなし」


 陽美さんの前で、希美さんにめいっぱい媚びを売るつもりだったのか。妹ばかりずるい、という気持ちを増幅させるために。

 睨みつけてやったが、いつものごとく蛙の面に水だ。黒犬はゆったりくつろいだ仕草で前足を組み、そこに顎をのせた。


『そう怒るなよ、事実を直視させてやろうってだけの話じゃないか。上の子は厳しくされ、下の子が可愛がられる。長子は粘り強い努力家にはなれるが、要領が良くて皆に愛される人気者はいつだって末っ子。しょーがないよなぁ、人間だもの』

「その傾向があるのは事実だとしても、それを“いつも”“皆”と一般化して不公平感を煽るのは、事実に対する歪曲だろう。あるがままを見せて選ばせてやる、だとか言い訳するのなら、せめて公正さに気を遣うふりだけでもしたらどうだ」

『おっ、言うねぇ天使サマ。けど実際、妹ってのは特異的にポイント高いんだぜ? 海外オタクの間じゃ、リアルな妹《sister》じゃなくて、日本語まんま輸入した imouto ってなキャラ概念に萌えるとか』

「悪いが、サブカルチャーを引き合いに出して話すのはやめてくれ。何を言っているのか、さっぱりわからない」


 調子づく悪魔を困惑して遮ったところ、ずいぶんな鼻息を浴びせられた。


『若いくせに古臭いな! いつまで漫画やアニメをサブカル扱いしてんだよ、今や全世界に通用する立派なカルチャーだぞ! せめてラノベの一作でも読みやがれ。これだから天界の連中は』


 ぐっ。返す言葉がない。というか今、創英角ポップ的センスのお歴々と同類扱いされた? うわぁ……。


『おっ? おお、なんだ、しゃがみ込んじまうぐらいショックだったか。悪い悪い、つい口が滑った。そうだよなぁ、自分は全然若手のつもりでいたのに、実はとっくに時代遅れだって思い知らされちゃ、キツイよなぁ』

「謝りながら塩を擦り込むな!」


 おのれ悪魔め。唸って頭を振り、なんとか気を取り直すと、わたしはため息をついて犬の横に座った。黒い木々の梢に切り取られた星空を見上げ、話を軌道修正する。


「おまえは年下が得だと言うが、美里さんだって妹だぞ。泰子さんの話だと、お姉さんが早々に家を出たそうだから、美里さんにしてみれば姉に抜け駆けされた、妹だから職業選択の余地を狭められた、と思ったかもしれない」

『あー、まあ、そういうケースもあるな。だからこそ娘には、好きに選ばせてやりたいんじゃねーの? 立派、立派。伝わってないけどな。残念、ヒヒッ』

「本当のところ、美里さんがどう思っているのかはわからないさ。あまり心を開いてくれる様子もないし」


 信徒である喜美子さんはもちろん、吉田さんや、最近は陽美さんも、神父という立場にあるわたしには、いくらか心の内を話してくれた。けれど美里さんは今でも、他人行儀さを保ったままだ。

 大人として当然の態度ではあろうし、単純に忙しくてのんびり話していられない、と言ってしまえばそれまでだけれど。なんというか、彼女はいつも身構えているような気配がある。ツバメの雛を見上げて微笑む柔らかな優しさを、防御の盾で隠してしまっているような。


「何か、きっかけがあればなぁ」


 ぽつりとわたしはつぶやいた。

 その類の望みは、天界を通すとソウジャナイになりがちなのを、迂闊にも忘れて。


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